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Emotional Colors  作者: 上川 千尋
第1章
12/12

9.

 目の前に広がる白く輝く刃物たちをを見て、彼女は一度立ち止まったが、その時間は長くは続かなかった。

 左折したこの道はもう直線しか続かず、車が二台通れるほどの道幅の両サイドは大人2人分ほどの高い壁で塞がれ、その奥の住宅に入れないようになっていた。即ち逃げ道はお互いの背後にしかなく、戦うなら真正面でやるしかない。

 息をのむが、その空気は春の夜に当てられて酷く冷たい。肺を通った空気は、身体の内側まで熱を冷ましていく。普段なら遠慮願いたい寒さだが、身体中を巡る昂った血を冷ますには丁度良かった。真正面で向かい合う戦いにおいて、重要なことは自身と相手の置かれた状況をいち早く理解すること、それを実行するには血に宿る余分な熱は脳と身体の動きを阻害してしまう。

 この寒さのおかげで俺の思考は限りなく綺麗な白に近い。置かれた環境さえも俺の味方をしているように感じ、尚更ここで決着をつけるしかないと思わせる。

 だが、それは目の前に立つ彼女も同じなのだろう、不用意に前へ進むことはなく、俺に向けられたものは何とも言えない表情だった。微笑みのような穏やかさか、それとも戦うことを決めた荒々しさか、それらを合わせた強い目をしていた。

 一歩、前へ。進んだのは彼女の方だった。右手をジャケットの内側をまさぐりながら、ただゆっくりと歩いてくる。ジャケットから取り出したのは細長く黒い入れ物、少し離れているせいか詳しくは見えず、目を凝らそうとしたがその必要はなくなった。彼女が両手で持つと入れ物は伸び、白く輝かしい光を放つ。俺の周辺に浮いている刃物たちも電灯の光に照らされて白い光を帯びているが、そんなものとは比べ物にならない。

 同じ刃物なのかと疑ってしまうほどに、その光は一段と鋭く美しい、さらにはその持ち主が美しい彼女であればなおさらだろう。刺されてもいないのに刺されてしまう姿を想像してしまうほど、視線と心を奪われそうになってしまった。

 だが、俺の思考はとても落ち着いている。少しでも過度の熱を帯びたままであれば、少しずつ迫ってくる彼女と手に持った短刀に釘付けとなり、状況の把握が遅れていただろう。吸った息を少しずつ、一定の量で吐き出すことで心臓の鼓動を落ち着かせる。そして脳裏に浮かんだ言葉が俺を僅かに安堵させた。

―――そう、それだけだ。

 彼女の得物は右手に構えた短刀一本、たったそれだけで周囲に浮かんでいる刃物たちへ歩いていくその姿は余りにも無謀すぎる、他に隠し玉でもないとおかしいと思うほどに。

 余りに異質すぎる光景が、先に感じた安堵を心の奥深くに押し込め、油断という言葉がこの瞬間だけ俺の辞書から抹消された。

 まずは一刀を差し向ける。彼女の方へ向かっていくサバイバルナイフは決して速くはない、臆することさえなければ躱すには充分すぎる時間がある。躱される前提の攻撃、すなわち様子見、彼女の出方を確認するための餌に過ぎない。

 彼女は左手に持っていた鞘を地面に落とし、向かってくる白い光を横にずれて躱す。そしてさらなる白い光、彼女の右手にある短刀でサバイバルナイフをさらに遠くへ弾き飛ばした。キィンッ、と鋭い音が発せられ、サバイバルナイフは10mほど遠くへ運ばれたが、彼女は依然変わらず一歩一歩近づいてくる。

 俺は力を込める、次は握っている刃物すべてで相手をする。先の光景で心は定まった。次で決める、否、決めなければならない。先の彼女の行動が狙い通りだったのか、偶然だったのかどうでもいい。俺の能力についてどこまで知っているかも分からない、だが彼女が俺の知り得る限り最適の方法で対処したとなれば、俺の切り札とも言える能力の詳細を既に知られていると考えるべきだ。

 俺の気迫を察知したのか、彼女はさらに一歩ずつ距離を詰めてくる。ゆっくりと、手に握られた白い光とともに近づいてくる。それはネズミを逃げ場のない壁際に追い詰めたネコのように、余裕を帯びる立ち振る舞いのように感じてしまう。その姿が俺を苛立たせる、目の前に広がる殺意の象徴たちなど、俺の能力など脅威にならない、そう言われて仕方がないのだ。

 ナイフたちの刃先の標準を彼女に合わせ、間を置くことなく一斉に差し向けた。苛立ちのせいだろうか、この空間には思った以上の緊張感は漂っておらず、差し向けることに躊躇いはなかった。自分では無駄な時間をかけたつもりはなかったが、彼女の素早い一歩が先に動き出していた。

 圧倒的に俺の方が有利なはずなのに、先手を取られたという事実が俺の焦燥感を駆り立てる。彼女は真正面からくることはなく、横を経由する形、俺から見て左側から接近してきた。真正面から突撃するような愚かな真似はしてこなかったが、はっきり言えば、それは悪手に他ならない。向かってくるナイフから避けることを優先する、その行動指針さえ判明すれば、先読みをすることもそう難しくはない。左側にナイフを集め、足を切り返して手薄となった右側から俺の懐に入ってくる、そんな感じだろう。短刀しか握っていない、それは接近しなければ殺せない、と語っているようだった。

 彼女の安直な考えに思わず笑みが零れてしまった。だが、笑みを零してしまったのはそれだけではない。ネズミを追い詰めた気でいるのだろうが、この状況に陥ってしまった時点で追い詰められたのは間違いなく彼女の方なのだから。

 俺の足元に置かれている鞄が俺の右側前方に突如投げ出され、楕円状の弧を描いていく。鞄が落下し始めた直後でいいだろうか、能力で鞄を落ちないように持ち、中に入れておいた五つの白い光が、彼女が切り返して向かってくるであろう右側へ進みだした。彼女にとってはほぼ全方向から刃先を向けられている、そこから一斉に差し向けられれば、串刺し死体の完成というわけだ。

 なおかつ俺の能力の射程範囲内であれば持ち続けることが出来る。つまり、万一迫ってくるナイフを躱すことが出来ても、追尾してくるナイフがさらなる追撃を仕掛けるという流れだ。

 狙い通り、鞄から出てきたナイフたちが彼女から見て左側を経由し、彼女の逃げ場をなくす。そんな彼女は前方に向かって短刀を一振り。前方から向かっていた二本の包丁を大きく真上へ打ち上げるが、それだけだった。一振りの隙に十数本の刃先が彼女を襲いだす。

 躱すことも、逃げることも叶わないこの状況で彼女は何を思うだろうか。その表情を見たくて彼女の顔を見ようとしたが、そう簡単に表情は見えなかった。

 彼女の足は止まることも、切り返すこともなく、ただ真っすぐ壁の方へ向かっていた。高い壁を駆け上がる、いや少し斜めに角度をつけているため、上へ昇るというよりも壁を駆けて俺の背後へ回り込むというのが正しいだろう。

 壁を駆けているが彼女もこの惑星の生物、重力には逆らえず途中で体勢が崩れ始めるが、

 落下を防ぐために壁をタンッと蹴って、少しばかり宙を舞う。

 空中にいれば躱すことは出来ない、その判断を下すまでに僅かな間を生んでしまうが、その遅れをすぐに取り戻すために、握ったナイフたちを彼女の方へ向かわせる。だが、その僅かな間を生んでしまったことが、俺の運命を決定することになってしまった。

 宙に舞う彼女と一瞬目が合う。そして同時に俺の左肩から激しい痛みが身体中を駆け回る。

「…う、がぁぁあ」

 身体の外側から生じる熱が俺の左肩を苦しませ、考えがまとまらないうちに思わず右手で左肩を押さえてしまった。触った瞬間に感じる触覚が生じた熱の正体を暴かせた。激しい痛みが熱となって身体に訴え、熱源である左肩に視線を向けた。そこにあったのは突き刺さった短刀が一本、俺の身体を抉るだけでなく、傷口を中心に生暖かい液体が身体の外へと流れていた。

――痛い、痛すぎる。

 その思考を持ってしまったのが運の尽きだった。

 冷静な思考は彼方へと消え、突き刺さった短刀を右手で引き抜いた。流血は目に見えるほど多くなり、俺の心には動揺を、身体には過度な熱が再び訪れた。考える余裕もなく、最早状況の把握など出来るはずもなかった。

 痛みを堪えて前を見れば、変わらず彼女が立っていた。ついさっき宙を舞ったばかりだと思っていたが、それは既に終わっていた。

 彼女へ向かわせた刃物たちはどうなったのかと周囲を見れば、彼女が宙を舞ったであろう箇所に散乱していた。恐らく刺された衝撃で刃物たちを持ち続けることが出来なくなったのだろう。

 そして今気が付いた、俺の左肩に突き刺さったのは彼女が手にしていた短刀であったことに。その証拠に彼女の右手には白く輝く短刀はなく、完全に無防備な状態であった。

 だが、もう決着はついたと言えよう。地面に転がった刃物たちを握ろうにも、力が入らず浮かせることも出来やしない。彼女の短刀を持つ右手もほとんど力が入らず、握るだけで精一杯。なによりこの状況を理解するスピードの遅さが俺にとっては致命的だった。

 だが彼女は俺の戦意喪失の事実を知る由がない。彼女は俺との距離を詰め、俺の腹部に渾身の一撃をお見舞いした。

「…うっ、があ」

 先ほどとは異なる身体の内側から訴える痛み、それは残った俺の力を削ぎ落すには充分であり、俺は殴られた衝撃に身を預け、後ろへ倒れこんでしまった。

 俺の視界に映るのは黒い空、俺の瞳に入り込んでくるのは無数の星々。それらを同時に認識することで、初めて「夜」という存在を理解できた、知った気がした。今までは仕事や勉強、睡眠といったものに追われ、朝や昼、夜などは時間の一部に過ぎず、大きく意識したことはなかった。

 だが、今は違う。そして、どうして今となって、そのようなことが理解できたのか。俺は考える、倒れこんだまま、星を眺めて。

――ああ、そうか。そういうことか。

 そして理解できた時、俺は立ち上がることはせず、ただ静かに時を待った。

 ドサッ、という音とともに感じる腹部への重さ。視線を向けると、彼女が俺の腹部を跨いで座り込んだ。彼女に馬乗りにされ、彼女の手には血塗れの短刀が一本握られていた。きっと俺の右手から取ったのだろう、その事実さえ確かか分からないほど腕の感覚は無くなっていた。

 止めを刺しに来た、彼女の行動がそれを物語っている。彼女の短刀からは血が垂れて、俺の左手に落ちてくる。その垂れた血はとても冷たい、熱を持たない死体から抜き取った血のように。その血の冷たさのおかげで、先の理解は確信に変わった。

――俺の命は尽きようとしている。

 この惨状なら当たり前のことだろう。そして自分の命が徐々に消えていく感覚は一生に一回しか訪れない。この世界から俺という命が、存在が消える。それは死であり、即ち支配からの解放と言える。生物は生きている限り、生命活動の維持に支配されている。食事や運動、睡眠は必要不可欠であり、それらを規則正しく行うためにサイクルを組むため、時間にも支配されていく。そう、人間は生きている限り、多くの存在に、「世界」に支配されている。

 俺は死が近づいてきたからこそ、生きるためのサイクルは崩壊し、多くの支配から解放された。時間という支配から解放されたからこそ、「夜」という存在を理解できたのだ。

 けれど、理解できたとて嬉しくはない。理解できても、存在し続けなければ意味などないのだから。

「……ねぇ」

 ポツリと、倒れこんだ俺の身体に馬乗りになった彼女はそう呟いた。先に見せた果敢な立ち振る舞いが嘘であったかのように細く、力が込められていない声。俺を見下ろす彼女の顔もその声の主に間違いはないと思ってしまうほど、彼女の表情は酷く冷めていた。

「…どうして、殺したの?」

「…どう…して?」

 彼女からしたら当然の疑問だろう。どうして死ななければならなかったのか、即ち動機。怨恨か、強盗か、それとも単なる気まぐれか。少なくとも俺と面識などなかった俺に殺される理由がない。それを今、彼女は問い詰めてきている。

 答えを述べない俺に、彼女の表情は一向に変わらず、その瞳は氷のように冷めている。きっと俺の態度と表情から察したのだろう、俺自身の顔は見えずともどのような表情をしているかは分かる。

「やっぱり、そういうことなのね」

「………」

 彼女の問いに対し、俺は「キョトン」とした表情だった。

 俺自身の行動にも、あの一家を狙ったことにも理由はない。ただ、そうしたかった、その欲望に逆らえなかった、というのが答えなのだろう。それはあまりにも身勝手、到底許容されるような理由になるはずもない。今更ながら後ろめたさが生じたのだろうか、俺は彼女の顔を直視できなかった。だが、彼女たちを殺した罪悪感から逃げることを拒んだことを思い出し、俺は少しずつ視線を上げて、彼女の顔を視界に入れる。入れた瞬間、俺は目を疑った。俺の瞳に映った彼女の表情は少し柔らかく見えた、決して無理矢理作っているわけではなく、彼女の今の心情を鮮明に表していると感じるほどに。

「…ねえ、あなたは今、後悔してる?」

 

 その一言は、俺の心臓を鷲掴みにすると同時に時間を忘れて聞き入ってしまうほどに、純粋で儚く聞こえた。

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