表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/27

第18話 伯爵家からの招待状

 岩場での秘密特訓から数日が過ぎた。アスターナの街はいつもの活気にあふれている。湖畔での騒動の影響なんて微塵も感じさせない、日常の風景がそこにはあった。凍てつくような冬の空気も、日増しに和らいできているように感じられる。春は、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。


 オレの心の中も、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。岩場で掴んだ「非接触」での収納と取り出しの感覚。まだ完全に自分のものにしたとは言えないが、それでも、あの時の確かな手応えは、オレに新たな希望を与えてくれた。収納魔法は、ただ便利なだけじゃない。使い方次第で、もっとすごい力になるはずだ。


(ベクトル操作も、非接触での出し入れも、もっと練習しないとな……)


 リビングのソファに座り、ぼんやりと自分の手のひらを見つめる。あの日以来、時間を見つけては、収納庫ストレージの中の感覚を探るようにしてみたり、あるいは部屋の中で目に付く小物なんかを非接触で出し入れしてみたりと、地道な反芻と練習を続けていた。


「ねーねー、タクマ」


 不意に、隣に座っていたエリスが、肘でオレの脇腹をつついてきた。


「あの賭け、どうなったと思う? ラウルとセリカ」


「……さあな」


 オレはそっけなく答える。岩場からの帰り道にした、あの賭け。ラウルとセリカがくっつくかどうか。もちろん友人のことだから気にならないわけではないが、正直、それ以上に、賭けに負けた場合のエリスからの「何でも言うことを聞く」という要求の方が気になって仕方がない。


「ふふん♪ 私はもう時間の問題だと思うけどなぁ。タクマが負けたら、私の言うこと、なーんでも聞いてもらうんだからね♪ うふふふ、何してもらおっかなあ?」


 エリスは楽しそうに、期待に胸を膨らませている。


(これ、絶対に何か変なこと要求してくるヤツだろ……)


 そのキラキラした瞳を見ると、オレはエリスに何を要求されてしまうのかと、想像(もしくは妄想)を膨らませてしまい、顔が熱くなるのを感じた。


 そんなオレたちの平穏な(?)日常を破るように、家の前の通りで、馬の蹄の音と車輪の音が止まる気配がした。乗合馬車がこんな路地に入ってくるはずはない。誰か来たのか?


 いぶかしみながら窓の外を見ると、そこには一台の、息を呑むほど立派な馬車が静かに停車していた。漆黒に磨き上げられた車体には、繊細な金の装飾が施され、どこかの貴族の紋章らしきものが鈍く輝いている。大きな車輪も泥一つなく磨き上げられ、それを引く二頭の純白の駿馬は、毛並みも艶やかで、いかにも高価そうだ。庶民が利用する、荷台に幌をかけただけの無骨な乗合馬車とは、何もかもが違う。一目で、それが貴族の乗り物だと分かる、圧倒的な存在感を放っていた。


「え……? なんだ、あれ……」


「わぁ、すごい馬車! 誰か来たのかな?」


 オレとエリスが顔を見合わせていると、馬車の扉が静かに開き、中から見覚えのある人物が降りてきた。仕立ての良いメイド服に身を包んだ、黒髪ロングの女性――湖畔で出会った、あの時のメイドさんだった。


 彼女は、少し緊張した面持ちで、しかし背筋を伸ばし、丁寧な物腰でオレたちの家の扉へと近付いてくる。


(……あの時のメイドさん? どうしてここに?)


 オレが驚いてドアを開けると、彼女は恭しく一礼した。


「突然の訪問、失礼いたします。先日は、私どもの主人とローゼお嬢様が大変お世話になりました」


「あ、いえ、ご丁寧にどうも……。あの後、おじいさんと、ローゼちゃんは……」


「はい、おかげさまで。ヴェルナー様もお元気になられました。つきましては、まずは改めて自己紹介をさせていただきたく。わたくし、フラウリンド家に仕えます、ナディアと申します」


 ナディアと名乗ったメイドは、再び深く頭を下げた。


(フラウリンド家……? って、この辺りの領主の名前じゃないか。ってことは、あのじいさん、もしかして……)


 オレが内心で驚愕していると、ナディアさんは話を続けた。


「皆様のお名前も存じ上げず、大変失礼いたしました。ハンターでいらっしゃることと、タクマ様が珍しい収納魔法をお使いになっていたことを手掛かりに、ギルドの方に問い合わせて、ようやくこちらに辿り着くことができました」


「そうだったんですね。オレはタクマ、こっちはエリス。色々お手数おかけしたようで、すみません」


「とんでもございません。本日は、先代フラウリンド伯爵、ヴェルナー様より、皆様への正式な招待状をお持ちいたしました」


 ナディアさんはそう言うと、懐から一通の封筒を取り出した。上質な羊皮紙で作られ、金箔でフラウリンド家の紋章が縁取られた、見るからに格式高い招待状だ。


(やっぱり伯爵家の……。しかもあのじいさん、先代の伯爵様だったのか。道理でどこかで見たことあると思った……)


 領主が代替わりする前の祭りなんかで、遠目に姿を見たことがあったのを思い出した。


「先日の湖での一件、皆様の勇敢な行動により、ヴェルナー様、そしてローゼお嬢様、さらには私も含め、多くの領民が救われました。その際の救助と、その後のモンスター騒動の鎮圧に対し、現当主共々、心より感謝申し上げております。つきましては、ささやかではございますが、お礼の席を設けさせていただきたく、皆様をお屋敷にご招待申し上げる次第です」


 招待状には、流麗な筆跡で丁重な感謝の言葉が綴られていた。招待の対象は、オレとエリスだけでなく、共に戦ったラウルとセリカの名前も記されている。


「えっ……と、オレたちが、伯爵家のお屋敷に……!?」


 貴族からの突然の招待に、オレは完全に戸惑ってしまった。正直、貴族なんて縁遠い存在だし、作法も何も分からない。面倒なことになりそうな予感しかしない。


「わぁ! 貴族様のお屋敷にご招待なんてすごい! ね! タクマ!」


 一方、エリスは目を輝かせ、好奇心でいっぱいのようだ。その無邪気な反応に、オレも断る理由を見つけられなかった。それに、ヴェルナー様やローゼちゃんの安否も気になっていたのは事実だ。


「……分かりました。えっと、つ、謹んで、お受けいたします」


 貴族相手の作法なんて知らないが、オレは精一杯の丁寧さを込めて答えた。


「ありがとうございます。では、お手数ではございますが、ラウル様とセリカ様にも、お声がけいただけませんでしょうか。ご準備が整い次第、こちらの馬車にてお迎えに上がらせていただきます」


 ナディアさんは安堵したように微笑み、再び一礼して馬車へと戻っていった。


 ◇


 オレとエリスは、ラウルとセリカを誘うため、ひとまずギルドへ向かうことにした。あの二人なら、昼過ぎのこの時間ならギルドの一階にある酒場スペースあたりで話し込んでいる可能性が高い。


「それにしても、伯爵家か……。緊張するな」


「大丈夫だよ、タクマ! きっと楽しいよ!」


 エリスは楽観的だが、オレはどうにも落ち着かない。貴族相手に失礼なことをしでかさないか、そればかりが心配だった。


 ギルドに到着し、一階の酒場スペースへ向かうと、案の定、奥のテーブル席でラウルとセリカが何やら話し込んでいる姿を見つけた。だが、その様子が数日前とは明らかに違う。


 隣同士に座っている二人の間には、妙な空気が流れていた。やけに距離が近いかと思えば、ふとした瞬間に視線が合って慌てて逸らしたり。セリカが「もう、ラウルったら、口元にソースついてるわよ」と、どこから取り出したのか真っ白なハンカチでラウルの口元を拭いてあげている。ラウルは顔を真っ赤にして「ば、ばか! 自分でできるって!」と狼狽えている。かと思えば、次の瞬間には「なんだよ、セリカだって髪に葉っぱついてるぞ」「え? どこどこ?」「ほら、ここだって」と、まるで子供のような戯れ合いを始めている。


(……おいおい、なんだこの甘ったるい二人だけの世界は……)


 さぞ周りのハンターたちは、口から砂を吐く思いだっただろう。


 オレたちが近付いて来るのに気付くと、二人は慌てたようにパッと離れ、ぎこちない笑顔を向けてきた。


「よ、ようタクマ、エリス! ひ、ひさしぶりだな!」


「ふ、二人とも元気そうね。先日の、湖ではお世話になったわね。あのときはどうもありがとう」


(このわざとらしさ……。やっぱり何かあったな、こいつら)


 オレは呆れながらも、ナディアさんから預かった招待状を二人に見せた。


「伯爵家からだってさ。お前らも招待されてるぞ」


「ええっ!? 伯爵家から!?」


「うそっ、なんで!?」


 ラウルとセリカは驚きの声を上げる。どうやら彼らも、湖畔で助けたのが伯爵家の人間だったとは気付いていなかったらしい。オレは簡単に事情を説明した。


「……なるほどな。あのじいさん、そんな偉い人だったのか」


「道理でメイドさんを連れてるわけね……」


 二人は納得したように頷き、招待を受けることに異論はないようだった。


「しかし、貴族のお屋敷か……。ちょっと緊張するな」


 ラウルが珍しく神妙な顔つきになる。そのラウルの肩に、セリカが優しく手を置いた。


「大丈夫よ、ラウル。私がついてるから」


 その瞬間、ラウルがびくりと体を震わせ、セリカの手を振り払うように距離を取る。


「な、何すんだよ、いきなり!」


「え? あ、ご、ごめんなさい……」


 セリカも顔を真っ赤にして俯いてしまう。


(間違いない。こいつら、完全にデキてる……)


 オレは内心で確信した。あの湖畔での出来事が、二人の関係を劇的に変えたらしい。


 その時、隣にいたエリスが、オレの脇腹を肘でツンツン、と突いてきた。見ると、エリスは「ね? 言った通りでしょ?」とでも言いたげな、勝ち誇った顔でニヤニヤしている。


「ぐ……」


 オレは呻き声を漏らし、エリスとの賭け――負けた方は、勝った方の言うことを何でも一つ聞く――を思い出し、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


(やばい……。エリスに、いったい何をさせられるんだ……!?)


 オレの戦々恐々とした内心など露知らず、エリスは「ふふん♪」と楽しそうに鼻歌を歌い始めていた。


 ◇


 準備を整えたオレたち四人は、迎えに来てもらったフラウリンド家の壮麗な馬車に乗り込んだ。


 馬車の内部は、想像を絶する豪華さだった。座席は深紅の上質なビロードで覆われ、まるで王侯貴族の玉座のように柔らかく体を包み込む。足元には、複雑で美しい模様が織り込まれた、手触りの良い絨毯が敷き詰められている。窓には金の刺繍が施された厚手のカーテンが取り付けられ、外の光を優雅に遮っていた。そして何より驚いたのは、その乗り心地だ。石畳の多いアスターナの街を走っているはずなのに、揺れをほとんど感じない。まるで魔法の絨毯に乗っているかのように滑らかに進んでいく。


「すげぇ……。これ、どうなってんだ?」


 ラウルが感嘆の声を漏らし、ソファのような座席に体を深く沈める。


「ええ、御者さんから聞きましたけど、サスペンションとかいう、衝撃を和らげる特別な装置が付いているそうですわ」


 セリカが先ほど仕入れたばかりの知識を披露するが……。


「……セリカ? なんか言葉遣いが……いつもと違うような?」


 オレが思わずツッコミを入れると、セリカはハッとしたように顔を赤らめた。


「え? あ、いや、その……。な、なんでもないわよ! べ、別に緊張なんかしてないんだから!」


 慌てて取り繕うセリカの様子に、ラウルとエリスがクスクス笑う。さすがのセリカも貴族の屋敷への訪問ということで、少し緊張しているようだ。


 オレはそんな三人の様子を眺めながら、これから訪れるであろう貴族の世界に、期待よりも不安の方が大きい自分を感じていた。


 やがて馬車は、アスターナの中でもひときわ大きな邸宅が立ち並ぶ貴族街へと入った。石畳の道はさらに整備され、街路樹が美しく立ち並び、行き交う人々の服装もどこか洗練されている。その中でも、フラウリンド家の屋敷は別格だった。天高くそびえる白い石造りの壁が延々と続き、その向こうには、まるで城のように巨大な屋敷がそびえ立っている。手入れの行き届いた広大な庭園には、冬の寒さに耐える常緑樹や、春を待つ蕾をつけた木々が見え、一部にはパンジーやビオラといった冬咲きの可憐な花が彩りを添えている。噴水が凍てつくことなく、優雅に水を噴き上げていた。


 重厚な鉄の門が、衛兵によって厳かに開けられる。馬車は、玉砂利が敷き詰められた長いアプローチを静かに進み、屋敷の正面玄関前で滑るように停車した。


 ナディアさんに恭しく出迎えられ、オレたちは馬車を降りた。目の前に広がるのは、磨き上げられた大理石の床がどこまでも続く、広大なエントランスホール。高い天井からは、無数の水晶が煌めく巨大なシャンデリアが吊り下がり、壁には金縁の額縁に収められた、おそらくは高名な画家によるものであろう肖像画や風景画がいくつも飾られている。その全てが、圧倒的な富と権力の象徴のように見えた。庶民であるオレには、あまりにも場違いな空間。足を踏み入れることすら躊躇われるような、重厚な空気が漂っていた。


 ◇


 ナディアさんに案内され、オレたち四人は、庭園を一望できる、陽光溢れるサンルームのようなテラスへと通された。ガラス張りの向こうには、手入れの行き届いた美しい庭園が広がり、冬の柔らかな日差しを受けている。部屋の中央には、白い優美な曲線を描くテーブルと、それに合わせた軽やかなデザインの椅子が置かれている。壁際には観葉植物が置かれ、爽やかな雰囲気を醸し出していた。客間というよりは、もっとプライベートな空間なのかもしれない。


 そして、その部屋の奥、庭園を背にする形で、壁一面に巨大な絵画が掛けられていた。部屋に入った瞬間、誰もがまずその絵に視線を奪われるであろう、圧倒的な存在感を放つ傑作。それは、神殿などで誰もが一度は目にしたことがあるであろう、有名な宗教画――『女神フィアーナと使徒』。


 絵の中央には、慈愛に満ちた穏やかな微笑みを浮かべ、後光のような柔らかな光を放つ金髪の美女、女神フィアーナ。世界を創造せし十二神の一柱で、慈愛の女神と言われている。そしてその左右に描かれているのが女神フィアーナの対なる使徒だ。左が、白銀の鱗に陽光を反射させ、絶対的な守護を感じさせる威厳に満ちた巨大な竜、ファフニール。そして右が、白銀の毛並みを逆立て、鋭い牙と爪で女神の敵を打ち払わんとする、猛々しくも神々しい獣、バハムート。精緻な筆致で描かれたその姿は、まるで生きているかのように躍動感に満ち、神話の時代の壮大さと、そこに込められた信仰の深さを雄弁に物語っていた。


(……バハムート……エリス……)


 オレは息を呑み、隣に立つエリスの横顔を盗み見た。彼女もまた、自分自身の――あるいは前世の――姿が描かれたその絵を、複雑な、どこか懐かしむような、それでいて戸惑いを隠せないような、不思議な表情で見つめていた。彼女にとって、この絵は一体どんな意味を持つのだろうか……。





>(……おいおい、なんだこの甘ったるい二人だけの世界は……)

お前は、人のこと言えるのかと……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ