あの瞬間が、もう一度
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「みなさんおはようございます〜」
1限目のチャイムが鳴ると同時に、長谷川先生がのんびりとした足取りで入ってきた。
先生が号令をかけ、クラスメイト達が気だるそうに挨拶をする。長谷川先生は、生徒思いで良い先生ではあるが、つい話が脱線してしまったり課題が多いことで生徒からは少し嫌われている。
(よーし、次の数学の予習でもするかー)
せっかく1番後ろという、とびっきり良い席にいるのだから、内職をしないわけにはいかない。早速、ノートを取りだしてペンを持とうとしたその時、何気なく喋っている先生の声がすーっと耳に入ってきた。
「この問題は、中々難しいですなあ〜」
いつもなら気にならない先生の口癖が、一際目立って聞こえた。
(ひょっとして…)
私の勝手な期待をかすかに抱きながら、さりげなく彼の席を見遣った。
「あっ…」
私が視線を向けたと同時に、彼もこちらを振り返って目が合った。数秒目を合わせたまま、2人だけの時間が流れた。心臓の鼓動が速くなるのを感じ、恥ずかしさにいたたまれなくなって目を逸らしてしまいそうになった時、彼がニカッといたずらな笑みを浮かべた。
『また言ってる』
先生の方を指さしながら、答えを教えて助けてくれたあの時と同じように、彼は口パクでそう言っているのがわかった。私もうんうんと頷きながら笑い返す。
周りは退屈そうに下を向いていたり、机に突っ伏して寝ている生徒までいて、私たちのやりとりに気づいている気配はない。
(この時間が、ずっと続けばいいのに…)
彼の爽やかすぎる笑顔にうっとりしながら、きっかけをくれた長谷川先生に感謝する。
(先生、変な口癖持っててくれてありがとう…!)
幸せな気持ちいっぱいに浸っていると、先生が彼の名前を呼んだ。
「おや?黒崎君、後ろ向いちゃってどうかしたんですか?」
「あ、いや何でもないです」
彼ははっとしたように返事して、すぐさま前を向いて姿勢を正した。
(もう!先生邪魔しないでよ!!)
先生への感謝の気持ちは一瞬で消えてしまったが、大勢いる教室の中、ほんの少しでも私と黒蓮2人だけの時間が流れたことに大満足した。
その後は、内職などせず幸せな気持ちに浸りながら時が流れるのを待った。
『キーンコーンカーンコーン…』
気づいたら、1限目の終わりを告げるチャイムが鳴っていた。
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「おはようー数学の授業始めるぞーー」
2限目のチャイムがなり、相変わらず威勢のいい声で山本先生が教室に入ってきた。
「今日は抜き打ちの小テストから始めていくからなー?」
先生の発言を聞いて、クラスメイト達がざわざわし始める。
「先生、抜き打ちは酷いってー!」
「予告してくださいよー」
私も、騒ぎはしないが焦り出す。
「まあまあ、みんな落ち着けー。ちなみに、半分以下の人は再テストあるからなー!」
先生の明るい声とは似合わない中々に厳しい内容を平気で言い放った。
文句の飛び交うみんなの声を右から左に聞き流しながら早速、テスト用紙を端から順に配り始めている。すぐに私の手元にもプリントが回ってきた。
「じゃあ、開始」
先生の合図で、みんなシャーペンを持って一斉に書き始める。私も、真剣な眼差しでプリントに向き合い、問題を読み始めた。……が、一向にペンが進まない。
(やばい、全然わかんない…)
周りのみんなは、素早い動きでコツコツとシャーペンを走らせている。周りのシャーペンの音で、余計に焦ってしまう。
「はい!終了、手止めて回収してー」
あっという間に時間になり、私もみんなもプリントを前に送り始める。
数少ない解ける問題から解くようにはしたが、空白箇所も多くて先が思いやられる。
「返却は次の授業な!」
一切手応えのないテストの結果など聞きたくもないが、再テストだけはなんとか回避するように祈るしかない。
「じゃ、前の続きからやっていくぞー」
そうして、いつも通りの授業が始まった。
『キーンコーンカーンコーン…』
「ありがとうございましたー」
長かった数学の授業がやっと終わった。あの後はサボることもなく真剣に話を聞いていたが、数学が大の苦手な私にとっては中々難しい内容で気疲れした。
(家に帰ってちゃんと復習しないと)
数学の教科書たちを、嫌々ながらもバッグにしまった。
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