001 :きっかけ
見切り発車です。
書き溜めた分までは順次アップ出来ますが、ストックが尽きましたら不定期になります。
1話1話の長さもバラバラになるかと思いますが、気長にお付き合いいただけたら嬉しいです。
重なり合う偶然を人は運命と言うのだろうか。
今朝の彼女は寝坊して普段より遅く家を出た。
今朝の彼は珍しく兄の家から電車で登校した。
決してそんな場所で出会うことの無かった二人が、夏休みが明けてまだ数日しか経っていない初秋とは名ばかりの月曜の朝、その電車に居合わせた。
「あ、佐々木先生、だ」
「え?あ、加藤君……?」
乗車口脇に身を潜めていた半そでの白い開襟シャツに黒のチノパンというシンプルな出で立ちの高校生の良く通る低い声と、今乗り込んで来た長い黒髪をきっちりと後ろでまとめた少々野暮ったい紺色の夏スーツ姿の女性の高くはないがゆったりとした口調がどこか甘えた印象を与える声が重なる。
強い日差しに焼かれた目には薄暗く感じる車両の中は、人々がひしめきあい、空気は冷房が追いつかず蒸し返っていた。
少年 ― 加藤 タツル ― は均整の取れた長身を引き、先程まで自分が納まっていた場所に細身のやや猫背気味の女性 ― 佐々木 ヒナコ ― を導くと、他の乗客から庇う様に壁を作る。
身長差は20cm位だろうか、彼の鼻先に彼女の頭がちょうど来ていた。
「いつもこの時間に乗っているんですか?」
車内の混雑は壮絶なもので、下手にはまれば身じろぎすらままならない。
この熾烈な押し合いの中で苦戦しているヒナコを想像できなくて、タツルが聞く。
「いいえ、今朝はたまたま。いつもは1時間早く出ているの」
涼しげな顔をしながら乗車率200%の圧力を全身で押し止めているタツルを、申し訳なさそうにボリュームのある前髪の下から小動物のようなつぶらな瞳が見上げる。
その気配にタツルは目線を下ろした。
一瞬、二人の視線が合わさる。
思わぬ近距離にヒナコは戸惑い、顔を赤らめ慌てて斜め下に目をやった。
ちらりとしか見なかったが、色素の薄い長めの前髪に縁取られた白皙の整った顔立ちに、動悸が激しくなる。
空気を変えようと聞き返した。
「加藤君は?」
「俺?そもそも電車すら乗ってない。俺もたまたま。日曜日に兄の家に泊まったから」
「お兄さんの家?」
「そう。あれ?先生知らなかった?俺、学校の側で一人暮らし」
「え?そうなの?」
「そうなの」
微妙に目線を下に彷徨わすヒナコを見ながら、笑いを含んで彼女の言葉を鸚鵡返す。
良く見れば顔のつくりは悪くなく、きめ細かな肌は色も白い。
野暮ったさは真っ黒な髪と服装からきているようである。
お互いの距離感がつかめず手探りのような会話が一通り続き、一瞬の間を空け何気ない世間話のような声の調子でタツルが聞いてくる。
「そう言えばセンセ、普通に話しかけてくれるけど、校長から俺のこと何か聞いてない?」
下を向いていたヒナコには見えなかったが、タツルのややつり上がり気味の整ったアーモンド形の目が細められ、鋭く値踏みするように見下ろしていた。
「校長先生から?……少しだけ、聞きました」
話してもいいものか逡巡しながらも、自ら話を振ってきたことでタツルサイドからの要望だったのかと判断し、素直に答える。
「俺のこと怖くない?」
「怖い?まぁ!何故?」
言うと同時に真っ直ぐな視線がタツルの目を射抜いた。
打って変って迷いの無い瞳に居心地の悪さを感じ、薄い唇を少し歪めておどけてみせる。
「……普通、校長から『関わるな』なんて忠告される生徒なんて居ないと思うけど?」
「確かに珍しいことかもしれないけど、色んな事情を抱えた生徒は居ると思う。貴方は見る限り普通の生徒だし、いいえむしろ礼儀正しい方よ?それに私、詳しい事情を聞いていないせいか、一方的なお話だけで貴方を判断することなんてとても出来ない」
柔らかな口調ながらもきっぱりとヒナコが言い切った時、不意に電車が揺れ、タツルの背中に複数の体重が圧し掛かる。
耐えかねてヒナコに倒れ掛かった。
「ごめんっ」
小さく謝り離れようともがいたが、ちょうど長いカーブに入っているのか押し戻すことが出来ない。
むしろ、左を向いたヒナコの右肩に顔を埋める形になる。
密着した拍子にヒナコはタツルの胸元から漂ってくる爽やかなグリーン系の香りに包まれた。
高校生である彼の「男」の香りと、見た目よりも厚くかたい胸板に困惑するヒナコを、耳元で囁かれたタツルの素直な言葉がさらに動揺させる。
「良い匂いするね、センセ」
「えぇ?別に何もつけていないけど?」
タツルの香りに気をとられていたせいか、耳から首筋にかけてかかる息がくすぐったいせいか、声に力が入らない。
声の小ささを戸惑いと受け止め、さらに困らせてみたくなり言葉を重ねる。
「なんて言うのかな。オンナの人の匂い」
驚きに、ヒナコの体が一瞬すくむのを腕の中に感じた。
見る見る顔が赤らみ、体温が上昇した為にタツルの鼻腔をくすぐる首筋の甘い匂いが強くなる。
羞恥に消え入りそうになりながらも目を閉じ呼吸を整え、
「生意気ね」
女教師らしい冷静な口調でいなした。
それとは裏腹に、頭の中は疑問符だらけになっていた。