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第12話 肩にかかる温もりと、湖畔の悲鳴

 まだ夜の名残が色濃く残る、早朝のアスターナ北門前。ひんやりと澄んだ空気が肺を満たし、吐く息は白く立ち上っては、夜明け前の薄藍色の空に溶けていく。冬の終わりを告げるにはまだ早く、肌を刺すような冷たさが身に染みた。


 オレとラウルは、これから始まるワカサギ釣りへの期待と、早朝の寒さに身を震わせながら、集合場所でエリスとセリカを待っていた。


「よし、これで全部か?」


 オレはラウルと二人で前日に買い揃えた釣り道具一式を、手際よく収納庫ストレージへと仕舞いながら確認する。4人が入れる大きさの風よけテント、折り畳みの木製椅子4脚と座布団、ワカサギ釣り専用の仕掛けがセットされた釣り糸、それに……釣りの餌が入った小さな容器。ラウル曰く、これがワカサギ釣りの定番らしい。


 本来なら4人分の装備と釣り道具でかなりの大荷物になるところだが、オレの収納魔法があればこの通り、ほぼ手ぶらだ。改めて、この魔法の便利さを実感する。


「それにしても、セリカとエリス、遅えな」


 ラウルが寒そうに両腕を擦りながらぼやく。


「まあ、女性は準備に時間がかかるんだろ。それに、弁当作りも頼んじまったしな」


「弁当! そういやそうだったな! いやー、楽しみだぜ。エリスちゃんの手作り弁当!」


 ラウルの目がキラキラと輝く。……おい、セリカの手作りでもあるんだぞ? その辺、ちゃんと言わないと後で面倒なことになるかもしれないな、と思ったが、口には出さなかった。


 そんなことを話していると、家の方向から二つの人影がこちらへ駆けてくるのが見えた。


「お待たせー!」

「ごめんなさい、少し遅くなっちゃったわね」


 エリスが大きな二段重ねの重箱を抱え、その後ろから少し眠そうな顔をしたセリカがついてくる。どうやらお願いしていた弁当作りを朝早くから二人で頑張ってくれていたらしい。


「サンキュー、二人とも。助かる」


 オレが重箱を受け取ると、ふわりと甘辛いような、食欲をそそるいい匂いが鼻腔をくすぐった。昨日、二人が台所にこもって何か作っている時から漂ってきた匂いだ。


「中身はなーんだ?」


 エリスが悪戯っぽく笑いながら聞いてくる。


「さあな。でも、めちゃくちゃ美味そうな匂いがしてるのは確かだ」


「ふふん、着いてからのお楽しみだよ!」


 期待で胸が膨らむ。エリスとセリカの手作り弁当なんて、美味くないはずがない。オレは重箱も丁寧に収納庫ストレージへと仕舞った。


「それにしてもエリス……あんた、本当にその格好で寒くないわけ?」


 セリカが呆れたように、エリスの服装を見てため息をつく。オレもラウルもセリカも、厚手のジャケットやコート、手袋、マフラーと完全防備なのに対し、エリスだけは風を通しにくそうな生地とはいえ丈の短いコートに、いつものショートパンツ姿だ。雪山でのスノウボア討伐の時とほとんど変わらない。


「へっちゃらだよ! これくらい全然平気だもん!」


 エリスは元気いっぱいに胸を張る。獣人、特にエリスの身体能力や耐寒能力は、オレたち人族の常識を遥かに超えている。頭では分かっていても、見ているこっちが寒くなりそうだ。


「まあまあ、エリスちゃんがいいってんならいいじゃねえか。それより、早く行こうぜ! ワカサギが待ってる!」


 ラウルが逸る気持ちを抑えきれない様子で、出発を促す。


「そういやラウル、昨日言ってたけど、リオネルさん、そんなにワカサギ食べたがってるのか?」


「おうよ! なんでも、ヤマトの酒と一緒に天ぷらにして食うのが最高なんだとよ。俺もタクマも、爺さんには武器のことで世話になってるだろ? たまにはこういう土産もいいと思ってな」


「なるほどな。確かに、リオネルさんには世話になりっぱなしだもんな」


 オレのスリングショットも、ラウルの円月輪チャクラムも、リオネルさんの協力なしには完成しなかった。あの頑固そうでいて腕の立つ鍛冶屋の顔を思い浮かべ、オレもラウルの提案に頷いた。


「よし、じゃあ、リオネルさんの分も頑張って釣らないとな!」


「おうよ!」


 オレたちはアスターナ北門をくぐり、まだ人影もまばらな街道を北へと歩き始めた。目指すは、街道を三時間ほど進んだ先にある大きな湖だ。


 ◇


 街道を外れ、林道へと足を踏み入れると、景色は一変した。


 道の両脇には、まだ雪化粧を纏った木々が立ち並んでいるが、その枝先には硬く小さな蕾が顔を覗かせ、足元を見れば、雪解け水の流れる音と共に、湿った土の間から健気な草の芽がいくつも顔を出している。空気はまだひんやりと冷たいけれど、陽の光には確かな暖かさが感じられ、厳しい冬が終わり、もうすぐそこまで春が来ていることを告げていた。


「へえ、氷に穴を開けて釣るのか。川釣りとは全然違うんだな」


 オレが感心したように言うと、ラウルが得意げに胸を張る。


「まあな! コツがいるんだよ、コツが。まあ、俺に任せときゃ間違いないって!」


「あら、ラウル。あなただって氷上釣りは初めてだって言ってなかった?」


 セリカの冷静なツッコミに、ラウルが「うっ……」と言葉に詰まる。この二人のやり取りも、もはや見慣れた光景だ。


「あはは! 二人とも相変わらずだね!」


 エリスが楽しそうに笑う。彼女は周囲の自然に興味津々で、時折立ち止まっては珍しい形の木の枝や、雪の上に残された小動物の足跡を観察している。


「ほら、お前らも飲めよ。まだ温かいぞ」


 オレは収納庫ストレージから各自の水筒を取り出し、3人に手渡した。ピクシーの騒動のときに理解した通り、収納庫ストレージの中は時間が止まっているかのように状態が変化しない。だから、朝入れたばかりの温かいお茶が、そのままの温度で楽しめる。本当に便利な魔法だ。


「サンキュー、タクマ」


「ありがとう」


「わーい!」


 それぞれ礼を言いながら水筒を受け取り、温かいお茶で喉を潤す。和やかな空気が4人の間に流れていた。


 ◇


「あっ! あんなところに花が咲いてる!」


 不意に、エリスが歓声を上げた。彼女が指差す先、林道の脇に立つ少し高い木の枝に、雪の中でも健気に咲く白い小さな花が見えた。冬の終わりに咲く、珍しい種類の花なのかもしれない。


「綺麗……。ねぇ、タクマ、あれ欲しい!」


 エリスは駆け寄ると、ぴょんぴょんと跳ねながら花に手を伸ばすが、あと少しのところで届かない。そして、くるりと振り返ると、キラキラした瞳でオレを見上げてきた。


「タクマ、お願い! 肩車して!」


「はあ? 肩車ぁ?」


 またかよ……。オレは内心でため息をついた。エリスのこういう無邪気な(そして無茶な)要求には、昔から弱い。


「いいでしょ? お願い!」


 うるうると潤んだ瞳で上目遣いに見つめられると、断れるわけがない。


「……ったく、しょうがないなあ」


 オレが観念してエリスの前にしゃがむと、彼女は嬉しそうに「やった!」と声を上げ、オレの後ろに回り込んだ。


(肩車……ってことは、エリスの脚がオレの首の横に来るわけで……。しかも、エリスの今日の服装はショートパンツ……。ってことは、つまり……)


 そこまで考えた瞬間、オレの心臓がドクン! と音を立てて跳ね上がる。


(それって……もしかして……膝枕より遥かにやばい状況だったりしないか?)


 膝枕の時だって、その柔らかさと温もりに理性が溶けそうになったというのに、今回は生太ももが直接オレの首筋や頬に……。どこを見ればいいんだ? というか、意識しないようにするなんて無理だろ!


「よいしょっと」


 オレが内心で激しい葛藤を繰り広げている間に、エリスは軽い掛け声と共に、ひらりとオレの首元に跨ってきた。


 ふわりとした感触と、確かな温もり。そして、想像以上にすべすべで柔らかな肌が、オレの首から頬にかけて、ぴたりと密着してくる。エリスの甘い匂いが、すぐ間近で香る。


(うわっ……!)


 全身の血が沸騰しそうだ。顔が熱い。心臓がうるさくて、エリスに聞こえてしまうんじゃないかと焦る。


「ふふっ。なんか、懐かしいね、こういうの」


 頭上から降ってくるエリスの楽しそうな声が、オレの混乱に追い打ちをかける。


(懐かしいって……。あの頃とは全然違うんだぞ、エリス! お前も、オレも!)


 そんな心の叫びは、もちろん声には出せない。


「……どうしたの、タクマ? 早く立ってよ。ほら!」


 ポンポン、とオレの頭が軽く叩かれる。


「わ、分かってるって! 落っこちるなよ!」


 オレは平静を装い、自分の膝に手を添えて、ゆっくりと立ち上がった。その瞬間、エリスが少しバランスを崩し、後ろに傾ぎかけた。


「おっと!」


 オレは咄嗟に、エリスの太ももを下から支えるように両手で掴んだ。


「ふひゃあっ!?」


 エリスが素っ頓狂な声を上げ、びくりと体を震わせる。同時に、オレの頬を挟む太ももに、きゅっと力が入った気がした。


(な、なんだ今の声は!? それに、なんか力入ってる?)


 驚いて上を見上げると、エリスは顔を真っ赤にして、潤んだ瞳でオレを見下ろしていた。


「ど、どうした?」


「な、なんでもない! タクマの手が、その、冷たかったから、少しびっくりしただけ……だよ!」


 早口でそう言うと、エリスはぷいっと顔をそむけてしまった。


(……本当にそれだけか? なんか、今の反応……)


 オレは釈然としないものを感じながらも、なんとなく気まずくて、エリスの太ももからそっと手を離し、代わりに膝のあたりを支えるようにした。


「あ、ほら、タクマ! もう少し前! そう、そこ!」


 エリスの指示に従って位置を調整すると、彼女は無事に目当ての花を摘むことができたようだ。


「やったー! 見て見て、タクマ! 可愛いお花!」


 エリスが満面の笑みで、摘んだばかりの白い花をオレの目の前に差し出す。その笑顔は太陽のように眩しくて、オレの心臓がまた変な音を立てた。


 その時、少し離れた場所から、わざとらしい咳払いが聞こえた。


「……お二人さん? いつまでそうしてるつもりだい?」


 ラウルの呆れたような声。振り返ると、ラウルはニヤニヤしながら、セリカは眉間に皺を寄せて、腕組みしながらこちらを見ていた。


(……やっべ。完全に二人のこと忘れてた)


「ほら、エリス! もういいだろ! 降りろって!」


「えー、やだー! このまま行こうよー! 景色いいんだもん!」


 エリスが子供のように駄々をこね、オレの頭を軽く左右に揺らす。


「ったく、お前は……」


 オレが諦めて、肩車をしたまま歩き出そうかと思った、まさにその時だった。


 ――キャアアアアアアァァァッ!!


 甲高い、女性の悲鳴。それも、一人や二人ではない。複数の絶叫が、前方の、湖がある方角から響き渡ってきた。


 一瞬にして、4人の間に流れていた和やかな空気が凍りつく。


「……今の、悲鳴?」


 セリカが険しい表情で呟く。


 ザワザワ……! 林道の奥から、人々が血相を変えてこちらへ向かって逃げてくるのが見えた。誰もが恐怖に顔を引きつらせている。


「化け物だ!」

「モンスターが! 逃げろ!」

「助けてくれ!」


 断片的な叫び声が、事態の異常さを物語っていた。


 オレたちは顔を見合わせた。互いの瞳に宿るのは、甘く穏やかな雰囲気など欠片もない、ハンターとしての鋭い光。


「……行くぞ!」


 オレが短く言うと、3人は力強く頷いた。エリスも後ろに倒れるように回転しながら素早くオレの肩から降り、臨戦態勢に入る。


 穏やかな湖畔で、一体何が起こっているのか。


 確かなことは一つ。オレたちの休日は、どうやらここで終わりらしい。



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