勇気を出して...
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明日の学校の用意を終えて、いつもならすぐ布団に入るところだが、電気スタンドのライトをつけて机に向かい合った。
帰りは、明日香と一緒に帰って今日彼とあったことを満足するまで聞いてもらった。聞き飽きることなく私の話をいつも親身に聞いてくれる明日香には、つい甘えて沢山話してしまう。
「よーし、始めるか…」
そう机に向かったのにもわけがある。今日から開始した"あのゲーム"のことだ。
「ちょっと簡単すぎたかも…」
そんなことを呟きながら、私は今日のミッションを確認した。
「初日から3つもクリア出来たってことは、やっぱり簡単すぎるってことだよね…だって名前なんて普通に呼ぶし、挨拶だってこっちからすれば返してくれるよね…」
帰りの挨拶は出来てないんだけど…そう付け足した私は、小さなため息をついた。
「うーん…このままじゃなぁ。ルールを変えてみようかな…」
まだ初日を終えたばかりだというのに、すでにルールを変更しようとしていることについて思うところはあるが、このルール変更等、決して後ろ向きな理由からのものではない。
「あんまり簡単すぎても面白くないもんね…!」
自分自身に言い聞かせるように、私は胸の前で握りこぶしを作った。
「えっと…じゃあとりあえず、この【1週間に5つ】ってところを変えようかな」
今日の感じからすると、正直、挨拶や名前を呼んでもらうなんてことは、ミッションとしてあまりにも簡単すぎる。ゲームなら、もう少し難しいものにするべきだろう。
「……ていうか、そんなことにも気づかないなんて…」
そんなことを考えて反省してしまいそうになる私だったが、今日という日を過ごさなければこの発想には至っていなかっただろう。それくらい、今日一日で彼との距離を縮めることに成功したのだ。
「とりあえず、ミッションは1つにしよう!で、難易度は少し高めにして、それをクリア出来たらまた次のミッションを考えるって感じにしようかな!でも、最初に設定したミッションがまだ2つ残ってるから、このルール変更は残りが終わってからにしよう!」
そのためにも、早く達成しないといけない。改めて決意した後、布団に入ってすぐに眠りについた。
『ピピピピピピ…』
いつも通り6時半のアラームが聞こえ、私はすぐさま腕を伸ばして音をとめた。いつものように二度寝をしようとまた布団に入るか、眠たいながらにのんびり準備を始めるか迷ったが、どっちもダメだ。私は布団から起き上がり、まだ覚めきっていない眠気を吹き飛ばす勢いで言った。
「今日は絶対に残り2つをクリアして帰るぞー!」
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8時20分、教室に着いた。教室に入るなり、すぐに彼の席の方に目を向けそうになって、思わず逸らした。今日は変に気合いが入っていて、なんだか緊張してしまっている。
(朝のホームルームが始まるまではあと10分。声をかけるタイミングは十分あるよね…)
そう思いながら、彼の席の方に向かいたい気持ちとは裏腹に、足が勝手に自分の席まで向かってしまっている。彼の方をちらっと見たが、相変わらず何人かの友達と楽しそうに話している。
(あんな風に囲まれてたら、声をかけたくてもかけられないよ…)
結局、自分の席に着いてしまった。もう1度試みようと、頭の中で何度かシュミレーションをしてみるが、やっぱり上手くいかない。
(友達と話してる最中に声かけられたら、むしろ迷惑だよね?それに周りの友達も、『なんでこいつがノートなんか頼んでるんだ?』って思うよね…)
想像すればするほど、悪い方向に考えてしまう。自分の机を見つめては、彼の方を見つめて…を繰り返していると、一瞬、彼がチラッとこちらの席を心配そうに見たのに気づいた。
(私の隣だから鈴華の席だよね?前も見てたような…)
たまたまよそ見をしただけかもしれないとも思ったが、正直、前同じことがあった時からずっと気にかかっていた。
『キーンコーンカーンコーン…』
もたもたしているうちに、8時30分を知らせるチャイムがなほってしまっていた。
(はあ…また声掛けられなかったな)
こんな自分に落胆しながらも、1限目の国語の用意を始めた。長谷川先生が教室に入ってきて、いつものように出席チェックを始める。
「今日も夢咲さんが欠席ですね、では、課題の答え合わせから始めていきますね〜」
先生が、黒板に文字をズラズラと書き並べていく。
「今日の課題は難しかったと思いますが、皆さん解けたかな?じゃあ…黒崎くんにお願いしようかなあ」
(当たらなくてよかった〜、国語は割と得意だけど、今日の問題自信なかったんだよな…)
安心する私をよそに、黒崎くんは頭を抱えて困り果てている。
「ちょっと難しいみたいなので…では星宮さん代わりに答えられるかな〜?」
いきなり名前を呼ばれてギクッとしたが、反射的に答えてしまった。
「は、はい」
「じゃあ前に来て書いてもらいましょうか〜」
先生に言われた通り、黒板まで行って答えを書いた。みんなの視線が注目する中、不安の残る足取りで自分の席へと戻る。
「お〜、流石!正解です〜」
普段はリアクションの薄い長谷川先生が、珍しくパチパチと拍手している。
(良かったー…合ってたんだ)
何人かのクラスメイトも拍手してくれて、安心した。
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「やっと国語終わったねー」
「もう疲れたー」
1時間目を終え、それぞれ席を立って友達とたわいもない会話をしたり、教室が賑わいだす。
私は、また余計な心配事を考えてしまう前に黒崎君の席まで向かった。
「おはよう…!」
「お、星宮。おはよう」
私の心の奥底にあった不安な気持ちが馬鹿みたいに思えるほど、普通に返事が返ってきた。大して仲が良くもないのにいきなり声をかけたことに、なんとも思っていないみたいだ。
「あのさ!前の英語の授業の時ノート忘れて取れてなかったから見せてもらえないかな…!」
もっと言葉に詰まってしまうかもとか、色々考えていたが、自分が思っていたよりは自然に声が出た。
「ノート??いいよ」
そう言うと彼は机からノートを取りだし、私に差し出した。
「ありがとう」
ほかのクラスメイト達に怪しまれないように、私はノートを受け取ると高まる気持ちを抑えてそそくさと自分の席に戻った。
(何とか言えてよかった…!ミッションはあと1つ)
早速、借りてきたばかりのノートの1ページ目を丁寧に開くと、いかにも『男の子の字』といった殴り書きか疑ってしまうほどの汚い字が並んでいる。なんとなく、字が綺麗そうという勝手な偏見を持っていたため、意外だなと思う反面、少し可愛いと思ってしまった自分に驚く。次の授業のチャイムが鳴るまで、私はひたすらノートを写し続けた。
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