011 :ビビディ・バビディ・ブー
「私を迎えに来させておいて、車内でいちゃつくなんて100万年早いわ!」
ハリのある、耳に心地良い声が響く。
「ルリさん、わざわざここまで出迎えに来なくても……」
予想外な女性の登場に面食らったタツルが上体を起こしたのを見計らって、声の主がヒナコをコンクリート打ちっ放しの車外へと誘う。
地下にこもった排気ガスを押しのけて、何とも言えない芳しい香りが女性から漂ってくる。
「うふふ。タツルさんがこの時間に来るなんて余程のことと思って。そうしたらこれでしょう?お盛んな
のは良いけれど、私も忙しい身、観賞してもいられないの」
機嫌の良い珠を転がすような美声は、ヒナコが今まで見たことも無いような艶やかな美女から発せられていた。
抜けるような白い肌、小さな顔、すらりと均整の取れた肢体、豊かに波打つ栗色の髪。
白いブラウスに艶のある黒いマーメイドラインのロングスカートで足元は黒のミュールというシンプルな出で立ちだが、素材と仕立ての良さを覗わせる服を、自分の魅力を十二分に引き立てるよう着こなすセンスの良さ。
魅了され立ち尽くすヒナコにその顔が向けられた時、まるで咲き誇るバラか匂い立つ白百合の様な美しさに息を呑みつつ、どこか親近感もまた湧いてきた。
「貴女、磨き甲斐がありそうね」
頭からつま先まで視線を向けた後に小首を傾げて微笑まれ、同性であるはずのヒナコの胸がときめく。
「お手柔らかにお願いします」
いつの間にか横に立っていたタツルの方を見上げて、ヒナコは麗人に対する親近感の訳を悟った。
「加藤君の……お姉さま……?」
「まぁ!嬉しがらせを」
口元に手を添え、あの美しい声でころころと笑う。
タツルは意味深な笑みで成り行きを見守るだけ。
「え……?では……年近い……叔母様……?」
「うふふ。どちらでも無いけれど、どうでも良いことでしょう?さ、行きますよ」
手を取られ、容赦なく連れ去られそうになる。
「え、あの……どちらへ?」
「来れば分かります」
「えぇ~、加藤く~ん」
本日二度目の情けない声を上げ、タツルに助けを求めてきた。
その手を掬い取り、軽く指先にキスをする。
「Salagadoola mechicka boola bibbidi-bobbidi-boo!ヒナコ。ちゃんと待っているから、綺麗になっておいで」
「あら!その呪文を唱えるのは魔女ではないの?」
甘く微笑んだまま、目だけは見せ場を横取りしてと睨みつけてきた。
「魔性の女性という意味でルリさんに敵う者は居ませんけれど、今回だけは譲れません」
口元だけ笑って軽く受け流す。
「言う様になったわねぇ」
「お陰さまで」
「ま、いいわ。ではシンデレラ、行きますよ」
笑顔のやり取りの行方をただハラハラと見守っていたヒナコは、なす術も無くエレベーターに連れ去られて行った。
手を振り見送ったタツルは、扉が閉まるのを見届けてやれやれと肩をすくめ、園生を振り返る。
「ずいぶんとご執心のようですね」
影のように控えていた園生が表情も変えずに口を開いた。
「まぁ、ね」
返事と共に頭一つ分上にある顔に向けて唐突にタツルが上段蹴りを入れる。
が、あっさりと左手で流された。
「この後は如何なされますか?」
涼しい顔で正拳突きを繰り出してきた。
それを払いのけ、顎目掛けて肘を振り上げる。
「ヒナコのこと?それとも単純に今日のこれから?」
手の平で受け止め、外に逃がす園生。
二人とも表情と一致しない技の応酬を繰り広げながら、普通に会話を展開していった。
「もちろん本日のご予定です」
「ヒナコに言った通り俺はここで待っているよ。どうせ4~5時間はかかるだろうし、上で食事済ますと思うから、その間の園生はフリーで。20時頃にここに居て」
「畏まりました」
言うが早いか構えを解き一礼して踵を返す。
そして首だけで微かに振り向いて、苦言を呈した。
「あぁ、タツル様。上段蹴りは足を取られやすいのでご注意を。軸が少し甘くなっております。機器のトレーニングに偏らず、たまには基礎の型をおやり下さい。では」
「はいはい。わかりました」
追い払うように手を振ると、その気配を察したのかそのまま無言で引き下がって行った。
取り残された形になったタツルが苦笑いしながら、その広い背中に独り言ちる。
「相変わらず素っ気ないな」
それに答える者は誰も居なかった。