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第8話 雪解けの帰還と、赤き風の予兆

 エリスが咆哮一つで雪崩を霧散させた、あの現実を超えた光景の後。オレたちは吹きすさぶ風雪を辛うじてしのげる岩陰を見つけ出し、そこで夜明けを待つことにした。消耗しきった身体には、これ以上の移動は酷だった。


 小さな焚き火の心許ない炎が、湿った岩肌を頼りなく照らし、パチパチと音を立てている。吐く息はまだ白い。その傍らには、今は大型犬ほどの大きさになった獣姿のエリス――これが現在の彼女の本来の大きさらしい――が、静かに丸くなって眠っていた。銀色の毛並みが、呼吸に合わせて穏やかに上下している。時折、獣の本能なのか、ぴくりと耳が動くのが見えた。


 オレは火の番をしながら、燃えさしをいじっていた。眠っているエリスを起こさないように注意しながら、そっとその毛並みに触れてみる。指がふわりと沈み込む、信じられないような柔らかさと、生きている確かな温もり。さっきまでの死闘と恐怖が遠いことのように感じられる、束の間の静寂だった。


 冷たい岩壁に背を預け、オレは空を見上げた。岩の隙間から見える夜空には、まるで手が届きそうなほど近くに、無数の星が瞬いていた。凍てつくように澄んだ空気の中、星々は撒き散らしたダイヤモンドのように鋭く輝いている。


(ブースト……一時的に成体の力を引き出す代わりに、消耗も激しい……か)


 眠る前に念話で聞いた内容を反芻する。エリスの獣形態は以前にも見たことはある。けれど、あのような成体の姿は初めて見た。まさに神殿に飾ってある絵そのものの神々しい姿だった。そして、エリスはオレを守るため、あんな無茶をした。その事実に感謝すると同時に、自分の不甲斐なさが胸を刺す。


(そして、オレの収納魔法……)


 エリスの「雪崩も収納できたんじゃない?」という言葉が、蘇る。動く氷の矢は触れることで収納できた。巨大なサイクロプスの亡骸も収納できた。オレの収納魔法の『容量』は、オレが思っているよりもずっと大きいのかもしれない。接触さえすれば……あるいは、エリスの言う通り、あの膨大な量の雪や氷でさえも……?


 もし本当にそんなことが可能なら、オレの力は……。自分の力が、まるで底の知れない、未知の深淵のように感じられた。それは希望の光であると同時に、得体の知れない力への畏怖も感じさせた。この力をもっと理解し、制御できれば……。星空の無限の広がりが、まるで自分の可能性を示唆しているようで、オレは静かに息を吐いた。


 そんなことを考えているうちに、星々の輝きが薄れ、東の空が白み始めた。夜明けの最初の光が雪と岩肌を淡く、そして静かに照らし出す。空気はまだ冷たいが、昨日までの刺すような厳しさは少し和らいだ気がした。


「……エリス、朝だ。起きれるか? 行けるか?」


 オレが軽く触れながら声をかけると、エリスは身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。すぐに眩い光と共に人型に戻る。やはり顔色はまだ優れず、少しふらついている様子だった。


「……うん。ありがとう、タクマ」


 弱々しく微笑む彼女を見て、オレは改めて決意を固めた。せめてアスターナまでは、今度はオレが彼女を守り抜くんだ、と。


 焚き火を丁寧に消し、エリスの肩を支えて立ち上がる。


「無理するなよ。ゆっくり行こう」


「うん」


 二人だけの、静かな帰路が始まった。


 ◇


 雪山を下る景色は、登りの時とは違って見えた。降り積もっていた雪は暖かな陽光を浴びてキラキラと輝きながら解け始め、地面からは湿った土の匂いが立ち上り、気の早い草の芽が顔を覗かせている場所もあった。雪解け水がせせらぎとなり、春の訪れを告げる軽やかな音を立てている。厳しい冬が終わり、新しい季節がすぐそこまで来ていることを感じさせた。


 オレは先導し、ぬかるむ道で、少しでもマシな足場を探しながら、エリスの手を取り、時には肩を貸して、慎重に歩を進めた。本調子ではないエリスは、それでも時折冗談を言ったり、オレのぎこちないエスコートにクスクス笑ったりして、努めて明るく振る舞ってくれた。


「ねぇ、タクマ。昨日のサイクロプス、ちゃんと収納できてる?」


「ああ、まあ一応な」


「どうするの? 換金する?」


「……B級モンスターの素材って、どれくらいで売れるもんなんだろうな?」


「きっとすごいよ! 見たことないくらい、すごいお金になるんじゃない?」


「かもな。でも、どうやって手に入れたかなんて、説明できないだろう? エリスが一撃で倒しました! なんて、口が裂けても言えないぞ?」


「それは……うぅ……もったいない。お金がいっぱい入れば、肉じゃがいっぱい食べれるのに!」


「肉じゃが……?」


「ほら! 最近ギルドの酒場のメニューに追加された料理だよ。ヤマト料理の!」


「ああ、あれか。って、やっすいな、おい!」


「美味しいからいいの! タクマだって、コロッケ美味しそうにいくつも食べてたじゃない」


「コロッケ……。ああ、あれは美味かった。トマトソースにからめると絶品だったな」


「あれもヤマト料理だよ!」


「そうなんだ。また食べたくなってきた」


「ふふふ。アスターナに帰ったら、また食べに行こう?」


「ああ、もちろん!」


「……サイクロプスもさ」


「ん?」


「タクマならきっと、いつか単独で倒せるようになるよ! ぜったい!」


「……だといいな」


「ぜったいなる! 私には分かるもん! だから、昨日のサイクロプスはそれまでタクマの収納庫ストレージの中で封印だね。そのときになったら、昨日のサイクロプスもしれっと一緒に出して換金して、二人でお腹いっぱい、肉じゃがとコロッケを食べよ! 約束だよ!」


「……ああ、そうだな!」


 エリスの言葉に、オレは力強く頷いた。いつか来るその日のために、強くならなければ。


 昼過ぎ、オレたちは雪山の麓にある村の一つに立ち寄った。スノウボアの被害があった村だ。家屋の一部が壊された痕跡が生々しく残っていたが、村人たちは協力し合い、槌音つちおとを響かせながらたくましく復旧作業にあたっていた。陽光の下、額に汗して働く彼らの姿は力強い。


 オレたちがギルドから派遣された討伐隊のハンターだと知ると、彼らは何度も頭を下げて感謝の言葉を口にし、温かい飲み物まで振る舞ってくれた。そして、討伐隊の他のメンバーも昨日のうちに無事に村を通過し、皆アスターナへ向かったことを教えてくれた。それを聞いて、オレたちは心から安堵した。


 幸運なことに、村にはアスターナ行きの乗合馬車がちょうど出発するところだった。エリスの体調を考慮し、オレたちは迷わずそれに乗り込むことにした。御者に銀貨を渡し、狭い車内へと身体を滑り込ませる。


 ガタゴトと揺れる馬車の中は、他の乗客もいて決して快適ではなかったが、歩き続けるよりはずっと楽だった。硬い木の座席に揺られながら、馬車の窓から遠ざかる雪山を眺める。車輪の音と、時折聞こえる御者の掛け声。過酷な非日常から、慣れ親しんだ日常へとオレたちを運んでいく。


 隣でエリスはすぐにオレの肩にもたれて眠ってしまった。その穏やかな寝顔を見ながら、オレはアスターナでの討伐隊の仲間との再会と報告に思いを馳せる。そして、収納魔法の未知の可能性を、もう一度、静かに反芻はんすうしていた。


 ◇


 夕方、アスターナの北門に到着した。眠っているエリスを優しく起こし、乗合馬車を降り、肩を支えながら慣れた道をギルドへと向かう。北門をくぐると、久しぶりに嗅ぐ街の空気が肺を満たした。土と緑と、市場の活気、そして人々の生活の匂いが混じり合っている。


 見慣れたハンターギルドの重厚な扉を押し開け、二人で中へと足を踏み入れた瞬間、ざわついていたホールが一瞬、水を打ったように静まり返った。そして次の瞬間、その静寂は驚きと安堵のどよめきに変わった。


「おおっ!?」

「戻ったぞ! 生きてた!」

「タクマとエリスちゃんだ!」


 ホールにいた全てのハンターたちの視線が一斉にオレたちに突き刺さる。その数に圧倒されながらも、オレたちはカウンターを目指した。近くにいた数人のハンターが駆け寄ってくる。


「無事だったのか、二人とも!」

「最後の二人だったんだ! 心配したんだぞ!」


 どうやら、オレたちが本当に最後の安否不明者だったらしい。その事実に、皆に多大な心配をかけてしまった申し訳なさと、連絡の一つでも入れるべきだったという反省が込み上げてくる。それと同時に、こんなにも多くの人々が自分たちのことを気にかけてくれていたという事実に、胸の奥がじんと熱くなった。


(こんなに……オレたちのことを……。昔の、誰からも期待されず「お荷物」扱いだった頃を思うと、なんだか……嬉しいような、照れくさいような、落ち着かない気分だ……)


 込み上げてくる感情をどう処理していいか分からず、うまく表情も作れないまま、オレはただ戸惑うように立ち尽くしていた。


「おい、誰かギルマス呼んでこい! ゴードン隊長もだ!」


 誰かの声が響き、ホールは歓迎の熱気に包まれた。オレたちは驚きと感謝の声を上げる人垣をかき分けるようにカウンターへ向かう。


「タクマさん! エリスさん!」


 どこからともなく現れたティアさんが、満面の笑みを浮かべ、その大きな瞳に綺麗な涙をいっぱいに溜めながら駆け寄ってきた。心からの安堵と喜びが溢れ出ている、そんな表情だった。


「よくぞご無事で……! 本当によかった……!」


「ティアさん、心配かけてすみません。オレたちは大丈夫です」


「心配かけてごめんね」


 エリスも力強い笑顔で答える。すぐにゴードン隊長を始めとする討伐隊の仲間たちも集まってきて、オレたちを囲んだ。


「よくやった、タクマ! お前のあの魔法、すごかったぞ!」


「エリス嬢も! 最後のリーダー格への一撃は見事だった!」


「本当に助かったんだから!」


 仲間からの賞賛の言葉が次々と降り注ぐ。顔が熱い。嬉しい、というよりも、くすぐったいような、むず痒いような感覚。それでも、確かに感じていた。「お荷物」ではない、仲間として認められたという確かな手応えを。


 やがて駆けつけたギルドマスターに改めて報告を済ませ、報酬を受け取った。それぞれ金貨二枚と、銀貨数十枚ずつ。D級ハンターとしては破格の報酬だ。その確かな重みが、今回の任務の苛酷さと、そして自分たちが成し遂げたことの証のように感じられた。


 ようやく終わった。あとは家に帰ってゆっくり……。仲間たちへの挨拶もそこそこに、ギルドを出ようとした、まさにその時だった。


 ギルドの入口が、にわかに騒がしくなった。「おい、あれって……」「『紅い風』の連中か……」という周囲の囁き声が聞こえる。屈強な男たちが数人、周囲を威圧するように入ってきた。その中心から一人の男が悠然と歩み出てきた。


 スキンヘッド。長身で、鍛え上げられた肉体。鋭いダークブラウンの瞳。


(『紅い風』? そうか、あいつが……ティアさんの言ってた、アーロンか)


 さっきまでの歓迎ムードは一瞬にして消え去り、ホールは再び緊張した静寂に包まれた。アーロンは、周囲のハンターたちが向ける警戒や敵意の視線など全く意に介さず、まっすぐにオレたちの方へと歩いてくる。そして、オレとエリスの数歩手前で足を止めた。


 その鋭い視線が、まずオレを値踏みするように捉え、次に隣のエリスへと移る。エリスに向けられた瞬間、その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、何か捉えがたい複雑な色がよぎったように見えた。だが、それはすぐに消え去り、感情の読めない冷徹な光に戻る。


 アーロンの隣にいた、ひときわ柄の悪い、チンピラのような風貌の男が、エリスを見て下卑た笑いを浮かべた。


「へっ、なんだこの獣人の嬢ちゃんは。リーダー、なかなかの上玉じゃねえすか? 俺たちのクランに引き入れて可愛がってやりま――」


 その言葉が終わる前に、アーロンが無言でその下っ端を一瞥した。蛇に睨まれた蛙のように、下っ端は凍りつき、慌てて口をつぐんだ。


 エリスは、その下っ端の言葉には眉一つ動かさなかった。まるで道端の石ころでも見るかのような冷たい視線を一瞬向けただけだ。だが、アーロン本人から発せられる尋常ならざる気配には強い警戒を示し、オレのすぐ隣、半歩前に立つ。その大きな黒い瞳には「タクマに何かしたら許さない」という強い意志が宿っているのが分かった。


 アーロンは下っ端には構わず、改めてオレに向き直った。その口元には、どこか面白がるような、薄い笑みが浮かんでいる。


「ほう、お前が噂の『お荷物』か? みんなの荷物を便利に出し入れするだけかと思えば、今回の雪山では面白い芸も見せたそうじゃないか。クリス……いや、エリス、だったか? その嬢ちゃんにくっついてるだけの男と聞いていたんだが……」


 お荷物……!


 その言葉が、まるで鈍器のようにオレの頭を殴った。忘れたくても忘れられない、忌まわしい過去のレッテル。仲間たちに認められ、ようやく自信を取り戻しかけていた、まさにその瞬間に……! 怒りで目の前が赤く染まり、全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。


「なっ……! 誰がお荷物だ!」


 オレは睨みつけ、反射的に言い返していた。怒りで声が震えているのが自分でもはっきり分かる。


 アーロンは、オレの反応を待っていたかのように、ククッと喉の奥で笑った。


「威勢だけはいいな、坊や。……お前、俺の『紅い風』に入れ。その便利な魔法、俺の下でならもっとマシな使い道が見つかるかもしれんぞ?」


 突然の勧誘。侮辱的な言葉の後に?


「――断る!」


 オレは、即座に、きっぱりと拒絶した。


「あんたみたいな奴の下につく気はない! それに、オレたちはどこのクランにも入るつもりはない!」


「ほう? なぜだ?」


 アーロンが、心底意外だというように、わずかに眉を上げる。


「クランに入れば……色々と面倒だろうが」


 オレは言葉を濁す。確かに、大きなクランに入れば情報収集だって楽になるだろうし、仲間同士で助け合える利点もあるだろう。ギルドで回ってくるより割の良い依頼だってあるのかもしれない。


 だが、それ以上にデメリットが大きすぎる。クランに所属すれば、必然的に他のメンバーと四六時中顔を合わせることになる。クエストだって共同作業が増える。そうなれば、エリスの秘密が……彼女の正体がバレるリスクが格段に高まる。そんな危険は絶対に避けなければならない。


 まあ、今までオレ自身の戦闘力が低すぎて、どこからも誘われることなんてほぼなかったから、断る機会もあまりなかったんだが……。


「……なるほどな」


 アーロンは、オレの返答に含まれた何かを正確に読み取ったのか、あるいは単にオレという人間に興味を失ったのか、ふっと表情を消した。探るような視線が、もう一度オレとエリスの間を行き来する。


「まあいい。……クク、だが俺様に向かってその反骨心。いいな、お前。なかなか見どころがありそうだ。気に入った。名は?」


 その尊大な態度に、オレはさらに反発心を覚える。


「……人に名前を聞く前に、自分が名乗ったらどうだ?」


 我ながら無茶な返しだと思ったが、言葉はもう口をついて出ていた。周りのハンターたちが息を呑む気配がする。


 だが、アーロンは怒るどころか、さらに面白そうに口の端を吊り上げた。


「いいな。ますます気に入った。俺はアーロン。クラン『紅い風』のアーロンだ。で? お前の名は?」


「タクマだ」


「覚えておくぞ、タクマ」


 その時、アーロンの後ろに控えていた女性三人組――おそらく『紅い風』の幹部クラスなのだろう、他の男たちとは明らかに違う、鋭い雰囲気を纏っている――の内の一人がアーロンに近付き、何か小声で耳打ちをした。


「……ふん、一応目的の情報は得られたか」


 アーロンは、そう小さく呟くと、最後にエリスに向けて、何かを確かめるような、あるいは値踏みするような一瞥を投げかけ、そしてくるりと背を向けた。


「タクマ、気が変わったら、いつでも声をかけろ」


 その言葉を残し、アーロンは部下を引き連れ、現れた時と同じように、周囲の空気を圧するような威圧感を放ちながら、悠然とギルドを去っていった。


 嵐が過ぎ去った後のように、ギルドホールには重苦しい沈黙と、不穏な空気が漂っていた。多くの疑問符が頭の中を飛び交う。そして、オレの胸の中には、仲間への感謝とは全く違う種類の熱いもの――アーロンへの言いようのない怒りと、エリスを守り抜くための、そして自分自身が強くなるための、新たな決意が渦巻いていた。


 ◇


 自分たちの借り家に帰り着いた時には、もう日はとっぷりと暮れ、空には一番星が瞬いていた。古びた木造の二階建て。決して立派ではないが、オレたちにとってはかけがえのない拠点だ。街の中心部の喧騒もここまで来ると遠のき、静かな夜の帳が辺りを包んでいる。窓からは、ランプの温かい灯りが漏れていた。


 エリスは、ギルドでの一件もあってか、さすがに疲労困憊といった様子だった。オレは彼女をリビングの古びたソファに座らせると、収納庫ストレージから取り出した干し肉と根菜を使って、簡単なスープを作り始めた。エリスは最初、「私がやるよ、タクマは座ってて」と言い張ったが、「こういう時くらい、オレに任せろって」と半ば強引にキッチンに立った。これも、ほんの小さな一歩かもしれないが、彼女を守るための、オレなりの決意表明のつもりだった。


 ことことと、鍋の中でスープが煮える穏やかな音だけが、ランプの灯る静かな部屋に響いている。


「……あのアーロンって奴、なんなんだよ、一体」


 野菜を切りながら、怒りが再び込み上げてきて、オレは思わず呟いていた。「お荷物」……あの言葉が、耳の奥で不快な残響のように繰り返される。握りしめた包丁の柄が、ミシリと音を立てた。


「うん……なんだか、すごく嫌な感じがした……。それに、あの目……タクマを見る目も、私を見る目も……何か、普通じゃなかった」


 ソファから、エリスが不安そうに眉を寄せて呟く。彼女もまた、アーロンの異様な雰囲気を敏感に感じ取っていたのだろう。


「クランへの誘いも、絶対に何か裏がある。とにかく、あの男には関わらない方がよさそうだ」


「うん……そうだね……」


 今日のギルドでの出来事が、オレの中で新たな決意をより強固なものにしていた。エリスを守る。何があっても。そのためには、もっと強くならなければならない。あのアーロンとかいう得体の知れない男にも、これから現れるかもしれない、どんな脅威にも屈しないだけの力がいる。そして、そのための鍵は、間違いなくオレの『収納魔法』にあるはずだ。


(もっと、この力を知らなければ。もっと、使いこなせるようにならなければ……!)


 オレが静かに闘志を燃やしていると、スープのいい匂いに誘われたのか、エリスがソファから静かに立ち上がり、キッチンにいるオレのそばまでやってきた。そして、そっとオレの手の上に、自分の小さな手を重ねてきた。


「大丈夫だよ、タクマ。私がついてる。それにね、タクマはもう、十分強いよ。私は知ってる」


 重ねられた手の温かさと、ランプの灯りを映して真っ直ぐにオレを見つめる彼女の瞳に、ささくれ立っていた心が、少しだけ凪いでいくのを感じた。そうだ、オレは一人じゃない。この温もりを守るためにも、強くならなければ。


 出来上がった熱いスープを、二人でテーブルについて静かに啜っていると、不意に、コンコン、と控えめなノックの音が扉から聞こえた。


「ん? 誰だ、こんな時間に」


 もう訪問者の来るような時間ではない。訝しみながらドアを開けると、そこには見慣れた二つの顔があった。


「よう、タクマ! エリスちゃんも! 無事だって聞いて、安心したぜ!」


「もう、ラウルったら、大声出さないの! ……二人とも、お帰りなさい。本当に、大変だったんでしょ? ギルドで聞いたわ」


 金髪碧眼イケメンのラウルと、赤毛のポニーテールがトレードマークの、しっかり者のセリカだった。彼らは今回のスノウボア討伐には参加していなかったが、ギルドでの騒ぎや街の噂で、オレたちが相当な修羅場を潜り抜けてきたことは知っているのだろう。


「ああ、まあな。お前らこそ、変わりなさそうで何よりだ」


「おうよ! 俺たちはいつも通りさ! ……それでな、タクマ。実は、お前に折り入って相談があって来たんだ。疲れてるところ本当に悪いんだけどさ」


 ラウルが、いつもの軽口とは少し違う、改まった様子で切り出した。どうやら、ただオレたちの安否を確認しに来ただけではないらしい。新たな日常は、もうすでに始まろうとしていた。



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