017 :約束の当日
待ち合わせ場所に所在無げに立っていたヒナコの元に、時報のようにタツルが現れた。
「おはよ~ヒナコさん」
ヒナコを見つけて表情を明る気した彼は、声を弾ませる。
「お、おはよう」
いつもより軽い口調に少し戸惑う。
お構いなしに全身をチェックして、一言。
「うん、やっぱり可愛いね」
「かっ……!」
極上の笑顔と甘い言葉に目を白黒させて絶句した。
「はい、そこ、舞い上がらない」
冗談っぽく軽くいなされて、その芝居がかった言い方に思わずクスリと笑う。
ヒナコの気持ちがほぐれたことに安堵したタツルは、それをおくびにも出さず彼女の手を取った。
「行こうか」
「え?どこへ…?」
再び困惑で表情が曇る。
「来ればわかるから、ついて来て」
手を引かれるまま細い横道を左に二度曲がって着いたのは、駅構内にありながら一線を画した門扉とその先にあるエレベーターホール。
隠すように設えられたエントランスは私邸の様であり、天然石を配された床や壁は落ち着いた高級感を漂わせていた。
胸の高さ位まである黒い飾りゲート横の門柱に埋め込まれた、インターフォンの様なものにタツルが手をかざすとカチャリと鍵が開き、その奥へと誘う。
一瞬の躊躇いを見せたヒナコだったが、好奇心が勝ったのか、魔法をかけられたように門と同時に開いたエレベーターの中へ促されるまま進む。
その壁にも入り口と同じ端末が組み込まれており、同じ動作を繰り返してから「▲」ボタンを押した。
エレベータボタンはシンプルに6つ、「P」「B1」「LB」「▼」「▲」「R」に軽くヒナコは首をひねった
が、疑問を口にする前に軽い到着音をさせてエレベーターが停まる。
「ようこそ、俺の家へ」
おどけた口調に無意識に答えた。
「あ、お邪魔します……?」
まず目に入ったのは大きな木の扉、黒い鏡のように磨かれた敷石。
その空間に一歩踏み入れて左右を見渡せば、先程のエレベーターホールに負けず劣らずの重厚感あふれる玄関内。
それだけで足がすくんでしまっているヒナコを、先に靴を脱いだタツルが引っ張り上げるように玄関へ上げる。
「あっ!靴を揃えなくちゃ!」
薄衣がすり抜けるようにふわりとタツルの手から離れたヒナコが、二足分の靴をきっちりと揃えた。
面喰っていたタツルから笑い声が上がる。
「やっぱりヒナコさんは面白い!」
「えぇ?!当たり前のことをしているだけなのに???」
「そうなんだけど……」
続きは笑いに消えていった。
釈然としないものを感じながら通された部屋で、ヒナコはポカンと口を大きく開けて立ち竦む。
エレベータに乗ったところ見ると高い建物なのは分かるが、着いた先はエレベーターホールではなくいきなり個人宅内、玄関も含めて天井は高くドア一つとっても造りの大きい、今までヒナコが踏み入れたことの無い世界が広がっていた。
「お茶でも出すから、あそこに座ってて」
指し示されたのはL字型の黒い革張りのソファー。
入り口に一番近い所に沈まるように座るヒナコを見届けて、タツルはヒナコの背後、入り口からみて左手へ向かう。
その彼を目で追えば、ホールのように感じるここがリビング・ダイニング・キッチンであることが分かった。
が、広過ぎるのだ。
永遠のように感じられる時間をかけてタツルが戻って来る。いまだに順応しきれないヒナコに苦笑しながら。
「取りあえずお茶でも飲んで、落ち着いて?」
差し出された湯気の立つマグカップを受け取り、素直に口を付けた。
ふわりと広がるすっきりとした花とミントの香り。
「美味しい!すごく香りが良いのね」
「気に入った?カフェ・加藤、オリジナルブレンドのハーブティー『リラックス・ヒナコ』です」
コンセプト喫茶店の執事の様に、恭しく跪いてお茶の紹介をする。おどけていても様になるその仕草に見惚れそうになりながら、純粋にヒナコはその腕前に感心した。
「加藤君が淹れてくれたの?すごいわ!何でもできるのね」
「何でもはできないよ。できることだけ」
茶化すようなウインク一つで、いつものタツルに戻る。
「まあ!どこかで聞いたことのある言い回し」
くすくす笑いながら香りを堪能するヒナコ。
普段の雰囲気で会話できていることにホッとしてるのは、どちらなのか。
「ヒナコさんはラノベも読むの?」
「加藤君こそ。意外だわ」
「そう?暇つぶしにちょうど良くてたまに読む、かな」
いたずらっぽく笑んで、リビングの一角を指した。
その先を目で追ったヒナコから感嘆のため息がこぼれる。
「すごい……立派な本棚……」
広いリビングの片隅には書斎スペースが設けられており、どっしりとした天井まで届く本棚と机と椅子が据えられていた。
手の中にあったカップを応接テーブルに置き、ヒナコは吸い寄せられるようにそこへ向かう。
「色々と読んでいるのね。本当に加藤君は勉強家だわ」
几帳面に並んだ背表紙を指でたどりながら感心する。整然と分類されている本達の一隅に先程話題に上った本を見つけ、ヒナコの頬が緩んだ。
「本当に読んでたんだ」
思わず呟いた言葉に、背後から抗議が寄せられる。
「ひどいな。ヒナコさんに嘘をついたことなんて一度も無いのに」
抜き取った本で口元を隠し振り返ったヒナコは、身長差の為に自然と上目遣いになる。
タツルの喉がコクリと上下した。
「加藤君は嘘は言っていないかも知れないけれど、全てを話してはくれないよね?」
タツルの反応に気づきもしないヒナコは上目遣いのまま、抗議に異議を申し立てた。
「俺の事、知りたい?」
意味深な薄笑いを浮かべ、質問に質問で返す。
「知りたい、と思う」
ヒナコは、てらいもなく肯いた。
「加藤君は何のために学校に通っているのかなって、話すようになってからずっと気になっていたの」
続けられた言葉に勢いを削がれたタツルは、苦い笑いをこぼす。
「うん、まぁ、俺にも色々と事情があって」
「それは分かるんだけど……
(この状態は特殊過ぎて、教師として私があなたにできることが何か、全く分からない)」
思ったことをそのまま問えないもどかしさに、言葉を詰まらせる。生徒に指導方法を訊く教員などいないのだから。
「ま、俺の背後関係は追々ってことで。月曜までにあまり時間も無いことだし、今日はヒナコさんのこれからの話をしよう?」
苦い物を飲んだような顔になっているヒナコを、ダイニングテーブルの方へ促した。