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Emotional Colors  作者: 上川 千尋
第1章
3/12

エピローグ

 階段を上る音が聞こえる。焦る様子もなく、ただゆっくりと一段一段、歩む時間に尊さを見出したかのように。

 それを決定づけたのは、音ともに発せられる男の奇声だ。奇声というには些か大袈裟だろうか。それは家中に響き渡るものではなく、体の内側から欲望が少し溢れたかのように、キヒヒッやフフフという声を研ぎ澄まされた聴覚で否応なしに受け取ってしまう。

 身体が熱い。かつてないほど私の心臓は早く、そしてじっとするなと訴えるように強く叩いている。

 足が熱い、階段を駆け上がり、自室に行くために通る曲がり角で転んだせいだろう。「痛み」を熱という形で身体に訴えた結果だろう。

 頭も熱い、頭痛も酷い、頭を抱えずにはいられない。私の脳がオーバーヒートしたのだろう、この瞳が捉えた情報を処理し、理解するには数分で足りるわけがない。

 こんなにも私の身体は熱いというのに、どうしてか震えが止まらない。

 自室の扉を勉強机やタンスで塞ぐ、簡易的なバリケードが目の前にあるというのに身体の震えが止まらない。ただ自室の隅でうずくまるしか出来ない。

―――どうしてこんなことに。

 部活が終わって帰ってくる、「ただいま」と言えばリビングから「お帰りなさい」と返してくる母、18時には帰ってくる父を出迎え、談笑しながら暖かい晩御飯を食べる。普段と何も変わらない『日常』を今日は迎えることが出来なかった。

 晩御飯の途中で鳴ったインターホン、玄関に向かった母が帰ってくることはなく、代わりにリビングに入ってきたのはゴンッという鈍い音と黒い合羽を着た若い男が一人。戸惑いながらも父は男の正面まで詰め寄るが、何かに気づいたのかその場で大きく腰を抜かしてしまった。

 その後の光景が、今も私を苦しませる。

 腰を抜かした父がその場から立ち上がることはなかった。即ち刺されたのだ、男が持ってきたであろうサバイバルナイフ2本で。刺すことに慣れているのか、人体に詳しいのか、父の腹部をサクッと突き刺した。そこに力強さを感じさせない、いかに人間の身体が弱いのかを教え込まれた。そこまでは良かった、いや結果は最悪なのだが、ここまでは私の頭でも理解は出来る。

 この後の光景、返り血を浴びた男は私の正面にゆっくりと近づいてきた。頭よりも先に身体が動き、私は階段の方へ走り出した。先ほどまで父と言葉を交わしていたのに、その父を見捨てて。その罪悪感からだろうか、父の方を一瞬見たのだが、父の姿よりも信じられない光景が私を襲った。

 父の身体からナイフが勢いよく引き抜かれた、ナイフ自身がひとりでに。

 私の足の勢いも増した。部活終わりだというのに、力を込めずにはいられない。このままじゃ、もう二度と走れなくなるから、殺されてしまうから。父の死を目の前で見てしまった私には、反撃だとかは助けを呼ぶだとかは頭の中から抜け落ちてしまった。それほどにまで、人間にとって「死」とは逃走を促す劇薬なのだ。

 私は頭を抱えながら言い聞かせる、これは夢だ、悪い夢なのだ。こんなことが現実であってはならないと。頬をつねるだけでは夢は醒めない、いっそのこと、壁に頭をぶつけようかと壁の方へ体を向けたが、その瞬間、上から鋭い音が響き渡った。

 思わず耳を塞ぎ、声にならない悲鳴を上げた。

 部屋は暗闇で支配され、床には大きさ違いの白く光る何かがパラパラと落ちていた。上を見上げて理解した、自室の照明器具が壊れたのだ。だが理解できない、なぜひとりでに壊れたのか。

理解なんてとうに諦めていたが、諦めることを催促するように間髪入れず、今度は鈍い音が部屋中に響く。壁を内側から叩いている、途切れることなく。自室には私しかいないはずなのに。

 もう訳が分からず、私は目を背けた、このおかしな現象に。再びうずくまって、さらには目を閉じた。何かを引きずる音が聞こえるが、私は知らない、知りたくもない。これは悪夢なのだと、頑なに私は言い聞かせ続けた。

 唐突に壁を叩く音が鳴り止み、部屋に光が差し込んだ。

 ふと私は安堵した。ああ、悪夢は終わったのだ、と。きっといつの間にかベッドで寝てしまったのだ、そして目を開けば明るい陽射しが差し込み、白い天井が私の視界に入っているのだ、いつものように。

 私の目の前に立つ黒い影が、その日常に終わりを告げにやってきた。バリケードはいつの間にか退けられていて、内側から掛けた鍵は開けられていた。

「…は、ははは」

 弱々しく、乾いた笑い声が発せられた。発した主が私なのだとすぐには気づかなかったが、もうどうでもよくなっていた。

 目の前に立つ男は、変わらず欲望の溢れた奇声を発している。それはどこか楽しそうで、おかしく思ってそうで顔は笑みを浮かべていた。

 私は知りたくもないことを理解した。男がこれらの現象の元凶なのだと、きっと『恐怖』に満ちた私を見ることが目的だったのだろうと。

 それを理解した時には、私の身体の震えは止まっていた。だが同時に、身体を動かすことが出来なくなっていた。手を動かすことも、足を動かすことも叶わない。

だが、私にとってはもうどうでもよかった。やっと解放される、もう何時間も続く拷問のような時間は終わったのだ。

 一思いに、そう願ったときにはサバイバルナイフが私の腹部に刺さっていた。刺された痛みも、引き抜かれた痛みももう感じなかった。聴覚が強く刺激されたせいだろうか、あまり痛覚とは関係なさそうだが、もう私には関係ない。

 身体の力が抜けて、床に横たわる。床に広がる私の流血が私の肌に触れる。体内にあるから暖かいと思ったけれど、床の冷たさに熱を奪われたのか、少し冷たい。それがなんだか心地よかった。

 男は私に背を向けて部屋を出ようとする。もう私には関心が無くなったのだろう。綺麗な手でドアノブを握り、部屋を後にする。

 扉を閉じられた部屋は再び暗闇に包まれる。

 私の瞳は力をなくし、ゆっくり閉じていく。そして二度と、光を受け取るために開かれることはなかった。


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