第23話 影を断つ、ゼロ距離の一撃
第二層から続く石の階段を、オレたちは慎重に下りていく。第三層。その入口から漂ってくる空気は、第二層までのものとは明らかに異なっていた。
視覚的には、大きな変化はない。壁に埋め込まれた蒼光石が放つ頼りない光、湿った土とカビの匂いが混じる空気、狭く入り組んだ通路。基本的な構造は、これまでとさほど変わらないように見える。
だが、肌を刺すようなプレッシャーは段違いだ。第二層で感じたものよりも、さらに濃密で、禍々しい。まるで、濃霧の中にいるかのように、重苦しい気配が全身に纏わりついてくる。息をすることさえ、少し億劫に感じるほどだ。人の気配はもちろん、今はモンスターの気配も感じないが、この静寂が、かえって不気味さを際立たせている。
(ここから先は、さらに危険になる……)
アシッドスライムとの戦いで認識した生物収納。その代償である精神的な疲労感は、まだ頭の奥に鈍い痛みとして残っていた。だが、それ以上に、D級モンスターであるジャイアントバットを、エリスの氷矢を使ったとはいえ、ほぼ自力で倒せたという達成感が、オレの心を奮い立たせていた。
(やれる。今のオレなら、もっとやれるはずだ……!)
隣を歩くエリスも、第三層の異様な雰囲気を察しているのだろう。いつもより口数は少なく、鋭い感覚を研ぎ澄ませて周囲を警戒してくれている。その横顔には、緊張の色が浮かんでいた。
「エリス、無理はするなよ。疲れたらすぐに言うんだぞ」
「うん、タクマもね。……なんだか、嫌な感じがする」
エリスが不安げに呟く。彼女の直感は鋭い。その言葉に、オレは改めて気を引き締めた。
第三層の探索を開始して間もなく、前方の通路の曲がり角の先から、複数の荒々しい息遣いと、重い足音が聞こえてきた。
「来るぞ!」
オレたちが身構えると同時に、角から姿を表したのは、屈強な体格をした緑色の肌のモンスター――オークだ! しかも、一体ではない。先頭に立つ一際大きな個体は、手にした巨大な戦斧から威圧感を放っている。オークリーダーだ。そして、その後ろには、同じく棍棒や錆びた剣を手にしたオークが三体続いている。C級に近いD級上位モンスター、オークの小隊だ。
「グルォォォッ!」
オークリーダーが咆哮を上げ、部下たちに突撃を命じる。四体のオークが、地響きを立ててこちらに向かってくる。
「エリス、オークリーダーを任せていいか? オレは残りを!」
「分かった!」
エリスは即座に応じ、オークリーダーに向かって駆け出す。オレは残りの三体のオークと対峙する。
(練習の成果を見せてやる……!)
オレはまず、先頭を走るオークの足元、少し盛り上がった不安定そうな岩に狙いを定め、タイミングを見計らって収納した。
シュン! 足元の岩が突然消え、オークが派手に転倒する。
(よし、足場消失攻撃はだいぶ慣れてきたぞ!)
ついでに、転んだオークが落とした棍棒も収納しておく。
だが、残りの二体は怯むことなく迫ってくる。先を走る一体が剣を突き出し、もう一体が棍棒を振り上げてきた。
収納庫から、たった今収納した岩を取り出し、剣を突き出し突進してくるオークの目の前に出現させる。
――ドゴッ!
オークは避けきれず、出現した岩に真正面から激突した。勢い余って頭を強く打ち付け、そのまま地面に倒れ伏した。
(よし! もう一体には……)
オレは人差し指を、棍棒を振り上げて迫ってくるオークに向ける。
……今まで、ベクトル操作では特に必要ないからと、手を使うことはしてこなかった。そしてそれが、照準をなかなか合わせられなかった原因じゃないかと思い至った。指でちゃんと相手を、ターゲットを示し、しっかり方向を認識して調整する。それこそが必要なんじゃないかと考えたんだ。
(イメージしろ……真っ直ぐ、あいつに向かって……!)
収納庫から、第一層でモノアイが投げてきた石つぶてを選ぶ。運動エネルギーを乗せたまま、指差した方向へ――射出!
ヒュンッ!
石つぶては、ほぼ狙い通り、オークの顔面に向かって飛んでいった。
「グギャッ!?」
オークは顔を押さえて怯む。完璧ではないが、明らかに以前より精度が上がっている。
(これなら!)
手応えを感じながら、オレはすぐさま腰の剣を抜き、顔を押さえているオークに対して一気に距離を詰める。
「やぁっ!」
怯んでいるオークの胸に、剣を突き立てる。オークは短い呻き声を上げ、動かなくなった。
最初に転倒して武器を失くしたオークが、状況を理解したのか逃げ出そうとする。
(逃がすか!)
オレは素早く追いかけ、背後から剣を一閃! オークは悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。
岩に正面衝突したオークにもとどめを刺した頃、エリスのほうもオークリーダーを倒し終えていた。
「タクマ、今の……! 狙って攻撃してたよね!?」
エリスが興奮した様子で駆け寄ってくる。そっちも戦闘中だったはずなのに、よく見てる。
「ああ、ようやくちょっとコツを掴んだみたいだ。まだ完璧じゃないけどな」
オレは照れながら答えた。新しい照準方法、そして静止物の使い方。戦術の幅が広がったことを実感する。
オークたちの亡骸を収納し、オレたちはさらに奥へと進む。しばらく行くと、通路が少し開けた場所に出た。そこには、赤い鱗に覆われた、大型のトカゲのようなモンスターが数匹、蠢いていた。体からは、陽炎のようなものが立ち上っている。
「あれは……ファイア・リザードか?」
D級モンスター。確か、口から火球を吐いたり、体表の熱で攻撃してきたりするはずだ。
オレたちが気付いたのと同時に、ファイア・リザードたちもこちらに気付き、威嚇するように口を開けた。そして、その口から、炎を纏った小さな石を、続け様に吐き出してきた。
《ファイアストーン》。魔法によって生み出された炎を纏った小石。物理的な質量と運動エネルギー、そして魔法効果を併せ持つ厄介な攻撃だ。
「エリス、援護する!」
エリスが駆け出し、オレは飛来する《ファイアストーン》を視認し、その全てを収納していく。
(これは……!)
収納する瞬間、普段の収納とは違う、少しピリッとした、静電気のような特殊な感覚が伝わってきた。ただの物体を収納するのとも、運動エネルギーを持つ物体を収納するのとも違う、僅かだが明確な違和感。
(なんだ、この感覚は……?)
戸惑いながらも、次々と飛んでくる《ファイアストーン》を収納していく。その度にピリッとした感覚が走る。
(もしかして……)
収納庫に意識を向けてみる。そこには、確かに《ファイアストーン》が収納されている。だが、それだけではない。石そのものと、それが持つ運動エネルギーに加えて、石に纏わりついていた「魔法の炎」そのものも、一緒に収納されているような感覚がある。
(物体と、その運動エネルギー……。それと一緒に、魔法も収納されている……?)
アシッドスライムを収納した時に感じた、あのピリッとした感覚ももしかして……? あれは、スライムが持つ微弱な魔力も一緒に収納していたから……?
(もしそうだとしたら……それって……)
新たな可能性の扉が、目の前で開かれたような気がした。
「タクマ、おまたせ」
ファイア・リザードたちを全てと蹴散らし、エリスが戻ってきた。
「流石だなエリス。大丈夫だったか?」
「うん、もちろん。タクマも大丈夫?」
「ああ」
ファイア・リザードの亡骸を収納し、さらに奥へと進む。第三層は、これまでの階層よりも明らかにモンスターの質も量も上がっている。疲労も蓄積してきている。
そして、オレたちは、ひときわ広い空間――天井が高く、岩柱が何本もそびえ立ち、壁には大小様々な亀裂が走る、広間のような場所へとたどり着いた。
その広間の中央付近に、二つの巨大な影が蠢いていた。
鋭く湾曲した角、熊のような屈強な体躯、そして血走った獰猛な赤い目。
「グルルルル……」
低い唸り声が、広間に響き渡る。
「ホーンベア……! しかも、二体もかよ……!」
C級モンスター、ホーンベア。俊敏さとパワーを兼ね備えた、迷宮中層の強敵だ。それが二体同時に出現するとは……。D級ハンターにとっては、絶望的な状況と言っても過言ではない。
「エリス、一体頼めるか? もう一体はオレがやる」
「えっ!? タクマ、それは危険だよ! ここは、私の魔法で一気に……」
確かにそれが確実だと思う。迷宮入口で見たエリスの超高速氷矢の12本連射をぶち込めれば、さすがのC級モンスター二体も仕留められるだろう。けど……
「この先には、『アイツ』がいる。力はできるだけ温存しておきたい。違うか?」
「それは……そうだけど……でも……」
「心配は分かる。けど大丈夫だ。今のオレたちなら!」
この迷宮に入ってから今まで、実戦でいろいろ経験できたし、成長できたと思っている。以前のような無力感は、もう無い。むしろ、自分の力を試す絶好の機会だとさえ思っている。
「タクマ一人でC級を……」
エリスは少しだけ躊躇う表情も見せたが、しかしすぐにオレの目の中に宿る決意と成長を汲み取ってくれたようだ。
「……分かった。でも、絶対に無理はしないで。私もすぐに片付けて援護するから」
「ああ!」
オレたちは頷き合い、二手に分かれる。
エリスが片方のホーンベアを引きつけるために走り出す。
オレは、そばにあった、高さ10メートルはあろうかという岩柱のひとつを見上げた。幅は2メートルくらいだろうか、厚さは1メートルもない。かなり頑丈そうで、質量もありそうだ。これを使わせてもらおうと、収納庫に収納した。
そして、もう一体と対峙する。
「グルォォォォッ!」
オレと対峙したホーンベアが、腹の底から絞り出すような咆哮を上げた。それを合図に、奴は身を低く沈め、四本の太い脚で力強く地面を蹴った。隆起した肩の筋肉が波打ち、黒い毛皮の塊が一直線にこちらへ向かってくる。地響きを立てながら迫るその突進力は凄まじい。まともに受ければ、骨の一本残らず砕け散るだろう。
(だが、その動きは単調で読みやすい!)
「まずは挨拶代わりだ!」
オレは突進してくるホーンベアの進路上、その目の前に、先ほど収納した岩柱を出現させた。
――ドゴォォンッ!!
ホーンベアは避けきれず、出現した岩柱に真正面から激突した。凄まじい衝撃音と共に、ホーンベアは体勢を崩す。岩柱のほうもぐらついている。さすがC級の突進力といったところか。
岩柱を再び収納する。
(どうだ? いけるか?)
だが、さすがC級と言うべきか、ホーンベアはタフだ。鼻っ柱への一撃は、むしろ獣の怒りに拍車をかけたらしい。一瞬怯んだかのように見えたが、次の瞬間には低く唸り声を上げ、前脚に力を込めてむくりと身を起こし始めた。冗談ではないかと思うほどの巨体が、ゆっくりと、しかし威圧的に立ち上がっていく。
完全に二本足で立ち上がったホーンベアは、まるで黒い山のようだ。オレを見下ろす血走った双眸には、明確な殺意が宿っていた。そして、天に向かって振り上げられた太い腕。鋭い爪がきらりと光り、咆哮と共に、その巨体がオレめがけて雪崩れ込んできた!
(くっ……!)
鋭い爪と丸太のような腕が、凄まじい風切り音と共に左右から襲いかかってくる。
ブンッ! と空気を裂く音が耳元を掠める。オレは背中にヒヤリとしたものを感じながらも、身を低く沈め、右腕の薙ぎ払いを紙一重で回避した。地面を蹴って後方へ跳ぶ。
ズンッ! ホーンベアの爪が、先ほどまでオレがいた地面を深く抉る。土塊が派手に飛び散った。それに構わず、ホーンベアは間髪入れずに追撃してくる。今度は縦横無尽に振り回される剛腕の嵐だ。まるで意志を持った破壊の化身だ。
……だが、その動きは大振りで、力任せだ。襲い来る腕と爪の軌道を冷静に見極める。最小限の動きで的確に攻撃をいなし続ける。一撃でも食らえば間違いなく終わりだ。汗が顎を伝う。
「グルォォォォッ!」
それは、先ほどまでとは明らかに質の違う、焦りと怒りが混じった咆哮だった。攻撃が当たらないことへの苛立ちが、その巨躯全体から発散されているようだ。
空を切っていた両の前脚が地面に叩きつけられる。土塊が飛び散り、獣の荒い息遣いが空気を震わせる。重心が低くなり、隆起した肩の筋肉が一層盛り上がる。血走った目が、再びオレを真正面から捉えた。
(また、突進してくる気か? なら!)
それを見て、オレは更に後ろに跳ぶ。
(これは、どうだ!)
ホーンベアがまさに地面を蹴り、突進に移ろうとしたその瞬間――奴の頭上に岩柱を出現させた。少しでも面積を増やしてぶつける可能性を上げるため、今度は横向き、つまり倒れた状態で。重力に従い、凶器と化した岩柱が落下を開始する。直撃コースだ!
だが、獣の鋭敏な感覚が、あるいはただの偶然か。ホーンベアは落下物とそれが生み出す影を本能で察知したのだろう、信じられないほどの瞬発力で後方へ跳び退いた。
――ズゥゥン!!
紙一重でホーンベアの鼻先を掠めた岩柱は、凄まじい轟音と共に地面に激突。土煙が高く舞い上がり、足元まで衝撃が伝わってきた。
(あれを避けるかよ! とんでもねぇな、さすがC級)
倒れた状態の岩柱は、幅は10メートルほどあるだろうが、高さは1メートルもない。オレとホーンベアは、岩柱を間に挟んで睨み合う。
突進はしてこない。そうするつもりだったんだろうが、その直前で邪魔な障害物が出てきたのだから当然だろう。
だが、乗り越えられない高さじゃないはずだ。
オレは視線を逸らさず、一歩後ろへ後退する。それに合わせるかのようにホーンベアが一歩オレに近付き、そしてその体躯に似つかない身のこなしで岩柱に乗る。
ホーンペアが、上からオレを見下ろしてくる。
見下ろすその双眸から放たれる圧倒的な威圧感。
以前のオレなら、一歩も動けなくなっていたかもしれない。
だが、今は違う。
収納庫から右手に、小石を二つ取り出す。そこらに落ちている、ただの小石だ。運動エネルギーも持たない、ただの静止物だ。
オレはそれを、ホーンベアとは全く関係ない、左の方へ力いっぱいぶん投げる。
ホーンベアは正面を向いたまま、その視線だけが小石を追う。
(オレが何をしてるのか、分かるか? ホーンベア!)
オレは自分の投げた二つの小石をすばやく視認して収納する。
そして右手の人差し指をホーンベアに向ける。
取り出すのはもちろん、今収納した小石二つ。運動エネルギーを持った小石だが、その程度の運動エネルギー、本来ならC級モンスターに効くようなものじゃない。しかしそれは当てる場所による。例えば、目なら?
ヒュンッ! 取り出した二つの小石は狙い通り、ホーンベアの両目に命中!
「グギャアアアッ!」
ホーンベアは両目を押さえて苦痛に悶える。
(今だ!)
オレはすかさず、再び岩柱を収納した。悶えているホーンベアが乗っている岩柱をだ。
ガクンッ!
ホーンベアは足場を失くし、大きくバランスを崩す。
オレは一気にホーンベアとの距離を詰める。その懐に飛び込み、収納庫から取り出すのは、超高速氷矢。
狙いは、がら空きの腹部。
(これで、終わりだぁぁっ!!)
――ゴォンッ!!!
ゼロ距離攻撃。もはやベクトル操作とか照準とかの意味を無くす超至近距離からの一撃。放たれた超高速氷矢が、ホーンベアの腹部を貫通し、その巨体をくの字に折り曲げ、そのまま力なく崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……やった……!」
C級モンスターを、自力で倒した!
その確かな達成感が、疲労感を吹き飛ばしていく。
「タクマ!」
名を呼ばれて振り返ると、エリスももう一体のホーンベアを仕留めていた。
「タクマ、すごい……! 本当に、すごいよ!」
エリスが駆け寄り、満面の笑みで抱きついてくる。
しっかりと実感できた。オレはもう『お荷物』なんかじゃないと!
オレもエリスを強く抱きしめ返そうとした、その時――。
――グオオオオオオオオオオオオッ!!!
広間の奥、影になっていた通路から、先ほどの二体とは比較にならないほど巨大な影が現れ、地を震わせるような咆哮を上げた。体長は五メートルを優に超える。全身の筋肉が隆起し、角も一回り大きい。大型のホーンベア。おそらく、この広間の主なのだろう。
「……まだいたの!?」
エリスが息を呑む。
大型ホーンベアの赤い瞳が、憎悪に満ちた光を宿して、オレたちを睨みつけている。仲間をやられた怒りに燃えているようだ。
(こいつは……さっきの二体より、ずっと強い……!)
「タクマ、今度は――」
「オレがやる」
「は? えっ!? ちょっ、タクマ、一人で!?」
「大丈夫だ。見ててくれ」
オレは慌てるエリスをよそに、半身に構える。
一度深呼吸する。
利き腕である右腕を、大型ホーンベアに向かって真っ直ぐ伸ばす。薬指と小指は折り込み、人差し指と中指で相手を指差す。親指は倒し、腕全体を、まるで投石機の射出台に見立てるイメージで、狙いを定める。
(狙うは、頭部と胸部……! コツは掴んだ。いける!)
収納庫から、超高速氷矢を二本に取り出す。
(いっけぇぇぇえええ!)
シュゴォォォォッ!!! シュゴォォォォッ!!!
二条の白い閃光となって放たれた氷の矢が、これまでのベクトル操作とは比較にならないほど正確に、真っ直ぐに、大型ホーンベアへと吸い込まれていく。一本は眉間へ! もう一本は胸元へ!
ドッッッッッッ!!! ドッッッッッッ!!!
大型ホーンベアの頭部と胸部が同時に吹き飛ばされ、巨体は後ろへと倒れ込む、そして、二度と動くことはなかった。
「す……ご…………」
広間に静寂が戻る中、エリスのそんなつぶやきだけが耳に届いた。
(できた……! 完璧に、狙い通りに……!)
生物収納の疲労感など、もうどこかへ吹き飛んでいた。C級モンスターを、しかも大型個体を、たった一撃で仕留めた。もちろんエリスの超高速氷矢あってのことだと分かっているが、自分の成長が、はっきりと実感できた。
「タクマ……ホントに……すごい……!」
エリスが、まだ呆然としながら再び呟いた。
オレは拳を強く握りしめた。
これで、自信を持って第四層へ進むことができる!
◇
ホーンベアたちの亡骸を収納し、オレたちは広間の奥へと進む。そこには、下層へと続く階段があった。第四層への入口だ。
階段を下り始めた、その瞬間。
ゾクリ、と全身の毛が逆立つような、強烈な悪寒が走った。
今までの階層の比ではない。死そのものが形を持ったかのような、禍々しく、濃密で、絶望的なプレッシャー。それは、オレが四年間、悪夢の中で感じ続けてきた、あの忌まわしい気配そのものだった。
(いる……。この先に……『アイツ』が!)
足が竦みそうになる。トラウマが、心の奥底から鎌首をもたげる。
だが、今のオレは、もうあの時のオレじゃない。
隣にはエリスがいる。そして、オレ自身も、確実に強くなった。
オレはエリスの手を強く握り、覚悟を決めて階段を下りていく。
第四層。そこは、奈落へと続く崖がある場所。そして、その崖のずっと手前、広大な空間に、そいつはいた。
三つの頭を持つ、巨大な黒い獣。それぞれの口からは、灼熱の炎が漏れ出ている。全身を覆う漆黒の体毛は、まるで闇そのものが凝り固まったかのようだ。六つの赤い瞳が、侵入者であるオレたちを捉え、殺意を剥き出しにする。
間違いない。四年前、オレを奈落へと追いやった、あのA級モンスター。
オレは、震える声で、その名を口にした。
「見つけたぞ……! ケルベロス!!」