第7話 体育祭前夜、焦る気持ちと向き合う
5月下旬、風がほんのり夏の匂いを帯び始めた頃。
中学生活初の体育祭が、目前に迫っていた。
クラスの空気は、どこか浮かれている。
リレーの練習で盛り上がったり、応援グッズを作ったり、
半分お祭り、半分遠足気分だ。
でも──俺だけは、違った。
(──これが、俺にとっての"最初の本番"だ)
短距離走と、リレー。
それにクラス全員参加の大縄跳び。
その中でも、短距離とリレーは、俺にとって特別だった。
この数ヶ月、陸上部で流した汗。
父との基礎トレ。
必死に積み重ねたフォーム練習。
それらすべてを、
「初めて結果に変えるチャンス」が、明日だった。
緊張で、胃がぎゅっと痛む。
不安で、手が冷たくなる。
(……負けたらどうしよう)
(転んだら? スタート失敗したら?)
頭の中が、ネガティブな想像で埋め尽くされる。
(……ああ、クソ……!)
けど──その一方で。
(……こんな風に、命削るみたいに真剣になれるって)
(前世じゃ、一度もなかった)
その事実に、心の奥底で、震えるような興奮もしていた。
本気で挑む怖さと、
本気で挑める喜び。
両方を抱えて、
俺は今、生きていた。
◇
そんな俺の異変に、気づかないわけがないのが、妹・紗良だった。
夕飯後、ソファに沈んでいる俺の隣に、
コーラ片手でドカッと座り込んでくる。
「奏人~、顔死んでるけど大丈夫?」
「……ほっとけ」
目をそらしながら答えると、
紗良は、くすっと笑った。
「そりゃ緊張もするよね。
人生初の本気チャレンジだもん」
軽く言いながら、
でも、どこか優しい声。
「でもさ──」
紗良は、コーラの缶を指先でくるくる回しながら、
ふっと真顔になった。
「怖いって思えるのは、本気だからだよ」
「……」
「怖くないってことは、別にどうでもいいってことだから」
言葉に詰まった。
紗良は、笑いながら肩をすくめる。
「まあ、前世で散々サボってたおっさんの私が言うのも、
説得力ないけどね~」
「……ははっ」
思わず、笑ってしまった。
確かにそうだ。
前世じゃ、何かに本気で向き合ったことなんてなかった。
だから、怖いって思える今の自分を、
少しだけ誇ってもいいのかもしれない。
「……サンキュ、紗良」
「いいってことよ、兄貴」
ニヤッと笑う妹を見ながら、
俺はそっと心の中で誓った。
明日は、絶対に逃げない。
結果がどうあれ、
俺はこの初めての"本気"を、最後まで走り切ってやる。