ショックガーン
刑務所での勤務を始めてはや8年。もう私も三十だ。
新型コロナウイルスも慣れてしまったが、こんな事になるとは想像もしていなかった。そういえば、好きだった女優が最近病気で若くして突然亡くなった。
8年も生きていけば、そういう"想像だにしない出来事"が起きてしまう。苦しいが、折り合いをつけるしかない。
想像だにしない、という言葉を使って思い出す事があった。あれは私が刑務官を始めて1年目に起きた出来事だった。
刑務所というのは、犯罪者の中でも特に恐ろしい人間が収容される場所だ。常識も通用しない、いや、そもそも常識が通用すると思って対応すべき所ではない。
まあ、そんな感じで、常識のない、恐ろしい思想の人がほとんどだが、そんな人間の中でも、特に恐ろしい人間がいた。彼は常識とか思想とかそういうのではない。何か"とてつもない物"が欠如していた。
糀町達夫。犯行当時30歳。当初は河川敷にいた25歳男性を殺した容疑で逮捕されたが、のちに46歳男性への殺人にも関わったとして、再逮捕、死刑宣告が下され、7年前に執行された。
奴は、殺しを他にも数件していたらしい。だがどこの組織にも所属せず、SNS上で自ら依頼者を探し、犯行に及んだ。不思議な男だが、上司からこれで無期懲役で済んだりした際に、模倣犯が出ないように死刑が執行されたと聞いた。
奴は収容後の4年間、特に問題を起こす事もなかった。しかし彼を管轄していた先輩が、突然辞めた。「あんな良い奴が狂った殺人犯だとは思えなかった」と意味深な事を言い残した、
そのため、まだ新人だった私が管轄する事になった。
懐かしい。22歳。あの頃は、よく友達に投資とか持ちかけられて、騙されてたなぁ。
22の人間が死刑囚の担当になるのは異例ではあったが、それだけ誰とも馴染める人間だった。まあ、私が配属された4ヶ月後に執行されたから、わざわざ経験豊富な人材を置く必要もない、と判断されたのかもしれないが。
彼は私にも寛容に接した。1つ特徴的だったのは、一般常識の面で問題なく、とにかく喋るのが大好きな事だった。
「俺の仕事は夜が本番なんだ。それに体力仕事だ。だからこそ、人生で1番うめぇと感じた飯は仕事した後に海鮮市場のダストの匂いを嗅いで食う白飯だったなぁ。」
「人生で1番悲しかったのは大事にしてた野良猫が河川敷で若い男に殴られてるのを見た時だった。ガーンとしか、思わなかった。」
「俺ぁ海が好きだった。海を荒らす奴は大嫌いだ。禁止区域にウォーターバイクで立ち入る奴とかな。あ、海って、"たま"の方じゃねぇぞ笑笑たまも好きだけどな笑笑」
「暇な時はサーフィンしてたな。なんせ仕事にも役に立つし、チップ貰えるくらい、上手かったんだぞ。」
そんな感じの話だった。面白い話や冗談も多く、私は彼と話す事にとても興味が惹かれていた。私は記憶と記録が得意だったので、会話はメモにまとめて書いていた。
ある日、いつもの時間に食べ物を運んだ。その時、手招きされてしまったので、ふと話をした。会話している事は先輩にバレて怒られていたが、先輩がうまく隠してくれていたので、少し油断していた。
「糀町さんって、いっつも海とか川とかの話をしてますけど、なんでそんなに大好きなんですか?」と私が聞いた。
「まあ、仕事が海に関するものだったしな。1人で気軽だったし、身軽ではなかったが、楽しい仕事だったよ。後悔はしてない。」
「その、具体的な名前とかって聞けたりしますか?」
彼は驚いた。そして、すかさず答えた。
「決まってんじゃねぇか笑笑殺しだよ笑」
私は、すべてを悟った。情けない声を出しながら必死に逃げている所が先輩にバレて、お前が話したいって言ってた癖に、俺が上から隠してるのをバレるような事すんじゃねぇよとどやされた。そして、先輩に介抱された後、トイレで戻してしまった。
それから、この事がバレて怒られ、糀町の担当は1番の異常者を扱っていた上司が就くことになり、僅か1ヶ月後、"この事"の後には結局一度も会えずに、彼は死刑が執行された。
その後、私の興味は彼の今までの発言に何か違和感がなかったか、必死に探した。その結果、見つかったのがこの4つだった。
「俺の仕事は夜が本番なんだ。それに体力仕事だ。だからこそ、人生で1番うめぇと感じた飯は仕事した後に海鮮市場のダストの匂いを嗅いで食う白飯だったなぁ。」
仕事=殺しだ。白昼堂々と犯行を行っている訳がないし夜が本番だと言い切っている。流石に彼ほどの人間が漁師にバレる時間帯にやるとは思えないからおそらく犯行は未明、だろう。
しかし、絶対に失敗してはならない仕事を遂行した、ギリギリの綱渡りを成し遂げた喜びで動いてないダストが動いているように感じ、味覚も含めて狂っていたのだろう。
「人生で1番悲しかったのは大事にしてた野良猫が河川敷で若い男に殴られてるのを見た時だった。ガーンとしか、思わなかった。」
人生で1番悲しかったとまで言い切っている。それは紛れも事実だろう。
しかし問題なのは、彼の容疑が25歳男性を殺したという事だ。河川敷で、若い男という点も一致している。そして、ガーン………ただの擬音なのか、それとも…
彼ほどの殺し屋が捕まったという事は、それ相応に理由があるはずだと私は思っていた。人生で1番悲しい出来事、というのは"それ相応の理由"の1つだろう。
「俺ぁ海が好きだった。海を荒らす奴は大嫌いだ。禁止区域にウォーターバイクで立ち入る奴とかな。あ、海って、"たま"の方じゃねぇぞ笑笑たまも好きだけどな笑笑」
海が仕事場だからだろう。そして、死体を隠すであろう禁止区域に人が立ち入るのも彼にとっては都合が悪い。死体を発見される可能性があるからだ。
そして、"海"で"たま"という所だったが、私は当初、パチンコの話をしているのか、と思っていた。が、今考えてみたらパチンコの事を"球"と言い換えるのも、それが冗談だったとしても"たま"という言葉をわざわざ反復するのも、不自然だ。
1回目は"球"、2回目は"弾"だったのかもしれない。
「暇な時はサーフィンしてたな。なんせ仕事にも役に立つし、チップ貰えるくらい、上手かったんだぞ。」
そもそもサーフィンでチップが貰えるのかと、少し疑問に思っていたが、彼は面白い話や時折冗談も言う、ちょっと変な奴という認識だったので、それくらい上手かったんだぞ、という比喩表現だと思っていた。
しかし、ここまで来るとそもそも彼と私との"サーフィン"の解釈の違いがあると考えていた。そして私の鈍い頭で考えに考えた。
彼は仕事の人殺しをする時に、殺す人間をSNS上で募集していた。つまり、"ネットサーフィン"という事なのか?殺人は仕事と言い切っていたし、金も取っていただろう。チップとはそういう意味なのか?
私なりに解釈をした。過剰に思えるかもしれないが、これだけの違和感が一つも事実でない訳もない、と私は思っている。ただ、もう彼は死んでしまった。本人がいないのだから真相は闇の中だ。
最後に、彼が言い残した事を思い出した。
「なんの後悔もありません。」
彼らしく、色々な解釈ができる文章だが、私は、"そういう事"だと思っている。