『巫女』の私はこの世界で結婚するらしいです
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ゆるふわ設定
異世界の少女は世界を安定させる幸運の巫女らしい
それは突然の出来事だった。別にトラックに轢かれたとか、川に流されたとか、病魔に食い尽くされた訳ではない。
至って健康な身体を持ったまま、私は世界を渡った。
綺麗な光の中、ステンドグラスの窓の反射が半端ないな、とよく分からない感想しか無かった。
16になったばかりで高校に通いながらバイト三昧の日々に嫌気はさしていたけれど、現実逃避するほどでは無かったはずだと首を傾げた。
光が落ち着くと高位っぽいおじいちゃんが跪いた。
いや、老体に悪そうなのでやめて頂きたい。
「渡りの姫巫女さまですね。歓迎いたします。」
そう言われても、は?なにそれ??である。
こうして私はリーン帝国の聖堂に招かれたらしい。
どうも私は異世界からの『幸運を運ぶ』と招かれた者。らしい
そんな私には数人の貴族令息が紹介された。
婚約者候補らしい。
当たり障りのないように、『特定のお相手のいない人』を望んだら、とんでもないのが来た。
キラキラと光る金色の髪に青い瞳、鼻筋は高く整っている、目の下のほくろが少し色香を放っているように見える。体もスッキリとした感じで、背も高い。軍服だったので鍛えてもいそうだった。
平たく言えば、とんでもなくイケメンだった。
「え、お相手いない人って言ったよね?私」
引き合わされた瞬間にそう言ったのは当然だと思う。こんなとんでもイケメンがフリーなんておかしい。何かが狂ってる。
「……遠回しに俺が嫌だと、そう言ってるのか?」
そして、声がいい。私は声にキュンキュンしちゃうたちなのだ。いち推しでは無いが、私には数人推しが居る。そのうちのひとりの推し声優にそっくり。なんかもう、ありがとうございます。と言いかけた。
「い、いえ。え、いや、本当にあなたが私の相手?!」
「……そちらが受け入れればそうなる」
胡散臭そうにこちらを見るイケメンさんに困惑してしまう。
こちらが選ぶ立場なの?そうなの?本当に??
「あ、私は犀川凛。えっと、リンが名前です。16歳になったばかりです」
「俺はユリジュア・バルビエ。バルビエ伯爵の次男で帝国騎士団所属の部隊長で、今年学園を卒業した18歳だ。」
「あの、こちらではどうか分からないんですけど、16だと私達の世界では未成年なんです。正直婚約とか考えられなくて。ユリジュアさん……じゃなくて、バルビエさん?が嫌とかじゃなくて、そういうのはよく分からないので……」
「ふむ……それならば、余計に貴女にとって安心できる相手と婚約した方がいいと思うが。俺は正直に言うと婚約に否定的だ。この見た目のせいで寄ってくる女にはうんざりだしな。貴女が良ければ奥手なやつをピックアップしてやろうか?」
数秒考えて私はバルビエさんを見つめた。現実味のない容姿だなと思うが観賞用だなと思った。
彼氏にはしたくない。
だって嫉妬で狂いそうになりそうじゃん。
そう思うと頷いた。
「ではお願いします。あ、お相手にいる人はぜーったいにお断りです。あと浮気しそうな人も。それから、私の趣味に理解ある方でお願いします。」
「趣味?」
「……言葉にすると画家、になるのかな。美大目指してたし……。絵を描きたいんです」
「アトリエが欲しいと言うことか?」
「あれば嬉しいですけど、わがままは言いません。ただ……絵を描くことを咎められたら私はこの世界で生きていける自信が無くなりそうで……」
バルビエさんは少し悩む素振りを見せた。そんなに困らせることだっただろうか……。気分が落ち込む。
「本当に渡りの巫女なんだな。この世界じゃ絵描きは男の仕事だ。その認識が強いから……ふむ……ひとつ聞くが、俺が気に食わない訳では無いんだよな?」
「え、そうですね。いやもなにも判断できるほど交流もないですし」
「俺にして欲しいことがあったりするか?」
「どういう意味ですか??婚約者のピックアップはして欲しいですが無理なら押し付けるつもりは無いです。そもそもバルビエさんとは初対面ですよ?いきなり要求を突きつけるほど礼儀知らずでは無いですけど」
恐ろしい程の麗しいお顔をもっとみたい。と思わなくはないが、面倒事も無駄な事もごめんだ。
なんなら、こんな麗しい男性に迫る勇気もない。
私は至って平凡な女子高生なのだから……
「貴女がその辺の淑女と同じなら何がなんでも破談させようと思ったが、貴女は俺に興味も無さそうだ。そこで提案だ。俺と契約婚約しないか?いや、候補でいい。婚約者候補、として俺を挙げれば時間は稼げるし、俺にも釣書が来なくなる。」
「……いや、えーっと、それってありなんですか?候補?と言うと他にも言われたりしません??婚約者の方が良さそうですよね。あ、誤解はしないでください。バルビエさんとの結婚は私には現実味ないので望んでませんので。」
虚をつかれたようにぽかんとしたあとバルビエさんは笑った。
大変麗しいですね。
「本当に君は俺に興味がないのだな。好都合だ。ならば、こちらが乞うべきだな。レディ・リン。俺と婚約してくれないだろうか?」
対して整っていない髪をひと房掬うと、バルビエさんは口付けた。
黒い髪の先が色付くように錯覚する。
ほんっとに似合うな!このイケメン!
と、明後日の感想を持ちつつ、頷いた。
その日のうちに神殿からバルビエさんの家の引っ越した。
いや、なんで??
「リン様、急遽整えたお部屋ですのでご不便をお掛けするかもしれませんが、こちらがリン様のお部屋にございます。」
そう告げたのはバルビエさんの実家の執事さんらしい。部屋を見ると落ち着いた上品な雰囲気が心地よかった。
「とんでもございません。とても良いお部屋ですね」
微笑んで返すと執事さんは嬉しそうにしてくれた。
バルビエさんはメイドを雇わないらしい。あの麗しさのせいで色目を使う人が多く、伴侶のいる女性も例外ではなかったそうだ。
それに嫌気をさしたバルビエさんはひとりで小さな別宅に住み始めた。
つまり、この家は私とバルビエさんのふたりという事だった。
家事はバルビエさんの仕事中に簡単に済ませるのが当然だが、若いメイドは絶対に別宅に入れないそうだ。以前、直接会わなければ大丈夫だろうと仕事を振り当てたら、彼の部屋に手紙、贈り物などが増え、それで済めば可愛いもの。脱いだ服が消えるのは当たり前。仕事中から隠れ彼の部屋にいたメイドが服を脱いで迫る事が二桁回数になった。
そこで男性の使用人に任せたものの、男性すら惑わしたのだ。あの麗しいお方は……
引退間近のメイドと使用人のみ、彼が仕事中に、必要最低限の世話をする。というのが決まり事になった。
今回案内してくれたのもおじいちゃんと呼べそうな程の年齢の執事さんだった。
麗しいのも問題なんだなと思いつつ、屋敷を案内してもらった。
庭には柵があった。彼を守るものと思うと少し苦い思いが込み上げたが、元々陰キャな私には有難いので見ないふりをした。
最後に案内されたサンルームだった。サンルームと隣の窓のない部屋には荷物がひとつもなかった。片付いた部屋を見て疑問を持った。
ここは?と聞くと、ユリジュア様からリン様の趣味の部屋にすると聞き及んでおります。と、聞いて嬉しくなった。
要望聞いてくれたんだ。と……
奥の部屋は書いた絵を保存するに適してそうだし、サンルームは日が当たり穏やかな気持ちで絵がかけそうだと思った。
「バルビエさんが帰宅したらお礼を言いますね。」
「そうしてくださると助かります。」
帰ってきたバルビエさんは私が出迎えた事に大変驚いていたが、そういえばと思い出してくれたようで安心した。
「あの、ひとつお願いがあるんですけど」
用意されていた食事を取りながら口を開く。
警戒した様子のバルビエさんに安心させるように目を逸らす。
食事が美味しかったのもあるが、食事に目をやる。
貴方に好意を持ったわけではありませんよ。と態度に出した。
「願い、とは?」
やっと声を出したバルビエさんに目線を戻すとサンルームを指さした。
「絵を描く為の道具が欲しいんです。場所があっても道具が無ければさすがに描けないので」
そんなことか、とバルビエさんは承諾してくれた。
その日はこの世界の道具はどんなものだろうと考えて、上機嫌で自室に戻った。
あっさりと部屋に戻った私にバルビエさんはホッとしていた。
私は無駄な事しませんよー、貴方に迫るなんて無駄の極みじゃん、とは口にせず態度に出す。
翌日、早朝に近い時間に用意されていたワンピースを着る。
ドレスは無理だ。ひとりじゃ着れないし、着たいとも思わない。
身支度を整えてキッチンにあった朝食をダイニングに運ぶ。
眠そうなバルビエさんが私を見て一瞬ビクリとした。
気が付かないフリをして食事を並べる。
「おはようございます、バルビエさん」
「ああ、おはよう」
簡単な食事ばかりなのでマナーを気にしないで済むのはありがたい。
美味しく頂いた後は食器を下げる。
「バルビエさん、少し聞きたいんですけど、画材道具はどこで手に入れれますか?」
「それなら街に……そうか、君が地理に疎いのは当然か。今日は午後から仕事だから短時間なら案内しよう」
「え、いいんですか。今日すぐに見れるなんて嬉しい!あ、でもお小遣いないんで、出世払いで貸して貰えますか?そのうち仕事も探すんで」
金?仕事?とバルビエさんが呟いた。
「そうですね、バルビエさんとの契約終了後は仕事しますよ?結婚はいずれどこかで平凡そうな男性としたいので」
そこまで言うとバルビエさんは考え込んだ。
「あの、バルビエさん?」
「いや、そうだな。ならば契約についてもちゃんと詰めておこう」
「そうですね、期限は決めましょう。この世界で行き遅れって何歳だろ……その年齢前には素敵な出会いがあればいいんですけどね。まぁ私は高望みはしないので、私を好きになってくれる人なら私も愛する努力は出来そうですし。ふふ、なんて夢見がちすぎかな」
バルビエさんは、そうか。とだけ返した。
街でもリンはユリジュアに触れなかった。
意図的に距離を取っているのは明らかで、けれど不快所か、気遣いが心地よかった。
画材道具を両手いっぱいに持つと満面の笑みを浮かべるリンは見た通り上機嫌で他に何も強請らず帰路についた。
帰ってから契約について契約書を作った。
婚約期間は2年。だいたいの貴族は20になると行き遅れ、それゆえに自由恋愛が許されるようになる。その年までユリジュアは婚約者でいたいと言うので頷いた。
浮気はしない、豪遊はしない、そんな当然な事を書かれた契約書にサインをした。
「では二年ほどお世話になります。」
その言葉に嘘も偽りも無いことにユリジュアは嬉しく思った。
会話はあるものの色めいたものは皆無で穏やかな日々を過ごした。
そうして一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、季節が変わり、一緒に暮らし始めて一年と半年が過ぎていた。
互いに遠慮も減っていき、友人のようになっていった。
リンは絵を描き始めると集中しすぎてアトリエで寝てしまう事もしばしばあり、心配したユリジュアが寝室に運ぶ、などということも何度かあった。
女性を嫌っていたユリジュアにとってもリンは特別になっていた。
穏やかに関係を育んだ、そう思っていた。
リンの18歳の誕生日を数ヶ月後に控えた夜会に参加するまでは……
夜会にはユリジュアとリンはパートナーとして参列した。
しかし会場入りしてからは別行動も多かった。これは婚約解消後のリンの相手探しも含まれていたからだった。
ある程度の未婚男性と会話はするが疲れるだけだった。だからバルコニーに逃げたのだが……
ふわりとカーテンがはためいた。そこには地味と称されそうな男性が立っていた。
気配に気がついてリンと目が合い、リンが先客が居るとは知らず失礼致しました。と告げると彼はふっと笑って構いませんよ。と返した。
瞬間、リンは硬直した。
彼を見つめる目に熱がこもるのが分かった。
いやいや落ち着け。そう自分に言い聞かせてもはやる気持ちが抑えられない。
「あの、おひとりですか?」
リンの言葉に照れくさそうに微笑んで、頷いた。
「そうなのですよ。このような見目である上に男爵家三男の僕には婚約者もおりませんので」
ぴしゃんと雷に打たれた気がした。
「で、でしたら、少しお話でも如何でしょう?あ、申し遅れました、私は巫女のリン・サイカワと申します」
「え、貴女が巫女様でしたか。これはとんだご無礼を。僕はケラン・コリタル。先程も申しましたが男爵家三男でございます」
リンの頭の中にはひとつしか無かった。
『声がいい!!!』
無類の声フェチだと認識はしていた。まさかこんなにいち推し声優さんにそっくりな声が聞けるとは……
ほぅっと見つめるとケランは照れるように視線を逸らした。
「巫女様もおひとりですか?」
「いえ、婚約者と来ておりますが……少々事情がございまして」
婚約者と聞いてケランが落ち込んだように見えて胸が高鳴った。
「そう、ですか……婚約者殿はどちらに?おひとりでは巫女様のような可憐な方は危ないので」
きゃー!あの声で可憐って!!
脳内では大騒ぎしつつリンは微笑んだ。
「彼は友人との時間を過ごされてるので邪魔したくありませんの。それに私も少々目的がございますので」
その言葉にケランが眉を顰めた。あ、これはまずい。ユリジュアは友人だ。彼が悪く思われるのは避けたい。
「彼とはその相思相愛の婚約者ではなく、友情で結ばれている婚約なのです。そこで近々婚約の見直しも考えておりまして。ここだけの話にしてくだいね?」
いたずらっぽく言うとケランはぽかんとした後、頬を緩めた。
「蔑ろにされているのではと愚考しかけました。ですが巫女様がそう仰るのならば信じます」
「それはようございました」
ユリジュアとは落ち合う時間を決めていた。
その時間ギリギリまでケランとの会話を楽しみリンは上機嫌だった。
きちんと距離はとっていたし密室でもない。会話も聞かれて困ることは話していない。
それはユリジュアとの契約もあるのだから当然だし、契約がなくともユリジュアを蔑ろにする行為は出来ない。
そもそもケランはリンにとって推しに似た他人である。
そのはずだった。
しかしユリジュアとの合流後も上の空で何処か呆けているリンにユリジュアは心配する表情を見せた。
「いえ、ただ……理想(推しに似た声)のお方に会いまして、少し浮かれてしまったみたい。ユリは今日もお友達と……」
ユリジュアをユリと呼び始めたのはこの数ヶ月のことだった。ユリジュアに懇願され、不思議に思ったがユリジュアは友人との談話をする時も顔を半分隠す。それを聞いて、素顔で過ごせる友人は自分だけなのだと納得した。その分距離が縮まったと嬉しかったのは記憶に新しい。
「……だれ、だ?」
表情が硬いユリジュアにリンはこてりと首を傾げた。
「ユリにとって迷惑になる方には見えなかったけど、ケラン・コリタル様よ」
何かを言いかけてユリジュアは黙った。
ぐっと唇を噛み締めたユリジュアにリンはどうしたのか聞こうとしたが、ユリジュアの友人がリンの姿を目にした瞬間ユリジュアは小さく舌打ちをして会場を後にした。リンの手を引いて。
ユリジュアにとってリンは特別だった。媚びない、愛を求めない、気軽に会話できる唯一の存在とも言える程に。
だから『契約婚約』の終わりを待っていた。
もう少しだった。そのはずがここに来てケランが現れた。
家に入ると無言で部屋に引っ込む。
引き出しの中にあるアクセサリーを見るが無意味に思えてきて顔を顰めた。
過去の声が木霊する。
『バルビエさんと結婚は私には現実味ないので望んでませんので』
『結婚はいずれどこかで平凡そうな男性としたいので』
『素敵な出会いがあればいいんですけどね。まぁ私は高望みはしないので、私を好きになってくれる人なら私も愛する努力は出来そうですし』
ぐっと拳を握る。
「俺だって……」
その続きは何も出てこなかった。
数日後にも夜会があった。下調べの結果ケランは参加しないらしい。
ほっと息をついた。
「ユリ、今日もまた別行動で良いわよね?」
複雑な胸の内をリンは理解していない。
どれほどまでに『リンの新たな婚約者探し』を邪魔してきたか……
「……ああ、構わない」
行かないでくれ、ダンスでも踊らないか、今日は俺と過ごそう。
声が出てきそうになるのを堪えた。
血が出そうなほど拳を握りしめて……
ぐいっと酒を呷る。友人も初めは楽しんでいたがユリジュアの態度がおかしいとすぐに気がついた。
「どうしたよ?」
その言葉に返事は期待してなかった。
だけど意外にも返事がありその返答は驚きを隠せないものだった。
「り……婚約者と同じ家で暮らすのは限界なんだよ」
一見すると突き放すような言葉に友人たちは飲みすぎだぜと話題を変えようとしたが酔っ払っているユリジュアは続けた。
「こっちがどれほど我慢してるか分かってないんだ……俺がどれほど……ちっ、俺以上に『……』を愛してる男は居ねぇよ」
その声の後にガタっと扉の方で音がした。
談話室なので使用している人がいれば別の場に行くのが常識である。
だから放っておいた。
「ならさっさと結婚すりゃいいだろ?」
「まだ婚約期間が残ってるんだ……くそ、その間にあいつは理想って……もうすぐ終わるはずだったのに」
その言葉に友人たちは何も言えなかった。
ユリジュアは女が嫌いだ。否、自分が惑わしてしまう全てに嫌悪している。
そんなユリジュアが愛を口にするのは信じられなかった。
数分か数十分か……静けさを破ったのは短くない時間が過ぎてからだった。
しんとした部屋にノックが響いた。
ユリジュア付きの老執事だった。
「ユリジュア様、少々お伝えしたい事が」
酔った頭でも普通じゃないのは分かった。
どうしたと聞く声が少し震えた。
「り……いえ、ご婚約者様が気分が優れないと先にお帰りになりました」
勢いよく席を立つとテーブルの上の酒が倒れ零れた。
まるで1度零れたものは戻らないと言われた気がした。
ユリジュアが家に帰ると人気は無かった。
先に帰ったはずでは……とリンの部屋以外を全て探し、リンの部屋をノックするが返答は戻ってこなかった。
不安に押しつぶされそうになりながらもきっと明日の朝にはリンは部屋から出てくる。と信じようとした。
それが叶わないと知ったのはダイニングのテーブルに置かれた手紙を読んだからだ。
『ごめん、ユリを苦しめたくないし、私も自分の気持ちに向き合いたいから出ていくね。探さないでください』
サァっと血の気が引いた。
リンの部屋に飛び込んで見た光景は『リンの収入で買った物』だけが消えた部屋だった。
リンにアピールする方法が分からず、買った花をプレゼントした時はドライフラワーにして部屋に置いていた。それが地面に転がっていて持つとカサっと乾いた音がした。
クローゼットに入っている服もリンが買った質素な物が数点減っているだけだった。
無邪気なリンの笑顔も、無防備になってくれる信頼も消えたのだと理解した時ユリジュアは膝から崩れ落ちた。
リンが聞いたのはたまたまだった。
ケランも見つからず、貴族令嬢とは会話が盛り上がらない。
そもそもユリジュアの婚約者と言うだけで嫌な顔をされるのだ。
それでもいいと思っていた。
彼は大事な友人だからと……
談話室の前で彼を心配する声が聞こえ慌てて入ろうとしたが、それはマナー違反だ。
どうしたものかと悩んだ末、執事を呼ぼうと踵を返そうとした。
『婚約者と同じ家で暮らすのは限界なんだよ』
ピクリと手が止まった……
嫌われていた?ユリは辛かった?
その想いが胸を締め付けた。
『こっちがどれほど我慢してるか分かってないんだ……俺がどれほど……ちっ、俺以上に『……』を愛してる男は居ねぇよ』
『まだ婚約期間が残ってるんだ……もうすぐ終わるはずだったのに』
彼が愛を囁いていた。その名前はリンではなかった。当然だ。当たり前だ。
そういう契約だ。
だが胸が苦しい。なんの感情か分からない。
違う、分からない方が都合が良かった……
震える足を叱咤し馬車に乗ると執事に先に帰ると告げた。
つぅっと流れた雫がリンの頬を濡らした。
いつの間に……ユリジュアの存在がこんなに大きくなっていたのか……
分からない。
家に帰ると色々見て回った。小さい家なのですぐに終わった。
それでも思い出が詰まっていてさらに胸が締め付けられた。
ドライフラワーを手に取った。
ユリジュアがくれたときに嬉しくて何とか残したかった。ただの迷惑だっただろう。
そう思えば虚しくなった。
ぽとっと落とせば荷造りを軽く済ませた。
「さようなら……」
手紙をひとなでしてユリジュアに別れを告げた。
日本に帰れないとひとりで嘆いた日もあった……そんな日は何故かユリジュアは黙ってリンの隣にいてくれた。
夜更かしをしていると呆れたように頭を撫で無理をするなと告げてくれた。
ユリと呼べ、とぶっきらぼうに言うくせに言う通りにすれば無邪気に笑う彼がいた。
寂しいと月を見上げれば暖かいスープを持って無言で渡してきた……
何気ないやり取りが全て色褪せる。
思い出が溢れて……これは恋心だったと気がついた。
恋心と気がついたからこそ、ユリジュアの隣にはもう居られない。
彼が求める人はリンではない。
そして彼を求める状態を彼は無意識下に感じ取って嫌悪したのかもしれない。
大きめなバッグを持って静かにユリジュアとの家を後にした。
リンが消えてから数日ユリジュアはリンを探した。
思ったより簡単に居場所は特定できた。
神殿の中でも一番大きな大聖堂のある王宮付き神殿に身を寄せていると目撃情報が入った。
何度も面会申請をだすも一度も通らなかった。
リンの誕生パーティが大聖堂で行われると同時に『新たな婚約者』が発表されると聞いてユリジュアは初めて泣いた……
リン、リンを愛している。
俺がちゃんと伝えていれば変わったのか?それとも……俺ではダメなのか
弱気な気持ちは消えなかった。けれど、リンへの想いは消えなかった。
遠目でもリンの姿を見ようとユリジュアは大聖堂へ向かった。賑わう男女の輪に彼女がいた。
彼女の肩に触れる男に殺意が湧く。
もうどうにでもなれ!そんな気持ちでユリジュアは声を張り上げた。
大きな音と共に入ってきたユリジュアを見て心臓が止まるかと思った……あんなに嫌がっていたのに彼は素顔のまま大人数の前に現れたのだ。
「な、なんで」
驚きすぎてユリジュアから視線が逸らせなかった。
「っ、お前は、自分を好きになってくれる相手なら愛する努力が出来るって言ったよな」
それは返答を求めた問いでは無いらしくユリジュアはリンだけを見て言葉を続けた。
「なら、俺にもチャンスをくれ。俺とお前が婚約したのは確かに相思相愛だった訳じゃない。そんなこと分かってる。けどな、俺はお前が……リンが好きだ」
言われた内容が理解できずにユリジュアを戸惑ったように見る。
あろうことか言葉はまだ続いていた。
「婚約期間が終わるタイミングでプロポーズしようと……思ってた。リン以外は考えられない。それほどお前だけが好きだ」
真剣な目にリンは口を開けては閉ざしを繰り返した。
うそだと言いたくてもその瞳に嘘がないとわかってしまった。
「頼む……一方的に終わらせないでくれ……」
麗しいながらもプライドの高いユリジュアの瞳に涙が浮かんでいて、息を飲む美しさだった。
箍が外れた若い男女がユリジュアに近寄ろうとする前にリンがユリジュアの手を引いた。
「ば、ばか。あんな大勢の前で何してるのよ」
そんな可愛げのない言葉をかけたのに引かれるままユリジュアは神殿の関係者室に入った。
「お前ともう一度話したかった……リンが俺との事考えられないとしても、いや、それはかなりくるんだが……」
パタリと扉が閉まると同時にユリジュアは項垂れながら言葉を紡いだ。
「でも伝えさせて欲しかった……お前を一番愛してるのは絶対に俺だ。頼む、チャンスをくれ……」
ぱちくりとリンは屡叩く。動揺を隠すため絞り出すように声をかけた。
「あの日……」
リンの声にユリジュアが顔をあげる。
「私と暮らすのは限界って……それにユリが愛してるって言ってたのは私の名前じゃなかったわ。もうすぐ終わるとも言ってたじゃない」
その言葉を聞いて静かに省みる。そしてユリジュアは顔を赤らめた。聞かれていた。さらに最悪なことに逆の意味で取られていた。
「あれは、ちが!!そういう意味じゃねぇよ!!」
「他の子の名前だったと思うけど?確実に『リン』ではなかったよ?」
「っ!?あーくそ!!俺はお前の名前を他の男が口にするのすら腹が立つんだよ!!だから友人達の前では『巫女』って言ってるんだよ!!」
そう言われもう一度屡叩く。そういえば『ミコ』って言っていた。ミコちゃんって子が居るのではなく、役職名で呼んでいたってこと?
「お前に惚れてからずっと契約が終わるまでの辛抱だと思いつつもその間にお前が他の男と結婚すると言い出したらと怖かったんだ。第一、一緒に暮らすのが限界の意味は、その…理性の方だ」
「へ??」
「ほらな気がついてない。お前は無防備過ぎるんだ。湯の後は色香がやばくて何度抱きしめたいと思ったか、そもそも俺は男だぞ?何故無防備に寝る……何度、寝室に運ぶ度に口付け位は……と思い、ダメだと律して後ろ髪引かれる思いで部屋を出たと思ってる」
「え……」
「あと俺はちゃんとアピールしていた。花だってアクセサリーだってドレスだってお前にだけしか送ってない!」
「え……だって……ユリは」
「それもだ。愛称で呼ばせたいなんか愛情表現以外にないだろ」
「……それは、友達としてかと思ってて」
その言葉にユリジュアが大きな溜息を落とした。
「全然違う。本気で惚れてる。だからお前を振り向かせたかった。契約が終わってからは『本物の婚約者』として『未来の妻』になって欲しいと言うつもりだったんだよ」
「そんなの、気がつけない……」
「……あの夜会の前の時、帰り際に『理想の男』に会ったと言うから、もう終わるのかと……お前が出ていってから今日の事を聞いてそいつと婚約を結び直すのか、そんな事ばかり考えてた」
「理想の……『男』???え、違う、違うよ。ケランさんは理想だけどそれは」
ケランの名前を出した瞬間ユリジュアはリンを抱きしめた。息が詰まって声が出ない。
「なぁ、頼む……俺にもちゃんとお前を愛させてくれ」
リンは一切の動きが出来なくなった。
え……なにそのボイス……
耳が幸せすぎてやばい
ぽすぽすと胸を叩く。渋々と言う態度でユリジュアはリンを離した。
「ちゃ、ちゃんと聞いて。理想って言うのは、『声』なの!私のいた場所では声で仕事をする人が居るの。私はその声のお仕事してる人のファンで……似てるなっていう意味だったけど……」
ぽかんとしたあとブツブツと呟いていた。
それでも、理想、ファンって事は好きって事だろ。
所々で聞こえた言葉に笑いが込み上げてきた。
勢いのまま抱きつくとユリジュアは慌てて抱きとめた。
「ユリ、今日の婚約者発表は無しにしてもらってたって知ってる?」
「…………は?」
「私は好きな人のお嫁さんになるために足掻いてみるって神殿に告げたの」
「すき、な?」
一瞬低くなった声で何を考えているか分かるなとまた笑みが零れた。
「ねぇ、ユリ。私を貰ってくれる?」
恥ずかしさから顔をあげれずにいるとユリジュアの焦った声が聞こえた。
「おま、それって」
「好きって言ってるの……ん」
顔を上げた瞬間に唇を塞がれる。可愛くない言い回しだったがユリジュアには充分だったようだ。
感極まったのかもしれないけどいきなりの事でまたしても体を硬直させてしまう。
「好きだ、愛してる」
唇が離れると愛おしそうに告げられて怒る気力も削がれる。
「困った婚約者ね?」
告げる内容に甘さはない。それでも彼は蕩けんばかりの視線を向けてきた。
ケランとはいい友人を続けている。
実を言うとケランには懸想していた元婚約者がいた。しかしユリジュアに靡きあっさりとケランを捨てた。そんな経緯があってリンに好意的だった。ユリジュアには好意的ではなかった。
しかし、この一件でケランはユリジュアの評価を改めた。
色んな人間を誑かす魔性の男、から、婚約者溺愛のただの男、と。
そう思えば元婚約者の何処が魅力的だったか分からなくなり、リンの普及させた『神ボイス』事業により一躍、時の人となったため、釣書の山との格闘が始まった。
ちなみにユリジュアは参加していない。リン以外に語る愛の言葉はないと断言したためだ。
それはまた別のお話
ユリジュアの家を出てから絵を描く気力もなく勧められるまま婚約者候補とのお茶会を繰り返していたけど、いや、やっぱり好きな人がいるのにこれは不誠実よね?そもそもまだユリには何も言ってない。ぶつかる前に諦めるのも、浮気しない契約なのに他に好きな人つくるユリに一言も言えないのはムカムカするわ。
と結論付けて誕生パーティ後に家に行こうと思っていたらユリジュアがやってきた。
ちなみにユリジュアの面会を断っていたのは神殿の独断。傷つかれているのかもという気遣いからなのでお咎めなし
そんなお話でした




