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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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8話 王弟とフレッサ

 頭が重い。身体がだるい。

 一晩中どうすればいいか考え続けた挙句、何も思い浮かばずただ心と身体が疲弊しただけだった。幸い幼い身体、隈などはできていない。

 窓の外はよく晴れていて、雲雀が高く鳴いている。清々しい朝のはずなのに、私にとっては陰鬱だった。



「……馬車が事故を起こせばいいのに」

「……お嬢様っ緊張する気持ちもわかりますが、めったなことをおっしゃらないでくださいっ」



 いつもより仕立てのいいドレスを着せられながらこぼした呟きをドロシーに拾われ叱責される。



「お嬢様はいつも通りでいいんです」

「森に行きたい……」

「そこはいつも通りにしないでください。お屋敷で過ごすように、しずしずと、落ち着いて振舞えばいいんですから」



 今日の来客に屋敷中が落ち着かない。暇を持て余す者も、談笑する者もなく皆いそいそと自分の仕事を全うしている。廊下には塵一つなく、庭木は少しの歪みもなく切り揃えられる。まるで大掃除のようだ、と窓から庭を見下ろした。もちろん早すぎる時間、門の方を見ても馬車の姿は見えなかった。



「王弟殿下はどんな方なんでしょうか」

「どうですかねー私のような下々の者は、式典で遠目で見る程度なので、想像もできません。王太子殿下もそうでしたが、本当に天の上の人のようですもん」



 いっそ天から降りてきてくれなくていいのに。今度は呟かず喉の奥で飲み込んだ。

 王弟は現王の年の離れた弟だ。母親も異なる異母兄弟は、隣国と和親の証である。不仲、などという下世話な話は下々のところへは降ってこない。ただ考え方が対立しているというのはこの国の誰もが知っていることだ。もし王弟が王となれば情勢は一変するだろう。良い点を挙げるのであれば、隣国の血を持つことから何かあった時は協力の要請がしやすくなることだ。貿易が盛んになれば産業も振興することだろう。だがその一方で考えられるのはこの国が半ば属国となってしまわないか、という不安もある。周辺国の国力にさして差がないという認識だ。だからこそこのバランスが保てている。だが国力が増強されたとき、どこの国が戦争の火ぶたを切って落とすかわからない。もし、隣国が戦争を起こそうとした場合、この国も巻き込まれかねない。大義なく親和国であるという理由だけで戦争に参加させられては適わない。各国と血縁を結ぶことは悪手ではない。災害時には協力でき、争いが起きるときには人質になる。だがその分どうしても柵は増えるし、疑いも増える。


 王弟は王になりたがっている。

 その真意はどこにあるのだろうか。

 一介の貴族令嬢には政争のことなどわからない。

 ただわかることは自分が使いつぶされるということと、すでに重要な岐路に立たされているということだ。


 綺麗に磨かれた靴、質の良い布地のドレス、にっこりと笑顔を見せれば完璧な伯爵令嬢だ。たとえそのドレスの下で滝のような汗をかいていたとしても。



 午後になり、部屋の窓から外を眺めていると一台の馬車が屋敷の門前に停まった。車体に描かれた家紋、揃いの制服を着た騎士たち。一目で王家からの来客だと知れる。屋敷内は俄かに浮足立った。

 呼ばれる前に部屋を出て玄関ホールへと向かう。人に呼ばれてせっつかれるよりも、自分で腹をくくりたかった。

 今こうしてフレッサ領を訪れるとき、王弟は車体の家紋を隠していない。つまり来訪を知られても問題がないということだ。それが、いまだ後ろ暗いところはないという証明なのか、それともフレッサと懇意にしているという風評を欲してのことか、私にはまだわからない。



「来たか、ピナ」

「ええ、お父様。お部屋から殿下の馬車が見えましたので」



 いつも以上に硬い表情のイエーロを見上げて、唇をかんだ。

 王弟がどういうつもりなのか、今回の来訪にどんな意味を持たせたいのかはわからない。けれどイエーロはそれに強い意味を持たせようとしているのはわかった。

 一旧家として、王弟派につくという表明なのか。

 それとも研究や植物、土地など献上しパイプを太くしたいのか。

 はたまた、地獄の果てまで付き合うとすでに覚悟を決めているのか。

 現段階ではどれにあたるのかわからないが、最終的には骨の髄までしゃぶられて捨てられることは確定している。ならばせめてその時は遅らせたい。

 王家だろうと、見れる足元は見るべきだ。少しでも自分を高く売りつける。高く買えば買うほど、きっと捨てづらくなるだろうから。



「お父様、」

「どうした、今はあまり時間が、」

「お父様は王弟殿下と仲良くされたいんですよね」

「……ああ、そうだな。我々は臣下として国家たる王家を支える責務がある」

「お父様はこの国が大好きなんですね」

「ピナ?」

「お父様はこの国が好きだから、殿下のことを大事にするのだと思います。でもわたくしは、お父様や伯父様、このお屋敷のみんなが好きです。誰一人、欠かすことなく」

「ありがとう、ピナ。これからもそう思って、」

「だからわたくしは、王家のためであろうと、無理はしてほしくありません」



 父は微かに目を瞠った。玄関の扉の向こうからは複数の足音が聞こえてくる。



「わたくしは、王家の方々より、家族みんなの方が大好きで、大切で、愛しています。だから何もかもささげることも、命を賭すことも、フレッサの誇りが犠牲になることも嫌です」

「ピナ、お前はいったい何を言って、」

「お父様、国のために、フレッサを犠牲にしないでください」



 見慣れたはずの玄関の扉が、常になく重々しく開く。



「国を愛して、フレッサを愛することを忘れないでください」



 国のためにフレッサが犠牲になることはあっても、フレッサのために国が犠牲になることはない。

 フレッサが国を愛することはあれど、国がフレッサを愛することはない。

 王弟を大事にしても、王弟がフレッサを大事にしてくれることは万に一つもないのだから。






「ようこそおいでくださいました、殿下。“セミーリャの太陽”に栄光を。このような僻地までご足労頂き恐縮です」

「構わん、面を上げよ。私はお前の頭頂部を見るためにここへ寄ったわけではない」



 顔を上げた父に倣うように王弟の顔を見る。陛下の年の離れた異母弟。なるほどその風貌は若々しく、老成さすら感じさせる現王よりも激しい力強さを感じさせた。



「イエーロ、そちらがお前の一人娘か」

「はっ、恐れながら、ごあいさつをさせていただいてよろしいでしょうか」




 鷹揚に頷くのを確認してから、にっこりかわいらしく子供らしい笑顔を浮かべる。



「お初にお目にかかります殿下。フレッサ家長子、ピナ・オルゴーリオ・フレッサと申します。ご挨拶の機会を頂き誠に光栄に存じます、殿下」

「……ほお、お転婆などという噂を耳にしたが、立派な淑女じゃないか。やはり人のうわさと言うものはあてにできんな」

「身に余るお言葉、恐縮でございます、殿下」



 吐き気も嫌悪も恐怖もすべて心の奥底に詰め込んで笑ってみせる。そのどれもが、今は邪魔で、無駄だ。今必要なのは隙のない振る舞い、望んだ姿を演じる胆力、僅かな時間でも黙しきり、相手を操ろうとする自信なのだ。

 たとえ値踏みするような視線が無遠慮に投げかけられても、私をうまく使ってやろうと腹の奥で嗤われても



「以前、私の甥とお茶をしたと聞いてね。あの子も君のことを話していたよ」

「まあ、お恥ずかしい……。ラウレル殿下がお話されてしまったんですね」

「いやはや、だが今の君くらい立派な子なら、誰だって夢中になるだろう」



 これは、私が20回かけられてきた言葉だ。

 これまでとタイミングは違えど、王太子であるラウレルと懇意になること、ひいては私がいつかラウレルに毒を盛るための布石。

 私の淡い恋心を政治に利用しようとする些細な一手。幼い私の想いは、この男をきっかけに歪められていく。

 この男にとってはほとんどどうでもいい一手だろう。いつか役に立てばいい。なんらかに使えるかもしれない。低リスク低コストの投資。だがその投資は、恋心を醜く悍ましい悪意の花として咲かせ、毒をこの世にまき散らすこととなった。そして低コストで投資されたフレッサ伯爵は私という魔女とともに使い捨てられた。


 私は私の意思と関係なく、返事をしていた。



「本当ですかっ……ラウレル殿下もそう思っていてくれると良いのですが……」



 だが今回の私は違う。

 今までとは異なる言葉を口にすることもできた。王太子などに興味はない。あなたにも興味がない。そう言うことができれば、きっと私を駒として扱うことはあっさりと諦めただろう。けれど同時にそれは王弟派につくために画策してきた父、イエーロの努力を泡沫に帰すことだろう。



「本当ですかっ……ラウレル殿下もそう思っていてくれると良いのですが……」



 馬鹿な子だと、御し易い子だと嗤われても構わない。

 私は恋に浮かされた愚図のふりをしよう。



「ははは、きっとラウレルもそう思っているさ。……そうだ、また君があの子に会えるようにこちらでも取り計らおう」

「ええっ! よろしいのですか……ありがとうございます!」



 本当は王太子とはかかわりあいになりたくない。

 この領地に引きこもり、森を守りながら生きていたい。

 誰も殺さず、傷つけず、大切な人たちとともに静かに生きていきたい。


 そのために今ここで、王弟の不興を買いたくない。

 今は実権を持たない王弟であるが、万が一現王に何かあればまだ幼いラウレルではなくこのエンファダードが後見となり、実権を握ることになりかねない。そうなれば、不興を買ったフレッサが冷や飯を食わされかねない。



「ああ、かわいらしい君のことを応援しているよ。頑張ってくれ」



 飴色の目が緩く笑って私を見下ろす。愚鈍な卑しい者と見下し蔑む瞳に、私は深々と頭を下げた。



「ピナ、きちんと話ができて偉かったな。ここからは大人の話だ。部屋に戻っていなさい」

「承知いたしました。それではわたくしは席を外させていただきます。どうぞ殿下はごゆっくりおくつろぎください」



 しずしずと完璧な淑女の礼をして部屋から出る。部屋の外には私のことを待っていたドロシーの他に、王弟の部下たちが控えていた。


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