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episode6.名前のない花嫁

 夜が明けた。


 東京の空は、何も知らぬ顔で淡く白み始めていた。


 天城旧研究棟――あの場所は、すでに跡形もなく崩れ去っていた。

 施設の崩壊と同時に爆発が起き、地下構造ごとすべてが瓦礫と化した。

 公式には「老朽化した倉庫施設の事故」。

 だが、理沙たちは知っている。


 そこには確かに、“罪”が埋められていたことを。


 


「……報道は、どうなってる?」


 理沙は、小さなモーテルの一室で目を覚まし、枕元のスマートフォンを開いた。

 琴葉がノートPCを操作していた。


「今朝6時。全国ニュースが一斉に天城グループの“倫理違反の疑い”を速報してる。でもね……“感情操作”や“記憶転写”の話までは出てない」


「情報が削られてる?」


「ええ。国が“整理”を始めてる。報道機関に圧力もかかってるわ。本当に暴かれたのは、ごく一部。……でも、無駄じゃなかった。確実に“ひび”は入った」


 


 理沙は無言で画面を見つめた。


 SNSには、天城に勤めていた元職員の匿名告発、

 一般ユーザーによる陰謀論めいた投稿、

 そして「“花嫁計画”という言葉は都市伝説か?」という半信半疑のスレッドまで乱立していた。


 


 「……私たち、まだ消されてないんだね」


 「でも安心はできない。天城は“切り捨てる対象”を静かに選んでる。

 生き残りの誰かが動き出すかもしれない。特に、“あの人”が……」


 


 琴葉の視線が、閉じたノートPCの蓋へと落ちた。


 理沙は察する。


 ――天城幹部のひとり、海堂直哉かいどう なおや


 誠の“後任”として、黒薔薇計画の継続を画策していた男。

 記録送信のあと、公式には“失踪”となっているが、どこかで生き延びている可能性が高い。


 


「涼真は……?」


「まだ眠ってるわ。医療用のナノスプレーで止血はできたけど……あれ以上は限界だった。自分のことより、“君の決断を守れ”ってずっと言ってたわよ」


 


 理沙は、小さく微笑んだ。


 あの瞬間、引き金を引けたのは、涼真の言葉があったからだ。


 “選ばされた人生”ではなく、“選んだ瞬間”を持てたことが、

 唯一、彼女がこの世界で掴んだ自由だった。


 


 けれど、まだ終わってはいない。


 


 その時――


 部屋の外から、硬質なノック音が響いた。


 理沙と琴葉が目を見交わす。


 緊張が一気に空気を染める。


 


「……誰か、来た」


 琴葉がベッド下から拳銃を取り出す。


 理沙はスマホのフロントカメラをオンにして、部屋の前方の様子を反射的に映す。

 小さな影が、ドアの向こうで立っていた。


 女だった。


 細身で、黒いジャケット。

 顔の半分を隠す帽子とマスク。

 だがその姿に、理沙の脳裏がざわつく。


 


 ノックが、もう一度。


「相澤理沙さんですね。開けてください。――“あの人”が、あなたに伝え忘れた言葉があります」


 


 琴葉が構えた銃口を、理沙がそっと下げる。


「……私が開ける」


 


 鍵が回る音。

 ドアノブが軋む。


 そして現れたその女は――


 誠に、瓜二つの瞳を持っていた。


 


「初めまして。私は、天城誠の“姉”です」


 


 まさかの新たな関係者の出現。

 そして再び理沙たちは、“遺された過去”へと引き戻されていく――。


 その女性は、まっすぐ理沙を見据えていた。


 姿は整っている。黒いロングコートの下に、深紅のシャツ。

 髪は誠と同じく漆黒で、前髪を斜めに流している。

 けれど、何より印象的だったのはその瞳――


 誠と同じ“焦げ茶色”。だが、そこには冷たく澄んだ硝子のような光が宿っていた。


 


「天城……誠の、姉?」


 理沙は思わず声に出していた。


 


 女はうなずいた。


「名前は天城あまぎ 美月みつき。私は、誠の一番古い記録を知る者……彼の本当の意志を、あなたたちが歪めないように、それを正しに来たの」


 


 琴葉が間に入るように立ち、警戒心を露わにする。


「“正す”? どういう意味?」


「黒薔薇計画の真の到達点は、まだあなたたちには見えていない」


 


 美月は静かに歩を進め、室内を見渡した。


 涼真のいるベッドには目もくれず、理沙の前で立ち止まる。


 


「……誠は、君を“最後の鍵”として使った。でもそれは“兄の感傷”だった。私たちが追い求めていたものは、もっと純粋で、もっと正確な“感情の連鎖”」


 


「……あなたたちが、やっていたことを“正確”なんて言えるの?」


 


 美月はわずかに口元をゆがめた。

 それは、笑みとも嘲りとも取れた。


 


「君は誠を信じすぎた。あの人は、科学者であって人間じゃない。“私たち”が始めた計画の中で、彼だけがブレーキを踏んだ。私はそれを止めに来たの。“理想の継承”のために」


 


 理沙の中で、何かが軋んだ。


 誠が最期に見せた、あの“迷い”や“微笑み”を、

 この女は、ただ“欠陥”として片づけようとしている。


 


「あなたは何をしようとしているの?」


「“花嫁”はまだ完成していない。EVEは試作品に過ぎなかった。でも、君の中にある“記憶の遺伝子”――それさえ取り戻せば、私たちは新しい実験体を育て直せる」


 


 琴葉が声を荒げる。


「もう終わったのよ! あなたたちの実験も、人をモノとして扱う計画も――!」


 


 その瞬間――美月は、拳銃を抜いた。


 誰よりも速く、誰よりも自然な動作で。


 涼真が反応する間もなく、その銃口は琴葉へと向けられた。


 


「感情に酔った“失敗作”は排除対象なの。誠も、君も、皆“途中で壊れた花嫁”だった。

 でも私は違う。“完成系”を生むための枠組みを守る者よ」


 


 理沙の中で、何かが爆ぜた。


 それは怒りではなかった。

 もっと深く、もっと静かな――自己否定への拒絶だった。


 


「……やめて」


 


 そう言って、彼女は一歩踏み出す。


 


「私は、誰かに“完成形”なんて求められて生まれてきたんじゃない。記録でも、器でもない。“人間”なの。

私の中の記憶も、痛みも、誠の愛も――全部、本物だった!」


 


 銃口が、わずかに揺れる。


 理沙の声は、何かを切り裂くように強かった。


 


「あなたが何を壊そうとしても、私の中にある“愛された記憶”は、もう奪えない」


 


 美月が動いた。


 けれどその時、背後のベッドから涼真の声が飛ぶ。


 


「琴葉、今だ――!」


 


 琴葉の手が閃いた。


 腰のホルスターから抜いた拳銃が、美月の銃と交差する。


 閃光。銃声。衝突。


 


 一瞬の沈黙のあと、煙の中で、美月は壁に倒れかけていた。


 手から銃が滑り落ちる。


 額から血がにじみ、けれど彼女は、なおも嗤っていた。


 


「……なら……せいぜい、“お前の感情”に飲まれて、また破滅するがいい……」


 


 そのまま、美月は意識を失った。


 


 理沙は、その場に崩れ落ちた。


 ようやく終わった――そう思いたかった。


 けれど胸の中に残ったのは、確かな実感。


 「まだ終わっていない」


 


 琴葉が隣で、息を整えながら呟いた。


「天城は、誠だけじゃなかった。美月だけでもない。

 “次”がある。

 ――黒薔薇の根は、もっと深いわ」


 


 そう。

 “理想の花嫁”を求めた者たちは、まだ終わっていない。


 そして理沙は、もう一度、選ばなければならない。


 自分の“存在理由”を、今度こそ自分で定義するために。


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