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第7話 絶望の洞窟、覚醒の予兆、そして白銀の咆哮

 サイクロプス……! 見つけられた!


 オレたちの匂いを辿ってきたのか、それともオレたちの声が外に漏れていたのか……もうそんなことはどうでもいい。B級モンスターが、オレたちの隠れ場所であるこの小さな洞窟の入口を塞ぐように立ちはだかっている。その巨大な一つ目が、洞窟の中を覗き込み、オレたち二人を……獲物として、確かに捉えた。


「グルオオオォ……!」


 低い唸り声と共に、サイクロプスが巨大な腕を洞窟の中にねじ込もうとしてくる。だが、入口が狭すぎてその巨体は入れないようだ。業を煮やしたのか、今度は手に持っていた棍棒で入口周りの岩を殴りつけ始めた。


 ガンッ! ドゴォン!


 凄まじい衝撃音と共に、洞窟全体が激しく揺れる。天井から土や小石がパラパラと降り注ぎ、壁にはミシミシと嫌な音が響き、亀裂が走る。


(まずい。このままじゃ生き埋めだ)


 狭い空間による閉塞感。いつ崩落するかわからない天井。そして入口を塞ぎ、破壊しようとする巨人。三重苦が、再びオレの心を恐怖で染め上げようとする。雪原でゴードン隊長の散開命令を聞いた時に逆戻りしたかのような、あの悪夢の残滓が蘇りかける。


(しっかりしろ、オレ……!)


 歯を食いしばり、震える足に力を込める。そうだ、さっきスノウボアの群れと戦った時、オレは確かに自分の力で仲間を守れたじゃないか。あの時の手応えは本物だったはずだ。もう、ただ守られるだけの「お荷物」じゃない!


「タクマ、ここから出るよ!」


 隣でエリスが鋭く、しかし落ち着いた声で言った。彼女は冷静に状況を分析していた。洞窟内での戦闘は不可能、このままではサイクロプスに入口で暴れられ、崩落に巻き込まれる。脱出しかない、と。


(そうだ、出るんだ。そのためには、どうすれはいい? どうすれば……)


 恐怖を振り払い、必死に思考を巡らせる。サイクロプスは入口にいて、その巨体ゆえに入ってはこれない。そこへ、ただ闇雲に飛び出せば棍棒で叩き潰されるだけだ。隙を作らなければ……。そうだ、あれだ! さんざんオレたちを苦しめてくれた、スノウボアの氷の矢!


「エリス! スノウボアの氷の矢、覚えてるか? あの程度の威力と大きさでいい。あれを真似できないか?」


「できると思う……うん! できるよ!」


「よし! ならそれをあのデカブツの目に連続で撃ち込んで怯ませる。その隙に外へ出るぞ!」


 オレの提案に、エリスは即座に目を輝かせた。


「うん、分かった! 任せて!」


 そのあまりに元気良すぎな返事に、逆にオレは焦る。こいつ、またやりすぎるんじゃ……!?


「ま、待てエリス! いいか、絶対にやりすぎるなよ? 本当にあのスノウボアの氷の矢程度でいいんだからな? D級ハンターレベルで頼むぞ? いいな? 分かってるな?」


 オレの切羽詰まった声に、エリスは「むぅ、分かってるってば!」と少し頬を膨らませながらも、素早く入口に向き直る。


 刹那、彼女の伸ばした右手の先に鋭い氷の矢が3本、スノウボアのとほぼ変わらぬ大きさで生成された。……ような気がした。


(気の所為か? なんかスノウボアのより、ちょっと長くて、ちょっと太くて……。いやでも、これくらいなら誤差範囲か? でも、妙に冷気を纏ってないか……?)


 さらにエリスは左手も伸ばし、その先にも3本の氷の矢を生成してみせる。


(ん? ちょっと待てエリス、スノウボアは一度に3本だったはず。お前それ……)


 ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!


 思考する間もなく、計6本の氷矢が射出され、その全てが見事にサイクロプスの単眼とその周辺に突き刺さる。


「グオオオッ!?」


 巨人が顔を押さえて苦悶の叫びを上げ、たたらを踏むように後退する。


「今だ!」


 エリスの攻撃方法に、いろいろ思うところが無いわけではないが、今は脱出が先だ。オレの叫びを合図に、二人で駆け出し、崩れ落ち始めた洞窟から雪原へと転がり出た。背後でガラガラと岩が崩落する音が響く。間一髪だったようだ……。


 岩場のふもと辺り、白い雪が広がるだけの開けた場所。息をつく間もなく、エリスが素早く立ち上がり、周囲の気配を探る。オレも必死に辺りを見回す。


「近くには誰もいないようだ。エリスのほうは? どうだ?」


「うん。たぶん、誰もいない。みんな、ちゃんと逃げられたんだと思う」


 エリスの報告に安堵するが、すぐに背後から地響きと共に、激昂したサイクロプスの雄叫びが迫ってきた。傷つけられた単眼は赤く充血しているようだ。憎悪に満ちた視線でオレたちを睨んでいると感じるのは、きっと気の所為じゃないだろう。


「タクマ、どうする?」


「どうするって……」


 みんなの後を追って撤退……したいところなんだが、この雪深い中を、サイクロプスから逃れられるのか? エリスなら余裕かもしれないが、オレは……残念ながら自信はない。


(なら、どうする?)


 思いつく手段は、そう多くはない。自然と、オレの視線がエリスに向く。それは、期待を込めた視線だったのかもしれない。


 エリスがコクリと頷く。


「できるよ。大丈夫」


 ゴクリと、思わず喉が鳴る。


 それしかない……か。この場を逃れるには。生き残るには。背に腹は代えられない。


 エリスの攻撃魔法に頼るしか、ない。


「頼めるか?」


「うん! 任せて!」


 エリスが自信満々に頷く。


「だがエリス、どうするつもりなんだ? さっきの氷の矢じゃ、怯ませるのがやっとだったろう?」


「ファイアアローなら、頭を狙えばたぶん一撃だよ!」


 ファイアアロー? それなら以前、同じD級のセリカも使ってたし、一般的な魔法だ。


「……そうか、ファイアアローなら……。よし、それで頼む!」


 オレが承知すると、エリスは嬉しそうに「了解!」と返事してサイクロプスに向き直った。


 さすがにB級モンスター相手に一撃とはいかないだろうが、エリスなら………………一撃? ちょっと待て? 今、エリスは一撃だって言ったか?


「お、おいエリス? 頼むぞ? 頼むから……やりすぎるなよ? もしかしたら周りに誰かいるかもしれないし、オレたちの……いや、お前の秘密は……」


 普段、エリスには攻撃系の魔法は控えてもらっている。というか、原則オレの承知なく使うなと言ってある。


 理由は単純明快。


 やりすぎるからだ。どうも手加減というものが苦手らしく、D級レベルどころか、人のレベルを超えかねない攻撃魔法をあっさりと放ちかねないからだ。そんなの、他のハンターたちがいる前で使わせるわけにいかない。


 オレの必死の懇願に、エリスは「むぅ」と不服そうな顔をする。


「分かってるもん! 大丈夫! 一瞬で終わらせるから!」


 一瞬で? いや、それ、どう考えても手加減する気がないように聞こえるんだが? 何が大丈夫なんだ? 一瞬であればいいという話じゃないんだぞ?


 ファイアアローなら、D級ハンターも普通に使う魔法だから派手すぎずに済むかもしれないと思ったのに、その考えは早計だったのかもしれない。冷や汗が止まらないのは、何故だろう? 何故なんだろう?


 焦るオレをよそに、エリスは自信満々に、右手を高く掲げた。


 そして、オレの目の前に現れたのは――燃え盛る、巨大な炎の矢。


 ……は?


 いや、でかい、でかいって! 明らかにオレが知っているファイアアローじゃない。以前見たセリカのファイアアローの優に3倍はあるぞ、これ。


「お、おいエリス? エリスさん? ちょっと待て、その大きさはいくらなんでも……威力は抑えろって言っ――」


 オレの制止の声などまるで意に介さず、エリスは悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑い、腕を振り下ろす。


「穿て! 《ファイアアロー》!」


 ゴォォォッッ!!


 灼熱の矢が、もはや砲弾のような轟音と共に放たれた。それは一直線にサイクロプスの巨体の頭部へと突き進み――


 ドッゴォォォン!!


 一撃で、その頭部を貫き、大穴を空けていた。


 巨体が、まるで糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ち、雪原に大きな音を立てて倒れ伏す。そして、二度と動かなくなった。


 ……瞬殺。文字通りの、瞬殺だった。


 オレが呆然と立ち尽くしていると、エリスが満足げに振り返り、キラキラした瞳で寄ってきた。


「やったよ! タクマ!」


 その顔には「褒めて! 褒めて!」と書いてある。耳も尻尾も、喜びを隠さずにピコピコ、フリフリと揺れている。


 ……いや、「やったよ!」じゃなくてだな!


 オレは我に返り、エリスの両肩を掴んで詰め寄った。


「おまっ……! いつも言ってるだろ! 人間の常識を超えた力を使うなって! あのファイアアローはなんだ!? どっからどう見ても普通の威力じゃなかったぞ!?」


 オレの剣幕に、エリスは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにぷくーっと頬を膨らませた。


「えー、これくらい普通だよ! 私、これくらいの見たことあるもん!」


(ホントかよ……絶対嘘だろ……。どこで見たって言うんだ……)


 オレは深いため息をついた。こいつの「普通」は、まったく普通じゃないんだ……。


 口喧嘩もそこそこに、オレたちは改めて巨大なサイクロプスの亡骸を見上げた。B級モンスターの素材は高値で売れるだろうが、この状況で解体なんてしている暇はないし、そもそもどうやって手に入れたんだって話になると説明ができない。それに、この亡骸を放置しておくのは、新たなモンスターを呼び寄せる原因にもなりかねない。


「……どうすっかな、これ。こんなところにB級モンスターの死体、放置しとくわけにも……いや、もう放置しかないのか?」


 オレが途方に暮れていると、エリスがけろっとした顔で言った。


「タクマの収納庫ストレージに入れとけばいいんじゃない?」


 その言葉に、オレは呆れて言い返す。


「馬鹿言うな。こんな山みたいにデカいのが入るわけないだろ。オレの収納庫ストレージはそんなでかく……」


 そこまで言って、オレはふと言葉を止め、しばし考える。


「……そう言えば、自分の収納庫ストレージの容量の限界って、試したことない……かも?」


 オレの呟きに、エリスは「でしょ? やってみなよ!」と無邪気に背中を押してくる。あるいは、何かを確信しているかのような……? いや、まさかな。


 半信半疑。まさか、とは思う。でも、もし……万が一……。


 オレは意を決し、サイクロプスの亡骸に恐る恐る右手で触れた。そして、意識を集中し、収納魔法を発動する――


 ズンッ……!


 手のひらに、今まで感じたことのないような、強烈な抵抗感が伝わってくる。まるで、分厚いゴム膜を無理やり押し破ろうとしているような、あるいは、空間そのものが悲鳴を上げているような……?


(やっぱり、無理か……?)


 諦めかけた、その時――


 ズズズ……ンッ!


 抵抗感が、まるで堰を切ったようにふっと消え、代わりに、巨大な質量が確かにオレの収納庫ストレージへと吸い込まれていく感覚を覚えた。


 目の前から、山のようなサイクロプスの亡骸が……消えた。


「マジか……。入った……入りやがった」


 オレは、自分の手のひらと、さっきまで巨体が横たわっていた雪原を交互に見比べ、完全に絶句していた。信じられない。オレの収納魔法に、こんな……こんな巨大なものまで入るだけの『容量』があったなんて……。


 驚き。自分の未知の力への畏怖。そして、ほんの少しの……可能性への興奮。様々な感情が、オレの中で渦巻いていた。


 オレがその衝撃に打ち震えている、まさにその時だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


 腹の底まで響き渡るような轟音が、空気を引き裂いた。同時に、立っているのがやっとの激しい揺れが足元を襲う。


 山が、鳴動している? 地震か? いや、違う! この音と揺れは真下からじゃない。空から……? いや、もっと――遥か上方、山全体から響いてくるような、全てを飲み込まんばかりの圧力を伴って……


 オレとエリスは弾かれたように顔を上げ、音の震源――雪を頂いた山の斜面、その遥か上方へと視線を向けた。


 そこでは――視界の端に、白い何かが、まるで生き物のように、異常な速度で膨れ上がりながらこちらへ迫ってくるのが見えた。


「……嘘、だろ……」


 見上げた先、はるか上方の雪庇せっぴか、あるいはあのファイアアローの余波も含めて先ほどの戦闘の衝撃か、その前の複数のサイクロプスとの戦闘の影響もか、ともかく不安定になっていた遥か上方の広大な斜面が、まるで眠りから覚めた巨大な獣のようにうごめき、雪と氷、岩石を巻き込んだ大規模な崩落を開始したのだ。


 純白の『絶望』が、山肌を無慈悲に削り取りながら、こちらへと雪崩れ落ちてくる。それはもはや自然現象ではなく、全てを飲み込み砕き尽くさんとする、圧倒的な質量を持った破壊の意思そのものだった。


 ゴウゥゥと地獄の釜が開いたような轟音が耳を塞ぎ、足元から内臓を揺さぶるほどの激しい地響きが思考を奪う。猛烈な雪煙が瞬く間に視界を白く染め上げ、肌を切り裂くような死を運ぶ風圧を叩きつけてくる。


 逃げ場など、どこにもない。このだだっ広い雪原には、身を隠す遮蔽物一つありはしない。人の力が、技術が、あまりにも無力に感じられる。


(ああ、今度こそ、終わりかも……)


 諦めにも似た感情が心をよぎり、顔が引きつった、その時。


 絶望に染まりかけたオレの視界を、鮮やかな白銀が遮った。エリスが、まるで風のようにオレの前に滑り込み、迫りくる純白の絶望へと、その華奢きゃしゃな体で立ちはだかる。迷いも、恐れも感じさせない、ただ強い意志だけを宿した後ろ姿。


「タクマ、伏せてて!」


 普段の甘さは微塵もない、鋼のような響きを持つ声。振り返った彼女の瞳には、揺るぎない決意と、そして普段のエリスからは想像もつかないほどの強い、神聖さすら感じさせる光が宿っていた。


 ――まさか、アレを使う気か!?


 オレは息を呑んだ。彼女が何をしようとしているのか、それをすぐに理解できたからだ。


 次の瞬間、エリスの華奢な体から、その内側から溢れ出すように眩い白銀の粒子が放たれる。それは雪崩の轟音すら掻き消すほどの神々しい輝きであり、周囲の雪煙を一瞬にして吹き払う強大な力の顕現だった。粒子は光となり、光は天を衝く柱へと変わる。その中で人ならざるものの巨大な輪郭が一瞬、幻のように揺らめいた。


 パァンッ! と弾けるような清浄な音と共に、光の奔流が最高潮に達し、凄まじい風圧がオレの体を打ち付けた。


 やがて光が収まった時――そこに立っていたのは、もはや見慣れた獣耳娘ではなかった。


 大地を踏みしめ、天をも睥睨へいげいする、巨大な四脚の獣。


 月光をそのまま練り上げたかのような神々しい白銀の毛皮が全身を覆い、磨き上げられたサーベルのごとき長大な牙が上顎から鋭く伸びている。その黒曜石みたいな瞳は、先ほどのエリスと同じ強い光を宿しながらも、より深遠で、絶対的な力を感じさせた。


 その威容、その気配は、まさしく――神代の伝説にうたわれるS級モンスター、白銀の獣、バハムート!


 知っていたはずの姿。だが、開けた雪原の上で、死をもたらす雪崩を前にして対峙するその姿は、以前見た時とは比較にならないほどの神々しさと、同時に畏怖すべき圧倒的な存在感を放っていた。


 バハムートとなったエリスが、迫りくる雪崩の濁流の真正面に、敢然と立ちはだかる。その白銀の巨躯が淡く光を発し、黒き瞳が雪崩の核心を射抜いた。そして、天と地を揺るがすほどの――いや、世界そのものを震わせるかのような絶大な咆哮を放つ。


「ゴオオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!!」


 それは、単なる音ではなかった。バハムートから発せられた目に見えるほどの衝撃波が爆発的に広がり、物理的な破壊力を持った力の奔流となって突き進む。


 音圧と衝撃波で大気がビリビリと震え、眼前の空間がガラスのようにヒビ割れていく錯覚さえ覚える。


 そして、オレたちを飲み込もうと迫っていた雪と氷の巨大な壁が、その咆哮に真正面から打ち砕かれ、まるで太陽に触れた雪のように瞬時に蒸発し、光の粒子となって霧散していく。


 天災すらも、力ずくで捻じ伏せる絶対的なパワー。


(これが……エリスの……バハムートの力……)


 オレは風圧に耐えながら、その現実離れした光景をただ見つめることしかできなかった。知っていたはずの力。だが、その本当のスケールを目の当たりにして、改めて戦慄を覚える。安堵と共に、この力を隠し続けることの困難さ、秘密の重さを再認識させられる。


 やがて轟音が止み、雪崩は跡形もなく消え去った。抉られた山肌と、舞い散る粉雪が残された雪原に、異様なほどの静寂が訪れる。風の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 そして、力を使い果たしたのか、巨大だったバハムートの姿が急速に収縮していく。眩い光が収まった時、そこにいたのは、大型犬ほどの大きさになった、それでも神々しい白銀の毛並みを持つ獣の姿だった。ふらつきながら雪の無くなった地にその身を下ろしたバハムート姿のエリスは、激しく消耗しているように見えた。


「エリス!」


 オレは我に返った。さっきまでの恐怖と、目の前で起きた現実離れした光景への畏怖。それらが、エリスへの心配へと一気に変わる。足が震えるのを叱咤し、地を蹴って駆け寄った。


「大丈夫か!? しっかりしろ! 無茶しやがって……」


 その場に膝をつき、獣姿のエリスの体に触れる。小刻みに震えているのが伝わってきた。……でも、生きてる。助かったんだ。その事実に、安堵から全身の力が抜けそうになるのを必死で堪える。


『……うん。大丈夫。少し疲れただけ。タクマこそ、怪我ない?』


 頭の中に直接響く念話の声も、普段よりずっと弱々しい。


 オレは助かったことの安堵と、そして申し訳なさで胸がいっぱいになりながら、疲れ切った彼女を労わるようにその白銀の毛並みにそっと触れた。


 ……温かい。そして、信じられないくらい柔らかい。指が、ふわりと毛の中に沈み込む。まるで極上のシルクか、雲に触れているような……。これが、エリスの……。


 オレは、消耗し切った彼女にねぎらいを込め、優しく、優しく撫で続けた。恐怖と緊張から解放され、この温もりと、もふもふした極上の手触り感に、オレ自身の心も癒されていくのを感じる。獣姿のエリスは、気持ちよさそうに目を細め、オレに撫でられるがままになっている。


「それにしても、驚いたな……。さっきの巨大な姿と比べると、ずいぶん……いや、もしかして、この大きさが本来のエリスの?」


 オレの問いかけに、エリスがゆっくりと顔を上げる。


『うん。これが今の私の……本当の大きさ。さっきのは、無理やり一時的に成体化して力を引き出す……ブースト、みたいなもの。神殿とかにある絵の姿は、もっとずっと成長した、成体の姿なんだと思う』


 なるほど……。成体の力を一時的にブーストで。だからあれほどの力が出せたのか。でも、その分、消耗も激しいのだろう。


(こんなに消耗して……オレはまた、エリスに助けられた……)


 オレはその場に腰を下ろし、獣姿のエリスをそっと抱きしめるように寄り添った。その柔らかな毛並みに顔をうずめる。陽だまりのような温かさと、エリスだけの甘い匂い。


「本当に助かったよ。ありがとう、エリス。エリスがいなかったら、オレは死んでたかも」


『そんなことないよ。タクマなら、私がいなくたってきっと切り抜けたよ』


 エリスの気丈な声が念話で響く。でも、オレは首を横に振った。


「あの雪崩を? そんなこと……」


『例えば、雪崩を収納しちゃうとか?』


「は? そんなことできるはず……」


 一瞬、言葉に詰まる。


(いや、待てよ? 動いているものでも手に触れれば収納できる……それはスノウボアの氷矢で証明された。巨大なものでも収納できる……それもサイクロプスで証明された。じゃあ、あの雪崩だって……触れれば……できる? いやでも、あの量の雪や氷を……? でもサイクロプスだって無理だと思ったのにできた……もしかして、オレの収納魔法は……)


 考えれば考えるほど、自分の魔法の可能性が、底なし沼のように広がっていく気がした。今はまだ、その力の全容なんて全く掴めていないのかもしれない。


『……タクマ、くすぐったいよ』


 オレが考え込んでいる間に、無意識にエリスの毛並みをぐりぐりと撫で回していたらしい。エリスが身じろぎする。


「あ……悪い」


 少しだけ体を離し、改めてその白銀の毛並みを撫でる。ふと、ぴんと立った耳の後ろにある、特に柔らかそうな毛に指が触れた。


(……ここも、すごく良い感触だ……)


 夢中で撫でていると、ふりふりと揺れていた白くて長い滑らかな毛並みの尻尾が目に入った。


(……そういえば、普段のエリスは、尻尾は決して触らせてくれなかったな。この姿なら……?)


 ちょっとした悪戯心で、その滑らかな毛並みの尻尾にそっと手を伸ばしてみる。指先が触れた、まさにその瞬間――


 ぺしっ。


 軽い、しかし確かな拒絶と共に、尻尾でオレの手が優しく叩かれた。


『もう! タクマのエッチ!』


(……やっぱりダメか)


 オレは苦笑しながらも、その反応がなんだか無性に嬉しくて、愛しくて。命懸けの戦いの後だというのに、オレたちの間には、いつもの空気が戻ってきていた。


 この温もりを、この関係を、絶対に守らなければ。


 そのために、オレはもっと強くならなければ。


 オレは決意を新たに、目の前の愛しい存在を、もう一度優しく撫でた。





生成AI (Google Gemini 2.5 Pro) さんにイラスト描いてもらいました。

挿絵(By みてみん)


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