半死半生の身体
何事にも100%全力を出して臨む男がいた。
その男は学生で、学校でも、アルバイト先でも、常に全力。
だが、全力を出せば出すほど、物事が上手く立ち行かない。
無駄なところに力が入って、疲れた一瞬に大きな失敗をしてしまう。
周りの人たちとも噛み合わない、空回りの状態。
報われない生活に嫌気が差して、気が付くと、高いビルの屋上にいた。
周りのビルを見下ろすような、背の高いビルの屋上。
屋上の柵に身を乗り上げて先を覗くと、足元の遥か下には、
小さな町並みと豆粒サイズの人々の姿が見えた。
「・・・このまま死んでも良いかも知れないな。」
そんなことを考えていると、不意にその男の足元がふわっと浮いた。
単に体のバランスを崩したのか、それとも罰でも当たったのか、
その男の体は柵を越え、ビルの下へと落ちていった。
無だった意識に、光と感覚が徐々に戻っていく。
目が覚めるとそこは飛び降りたビルの下ではなかった。
何もない広大な空間。
遥か遠くには霧が立ち込めていて見通しは利かない。
そして、寝そべるその男の両側には、二人の何者かがいた。
片方は、金髪に透き通る体に白い翼を生やした天使。
もう片方は、白骨の体に黒い頭巾と法衣のような服を着た悪魔。
天使と悪魔が、その男の両側から覗き込んでいた。
「あ、やっと目を覚ました。」
「うむ、これでやっと手続きを進められるな。」
当然のごとく人の言葉を喋る天使と悪魔に、
その男は慌てるでもなく、のんびりと尋ねた。
「ここは天国か、それとも地獄か。
僕は死んだのか?お前たちは天使と悪魔か?」
すると、天使と悪魔は顔を見合わせて、まずは天使が話し始めた。
「ええ、そう。私は天使、あいつは悪魔。
お互い、天国と地獄から、あなたを迎えに来たの。
あなたはビルから飛び降りて死んだ。そうよね?」
飛び降りたのかと聞かれて、その男は困ってしまう。
「う、うーん。飛び降りたのかと言われると、そうでもないような。
死んでも良いとは思ったんだけど、
飛び降りようとまでは思わなかったというか、
どちらかと言うと、足を滑らせて落ちたのかも。」
何とも頼りない答えに、悪魔がイライラと話し始めた。
「はっきりしない奴だなぁ。それじゃ俺たちが困るんだよ。」
「困る?何が?」
すると、たしなめるように天使が言った。
「あのね、人の身体はみんな、生と死の間を常に彷徨ってるの。
生が50%を超えている時に死ぬと、その人は天国に行く。
生が50%を下回って、死が50%を超えている時に死ぬと、
その人は地獄に行くことになる。
人にとって死ぬ瞬間の生死のバランスは、
死後の行く先を決める大事なことなの。わかる?」
「わかったような、わからないような。
身体の生が50%を上回っているのに、死ぬことがあるのか?」
「それはそうでしょ。
だって心の気力は十分でも、体が不健康なら生きていられないもの。
人間は心と体を合わせて身体ができてるの。
そして偶然にも、あなたはビルから落ちて死んだ瞬間、
生と死がピッタリ50%ずつの状態で死んでしまったの。」
「そのどこに問題が?」
「大有りよ!」
天使がグイッと顔を近付けて言った。甘い花のような匂いがした。
くっくっくと笑いながら悪魔が説明した。
「人は死ぬと天国と地獄に分けられる。
しかし、死んだ時の身体の生と死がピッタリ50%ずつだった場合は、
その人の行き先を決めるのが大変になる。
あの世で裁判をして、そいつの行き先を決めなきゃいけないんだ。
こんな事例は滅多に起こらないことなんだがな。
かかる手間も大きい。
でも、今は天国も地獄も人手不足でな、一人でも多くの死者が欲しい。
どちらも黙って諦めることは無い。
だからお前は、これから裁判で行き先が決まるまで待つことになる。」
「あっ、でもね、裁判と言っても心配しないで。
私たち天使と悪魔が代理人になるから、
あなたはあの世の裁判に出廷する必要は無いの。
判決が出るまで、この世で普通に生活してくれて構わないから。」
「でも、僕は死んだんだろう?どうやって生活するんだ。」
「最初に言ったけど、あなたは生と死が50%ずつの状態。
しかも偶然にも、心も体も両方とも、生と死が50%ずつなの。
だから、ギリギリ半死半生の身体で、この世で生活することができる。
半死半生の身体は、文字通り身体が半分死んでいる。
言わばゾンビみたいなものね。
でも、何時どの部位を殺しておくかは、意識して選べるから安心して。
あっ、もう時間みたいね。
連絡が必要な時は、またこうして夢の世界で会いましょう。」
天使と悪魔が一方的に捲し立てた後、
聞きたいことは山ほどあるのに、その男の意識は沈んでいった。
その男が目を覚ますと、そこはビルの下の地面、ではなく、
ビルの途中の階にある庭のような場所だった。
樹木だの草花だのが植えられていて、それがクッションになって、
その男の身体を受け止めてくれたらしい。
起き上がろうとするが、全身に痛みが走って動かせない。
そこで天使の話を思い出す。
今のその男の身体は半死半生、殺す部位は自由に選べるのだったか。
そう考えている間に、すーっと痛みが溶けるようにして消えていった。
「これ、痛覚を殺したってことか?麻酔みたいに?
これが半死半生の身体ということか。」
どうやら、天使と悪魔の話は夢ではなかったようだ。
間もなく、誰かが呼んだであろう救急車に乗せられ、
その男は病院へと運ばれることになった。
救急車の中で、救急隊員に詰問される。
「ビルから飛び降りたんですか?」
「はあ、そんなような、そうでないような。」
「体に痛むところはありますか?」
「あるような、ないような・・・。」
そんなはっきりしないやり取りの後、救急車の車内で応急処置を受け、
病院で精密検査を受けることになった。
検査の結果は、大きな問題は無し。
ある程度の外傷はあれど、命に関わる大きな怪我は無いということだった。
あの高さから落ちて、この程度で済むはずが無いと、医者が目を白黒させていた。
医者は知らぬことだが、それはその男が必死で、
検査する身体の部位を生かすよう、
身体をコントロールした結果に他ならない。
その間は、身体の別の部位が死んでいたことに、
医者は気が付かなかったようだった。
右腕の検査をする時は左腕を殺し、左腕の検査をする時は右腕を殺す。
全身を同時に検査する時は、心や感覚などの体に影響が無い部位を殺した。
なにせ半死半生の身体であることがバレたら、どんな扱いになるかもわからない。
もしかしたら、病院で実験生物にされるかも。
そんな恐怖心から、その男は半死半生の身体のコントロールを必死に覚えた。
その甲斐あって、その男が病院から退院する頃には、
もうすっかり半死半生の身体を使いこなせるようになっていた。
そうしてその男は、半死半生の身体で日常生活に戻った。
朝起きて学校に行き、授業を受け、放課後はアルバイトに勤しむ生活。
何事も上手く行かず、一時なりとも死を意識した生活は、
半死半生の身体を得て大きく変わった。
その男の身体は常に半分を殺しておかなければならないが、
しかし殺しておく部位はコントロールすることができる。
まだ怪我が残る体の部位や、疲れた部位を殺しておくと、苦痛が楽になる。
退屈な授業中などは、脳などを殺して意識を失っても問題は無い。
居眠りならぬ、居死、といったところか。
学校に友達はいないが、孤独感を殺せば辛くない。
すると様子がおかしいのを察したクラスメイトたちが、
逆に心配して様子を見に来たり、欠席中のノートを貸してくれた。
学校を終えてアルバイト先へ。
アルバイト先では、先輩である若い女が心配して真っ先に駆けつけてくれた。
その若い女は、可愛らしい見かけに愛嬌のある性格で、その男にとって憧れの人。
かつては思い切って交際を申し込んだのだが、
恋愛対象としては見られないと断られてしまい、
それがビルから飛び降りる切っ掛けになったのだっけ、
などとその男は思い出していた。
振られた相手と顔を合わせるのは辛いが、心を殺せば耐えられる。
ここでも半死半生の身体がその男を助けてくれた。
アルバイト中は邪念を殺し、空腹時は食欲を殺すなど、
欲求のコントロールすら可能。
しかし、便利な半死半生の身体にも、弱点はある。
まずは体臭。
毎日数時間もすると、強い体臭が漂い始めてしまう。
半死半生の身体は、半分は死体なのだから、臭うのは当然のこと。
その男は毎日頻繁に体を拭いたり消臭剤を使わねばならなかった。
あまり長い時間、同じ部位を殺しておくと、本当に死体になってしまう。
殺す部位を適度に入れ替えるのは怠れない。
そして、半死半生の身体の一番の天敵は、何と言っても病院だった。
健康診断などでどうしても病院に行く必要がある場合、
とにかく医者に診られる可能性がある身体の部位は生かし、
見えない身体の部位は徹底的に殺しに殺した。
病院から出た直後は、長く正座を組んでいた足を解いた時のように、
殺していた身体の部位の痛みにのたうち回っていた。
ともかく、問題はあれど、その男は半死半生の身体での生活を続けていった。
半死半生の身体は、思いの外、その男の生活を楽にした。
何事にも全力で、全力故に空回りしていたのが、
身体から半分生が抜けることによって丁度良くなった。
怠けるのではなく、不必要な時には休めるようになったということ。
すると不思議と、勉強も人間関係も、上手く回り始めるようになった。
得意科目は気楽に楽しめるようになり、
その分、苦手科目には集中することができるようになった。
好きな相手に自分の気持ちばかりを押し付けず、相手を思いやり、
嫌いな相手にもムキにならず、心を殺してやり過ごす。
すると、今までできなかった友達らしきものもできていった。
アルバイトの作業も適度に余力を残すことで失敗が減った。
すると、憧れの先輩である若い女とも、
自然に語らうことができるようになった。
身体にエネルギーが有り余りすぎていたその男にとっては、
半死半生の身体は丁度良いようだった。
ある日の夜。
目を覚ますと、そこは布団の中ではなかった。
広大な空間に、霧が立ち込める光景。
いつか見たあの世の光景が広がっていた。
その男の両隣には、あの時と同じ天使と悪魔がいた。
天使がニッコリと笑って話した。
「久しぶり。半死半生の身体で、上手く生活できてる?」
「あ、ああ。今日はどうして?」
カランカランと白骨の体を鳴らして、悪魔が答えた。
「裁判の経過報告をしようと思ってな。
どうも、もうすぐ裁判の判決が出そうなんだ。
お前の身体が変化しているらしくってな。」
「僕の身体に変化?
相変わらず、半死半生のままだけど?」
「うん、体はね。
でも、身体の心の部分は、日々変化してる。
あなたにも自覚があるんじゃない?
もしも、あなたが生を望んでるって認められたら、
半死半生の身体じゃなくて、100%生の身体に戻れるよ。
よかったね。」
満面の笑みの天使に、しかしその男は神妙な面持ちだった。
その男が目を覚ますと、今度はちゃんと朝だった。
一人暮らしの部屋だったはずが、台所には人の気配があって、
味噌汁など朝食の香りが漂い伝わっている。
「あ、起きた?おはよう。」
そう言って顔を覗かせたのは、アルバイトの先輩の若い女。
今はその男と親しくなって、こうして同じ部屋で寝食を共にしていた。
その男は起き上がって伸びをすると、
まずは臭い始めた身体を拭くために洗面所へ行った。
身体を見られて困る仲ではないので、若い女の前で半裸になるのも構わない。
すると、若い女がエプロンで手を拭き拭きやってきて、その若い男に言った。
「あなた、随分と体臭を気にするよね。」
「え?ああ。僕は体臭が強いからね。
君や周りの人を不快にさせないように、体はマメに拭いてるんだ。」
「ふーん、そう?わたし、あなたの匂い、嫌いじゃないよ。」
「なんだって?だって体臭は体が腐る臭い、つまりは腐臭だぞ。」
「それは生き物みんな同じ。
生き物の体は生物だから、放って置いたら痛んじゃう。
それを免疫だっけ?そういうので抵抗して、
それでも痛んだ部分は老廃物として捨ててる。
人が心も体も100%全力で生きてるなんてありえないよ。
みんなどこかが痛んでるし、手を抜いて生きてるんだよ。
わたしは、手を抜いてるあなたも嫌いじゃないよ。」
人が100%生きているなんてありえない。
若い女の言葉はその男の心に深く刻み込まれていた。
次の日の夜。
その男が目を覚ますと、またもや布団の中ではなかった。
広大な空間、広がる霧、天使と悪魔が控えていた。
天使がまた笑顔で口を開いた。
「あのね、裁判の判決が出たんだよ。あなたは・・・」
するとその男は、手の平を突き出して天使の口を塞いだ。
「おっと、待ってくれ。
僕にはもう、あの世での裁判の判決はいらないよ。
僕の生き方は僕が決める。もう見つけたんだ。
心も体も、この身体は全て僕のものだ。僕が決める。」
そうしてその男は目を閉じて、身体をコントロールするために集中し始めた。
大丈夫、やったことは無いができるはず。
それからその男は、身体の部位を殺した。
その男が殺したのは、信仰心という心の部位だった。
信仰心とは、存在しないものを信じる心。
その男にとって、天使や悪魔は存在しないし必要ない。
生きるために必要なものはもうわかっていた。
すると、その男の信仰心が死ぬと共に、
周囲の広大な空間も、天使も悪魔も、煙のようなって掻き消えてしまった。
「そっか。私たちはもういらないか。じゃあ、元気でね。」
「次に会う時を楽しみにしてるぞ。」
そうしてその男は、自らの意志で、あの世からこの世へと戻っていった。
その男が目を覚ますと、そこは自分の部屋の布団の中。
時間はもちろん朝で、台所からは朝食か何かの匂いが漂ってくるようだ。
夢を見ていた気がする。
何かとてつもない、この世の理に関わる夢を。
でもそれが何なのか、その男は思い出せなかった。
その男は、布団から起き上がると、まずは洗面所へ。
いつものように体を丁寧に拭いていく。
この体を拭く日課が何のためだったのか、今は何も思い出せない。
無駄な作業のようにも思えるのだが、しかし止めようとは思わなかった。
こうして一見無駄と思える作業をしていると、
身体から無駄な力が抜けていくような気がするから。
それからその男は、
かつては滅多に見せなかった笑顔を浮かべて、
朝食の匂いの元へと向かうのだった。
終わり。
何事も一生懸命と言うと聞こえは良いけれど、
必死と表現すると、途端に敬遠されてしまうもの。
手を抜くのが下手で損をする人の話を書きました。
緊張を解すということは、人によっては難しいもので、
心と体が合わさって身体なのだと感じさせられます。
力みすぎて身体のコントロールができないのなら、
いっそ体が半死半生なくらいでも丁度良いのかもと、
物騒なことを考えてしまいました。
お読み頂きありがとうございました。