第9話 波乱の訓練場と氷の的
オレとエリス、それにラウルとセリカの4人は、ハンターギルドの裏手にある訓練場へと足を運んでいた。ギルド本館とは別棟になっていて、本館も古びた木造の建物だが、こちらも同じくらい古くて、でも分厚い木材と石材で堅牢に造られている。なぜオレたちがわざわざこんな場所へ来たかというと、話は昨夜に遡る。
◇
ランプの頼りない灯りが揺れる、オレとエリスの借り家のリビング。スノウボア討伐から始まった雪山での一連の出来事と、ギルドでのアーロンとかいう得体の知れない男との遭遇で心身ともに疲れ果てていた夜。そこに、ラウルとセリカが少し慌てた様子で訪ねてきた。
ソファに腰掛けた2人の表情は少し硬かった。特にセリカは、普段の快活さはどこへやら、何か言い出しにくそうにテーブルの木目ばかりを見つめている。ランプの灯りが、心配そうに寄せられた彼女の眉根を照らしていた。
「それで? 何かあったのか? 『相談がある』って言ってたよな?」
オレが作った簡単なスープを2人にも勧めながら、こちらから切り出してみた。エリスもオレの隣で心配そうに頷いている。雪山での過酷な経験を経て、仲間とのこういう何気ない時間の大切さを、改めて感じていた。
オレの言葉に、ラウルが「おうよ!」と無理に明るい声を出したが、すぐにセリカに肘で小突かれた。
「な、なんだよ。じゃあ、セリカから言えよ!」
ラウルに促されたセリカは、ふぅ、と一つ深呼吸すると、意を決したように顔を上げた。その瞳には切実な色が浮かんでいる。
「……実は、ラウルのことで相談があるのよ。もう、本当に困ってるの!」
「え? は? 俺!?」
ラウルが心底意外だという顔で、自分で自分を指差す。
「そうなのよ! この朴念仁が、最近新しい武器の練習を始めたんだけど……それがもう、とんでもなくって!」
セリカが語気を強める。よほどのことらしい。普段ならラウルのこと「バカ」とか「お調子者」で済ますところを、今日は朴念仁とまで言っている。
「新しい武器?」
「ああ、これなんだ!」
ラウルは待ってましたとばかりに、腰のベルトに下げた分厚い革製の専用ホルスターから、鈍い銀色の光を放つ金属製の輪を取り出して見せた。それは、直径20センチほどだろうか、外縁部がカミソリのように鋭く研ぎ澄まされた、美しい、しかし明らかに危険な投擲武器であり、ランプの光を反射して、妖しくきらめいていた。
「それって、もしかして、円月輪か? 聞いたことはあったが、実物を見るのは初めてだ。また珍しいものを……。どこで手に入れたんだ?」
オレがその武器の持つ独特のオーラに少し気圧されながら尋ねると、ラウルは得意げに鼻を鳴らした。
「いやぁ、うちの爺さんがな」
「リオネルさん?」
「そう! ほら、先日の……雪山に行く前? タクマが爺さんのとこ来て、スリングショットの話してただろ? あれ見ててさ。オレもなんかカッコいい中距離武器欲しいなって爺さんに相談したら、『ふむ、それなら昔ヤマトの方で興味深い武器を見てな、自分で試作してみたもんがあるわい』とか言って、倉庫の奥からゴソゴソ引っ張り出してきたんだよ! どうだ、イケてるだろ!」
「マジか、さすがリオネルさん……」
オレは思わず呟いた。それが感嘆なのか、呆れなのか、自分でもよく分からない。あの頑固そうでいて、実は好奇心旺盛で腕の立つ鍛冶屋のおっちゃんなら、確かにやりかねない。ヤマトの文化に触発されていたのかもしれない。
「で、その円月輪がどうしたんだ?」
オレが本題を促すと、セリカが再び深いため息をつき、こめかみを押さえた。
「それがね……練習を始めたのはいいんだけど、投げると勝手に変な方向に曲がったり、急に空中で何かに押さえつけられたみたいに失速したり、とにかく全然制御できないのよ! まるで、見えない何かに邪魔されてるみたいに!」
「はぁ? 見えない何かって……」
「それで、ギルドの訓練場で練習してたんだけど、あちこちにぶつけまくって……! 壁は傷だらけ、備品の木人はボロボロ、挙句の果てには他のハンターに当たりそうになって大騒ぎ! もうギルド中に苦情が殺到してるの。このままじゃ、訓練場から締め出されちゃうわ。それどころか、ヘタしたら降格だってあり得るわ。せっかくD級になれたというのに」
セリカはそこまで一気にまくし立てると、懇願するような目でオレを見た。その赤いポニーテールが、怒りと困惑でわなわなと震えているように見える。
「それでね、タクマ。あなたの収納魔法なら、もし暴発しても、あの円月輪が危ないところに飛んでいく前に収納してパッと消してくれれば、誰も怪我しないし、物も壊れないでしょ? そういうこと、できないかなって……」
(パッと消す、か……。セリカは、オレの収納魔法を瞬間移動か何かのように思っているのかもしれないな。まあ、無理もないか。この魔法の本当の性質なんて、オレ自身ですらまだ掴みきれていないんだから)
オレは内心で苦笑しつつ、セリカの期待に応えられない申し訳なさを感じながら、首を横に振った。
「言いたいことは分かったけど、それができれば確かにいいと思うけど……。残念ながら無理だ。オレの収納魔法は対象物に手で触れる必要がある。明後日の方向に飛んでいってる物を収納するのは、無理だ」
「そ、そうなんだ……。ごめんなさい、私よく分かってなくて、無理なこと言ってしまったのね」
セリカがしゅん、と肩を落とす。その落ち込みように、オレは少し慌てた。
「いや、それはいいんだけど……。まあ、その、なんだ。直接回収はできなくても、何か他に手伝えることはあるかもしれないし」
「……うん。その……できれば一緒に練習見てもらって、何か制御のコツとか、そういうの相談できないかな……? あと……」
セリカは少し言い淀み、声を潜めた。その表情に、わずかな不安の色がよぎる。
「……最近、あの訓練場、なんか妙な気配がする気がするのよ。気の所為かもしれないけど……」
「妙な気配?」
「うん……。うまく言えないんだけど、誰かにじっと見られてるような……? 誰もいないはずなのに、視線を感じる時があるの。それに、時々、風が変な吹き方をする時があるような……。ラウルの円月輪が変な動きをするのも、もしかしたら何か関係があるのかも……」
ラウルは「考えすぎだって、セリカは。オレがまだ下手なだけだよ」と強がって笑い飛ばしているが、セリカの表情は真剣そのものだ。オレもエリスと顔を見合わせる。エリスも何かを感じ取っているのか、白銀の獣耳をぴくりと動かし、少しだけ眉を寄せていた。
(妙な気配……か。円月輪がリオネルさんの作ったものなら、例え試作品だったとしても、ラウルに渡すくらいだ、欠陥品とは思えない。だとすると、セリカの言う通り、ラウルの腕が悪いだけじゃない……のかもしれないな)
「……分かった。とりあえず、明日、訓練場に行ってみよう。オレにできることがあるか分からないけど、見てみないことには始まらないだろ」
「本当!? ありがとう、タクマ!」
セリカがぱあっと顔を輝かせた。その笑顔は、やっぱり太陽のようで眩しい。ラウルも「サンキューな、タクマ! 助かるぜ!」と、今度は素直に礼を言ってきた。
◇
そして今、オレたちは約束通り、4人でハンターギルドの訓練場へとやってきた。訓練場の重い木の扉を開けると、むわりとした空気が流れ出てきた。汗と土埃、使い込まれた革や金属の匂い、そして微かに漂うカビ臭さ。それがこの訓練場特有の匂いだ。
中は予想以上に広かった。だだっ広い土間の空間がメインで、天井は高く、太い木の梁がむき出しになっている。壁際には年季の入った木人や、矢や投擲武器で傷だらけになった的がいくつも並んでいた。奥の方には、剣戟の跡が無数に残る板張りの区画や、魔法練習用だろうか、半透明の結界が張られた小部屋の扉もいくつか見える。高い位置にある大きな窓からは午後の陽光が差し込んでいるが、窓ガラスの汚れと空間の広さのせいか、全体的に薄暗い印象だ。床の土は多くのハンターに踏み固められ、硬くなっている。
普段なら、もっと多くのハンターがここで剣を振るったり、魔法の練習をしたりして活気に満ちているはずだが、今日はなぜか人がまばらだった。数組のパーティが離れた場所で黙々と訓練しているだけで、閑散としていると言ってもいい。
……おそらく、いや十中八九、ラウルのせいだろう。現に、オレたちが入ってきたのを見て、あからさまに眉をひそめたり、ため息をついたりする者もいる。
「よし、見てろよ! 今日こそ、この円月輪を使いこなしてみせるぜ!」
周囲の冷ややかな視線もどこ吹く風、ラウルは持ち前のポジティブさ――あるいは単なる鈍感さかもしれないが――で意気揚々と円月輪を構えた。輝く金属の輪を指先で器用に回転させ、狙いを定める。その姿だけは、やけに様になっているのがなぜか癪に障る。……なぜだろうな?
そして――ラウルが円月輪を投げた!
ヒュンッ! と鋭い風切り音と共に放たれた円月輪は、しかし、数メートルも進まないうちに、まるで目に見えない壁にでもぶつかったかのように、カキン! と甲高い音を立てて不自然に軌道を変え、あらぬ方向――他のハンターが訓練している区画目掛けて飛んでいく!
「あっ! ちょっ! そっちダメ!」
セリカが悲鳴に近い声を上げ、慌てて風魔法《ウィンドカッター》を放つ! 鋭い風の刃が円月輪の軌道を逸らそうとするが、なぜか円月輪はさらに予測不能な動きで弾かれ、近くの木人にガツン! と深々と食い込んだ。木人がぐらりと揺れる。
「あぶねぇな、ラウル! いい加減にしろよ!」
「またやってるのか、お前! こっちは真剣にやってんだぞ!」
「じゃますんなっての!」
他の利用者から、案の定、怒りの声が飛んでくる。ラウルはバツが悪そうに頭を掻いている。
「くそっ! なんでだよ! 今のは完璧だったはずなのに!」
ラウルが悔しそうに叫ぶ。
「完璧なわけないでしょ! やっぱりおかしいわよ、この動き!」
セリカも顔をしかめる。オレもエリスも、その光景を注意深く観察していた。確かに、ただ単にコントロールが悪いだけでは説明がつかないような、奇妙な動きに見える。
「……タクマ、どう思う?」
エリスがオレの袖をくいっと引きながら、小声で尋ねてくる。
「ああ……。下手くそなのは確かだろうけど、それだけじゃないな、これは。セリカの言う通り、何か……見えない力が働いているような……。まるで、誰かが意図的に邪魔してるような……」
「うん……。やっぱりいる。小さいけど、すごく素早く動き回ってる気配がする。風を起こしたり、物に干渉したりしてるみたい。たぶん、一つじゃないかも……」
エリスならではの鋭い感覚が、異変の正体を捉え始めているようだ。一つじゃない? 厄介なことになっていなければいいが……。
ラウルは、オレたちの会話も耳に入らないのか、あるいは聞こえていても無視しているのか、なおも諦めずに円月輪を投げ続けている。だが、結果は同じ。何度やっても、円月輪は意思を持っているかのように不規則に飛び回り、時には投げたラウル自身に戻って当たりそうにさえなる始末だ。そのたびにセリカが悲鳴を上げ、他のハンターから怒声が飛ぶ。訓練場全体の空気が、どんどん険悪になっていくのが肌で感じられた。
「だーっ! もう! なんでなんだよ!」
ついにラウルが癇癪を起こし、円月輪を地面に叩きつけてしまう。その金属音が、がらんとした訓練場に虚しく響いた。
「落ち着きなさいよ、ラウル! やけになったって仕方ないでしょ!」
セリカが宥めるが、ラウルは聞く耳を持たない。完全に逆ギレモードだ。
「うるさい! だいたい、的がないのが悪いんだ! ちゃんとした的さえあれば、俺だって当てられるんだよ! 当てる目標がないからうまくいかないんだ! ただ広いだけの場所だから! 標的さえあればちゃんと!」
……始まった。ラウルの見苦しい言い訳タイムだ。だが、その言葉が、オレの中に一つの考えを呼び起こした。
(的……か。確かに、動かない的があれば、少しはマシになる……かもしれない? そうだ! スノウボアの氷矢! あれ、まだ収納庫に入っているはずだよな? かなりの数が収納されているはず。あれなら、別に壊れたって構わない。氷だから、そのうち溶けて水になるだけだし、ラウルの言う「的」として使えるんじゃないか?)
オレは、肩で息をするラウルと、呆れ顔のセリカ、そして心配そうにこちらを見守るエリスに告げた。
「なあ、ラウル。的が欲しいんだろ? それなら、ちょうどいいのがあるぞ」
「え? なんだよ、タクマ? まさか、お前が的になるって言うんじゃないだろうな?」
怪訝な顔をするラウルに、オレは少しだけ悪戯っぽく笑いかけると、収納庫に意識を向けた。あの冷たく鋭い氷の感触を探り当てる。雪山で収納した、スノウボアの氷矢。数は……正確には分からないが、かなりの数が入っているはずだ。
「まあ、見てろって。的くらい、オレが出してやるよ」
オレはそう言いながら右手を前方に突き出す。
さあ、出てこい! 雪山からのお土産だ!