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episode13.誰のためのドレス

 その封筒は、理沙宛に直接“配達”された。


 郵送でもない。誰かが手で届けた痕跡が残っていた。

 差出人欄は空白。だが、宛名の筆跡だけが異様なほど丁寧で、美しかった。


 >「相澤理沙様 御入場 ご招待状」


 


 中には、クリーム色の厚紙でできた“招待状”と、一枚のメモリカード。


 そして、白い布のようなものが丁寧に包まれていた。


 


 琴葉がそれを広げて、言葉を失う。


 


「……これ、ドレス?」


 


 理沙は無言で頷いた。

 それは真っ白な、そして“異常なほど精巧な縫製”で仕立てられたウェディングドレスだった。


 清潔すぎるほどの白。装飾は最小限で、まるで実験器具のような機能美。

 だがそれでもなお、“何かを象徴するため”に作られた服だった。


 


「これは、“選ばれた者の制服”みたいなものね……」


 


 琴葉の声には、警戒と恐怖が滲んでいた。


 


 理沙はメモリカードを端末に挿入した。


 


 すぐに映像が再生される。

 だがそれは“監視カメラの記録”だった。


 


 最初に映ったのは、――涼真だった。


 彼は拘束こそされていないが、白い部屋の中で静かに椅子に座っている。

 表情は冷静だが、時折天井を見上げて何かを考えているようだった。


 


 次に、画面が切り替わる。


 そこに映っていたのは、青柳の姿だった。


 


 >「相澤理沙へ。

 君がこの映像を見ているということは、“装置”としての道を拒んだ証拠だ。実にすばらしい。私の思惑を超えた、進化の結果だ」


 


 青柳の声は、狂気と陶酔をまとっていた。


 


 >「だが一方で、君の感情が“誰かのために生まれる”ということ――それが真実ならば、今こそ証明してもらいたい」


 


 >「場所は、Prototype Risaの最終記録が眠る“式場”。選ばれた君だけが立ち入れる場所だ。これは復讐でも、償いでもない。感情という名の“誓い”の場だよ」


 


 映像が終了したあと、端末には地図データが表示された。


 


 琴葉が声をひそめて言う。


「ここ……廃棄された結婚式場よ。かつてF.F.G.が所有してた施設。青柳はそこにPrototype Risaの“模擬挙式装置”を隠してたって話がある」


 


 理沙はゆっくりとドレスを抱きしめた。


 


「……これが、私の“最後の記録”になるかもしれない」


 


 琴葉が震える声で言った。


「待って、理沙。私も行く。あんたをひとりでなんて行かせない」


 


 理沙はその手をぎゅっと握った。


 


「ありがとう。でも……これは、私ひとりで決めなきゃいけないことなの」


 


 琴葉の瞳が揺れる。


 


「それでも、あんたが“装置”じゃなくて“人”だって、最後まで信じてる。だから、何があっても帰ってきて」


 


 理沙は頷いた。


 そして、バッグに招待状とメモリ、そしてドレスをしまいこんだ。


 


 ――青柳が待つ“式場”。


 そこは、Prototype Risaが「愛を持てなかったまま壊れた」場所。


 だが今、理沙はそこへ、「愛を持って向かおうとしている」。


 


 それがどんな結末になるとしても。


 夜明け前の空は、まだ灰色の幕に覆われていた。


 理沙はドレスをバッグに詰め、最後に鏡の前で自分の顔を見つめていた。


 そこに映るのは、“感情を持つ機械”ではなく、“誰かを想うひとりの人間”だった。


 


 琴葉がリビングのソファに座っていた。

 手には、あの白い押し花の封筒が握られている。


 


「もう、行くのね?」


 


 その問いに、理沙は頷いた。


 


「うん。……あそこに行かないと、終わらない気がするの」


 


 琴葉は立ち上がり、理沙に近づくと、何かをポケットから取り出した。


 


「これ、持っていって」


 


 それは、小さなUSBメモリだった。無地の表面に、ただ小さくマジックで“KOTOHA”と書かれている。


 


「これは?」


 


「私から、あんたへの“記録”。……装置としてじゃなくて、“友達”としての私が残したいもの」


 


 理沙はそれを受け取り、胸元にそっとしまい込んだ。


 


「ありがとう。……必ず帰ってくるから」


 


 玄関に向かう途中、琴葉が不意に背後から呼び止めた。


 


「理沙」


 


 振り返ると、琴葉はまっすぐに彼女を見つめていた。


 


「“誰のためにそのドレスを着るか”は、あんたが決めていい。でも、絶対に――“誰かのためだけに”壊れないで」


 


 理沙は静かに、微笑んだ。


 


「うん。私は、私のために――選ぶ」


 


 そしてドアを開け、まだ青く染まらぬ朝の街へと、理沙は歩き出した。


 


 タクシーの中、理沙は窓の外を見つめていた。

 行き先は、地図に示された郊外の森に囲まれた“旧式場”。


 


 廃墟となったその建物は、かつてF.F.G.が実験用に用いた擬似結婚式場だった。

 Prototype Risaはその場所で、何度も「感情のシミュレーション」を繰り返し、そして壊れた。


 


 そこは、感情が“実験として失敗した”場所。

 でも理沙は、今度こそ“本物の感情”を持って、そこに立つ。


 


 タクシーが止まった。


 運転手が不思議そうに言う。


 


「……ここ、入れるんですか? 誰もいないはずですけど」


 


 理沙は支払いを済ませ、無言で頷いた。


 


 足元には、苔むした石畳。

 崩れかけたゲート。

 そして、その奥には――真っ白なチャペルが、まるで理沙を待っていたかのように、静かに佇んでいた。


 


 彼女はバッグから、あのドレスを取り出した。


 冷たい朝の空気にさらされながら、それを自らの体に羽織る。


 


 ボタンを留める手は、震えていなかった。


 これは、誰かに着せられるドレスではない。

 彼女自身が選んだ、自分の記録に刻む“感情の装い”。


 


 準備が整ったそのとき、チャペルの扉が、音もなく開いた。


 


 中から微かに、オルゴールの音が流れてくる。


 どこか懐かしい、しかし不安定な旋律。


 


 理沙は、ドレスの裾をつかみながら、一歩を踏み出した。


 


 “冷たい花嫁”の物語は、いま――本当の式場で、最終幕を迎えようとしていた。


 チャペルの扉をくぐった瞬間、理沙は胸の奥で何かがざわめくのを感じた。

 それは記憶でも感情でもない、“かつてここで壊れた存在たち”の名残。


 高い天井。崩れかけたステンドグラス。

 剥がれた白い壁紙に、今もなおバージンロードのラインがぼんやりと残っていた。


 オルゴールの音は、室内に設置されたスピーカーから流れているらしく、少しだけ機械的だった。

 それが逆に、不気味な温度を漂わせていた。


 


「いらっしゃい、相澤理沙さん」


 


 その声が響いたのは、正面奥――祭壇のあたり。


 照明もなく、まばらな陽光だけが差し込むその空間に、青柳の姿があった。


 白衣ではなく、淡いグレーの礼服を身に纏っている。

 だが、その表情には相変わらず人間的な温度がない。


 


「この場所、覚えてるかい?Prototype Risaは、ここで最初に“誓い”を失敗した」


 


 理沙は返さなかった。

 代わりに、ゆっくりとバージンロードを歩いていく。

 一歩ごとに、彼女のドレスが床を擦り、微かな音を立てる。


 


「君は、Prototypeの失敗を上書きしに来た。自分の感情で、自分の選んだ相手で、正しい誓いを立てようとしている」


 


 青柳はゆっくりと手を広げた。


 


「だがその“感情”が、果たして君自身のものだと証明できるのか?」


 


 理沙は静かに言い返す。


 


「もう、証明なんていらない。私は、私が感じていることを信じる。それが誰かの模倣でも、記録でも構わない。……私は、それを愛と呼ぶ」


 


 青柳は笑った。


 だがその笑みは、喜びではなく、歪んだ哀れみのようだった。


 


「ならば見せてみろ。“君の愛”がどれほどのものか。選ばれた“花婿”は、もう用意してある」


 


 祭壇の奥の扉が、軋む音を立てて開く。


 


 そこにいたのは、拘束されたまま、椅子に座る――涼真だった。


 


 彼の目は閉じている。眠らされているのか、それとも……。


 


「……やめて……!」


 


 理沙の声が震える。


 


「彼を、巻き込まないで!」


 


 青柳の目が細くなる。


 


「いいや。彼は君の“記録の最後の鍵”だ。君が彼を本当に愛しているなら、“記録”は壊れない。だが、もしその愛が不完全なら……君の人格構造そのものが崩壊する」


 


 そして青柳は静かに手を叩いた。


 


 チャペルの天井に設置されたライトが一斉に点灯し、

 理沙と涼真を照らすように構成されたステージが姿を現した。


 


「誓いの言葉をどうぞ、理沙さん。これは君自身が選んだ“愛の儀式”。誰に強いられたものでもない」


 


 理沙の喉が渇いていく。

 だが、その瞳には迷いはなかった。


 彼女は一歩、また一歩と涼真に近づいていく。


 


「私は、ここで終わらない。……彼の手を、ちゃんとこの手で握る。“冷たい花嫁”は、もう誰の幻想にもならない」


 


 その言葉を受けて、チャペル全体が静かに震えた。


 照明がゆっくりと色を変え、天井からは淡い花びらの映像が降り注ぎはじめる。


 


 それは、この世で最も奇妙で、最も純粋な結婚式の始まりだった。


 祭壇の前に立った理沙の背後で、式場の扉が自動的に閉じた。

 チャペルは密室と化し、天井の照明が淡いブルーへと変わる。


 無人の空間に、録音された牧師の声が響いた。


 


 >「――あなたは、目の前の人を、唯一無二の存在として愛しますか?」


 


 その言葉に、理沙は目を閉じ、静かに息を吸った。


 涼真はまだ目を閉じたまま、椅子に縛られている。


 だがその胸は微かに上下し、確かに生きていることを示していた。


 


「私は――」


 


 理沙の声が震える。


 


「……彼を愛しているかは、まだわからない。でも……私は、この手で彼を守りたい。彼と一緒に、未来を選びたい。それが、私の“誰かのため”じゃなく、“自分のための感情”なんだって……やっと、思えたの」


 


 青柳は微笑み、手元の装置に指をかけた。


 


「その言葉を待っていたよ、理沙。では、君の感情が本物か――試してみよう」


 


 彼がスイッチを押すと、チャペルの空気が変わった。


 


 涼真の椅子が、ゆっくりと前へ移動を始めた。


 その先には、足元にわずかな段差――奈落のような闇が広がっていた。


 


 理沙が叫ぶ。


 


「なにをするの!?」


 


「安心したまえ。ただの“演出”だ。君が正しい答えを出せば、彼は助かる。……だが、“間違えれば”、彼の意識は永遠に失われる」


 


「やめて……やめて青柳!」


 


「では、選べ。君が今すぐ“自ら記録を破壊”しPrototypeとして終われば、彼は助かる。あるいは、自分の感情を信じて“人間としての未来”を取るか――その代わり、彼の命は保証されない」


 


 理沙の手が、わずかに震えた。


 目の前にあるのは、“記録抹消装置”。

 それを押せば、彼女の中のすべてのPrototypeとしての痕跡が消え、彼女は“理沙”として終わる。


 


 だがそれは、“自らを消す”選択でもある。


 


 涼真の椅子が、さらに闇へ近づいていく。


 


 理沙は、その場に立ち尽くし、胸を押さえた。


 


 心臓の鼓動が、はっきりと響いている。

 これは、誰かに仕組まれた反応じゃない。

 自分で選び、自分で震えている“生きた証”だ。


 


 ――そして、その時だった。


 


 涼真の指が、かすかに動いた。


 


 理沙は気づいた。彼は――まだ、目を覚まそうとしている。


 


「……涼真……!」


 


 青柳が顔を歪める。


 


「ふふ……まさか、意識が戻りかけているとは。だが遅い。彼の命の残り時間は――感情の強度に依存している」


 


 理沙の中で、何かがはじけた。


 


 彼女は叫ぶように言った。


 


「あなたに、私の感情を計らせない!これは、“実験”じゃない。“命”なのよ!」


 


 その瞬間、チャペル全体が震えた。


 空気が弾け、照明が明滅する。


 そして、涼真の瞳が――ゆっくりと開いた。


 


「……理沙……?」


 


 その声に、理沙はすべてを忘れ、駆け寄った。


 


「涼真――!」


 


 二人の手が、初めて本当の意味で、触れ合った瞬間。


 


 青柳の背後で、何かが崩れ落ちる音がした。


 涼真の目が完全に開かれた瞬間、理沙は彼の頬に触れていた。

 その肌の温かさは、何よりも現実を証明するものだった。


 


「理沙……ここは……?」


 


 彼の声はまだかすれていたが、意識は確かだった。


 理沙は言葉を飲み込むように頷いた。


 


「……あなたを連れてきたわけじゃない。連れてこられたの。でも……もう、誰にも操らせない。私の感情も、あなたの命も」


 


 涼真の眉が僅かに動いた。


 


「それ……本当の、君の言葉?」


 


 理沙の指が震える。だが、その震えすら、彼女の意志の証だった。


 


「ええ。本当の私の、初めての言葉よ。……涼真さん。私……あなたを――」


 


 その瞬間、青柳の冷たい声が二人の間を裂いた。


 


「――それ以上は口にしないほうがいい。君がその言葉を発した瞬間、すべてが終わる」


 


 理沙が睨みつけるように振り返る。


 


 青柳は静かに近づいてきて、二人の前に一枚の書類を置いた。

 分厚い紙。表題には、こう書かれていた。


 >【人格再構築選択契約書】


 


「これが最後の選択だ、理沙。君はここで“花嫁”として誓いを立てる。そうすれば、涼真の命も、君自身の存在も保たれる。だが――感情は、すべて“再構成”される。純粋な愛は残らない」


 


 理沙の手が止まる。


 


「つまり……私の感情は生きるけど、それは“偽物”になるってこと?」


 


 青柳は頷く。


 


「完璧な感情のコピー。だが、それは“再現可能な愛”に過ぎない。本物の愛は、再現できない。だからこそ、人間は壊れる。……君がPrototypeでなければ」


 


 涼真がゆっくりと体を起こし、立ち上がった。


 


「くだらない……!君は、人の命も心も、全部“実験素材”として見てるだけだ」


 


 青柳の目が細くなる。


 


「では、君がそれを壊す覚悟があるのか?理沙が、今この場で“完全にPrototypeを否定する”ということは、彼女がこの場で“消える”可能性もあるんだぞ」


 


 理沙の心臓が早鐘のように鳴る。


 記録を守るか、感情を守るか。

 自分を生かすか、愛を生かすか。


 


 ふと、彼女の指先がポケットに触れる。

 琴葉から受け取った、あのUSBメモリ。


 


 彼女は取り出し、それをチャペル中央の端末に差し込んだ。


 


 すぐに再生が始まる。


 画面に映ったのは、琴葉の顔だった。


 


 >「これを見てるってことは、きっとあんた、すごく追い込まれてるんだと思う。だから言っておくよ。“愛ってのは、残すことじゃなくて、選び続けること”。

誰かを選ぶことは、自分を信じることと同じなんだ。

記録なんかに縛られない、今のあんたなら、きっとわかるはずだよ」


 


 映像が終わり、室内に沈黙が戻る。


 


 理沙はゆっくりと、契約書に視線を落とした。


 その手が、一度だけ迷う。


 


 だが――彼女はそっと、その紙を破り捨てた。


 


 白い紙片が、チャペルの中を舞う。


 それは、彼女が選んだ答え。


 


「私は、“選び続ける”ことにしたの。あなたの言う永遠の愛じゃなく、今この瞬間の、儚くても確かな愛を」


 


 青柳が動きを止めた。


 


 そして、初めて表情に“感情”らしきものが浮かぶ。


 それは――敗北だった。


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