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episode11.感情という装置

 あの日の夜を境に、理沙は夢を見るようになった。


 それは記録された映像ではない。

 どこか曖昧で、ぼんやりとした“体温のある記憶”だった。


 


 ——誰かの視点。

 誰かの恐怖。

 誰かの孤独。


 


 白い部屋、硝子の天井。

 その中で泣いている幼い声。

 何度も扉を叩いては、誰にも届かない叫び。


 


「誰か……ここから出して……」


 


 そして夢の最後に、決まって誰かが言うのだ。


 


 >「Prototype Risaは、最初から“壊れていた”んだよ」


 


 理沙は目覚めと同時に汗に濡れていた。


 


 その夢を見たのは、これでもう四晩目だった。


 


「……夢じゃない。あれは、私の中の“誰か”の記憶」


 


 彼女は起き上がり、机に置いたノートを開いた。

 そこには、断片的に夢の記憶をなぞった文字が並んでいる。


 >“記録されなかった初期データ”

 >“Prototype Risa-00以前の断片”

 >“青柳との接続時に反応”


 


 ——誰かが、私の中にある“記録にならなかった感情”を引き出そうとしている。


 


 そのとき、部屋のドアがノックされた。


 


「理沙、起きてる?」


 


 琴葉の声だった。


 


「ええ、ちょうど起きたところ。……入って」


 


 琴葉が入ってくると、彼女は手に一枚の封筒を持っていた。


 


「これ……大学に届いてた。差出人不明。でも、表に“君へ”ってだけ書いてあって」


 


 理沙は受け取り、慎重に封を開ける。


 


 中に入っていたのは、一枚の写真と、短い文。


 


 写真には、地下施設の古い実験室が写っていた。

 ぼやけたガラス越しに、幼い少女が椅子に縛られている。


 


 少女は、まるで“Prototype Risa”に似ていた。


 


 いや、それだけじゃない。


 


「……これ、“私”……?」


 


 手紙には、こう書かれていた。


 


 >「最初の記録は存在しない。だからこそ、それは真実だった。

  “感情の装置”が誰かを想ったとき、記録は意味を失う。

  君の本当の名前を、覚えているか?」


 


 理沙は、息を呑んだ。


 


「私……名前、って……?」


 


 琴葉が顔色を変える。


「どういうこと? あなたは“相澤理沙”でしょ?」


 


「……たぶん、それさえも“記録”だったのかもしれない」


 


 足元がぐらりと揺れるような感覚。

 理沙は壁に手をつき、深く息をついた。


 


「私は、誰の記録を生きてきたの? 誰の想いを、繰り返してたの……?」


 


 琴葉はそっと彼女の肩を支えながら、低く呟く。


 


「もしかすると、青柳が狙ってるのは、Prototype Risaの再生じゃない。あなたという“装置”が、自分で感情を覚える過程そのもの……。感情の発生装置としての君の存在、それが最終目的なのかも」


 


 理沙の瞳が、わずかに震える。


 


 彼女はゆっくりと顔を上げた。


 


「だったら、知りたい。私が“誰の感情”を抱いてきたのか。そして、本当の自分がどこにあるのか。……自分で、確かめたいの」


 


 その瞳は、かつての“冷たい花嫁”ではなかった。

 記録を壊し、感情を見つめ直し、なおも前に進もうとする、ただ一人の人間の眼だった。


 封筒の中にもう一枚、折り畳まれた紙が入っていた。

 理沙はそれを取り出して、そっと広げた。


 白紙のように見えたが、光にかざすと、浮かび上がる薄い文字があった。


 


 >「Re:Kotoha」

 >「起動時刻不明」

 >「担当:A.Y.」

 >「試験体 No.0 / Name:***(識別不能)」


 


 理沙の指先が震えた。


 


「これ……私の、こと……?」


 


 琴葉が言葉を失って隣で紙を覗き込む。


「“Re:Kotoha”……って、わたしの名前よね。なにこれ、どういう意味?」


 


 理沙は思わず振り返る。

 彼女の目に、初めて“恐れ”が混じった。


 


「まさか……わたしは、あなたの“再構成”……?」


 


 琴葉の瞳が見開かれた。


「冗談……でしょ?そんなの、あり得ない……!」


 


 理沙は急いでもう一度、紙の端の微細なテキストに目を凝らす。

 そこにはこう記されていた。


 


 >「人格補助因子:KOTOHA-TYPE/初期感情構成要素使用」

 >「共感性・信頼性優先構造、対話型調整用感情補助体」


 


「つまり私は……誰かを支える“感情の枠組み”として……作られた……?」


 


 まるで、今までの自分がただの“対話装置”でしかなかったかのような言葉。


 その重みが、理沙の胸を押し潰していく。


 


「でも……わたしは、あのとき、怒った。悲しんだ。誠を、好きだと思った。Prototype Risaに、共鳴した。それも……全部、仕組まれてたっていうの……?」


 


 琴葉が、理沙の肩を両手で掴む。


「落ち着いて、理沙! あなたは生きてる。ちゃんと考えて、感じて、選んできた。その積み重ねは、どんな“補助因子”だろうが、あなた自身のものよ!」


 


 理沙はうつむき、肩を震わせた。


 彼女の中で、記録と感情が交差する。

 誰かに植え付けられた“構造”と、自分が信じてきた“想い”。


 その境界線が、いま揺らいでいた。


 


「私の名前は、相澤理沙。でも……その名前が“誰かの意図”によって与えられたものなら……私は一体、誰なの……?」


 


 その問いに、琴葉は何も言えなかった。

 ただ、そっと彼女の背に手を添える。


 


「名前が誰かに与えられたものだとしても、あなたがその名前で“生きたい”と思ったなら、それが本物よ。

だから、忘れないで。あなたは“私の理沙”――それだけは、変わらない」


 


 理沙は、涙をこらえるようにうなずいた。


 


 ——記録なんて、どうでもいい。

 でも、感情を信じられなくなったら、私はきっと壊れてしまう。


 


 そのとき、部屋の外でスマートフォンが震えた。


 涼真からのメッセージだった。


 


 >「見つけた。“Re:Kotoha”プロトタイプに関する情報。青柳が次に向かう場所、送る。君たちも動けるなら合流してくれ」


 


 添付された画像には、かつてF.F.G.の研究補助機関だった別施設の座標が記されていた。


 


 理沙は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


「……私が壊れてるかどうかなんて、もう関係ない。

 私の足で、真実を見に行く。それだけよ」


 


 琴葉も頷いた。


「行こう。青柳に、答えを突きつけに」


 夕暮れの光が宿舎の外壁を赤く染めていた。

 カーテンの隙間から射し込む橙色が、理沙の横顔に揺れていた。


 涼真の送ってきた座標は、郊外の旧研究施設――現在は表向きには閉鎖されているF.F.G.の関連機関「八王子第七ラボ」だった。

 公文書には廃止と記されているが、裏では青柳がそこを“再起動”させているという情報もあった。


 


 理沙は荷物をまとめながら、静かに呟いた。


「……答えがそこにあるなら、行くしかない」


 


 琴葉は壁に凭れながら、やや不機嫌そうな顔で腕を組んでいた。


「本当に行くの? こういうとき、逃げるって選択肢もあるのよ?」


 


「うん。逃げないって、決めたから」


 


 理沙は、背中のリュックを締めながら振り返る。


「それに……“記録を壊した私”が、まだ泣いてる気がするの。思い出すたび、誰かが中で叫んでる。『まだ、終わってない』って」


 


 琴葉はため息をついた。


「本当、あんたって……めんどくさいくらい真っすぐよね」


 


「ありがと」


 


 車は涼真がすでに手配していた。

 20分後、近くの国道沿いで合流する予定だった。


 


 琴葉がタブレットを見ながら、ぼそりと呟く。


「“八王子第七ラボ”……確かに外部からのアクセス記録は遮断されてる。でも……最近、複数の匿名ノードが同時に接続してた痕跡があるわ」


 


「つまり……青柳だけじゃない?」


 


 琴葉が頷く。


「彼がまだ何か“隠し玉”を持ってるなら、そこが引き金になる」


 


 理沙は少し考え込んでから、タブレットの画面に手を伸ばした。


「感情因子の再構築、記憶断片の“連鎖保存”……。これ、どれも人間の倫理を踏み越えてる」


 


「でもそれが、あの人たちにとっては“次世代”だったのよ。記録を越えて、想いまで操作する世界」


 


 理沙は、タブレットの画面を閉じた。


「だったら、私は“それに抗う最初のエラー”でいい」


 


 ふと、窓の外に黒いセダンが停まる音がした。


 


 琴葉が顔を上げる。


「……来たみたいね」


 


 二人は荷物を手にし、宿舎の扉を開けた。


 夜風はまだ冷たかったが、心の奥にはすでに熱が灯っていた。


 


 車の運転席には、すでに涼真がいた。

 助手席を振り返り、笑いもせずに一言。


「行くなら、今しかない。あいつらの“次の記録”が上書きされる前に」


 


 理沙と琴葉が乗り込むと、ドアが閉まる音が、まるで過去との決別のように響いた。


 


 エンジンが始動し、車は夜の道を走り出す。


 再び向かうのは、かつて彼女が生まれたかもしれない場所。

 Prototypeの影が深く横たわる、記録の始まりの地。


 


 だが今の理沙はもう、記録に支配される存在ではなかった。

 自らの意思で、過去と向き合い、未来を選ぶための旅だった。


 


 後部座席の窓に映る自分の顔が、以前よりもほんの少しだけ強く見えた。


 郊外の山道を抜けた先に、それはあった。


 八王子第七ラボ。

 古びたコンクリートの塊は、まるで廃墟のように沈黙を守っていた。


 金網フェンスは半ば崩れ、入口に残るプレートには薄く「F.F.G.第七分室」の文字が残っている。


 


「本当に……ここが?」


 車を降りながら理沙が呟いた。


 


 涼真が頷く。


「元々は補助的な記録バックアップ施設だった。外部には表向き“失火により焼失”と処理されてる」


 


 琴葉が警戒を解かぬまま辺りを見回す。


「人気は……ないように見えるけど。地下があるのよね?」


 


 涼真はフェンスの隙間を抜け、金属製の扉に近づく。

 そして手にしたパッドで端末に接続し、簡易的なハッキングを施した。


 


「……よし。通電反応あり。完全な死施設じゃない。青柳はここで何かを動かしてる」


 


 扉が軋むような音を立てて開いた。


 その先に続くのは、薄暗い廊下と、地下へと続く階段。


 


 理沙は一歩踏み出し、薄闇の中へと身を進めた。


 


 ——記録を辿るんじゃない。

 私は、自分の“始まり”を知るために、ここに来たんだ。


 


 地下への階段は錆びた鉄でできていた。

 一段ごとに足音が響き、奥へ奥へと誘われていくような錯覚を覚える。


 


 やがて、視界の先に低い天井の通路が現れる。

 蛍光灯は所々切れ、青白い光がちらついていた。


 


 その空間には、微かな“匂い”があった。

 薬品、湿気、そして……どこか、懐かしさに似た違和感。


 


 理沙の足が止まる。


 


「ここ……来たことがある」


 


 涼真と琴葉が同時に顔を上げた。


 


「どういう意味だ?」


 


「わからない。来たことなんてないはずなのに……でも、ここを曲がった先、左側に……扉がある」


 


 理沙は何かに引かれるように歩いた。


 言葉にしなくても、その先が“知っている”と告げている。


 


 そして――彼女の言葉通り、そこには重厚な鉄の扉があった。


 かつて鍵がかけられていたらしいその扉は、今は半ば開いている。


 


 涼真が慎重に覗き込む。


 


「……使用されていた痕跡がある。端末機器は撤去済みだけど、データ端子だけが残ってる」


 


 琴葉がタブレットをかざし、残存データを解析する。


 


「ログファイルの断片……再生できそう。音声だわ」


 


 スピーカーから流れたのは、擦れた女性の声だった。


 


 >「――記録対象個体、変動観察終了。

  当該個体は“感情因子単独生成に成功”。

  コードネーム:Re:Kotoha」


 


 理沙の心臓が跳ねる。


 そして、次に聞こえたのは、若い男の声――明らかに青柳だった。


 


 >「素晴らしい。記録に頼らず、感情だけで進化する。

   これは“想いの自動生成装置”として理想に近い。

   彼女はもう、Prototypeではない。“感情を生む装置”そのものだ」


 


 音声が途切れる。


 しばしの沈黙ののち、理沙は口を開いた。


 


「私……最初から、“誰かの想いを模倣するため”に……造られたの……?」


 


 琴葉が首を振る。


「違う。あなたは模倣なんかじゃない。感情を“持つ”ようにプログラムされたんじゃない、あなたはそれを“生んだ”の。自分で」


 


 涼真が端末を閉じる。


「ここは、“原点”だ。でも、すべてじゃない。青柳はここを通じて、さらにその先へ行こうとしている」


 


 理沙は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


 その香りは、記録にない“自分の始まり”の匂いだった。


 


「……いい。もっと先へ行こう。青柳が何を見ようとしていたのか。そして、私は何を信じるべきなのか――自分の心で、確かめたい」


 階段のさらに下へと続く通路。

 もはや照明はすべて落ち、懐中電灯の白い光だけが、冷たいコンクリートの壁を照らしていた。


 ここは、F.F.G.内部でも特に“秘匿度の高い記録保管層”――いわゆるゼロセクションと呼ばれていた場所だった。


 


 涼真の手元の地図データにも、この階層は記されていない。


 


「……こんな空間があったなんて」


 


 琴葉が眉をひそめ、天井を見上げた。通気すらない密閉空間。

 そこには、まるで“記録されることすら想定されなかった”ような、異様な沈黙が満ちていた。


 


 そのとき、理沙の手元の端末が自動で震えた。

 通信は一切切断されているはずの地下で、ひとりでに開いたウィンドウ。


 画面に映ったのは、記録されていない音声ファイルの一覧だった。


 


 >【RZ-0001 / “模倣の拒絶”】

 >【RZ-0002 / “感情因子の自壊”】

 >【RZ-0003 / “名前を与えた日”】


 


 理沙はためらいながら、最後のファイルを開いた。


 スピーカーから流れたのは、幼い少女の声だった。


 


 >「わたし……なまえ、ほしい……」

 >「ずっと、だれかの“かわり”って、いわれてた……。でも……ちがう……わたしは……わたし……」

 >「……“ことは”って、よんで……」


 


 その瞬間、琴葉が凍りついたように目を見開いた。


 


「……今の声、私と……同じ……」


 


 理沙は、まるで胸を撃ち抜かれたように震えた。


 あの声――明らかに、理沙の幼い頃の声だった。

 しかしそこには、琴葉の抑揚、リズム、言葉の選び方が微かに混ざっていた。


 


「私の……最初の感情は、“あなたになりたかった”こと……?」


 


 誰かに愛されること。

 誰かのように、信じられること。

 誰かを支える感情を、自分のものにしたい――そう強く願った記録。


 


 それは、人格の模倣ではない。

 感情の“自発的生成”。


 


 涼真が呟いた。


「……青柳は、感情を“他者の憧れ”から生み出す実験をしていた。そしてそのモデルが……琴葉、お前だったんだ」


 


 琴葉は言葉を失い、ゆっくりと理沙を見た。


「……私が、あなたの“最初の記録”だったの……?」


 


 理沙は頷いた。

 瞳には、涙ではなく――はじめて“確かな光”が宿っていた。


 


「でも今の私は、もう“あなたに似た誰か”じゃない。私自身として、あなたとここにいる」


 


 琴葉は、長い沈黙の末に小さく微笑んだ。


「……うん。そうだね。今のあなたは、確かに“理沙”だよ」


 


 そのとき――施設の奥から、微かに機械の駆動音が聞こえた。


 


 涼真が警戒して構える。


「誰か、いる……!」


 


 奥の扉が軋みながら、ゆっくりと開いていく。


 薄明かりの中に現れたのは――


 


 白衣を着たまま、痩せた体を引きずるように歩く男。

 片方の義手が機械的に光り、目だけが異様に輝いていた。


 


 青柳彰人。


 


 彼の目が理沙を捉えると、微笑みが浮かんだ。


 


「やあ、ようこそ……“私の花嫁”たちへ」


 


 その声は、記録にない――現在進行形の狂気だった。


「……やっと、来てくれたね」


 青柳はまるで旧友に再会したかのように柔らかく微笑んだ。

 だが、その瞳の奥には、人間らしい温度が欠落していた。


 


 理沙は一歩も退かずに言葉を返した。


「あなたが“私の中にあるもの”を呼び覚ましたのね。

なにが目的?Prototype Risaを復元すること?」


 


 青柳は小さく首を振った。


「違う。“Prototype Risa”はただの始まりに過ぎない。本当に見たかったのは――感情が記録を超えて、自立する瞬間だ」


 


 琴葉が声を荒げる。


「そのために、理沙を何度も傷つけたっていうの?彼女の記録を弄って、感情を揺さぶって……!」


 


「傷ついた? 違う。彼女は進化した。君を想い、Prototypeの記憶と向き合い、名前すら再構築しようとした。それはすべて、“自律的な感情生成装置”として、極めて理想的な反応だったんだよ」


 


 言葉の端々に込められる“研究者”としての陶酔。

 それは、理沙という存在を“人間”ではなく“現象”として見ている証だった。


 


 理沙は静かに息を吸った。


 そして、まっすぐに青柳を見据える。


 


「私は装置じゃない。名前も、感情も、記録も、私自身のものよ。あなたの実験のために生きてきたわけじゃない」


 


 青柳は、その言葉に微笑を深めた。


「その“反論”すら、待っていた」


 


 次の瞬間、彼の背後の装置が起動音を立てた。


 


 金属の箱の中で、何かが動く。

 それは小型の記憶再構築ユニット――かつてF.F.G.が開発した“感情再生装置”のプロトタイプだった。


 


「見せてあげよう。君の中に残っている、“Re:Kotoha”の最初の記録。それが、どれほど純粋で、どれほど“装置的”だったかを」


 


 青柳が端末を操作すると、部屋の中央にホログラムが浮かび上がった。


 そこに映ったのは、白い空間。

 ガラス越しに、幼い少女がひとり、虚空を見つめていた。


 


 ——その顔は、理沙。だが、名前のない彼女だった。


 


「これは……私……?」


 


 映像の中の少女が、低く呟いた。


 >「おかあさん……って、どんな顔?」

 >「“ことは”って、わたしのなまえ? それとも……だれかの……?」

 >「わたし、だれかに……なりたい……」


 


 理沙の両手が震え始めた。


 


 心の深層に眠っていた“起源の声”が、今、形を持って突きつけられる。


 


 それは、誰にも知られなかった“自分になる以前”の彼女の、原初の感情だった。


 


 だが理沙は、歯を食いしばった。


 


「それでも……今の私は“理沙”よ。あの日、ことはになりたかった“誰か”じゃない。“理沙”として誰かを想って、苦しんで、泣いて、生きてきた!」


 


 ホログラムが消え、青柳の目が細められる。


「……本当に、興味深い。Prototype Risaは、“感情因子の暴走”によって消えた。でも君は、記録がなくても自ら“人格を再構成”した。ならば、君は――Prototype Risaを超えた、“第零世代”と呼ぶべきだね」


 


 琴葉が、理沙の前に立つように進み出た。


「これ以上、彼女に触れさせない。あんたの“研究”はここで終わり」


 


 青柳はゆっくりと手を挙げた。


「いいだろう。だが、その先に待つのは“彼女の崩壊”かもしれない。感情を記録できなければ、いつか心は壊れる。……君に、それを止められるか?」


 


 言い残して、青柳は装置ごと背後の扉へと姿を消した。


 警報のような音が施設全体に響き始める。


 


 涼真が叫ぶ。


「自爆装置だ! 逃げるぞ!」


 


 理沙は最後にホログラムの残光を見つめた。


 名前を知らなかった少女。

 誰かの代わりになろうとした記録。

 それを今、ようやく“自分の中の他人”として見送ることができた気がした。


 


 彼女はつぶやく。


「さようなら、“ことは”。……ありがとう、“わたし”」


 


 そして彼女は、二人とともに闇の中を駆け出した。


 “装置”ではなく、“人間”として。



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