一度捨てた番を、都合よく取り戻せると思わないでください
私的な事柄を扱う裁判所に、「番拒否」の術を解除させたいという訴えが届いた。
貴族の子息と平民の娘が「運命の番」だったことから起きた悲劇である。
原告である子息が、当然のように主張した。
「神が決めた番。私の魂の片割れに、その権利を主張します」
うっとりと頬を染める姿は、理性が求められる裁判の場で確実に浮いていた。
被告とされた少女の弁護士は、自分が話し出す前に少女に発言させた。
「君の言葉で、彼に教えてあげよう」
少女は弁護士の目を見てうなずくと、子息に向かってはっきりと言った。
「私は番拒否の解除に、断固反対します」
平民の娘は、震えながらも勇気を振り絞ることができた。
こんな大勢の大人に囲まれ、しかも貴族も多数いる中で発言するなど、恐ろしくて堪らない。
だが、ここで折れたら一生苦しむことになる。
「どうしてだ? 私たちは運命の番なんだ!」
貴族の青年が表情を一変させ、取り乱したように叫ぶ。
「それを一年前に拒否なさったのは、そちら様でございます」
覚悟を決めて、きっぱりと言い切った。
青年は「誤解だ」などとブツブツ呟いているが、少女はもう彼を見ようとしなかった。
そうして、平民の娘の弁護士が一年前の出来事を語り始めた。
一年前に少女は番の気配に気づき、それを辿っていくと貴族の家が現れた。
ここに勤める使用人かもしれない。
神殿に相談して、番判定のために訪問すると通知を出してもらった。
神官の見立てで、当主の息子が番だと判定された。
まさかと思ったが、確かに胸が高鳴り、魂が惹きつけられる感覚がある。
とても嬉しいと思う反面、相手がお貴族様なんて困ったとも思った。
だが、相手の少年は「こんなみすぼらしい平民は嫌だ」と言い放つ。
親も応援してくれて、一張羅を着てきたのに……。
貴族の母親は、「卑しい平民に付きまとわれたら困るわね」と嫌悪感を滲ませ、番拒否の術式を娘に受けさせると言い出した。
「二度と近寄らないと誓います」と泣きながら術式だけはやめてくれと言う娘に、貴族は権力を振りかざした。
家の警備の者に少女を拘束させ、そのまま神殿に運び込ませてしまう。
当然、少女の両親に了承など得ていない。
番拒否とは、魂に干渉して、番への好意を嫌悪に反転する術である。
とても強引な術式なので、それを施すと三日ほど寝込んでしまうと言われている。
莫大な賄賂を積んで神官を黙らせて、神殿付属の病院の片隅で施術させた。
賄賂で動くような者だからか、技術が未熟で、術の跡が化膿して高熱が出て五日ほど動けなくなった。
少女の家に連絡が行ったのは、施術が終わった後だ。
幸せな報告を待っていた両親に、貴族の家の遣いは数日間入院することを伝え、金を置いて帰った。
少女は、実家の時計屋で働いていた。
店を休む間の給料相当の金額と口止め料だそうだ。神殿付属の病棟に入院する費用は、貴族が負担すると言っていた。
全てを金で片付けたのだ。
「お金を受け取ったということは、賛成したってことでしょう」
原告の席に座っている貴族夫人が、叫んだ。
弁護士がやれやれという顔をした。
「納得したわけではありません。
すでに施術は行われてしまい、何を言っても間に合いません。貴族相手に平民が苦情を言ったところで門前払いです。
だから、彼らは泣く泣く保管するしかなかった。手つかずですから、すぐに叩き返せますよ」
弁護士は順番を守らない夫人の発言にも、丁寧に答えた。
意外なことに、貴族側は弁護士がいなかった。
平民など、簡単に言いくるめられるとでも思っていたのか……。
一年経ち、少年が青年に変わる頃、彼は番を感知した。
もちろん、あの平民の少女だ。
駆け寄ったところ、番拒否の術式が発動して、彼は吹き飛ばされた。
駆け寄った勢いがそのまま返ってきたので、男は反対側の壁に激突した。
少女の方は、こみあげる嫌悪感に、その場で嘔吐した。
「このような二人が、結ばれることなど不可能でしょう」
そう言う弁護士に、夫人が食ってかかる。
「だから、その術式を解除しなさいと言っているのよ。貴族がここまで譲歩しているのに、生意気な平民どもね」
傍聴席が静まりかえった。
今の時代に、公の場所で平民を侮辱するなど非常識だ。良識のない人物だと思われたら、裁判で不利になるだろう。
弁護士は、夫人を呆れたように見た。
「番拒否の術は、心身を作り変えるものです。
彼女は片耳の聴力が落ち、左手の薬指に麻痺が出ました。
時計修理の修行をしていた彼女は、繊細な時計の分解も、修理がうまくいったか音で確認することもできなくなったのです」
少女は未来を潰された悔しさを思い出して、唇を噛んだ。
「術を解除したら、今度はどこに不調が表れるか分かりません。
一度壊した回路は、術を外したところで『なかったこと』にはできないのです。それについては、医師からの意見書を提出します」
裁判官が裁判について確認した。
「本件の争点は、番拒否の有効性と、その解除義務の有無ですね」
原告側は口頭で「運命」だの「本能」だのと主張する。
一方で被告側は、資料を提出していく。
まず、退院後に少女を診察した医師の診断書。ひどい術式で、過去の症例に比べても重い後遺症が出ていると記載されている。
次に、番判定と番拒否を施術した神官の調書。
彼はこの件が発覚し、神官資格を剥奪されて、現在は神殿の牢獄に繋がれている。資格剥奪の際の調書の一部を、裁判用に提供してもらったものだ。
鑑定のときの貴族の態度、少女が術式を嫌がっていたこと、神官に支払われた金額……どれも醜悪さが滲み出ている。
本人たちの意思を確認する段階になった。
「彼女だって、僕と結ばれたいはずだ。君だって、そうだろう?」
うっとりと恍惚とした風情で少女を見つめ、青年は言い募る。
一年前のひどい扱いを暴露された後での表情は、場違いで、気が狂っているように見えた。
「また痛い思いをして、こんな人たちと家族になるのは、絶対に嫌です。
平民だと、馬鹿にされるのも辛いです。貴族のマナーで食事なんかしたって、味が分かりません」
傍聴席に笑いが起きた。無茶を言っているのは貴族の方だということが、分かりやすく伝わった。
「あの! 番保護の申請をしたいです。暴力的な番から守ってもらうの、あるって聞いたんですけど」
「番法の二十五条ですね。プライバシーがなくなるというデメリットはありますが、理解されていますか」
「はい!
腕力でも経済力でも社会的地位でも、全然敵わないので。守ってください!」
弁護士と相談して決めたのだ。迷うことなどない。
「俺、保護人に立候補します」
貴族の子息の護衛が、手を挙げた。
「彼女が訪問してきたときに、門で対応したのも俺ですし。
平民のくせにって坊ちゃんと同僚から嫌がらせを受けてて。いい加減限界なんです」
夫人についている護衛が慌てた。
「お前、一番の戦力なのに勝手なことをするな」
「へー、腕は認めてくれてたんすか。一番低い給料で、見習いがやるような雑用を押しつけておいて」
へらへらと笑いながら、内情を暴露する。
ここには、他家の貴族も大勢いる。この護衛も、もう後戻りはできない。
「裁判長。ここで、俺の転職を認めてください。下手に屋敷に戻ったら、リンチ受けかねないんで」
「荷物や身の回りの整理など、大丈夫ですか?」
「はい。私物はほとんど壊されましたから。大丈夫です。非常勤の裁判所職員になれるんですよね?」
「よくご存じですね。
後ほど、身辺調査や適性検査をして、被告人が認めたら手続きを行いましょう」
裁判官は話を進めていった。長年の勘で、この護衛も原告の家から距離を置いた方がいいと感じたのだ。
「あの……唯一親切にしてくださった方なので、私は認めます」
少女の顔が、緊張しつつも明るくなった。
「希望は分かりました。候補に相応しいかは私どもで判断しますからね」
裁判官は優しく微笑んだ。
弁護士がダメ押しをした。
「このような平民を蔑視する環境では、被告の心身の健康を損ね、生命の危機すら招きかねないと考えます。
よって、番拒否を解除する要求を、拒否いたします」
裁判長は、場を静かにさせて判決を述べた。
「さて、本件番拒否の解除を求める訴えについて、当裁判所はこれを棄却する。
原告は、被告本人の意思を無視して番拒否の施術を強行し、その結果、被告の身体に後遺症を生じさせた。
このような経緯を踏まえれば、原告と被告との間に信頼関係を再構築し、人生を共にすることは著しく困難であると判断する。
よって、原告に今後一切の接近を禁ずる。
これに違反した場合、原告に対しても番拒否の施術を命じるものとする。
また、被告の安全を確保するため護衛を付することとし、その費用の二分の一は原告の負担とする。
支払いを拒否した場合には、家財の差押えを認める。
本国において、番同士の子が優れた資質を持って生まれることは広く知られており、番を自覚した者が申し出る義務を負う制度となっている。
被告はこの義務を果たすため、平民でありながら貴族の家を訪れるという、極めて勇気ある行動を取った。
にもかかわらず、原告はこれを踏みにじり、反省することなく、事実をなかったものとして扱おうとしている。
当裁判所は、この態度に強い遺憾の意を表する。
原告には本国の成り立ちを改めて学び、自らの行為と真摯に向き合うことを強く求める。
以上、本件は私的事案の裁判としてこれを終結する。
なお、国家公安局より原告に対し別途説明があるため、閉廷後はその指示に従うこと」
木槌が叩かれ、裁判は終わった。
「嘘だろ。僕が番なのに」
だんだんと机を叩いて、滝のような涙を流す青年。
おろおろする母親を、乱暴に腕で払った。
「あなたがあんな小娘は嫌だって言うから、別荘を一つ手放してやってあげたのよ」
「早まるなって止めるのが親だろうぅ。うわぁぁ~」
青年は警備員に取り囲まれた。何をしでかすか分からない、危うさがある。
案の定、警備員たちの体の隙間から腕を出し、少女に向かって手を伸ばした。
唾を飛ばす勢いで、少女の名前を何度も何度も呼ぶ。
「クソが。ウジ虫。大嫌い!」
一年分の哀しみを、思い切り込めて少女は叫んだ。
傍聴席からは拍手が起きた。
「番が見つかったら家が繁栄するって言われてるのにね」
「追い払うなんて、もったいないことをするよな」
「あの男、一生、飢餓感に苛まれるぞ」
「番拒否って、相手が亡くなって後追いしかねないときにするものなのに。ひどいな」
負けた原告に同情する声はなかった。
少女はくるりと青年に背を向け、弁護士と保護人予定の護衛と連れだって部屋を出て行った。
青年は警備員に取り囲まれたまま、しばらく泣き叫び続けていた。
後日、国家公安局に呼び出された原告の父親は、息子の番の話も裁判所に訴えたことも知らなかった。
「仕事が忙しくて……」
そう言った彼は王宮での職を失い、あっという間に社交界から家名が消えた。




