第3話 本気の父親、基礎トレ指導開始
数日間、悩んだ末に──
俺はついに、決意した。
「……陸上部、入ろうかなって思う」
放課後の帰り道。
となりを歩く紗良に、ぽつりと打ち明けた。
紗良はすぐに、にっこり笑った。
「そっか。
じゃあ、頑張ろ?」
それだけ。
無理に背中を押すわけでも、期待をかけるわけでもない。
ただ、そのあったかい一言に、
俺は救われる思いがした。
◇
家に帰って、夕飯の時。
覚悟を決めて、父・蓮に報告した。
「父さん、俺……陸上部、入ることにした」
その瞬間──
バッ!
父は勢いよく椅子から立ち上がり、
目を輝かせた。
「よっしゃああああ!!」
──やっぱ、そうなるよな。
隣の紗良は、笑いをこらえながら肩を震わせている。
母・美咲も、苦笑しながら料理をよそっていた。
「な、なに、その……そんなに?」
「そりゃそうだろ! 奏人、お前には才能がある! 俺が見込んだんだ!」
「……いや、俺、別にそんな──」
「よし! まずはフォームの基本からだ! 基礎だ! 筋トレだ!」
完全にエンジンがかかってる。
やばい、これ絶対逃げられないやつだ。
父の周りには、明らかに「教えたくてたまらないオーラ」が渦巻いていた。
(……空気読め、俺)
観念した俺は、小さく頷いた。
「わかった。……教えてください」
「うおおお! やるぞーーーっ!!」
父、ガッツポーズ全開。
この人、いったい何歳だよ……。
◇
そして数分後。
俺と紗良と父の三人は、近所の小さな公園にいた。
住宅街の一角にある、誰もいない広場。
夕焼けに染まった空の下、父・蓮は真剣な顔で立っていた。
「まずは走り方だ。
陸上はな、正しいフォームを体に叩き込むのが最初だ」
「……はい」
横で紗良が、ジュース片手に見学している。
「がんばれー、奏人ー」
超軽いノリで手を振ってくる。
お前は遊びに来たのか。
そんな妹を横目に、俺は父に向き直った。
「じゃあ、走ってみろ」
言われるがまま、俺は公園の端から端まで、全力で走った。
ダッと地面を蹴って、風を切る。
前より少しだけ意識して、フォームを整える。
──ゴール。
息を切らして振り返ると、父は真剣な顔で頷いていた。
「……悪くない。けど、もっと楽に走れるぞ」
そこからが、本番だった。
「地面を蹴るとき、もっと足裏全体を意識しろ」
「腕は振り回すんじゃない。肩甲骨から動かす感じで」
父・蓮の指導は、想像してたよりも、ずっと的確だった。
怒鳴ったり、勢いだけで押したりはしない。
一つひとつ、わかりやすく丁寧に教えてくれる。
(……あれ? 父さん、こんなに教えるのうまかったんだ)
正直、最初は軽く見てた。
元アスリートってだけで、教えるのも脳筋系かと思ってた。
けど、違った。
言葉は簡単だけど、ポイントは的確。
ちょっとアドバイスをもらうだけで、走りやすさが全然違う。
「そう、それだ! 今のフォーム、めっちゃいいぞ!」
父が、めちゃくちゃ嬉しそうに言った。
その笑顔が、子どもみたいに無邪気で──
なんだか、見てるこっちが照れくさくなる。
「ほら奏人、もう一回!」
「は、はい!」
ぜぇぜぇ言いながらも、俺は何度も何度も走った。
フォームを直しながら、スタートの姿勢も繰り返し練習した。
楽しいけど、きつい。
けど、きついけど、楽しい。
不思議な感覚だった。
汗だくになって、地面に倒れ込んだとき。
紗良がぺたぺたと歩いてきて、ペットボトルを差し出した。
「おつかれ、奏人」
「……サンキュ」
ペットボトルの冷たさが、火照った体に心地よかった。
「すっごく頑張ってたね」
にこにこ笑う紗良。
その笑顔が、妙に嬉しくて、俺はちょっとだけ胸を張った。
帰り道、夕焼けの中を三人で歩く。
父は鼻歌まじりで上機嫌。
紗良はジュース片手にスキップ気味。
俺は、心地よい疲労感と、ほんの少しの自信を胸に抱えていた。
(……もしかしたら、俺、けっこうやれるかもな)
そんな、小さな手応えを感じながら──
俺たちは家路をたどった。