博士と私パート6
「君は、熱力学第1法則を知っているかね?」
「はい。ある物体に外部からされた仕事と熱量は、内部エネルギーの増加に等しい、という法則でしたね」
「うむ、辞書的な説明ではそうなる。空気を圧縮すると、その仕事の分だけ、空気の内部エネルギーが増加する……要するに、熱くなるという法則だ」
「はい」
「生のハンバーガーを圧縮し熱を加えると、アツアツの美味しい夕ご飯になるようなものだ。圧縮が仕事で、熱が熱量。そして美味しい夕ご飯が内部エネルギーだ」
「意味がわかりませんが、わかりました」
「君の今の言葉は、自己矛盾している」
「承知の上での言葉です」
「そうか」
「はい」
「で、その熱力学第1法則だが、別な説明をする人もいる」
「なんでしょう?」
「『第1永久機関は作成不可能』と言うものだ。知っているかね」
「ああ、聞いた事はあります。例えば、水の落下によって水車を回転させ、その回転によって水を汲み上げ、その水を落下させる事によって水車を回転させ……というような機関が、第1永久機関でしたね」
「そうだ。第1永久機関と言うのは、何もせずとも、あるいは最初のきっかけのみを与え後は何もせず放っておいても、永遠に動き続ける永久機関の総称だ。さらに、そこからなんらかのエネルギーを取り出せる事が望ましい」
「例えばある永久機関が作られたとして、それを家に1つ置いておけば、そこから電気が無限に得られる、というようなものでしょうか」
「うむ。もし本当にそんなものがあれば、単純に考えても非常にありがたい。だがそれは作成不可能である事が、わかってしまったのだ」
「でもそのおかげで、熱力学第1法則が発見されたんですよね」
「その通り。熱力学第1法則は別名、『エネルギー保存則』とも言う。全てのエネルギーは保存される。だから、どこかからエネルギーを取り出したら、その分だけそこのエネルギーは減少してしまう。無限にエネルギーを取り出す事は不可能である、と言う事だ」
「その辺の概念的な事は、高校の物理で習った記憶がありますね」
「うむ。『基本的に、物体やエネルギーは増えたり減ったりしない』と言うのが自然科学の基本原則だからな。宇宙創生にまで話を広げると、ややこしくなるが」
「宇宙はどうやって生まれたのか? 無から有が生まれるのか?」
「その通り。もし宇宙が生まれる前に何も無かったのだとしたら…何故『無』から有が生まれたのか? 逆に、もし宇宙が生まれる前に何かが有ったとしたら、それはいつから存在したのか?」
「現代科学では、宇宙は無から生まれた、と言う説が有力のようですが」
「うむ。実は僕は昨日、その説をさらに裏付けするような事実に出遭ったのだ」
「え。なんですか?」
「昨日、僕は近所の電気屋に行ったのだ」
「ええ、知ってます」
「そこで、新発売の洗濯機を見つけた」
「はあ。買いたいんですか?」
「いや、いまうちにあるので十分満足している」
「そうですか」
「問題はそこではない」
「なんでしょう」
「その洗濯機には、『従来の洗濯機より、1ヶ月で3000円もお得』かっこ当社比かっことじ、と書かれていた」
「水道代や洗剤代の事でしょう。その洗濯機を使うと、従来の洗濯機よりも少ない水で洗濯が可能なのでは」
「うむ、おそらくそうだろう。僕もそう思い、よく見てみると、確かにそのように書いてあった」
「何も不思議はないではありませんか」
「確かに。しかし、違うのだ」
「はあ」
「そのあと、僕はさらに新発売の皿洗い機を見つけた」
「なんでも新発売してるんですね」
「不景気なご時世だから、新しい物を作ってどんどん売りたいんだろう」
「そうなんですか?」
「わからない。適当に言っただけだ」
「適当に言わないでください」
「経済学は僕の専門外だ」
「はあ。と言うか、経済どころか宇宙の話をしていたのでは」
「とにかく聞き給え。新発売の皿洗い機だ。それには、『従来の皿洗い機より、1ヶ月で2000円お得』かっこ当社比かっことじ、と書かれていた」
「水道代の事ではないのですか?」
「うむ、説明をよく読むと、水道代の事だった」
「なんの不思議もありませんね」
「そのあとさらに、僕は電子レンジや水洗トイレ、冷蔵庫も見つけた。全て新発売だ」
「本当に新発売だらけですね」
「そしてどれも、謳い文句は『従来の○○より、1ヶ月で○○円お得』かっこ当社比かっことじ、だった」
「はあ」
「そこで僕は、この電気屋にある新発売の電化製品を全て買ったらいくら得になるのか、計算してみた」
「またくだらない事を考え付きますね」
「科学の発展の第一歩は、いつもくだらない事だ。宇宙がどうやって生まれたかなんて、くだらない」
「博士の口からそんな言葉がでるとは思いませんでした」
「今のは喩えだ。宇宙はロマンが溢れている。くだらなくなどない」
「はあ」
「で、僕は店中を歩き回って、全て合計した。洗濯機、皿洗い機、電子レンジ、冷蔵庫、蛍光灯、アイロン、掃除機、ホットカーペット、エアコン、その他諸々。そしたらどうなったと思う」
「どうなったんですか」
「合計で、1ヶ月で40万円もお得になったのだ」
「はあ。素晴らしいじゃないですか」
「これらは全て、電気代と水道代だけなのだ」
「それはそうでしょう。電化製品なのですから」
「しかし、我が家の電気代と水道代は、現在1ヶ月に40万円も支払っていない」
「………」
「つまり、もし僕がこれらの電化製品を全て買えば、電気代と水道代の『お得』が、現在の支出を上回る事になる。これがどういう事かわかるかね」
「………収入になる、と」
「そうだ。しかし、僕はあくまで水や電気を消費しているだけなのだ。これは立派に、無から有を…いや、むしろ負から有を生み出していないかね?」
「はあ。まあ、計算上はそうなりますね」
「この謎を解明するために」
「ために?」
「僕はあの店の全ての新製品を買おうと思う」
「………」
「………」
「………博士。まず、それらの製品を全て買ったらいくらになるのか、そこから計算してください」
「概算だが、3~40万は軽くいくだろう。しかし、1~2ヶ月使用すれば、元が取れてしまうのだ」
「わかりました。ではどうぞお買いください。でも、研究所に置き場所はありません」
「では僕の家に置こう…と思うが、そのようなスペースはあったかな」
「………」
「………」
「重大な事を忘れていた。宇宙が生まれる際は、空間も一緒に作られたと考えられている。我が家には空間が無い。まずはそれを作るところから始めないと…」
「作らなくていいです。ご自分の研究に戻ってください」
2007年晩秋




