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Emotional Colors  作者: 上川 千尋
第1章
4/12

1.

 広い青空の下、僕は自転車を走らせる。いつも感じる向かい風に良い違いを感じ、自分が知らないうちにペダルの回転を速めていた。

 肌でも感じる暖かい風が冬の寒さを追い出し、多くの人に春の訪れと新生活の到来を告げる。

今朝のテレビで見たニュースキャスターがそれと似たことを冒頭で話していたようなことを思い出していた。

 大学周辺に植えられている桜の花びらが風に乗せられて、自転車のかごに入れたカバンにひらりと落ちてきた。桜の花びらには、しわが一切なく色も淡い。一足先に空に向かって飛び立とうとしたのかな、と花にも急ぎたい願望があるように思えた。

 この国の新入生や新社会人は新生活の期待と不安の両方を抱えながら、始まりの四月を過ごし、理想の1年をイメージしていく。

 この東西大学も例外ではなく、塔屋市市民会館で入学式を終えた新入生が正門前や各学部棟前に集まっている。配布された資料に目を通すものもいれば、すでにグループを作り、談笑したり、写真を撮っているものもいる。

 僕も去年はあの中にいたことを思い出し、時の流れの早さを痛感しつつ、今の学生生活の充実具合に慣れてしまっていることを感じた。

 感傷に浸っている場合ではないと自分に言い聞かせ、少々大変だが、新入生の群れをかき分け、附属図書館へと向かう。待ち合わせに遅れると後々面倒な事態になりかねないと思い、待ち合わせの20分前、11時40分に附属図書館の自動ドアを開けた。

 多くの学部棟がある中で、大学構内の中心部分に東西大学附属図書館は建てられている。附属図書館は文学や法律学、医学や理学といった数多くの文献を保有しており、その数は国立大学の中で1番多いらしい。去年話した司書の人がそんなことを自慢げに話していたことを思い出す。普段から勉強する者が多くおり、勉学という学生の本分を全力でサポートする環境であるため、僕も度々お世話になっている。

 そんな施設と言えば、沈黙こそが相応しいのだろうが、そんな中に多少大きめの声が聴こえる空間がある。

 そこはディスカッションルームと呼ばれ、主にサークル活動の会議やテスト勉強で友達と一緒に話しながら勉強できる開放的な空間である。個別部屋も存在するが、申請する手間とディスカッションルームの広さからここを使用する学生が圧倒的に多い。

 ディスカッションルームに向かい、部屋の隅にある円形の机の周りに座っている長い茶髪を一点にまとめた青いジャージ姿の女子が僕の名前を呼んできた。

「本郷ー、こっちこっち!」

 複数のグループが僕の方に注目する。勉強や談笑の邪魔をしてしまったのか、いらつきなどの感情を含む視線が僕に向けられる。

 一応、図書館の中なのだから声は抑え目にするように、と1年間で何度言っただろう。もう言っても無駄なのだろうという落胆を抱え、二人の女子の机へ向かう。

「円藤、ここは図書館なんだし、大声で名前を呼ぶのはやめてくれよ」

「いやー、ごめんごめん。あたしって高揚すると声が一段と大きくなるからさぁ」

 円藤は笑いながら言い訳めいたことを言う。申し訳なさを感じないし、声量はいつもと変わらない気がすることは敢えて黙っておくことにした。

「なんか今日は機嫌が悪いね、なにかあったの?」

 切り替えの早さに定評のある円藤は何気ないことを聞いてくる。

 確かに機嫌は少し悪いが、顔に出ているとは思わなかった。いい機会だから嫌味を言って少しすっきりしよう。

「確かに機嫌は悪いな。どこかの誰かさんが寝る前にRainでスタンプを鬼連してきたからな」

 昨日、いや正確には今日の午前2時ごろに突然円藤から海外の大人気キャラクターであるスルーピーのスタンプを十数個も送ってきた。何事かと思い、Rain通話してみると相談したいことがあるから、昼の12時に来るようにと一方的に通話を切ったのだ。

 この嫌味に対し、円藤はいつもと変わらず、笑いながら答える。

「あははー、深夜にごめんね。でも本郷って普通はとっくに寝てる時間だよね。なんで起きてたの?もしかして夜のお楽しみの最中だったのかなー?」

と、ニヤニヤしながらそんな話題を振ってきて、茫然としてしまった。イラついていることがアホらしくなると同時に、円藤に女性としての恥じらいはあるのだろうかという心配が勝ってしまった。

「蓮花ちゃん、そろそろ本題を言わないと」

 笑っている円藤と呆れている自分を見かねて、円藤の隣に座っている綺麗に整えられたボブカットの小柄な女子が口を開く。

「そうだった、ありがとね。美鈴」

 円藤から感謝の言葉を送られた白のブラウスと黒のロングスカートを着こなした戸野倉美鈴は少し疲れたように相槌を打っていた。

「今日の入学式で演奏したんだっけ。お疲れ様、戸野倉」

 僕は戸野倉に労いの言葉を送り、戸野倉はうん、と言うと両手を枕にし、机にもたれかかる。戸野倉が所属している吹奏楽部は毎年入学式で新入生の前で演奏するのが伝統行事となっており、今日の服装も吹奏楽の衣装であることはすぐにわかった。連日の全体練習の疲れが一気に出たのか、しばらく休ませてあげた方がいいと判断し、僕はそっとしておくことにした。そんな戸野倉にえらいえらいと頭を撫でる円藤を見ると、友達というより仲の良い姉妹のように見えてしまう。

 改めて二人を見ると、いつも一緒にいることに多少の違和感を感じる人もいるように思える。

 円藤蓮花と戸野倉美鈴は容姿や性格から育ちの良さを感じさせるのは共通しているが、円藤はバドミントンといった体育会系、皆の中心にいるような、いわゆる陽キャであり、戸野倉は吹奏楽といった文化系、聞き上手であるが決して陽キャと言える人間ではない。

 そんな似ているわけでもない二人がいつも一緒にいるのだから、二人のことを多少知っている人間からしてみれば、一緒にいることに疑問をもつものもいるだろう。

 だが、こういう異なる人間性だからこそ、むしろうまく付き合えるのではないかと感じる。形の異なるパズルのピースが綺麗にはまるように。人間の関係を知ろうとすればするほど、より複雑で僕の理解が追いつかない要因が絡み合っているように感じるのだから、僕は人間が面白く感じるのだと思う。

 そんなことを考えていると、円藤はおほんとわざとらしく咳払いをし、僕の方を見据えていた。

「夜遅くに連絡してごめんね。どうしても付き合ってほしい用事があるの」

 自身の感情に偽りなく、純白さを感じさせる本音を言えるところが円藤の長所ともいえる。そのため、円藤に対してイラつきは感じることはあっても、最小限に留まることがほとんどだ。彼女の謝罪を受け入れ、続く言葉を待ち続ける。

「軽く昼ご飯を食べた後に、美鈴と栞奈と一緒に服を買いに行くから付き合ってほしいの」

「僕なんかでいいのか。言っとくけど、女子はおろか、友達のコーディネートの経験はないぞ」

 身に余るほどの役割を任命され、正直驚きを隠せずにいた。僕は服に関してこだわりがあるかないかと言えば、ないに振り切れている。どこにでもある白無地のTシャツに紺色のカジュアルジャケット、ベージュのチノパンといった服装だ。育ての親である「先生」曰く、ダサくもなければカッコよさもない、なによりも面白くなーい、とセンスよりも面白さを重視する人であったから参考にもならない。それ以降、服に関しては僕が着るのだから、他人にどう見られようがどうでもよいと感じるようになってしまった。

「センスはまあ、及第点って感じだよね。組み合わせはこっちでするから、色とか細かいアクセサリーとかを言ってくれればいいの。男子の意見も取り入れたいと思ったんだよねー」

 僕を値踏みするかのように下から上まで見回した円藤がそう話す。交際する相手には性格のみならず、容姿や服装のセンスさえも求められる。その人物によって求めるものの高低差はあるが、男でも女でも求めないという人間はそうはいないだろう。女性は男性と比べ、オシャレへのこだわりは自分にも恋人にも厳しい基準を設けている、気がする。それが19年生きてきた僕が目で見てきて自然と形成されてしまった概念、すなわち偏見である。ダサいと言われる覚悟を持っていた僕からすれば、お世辞でも及第点と言ってもらえただけでも結構うれしいものだ。

「それくらいならいいけど。後になって文句は言わないでくれよ」

 念のために保険の言葉を言っておき、わかってると円藤は微笑みながら言う。円藤とそんな何気ない会話をしているうちに、僕の心も落ち着いてきたのか、心の余裕を感じだしてきた。大学に入るまで、友達一人いなかった僕にとって同年代の人と会話することが、これほど楽しいこととは知らなかった。この楽しさを大切にしていきたいと感じるからこそ、人間という生き物は群れを作ろうとするのだろう、と自分の中にある人間としての本能が感じ取っている。そんなことを考えていると、顔の力が少し和らいでいることに気づき、鏡はないが自分の顔が少し微笑んでいることを自覚する。

 その瞬間、背筋が凍る、というより背中にナイフでも突きつけられたかのような緊迫感と冷や汗を感じた。僕が後ろを振り向こうとした瞬間、正面にいた円藤が僕の背後の方に向かって手招きしていた。

「栞奈―、こっちこっち!」

 僕の時と全く同じ声量で呼び、背中を向いた先にいた女子大生はため息をつきながら、円藤の方へと歩いていく。

 白のラウンドネックシャツの上に七分丈の黒ジャケットを羽織り、黒のジーンズを着こなす姿は、女子大生というより優秀なOLを彷彿とさせる。髪型はロブであり、整った容姿と相まって女子大生の可愛さとOLの美しさの両方を感じさせる。円藤も戸野倉も世間一般では可愛い、美人と言われる方だと思うが、神崎栞奈は二人とは少々異なる。言葉では完全には言い表せないが、何か人の注目を集めさせる魅力を出している、そんな風に思わせる女子なのだ。そして、神崎栞奈を特異な存在だと認識させる要因は大きく二つある。

「蓮花、ここは図書館なんだから静かにしないとだめじゃないか」

 ごめんごめんと、笑いながら謝る円藤と座る僕の真横で注意して呆れる神崎。神崎栞奈は容姿端麗という言葉が相応しいと思える女子なのだが、学校でもプライベートでも基本男性口調で話すのだ。性差別をするつもりは一切ないが、女性として多くの人から注目を集めやすい神崎が突然男性口調で話すというのは、大きな違和感と同時にカッコよさも感じ取れる。

「ギリギリに来るなんて珍しいね。何かあったの?

「ああ、バイト先から電話がかかってきてな。長電話だったからギリギリになってしまった」

 ぴたりと僕の隣に立ち、スマホを片手に少し申し訳なさそうに話す神崎に、円藤はいいよいいよー、と気にしていないことを強調する。神崎のスマホと一緒にもう一つの特異なものが僕の目に映る。それは黒革の手袋だ。別に酷い火傷があるからだとか、痛い設定ということではなく、単に素手で触れることに抵抗があるからだ。

「美鈴―。栞奈が来たよ。起きなよー」

 役者は揃ったため、円藤が戸野倉を起こす。少し寝ぼけた戸野倉が神崎に挨拶をし、服装から事情を察したのか、神崎は戸野倉の傍へ行き、演奏お疲れ様と小声で言った。戸野倉を気遣ってあえて小声で言ったのだろう、優しい一面を見せた後、すぐに僕の隣に戻ってきた。

 僕のこの一年の経験から察するに、この嫌な予感は神崎によるものだと断言できる。そう思い、神崎の方へ視線を向けると、眼鏡を少し上げ、座っている僕を見下すかのように睨みつけていた。その赤い瞳は目線のあった僕の瞳を貫いてしまうのではないかと思ってしまうほどの気迫を感じさせる。今回の一件による僕の円藤に対するイラつきとは少々異なる、イラつきと軽蔑を感じさせる赤と赤紫の小さな感情、あと一歩間違えていれば半殺しにされていただろうと僕の身体と精神がそう訴えていた。先の二人の会話を思い出し、自分のスマホを恐る恐る確認する。“Rain 神崎栞奈 不在着信4件”という文字がスクリーンに映っていた。

 バイト先からの長電話は間違いないだろう。通話が終わった後、すぐに僕にRain通話をしてきたのを察するに、緊急性のある内容だと考えられる。そして、Rain通話の着信時間は11時42分を表示していた。そして、神崎が円藤との約束のためにここに来てみれば、僕が呑気に円藤たちと話している姿が目に入った、といった流れか。彼女の立場になって考えてみよう。イラつきを覚えるのは当然であるが、ここまでの殺意をぶつけられるほどのことではないように思える。…初犯なら。すでに僕は同じようなしでかしを覚えているだけで片手では数えきれないほどになっていた。人間は同じ過ちを繰り返す生き物だと言われているが、まさしく自分は人間なのだという安心感とこの手の学習能力のなさを痛感した。蛇に睨まれた蛙のように神崎の方へ首を曲げることが出来ない。とりあえず、Rainで謝罪の文と後日埋め合わせをすることを送信した。

「とりあえず、食堂でお昼を食べてからショッピングモールに行こう」

 円藤が皆にそう告げ、僕と戸野倉が立ち上がり、4人で出口へ向かう。僕は神崎の方へ視線を向けると神崎と目が合った。僕に分かるようにため息をつき、歩きながらスマホをいじり、僕のスマホが振動した。すぐにRainを起動させ、神崎からのメッセージを見る。

『これはすぐ確認できるくせに。話は二人になった時にする』

 とりあえず半殺しにはならなそうだ。僕は安堵し、先に行った三人の後を急いで追いかけた。


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