雲を飼う男
くもを飼っていると言うと、皆蜘蛛を飼っている、と誤解する。
その誤解が面白くて、ついそのままにしているが、私が飼っているのは蜘蛛ではない。
空に浮かぶ、あの雲。
頭が可笑しくなったと思われるかもしれない。けど、本当にそうなのだ。
「ただいま」
玄関の扉を開けると、早速その声を聞きつけ、雲が飛び出してきた。
全長一メートル、幅は三十センチ、床から私の腰辺りまでふよふよ浮いている。
私はこの子に、わたあめと名付けた。
「わたあめ、ただいま」
わたあめは何も言わず、ただ寄り添い歩く。私は独り言のように、今日あったことを話す。
夕飯を食べ終え、キッチンへ向かう。手を洗って、わたあめを呼んだ。
「わたあめー、準備出来た」
この時のわたあめは電光石火だ。苦笑しつつ、手から零れ落ちる雫をわたあめに降らせる。
わたあめの身体が楽しげに揺らめく。私の手から伝う水を、わたあめは殊の外喜ぶ。そしてこれが雲の食事らしい。色々試したが、水以外は特に必要ではないみたいだ。
まるで夢みたいだ。
お経を唱える坊さんの向こうに、柔らかく微笑む妻と溌剌とした笑みを浮かべる娘がいる。
親戚一同、しんみりと下を向いている。
その顔を眺めながら、どこか遠くへ行きたいと思った。
どこか遠くへ。ここではない所へ。
「今日はお越しいただき、ありがとうございます」
そう言って会食の際、親族に頭を下げた。叔父は立ち上がり、私の肩を叩いて言った。
「もう、3回忌か。早いものだな」
叔父は私の目を見て、何かを伝えようとしているみたいだった。
事故で妻子を失ってから、もう3年も経つ。あっという間の3年だった。
「ただいまー」
家に帰ると、わたあめがこちらへ向かってくる。その瞬間、どっと疲れが押し寄せた。
手洗いもそこそこに椅子に座り、深く深呼吸した。
部屋はシンと静まり返っている。わたあめはなにも言わない。
私はわたあめを撫でた。自分が微笑んでいるのが分かった。
わたあめを膝に乗せ、ゆっくりウイスキーを飲む。
「わたあめ」
わたあめが小さく揺れた。私はわたあめが愛おしくなって、何度も撫でた。
「わたあめ、私が死んだら、人類を滅亡させてくれないか」
馬鹿げた願いだと、自分でも分かっている。
わたあめにそれが出来ると思ってないが、一方で、わたあめなら出来るかもしれないとも思った。
わたあめを両手で抱えて、ベランダに出る。アルコールに浸った頭に、冷たい夜風が当たって気持ちいい。
「ほら、帰りなさい」
そう言ってわたあめを促したが、わたあめは中々空に帰らなかった。それでも根気強く説得して、わたあめはふよふよ上空に登っていっていく。
夜空が綺麗だ。
私はわたあめが見えなくなったのを確認して、ベランダから飛び降りた。
身を投げた恐怖で一瞬の内に意識が飛び、そして私の人生が終わった。




