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6話 フレッサ領の森と伯父

「はははははっ! 気持ちいいだろう! こいつらは気を許した相手ならこんな風に背にも乗せてくれるんだ!!」

「っ…………!」



 背後から上機嫌な声が追ってくる。だが私にはそれに返事をする余裕などまるでなかった。むしろ今口を開いたら舌を噛み切ってしまう自信がある。

 アルフレッドは彼らにどこかへ行くような指示は出していない。しかし二羽のストルーティオーは迷いなく揃って一つの方向へ一心不乱に走っていた。


 どれだけの時間が経ったのだろうか。ものの数分だったのか、それともすでに数十分が経過しているのか、今の私には正しくわからなかった。頭も内臓もシェイクされ、炎天下に晒されて吹き出た汗は見事に冷やされている。大好きな伯父との散歩だが、今日に限ってはとんでもなく帰りたくなっていた。ドロシーが恋しい。




「ついたぞ、ピナ」



 私と同じように揺さぶられていたはずのアルフレッドは疲労感などまるでないように呼びかけた。その声につられ、羽毛に埋もれていた頭をもたげる。



「これは……」



 そこには巨大な木と岩で構成された穴があった。

 これまでの森の景色とは一線を画す。一目で自然にできた地形ではないとわかった。

 もとは岩場なのだろう。だがその岩場には抉れたような穴が開いていて、さらにその穴を隠すように無数の岩が淵に積み上げられている。

 穴の奥に視線を移せば、巨大な生物の肋骨のような大木は互いに組み合わさり、穴の壁面を支えているのが見て取れた。

 まるで要塞都市だ。岩の城壁、木の住処。

 穴はまだ距離がある。実際の大きさは計り知れなかった。



「アルフレッド伯父様、これはいったい……」

「これは竜の巣だ」

「竜の、巣……⁉ 竜って、あのおとぎ話に出てくる羽のある爬虫類のことですか……⁉」



 突然何を言い出すのかとその顔を凝視するが、こちらを揶揄う様子も冗談と笑い飛ばしもしない。



「ピナ、ここが今までの森と違うところはわかるかい?」



 私の問いかけに答えることなく、まるで教師のようにアルフレッドは尋ねた。



「ええと……これまでの道と比べて木がほとんどありません。岩場のせいか、低木や草本しかないように見えます。それから、森と比べてかなり暑いです。木陰がなく直射日光があるせい、またその熱を岩や地面が纏っているからでしょうか」

「半分あたりで半分あたりだ。ピナの言う通り、植生の違いが明確にある。水場が遠いせいで木が生えにくい。少量の雨で生きていける程度の植物しか育たん。それから生き物が全くいない。植物がないから当然ともいえるが、一部の小動物がいてもおかしくはないはずだ」



 すらすらと話すアルフレッドは何かを探すように巨大な穴や岩場に目を向けた。釣られるようにあたりを見回すが、アルフレッドの言った通り、周囲には生き物の気配が何もなかった。地面を走るネズミやテンがいないだけではない。上空を飛ぶ鳥の姿さえない。森の中には数多の動物たちがいたにも拘わらず、だ。



「それからこの暑さ、確かに日光のせいもあるだろう。だがそれ以上に、この岩場自体が熱を持っているんだ。……ここは休火山。地面の下のマグマが地表まで熱を伝えている」

「か、火山なんてあったんですか……⁉ じゃあわたくしたちがここにいるのも危険なのでは……、は、早く逃げないと……!」

「はははは、大丈夫だ。噴火はしない。この火山は活動を休んでいるんだ。はるか奥底にマグマはあるが、噴火することはない。少なくとも、俺がこの場所を知ってから数十年、一度も噴火を起こしたことはないし、この地表が火傷をするほどの高温になったこともない」



 慣れたようにスルスルとストルーティオーから降りると、その大きな両手をごつごつした地面にあてた。やってみろ、という笑顔を投げかけられ、半ば落ちるようにストルーティオーから降りる。思わず地面に両手と両ひざをついてしまった。



「あたたかい……お風呂みたいな温度ですね」

「ああ、心地いいだろう。まるでこの地面そのものが生きてるみたいだ。もっとも、温かい、なんて感想で済むのはあの岩の壁の外側だけだ」

「え?」



 アルフレッドが指さす先には、先ほど竜の巣と呼ばれた穴があった。



「あの穴は今でこそ塞がれているが、火口の真上に作られている。岩の壁で囲われたあの場所はピザ窯みたいなもんだ。あそこに発生した熱は穴の中にこもる。そのうえわかるだろうが、ここは常に無風だ。籠って高温になる熱気を冷やすものもない」

「……竜は、そんな暑い場所に住むのですか?」



 口から出す竜という言葉に慣れない。日常生活では決して口にすることのない言葉だ。それを、まるでいて当然というふうに話すことはまだ難しそうだった。姿すら絵本や童話の挿絵で見ただけで、姿とて曖昧にしか知らない。



「いいや、竜は自由だ。どこにでも住む。だが子育てをする時だけ、卵をふ化させる時だけこの竜の巣に住む」

「卵を温めるため……まるで鳥のようですね」

「ああ、卵自体、鳥の卵によく似ている。他の爬虫類と比べ卵の数は少なく、その殻はとてつもなく分厚く丈夫だ。産んだ卵を守り、分厚い殻の卵を温めるために、この場所に住む。どこからか大木を調達し、足場や寝床を作り、温度を上げつつ、他の動物から身を守るために岩場から岩を抉りだして城壁のように積み上げる」



 御伽噺の中の幻獣が、みるみる生物としての存在感を帯びる。

 爬虫類と似ながら多産多死を前提としていない。爬虫類の天敵である鳥と同じように飛ぶことができる。普通の生き物では生きていけない環境に適応し、そこでないと孵化できない。他の生物を圧倒しながら、敵から身を守るように巣を築く。



「伯父様、竜に鱗はあるのですか? しっぽは? サイズはどれくらいなのでしょう? このような環境で親は何を食べているのでしょう。いえ、そもそも竜は何を食べるのでしょうか」



 考えれば考えるほど疑問が湧き出て止まない。

 死に続ける私の打算や計算ではなく、私の運命とは交わることのない事象。知ったところで役に立つわけでも、私の死とは関係がないこと。

 けれど今は湧き上がる高揚感と際限ない知識欲に突き動かされていた。

 ただただ知りたい。自分の知らないものを。誰も知らない幻獣のことを。私たちしか知らないフレッサ領のことを。


 私はひたすらに知りたかった。

 なぜなにと尋ね続ける私に、アルフレッドは丁寧に答えた。心底嬉しそうに、あることは古い文献から、あることはかつての歴史と絡めて、教えてくれた。



「伯父様は、竜を見たことがありますか?」

「……ああ、あるよ。この森の守り人になってすぐのころ。まだまだ勉強不足だった私がこの竜の巣までたどり着いたのは本当に偶然だった」



 懐かしそうにアルフレッドは目を細めた。

 その視線の先の竜の巣はからっぽだ。だが彼の目にはありありとその姿が見えているのだろう。くすみがかった赤い瞳が、憧憬を映し出し輝いていた。



「とてつもない風と、熱気……。一瞬でも気を抜けば熱風に吹き飛ばされそうな中、俺は木にしがみつきながら、砂埃の中に目を凝らした。……2頭の竜がいた。羽ばたきを繰り返して今にも飛びそうな巨大な竜と、そのしっぽに嚙みつきながら見様見真似で羽を動かす仔竜。俺はただそれを見ていた。たぶん、親竜も俺のことに気が付いていたと思う。それほどに近かった。だが俺のことなんて眼中にもなかったんだろうな。攻撃されることも、威嚇されることもなく、竜たちは飛び立った」



 きっと、アルフレッドにはその光景がいまだ鮮明に再生することが可能なのだろう。聞くだけでは補完しきれないことはもどかしかった。その幻のような光景を、未知のものに触れる高揚を実際に味わってみたかった。



「竜は、ここに来るのですか?」

「さあな?」



 いつか見れるのだと、そう期待を込めた問いかけはあっさりと受け流されてしまった。



「伯父様っ」

「いや、意地悪で言ってるんじゃあない。俺にもわからんのだよ。経験と文献からここが竜の巣だったことはわかった。だがその竜がここに帰ってくるのか、他の竜もここに来るのかはわからん。あまりにもその正体を知る人間が少なすぎた。俺が生きている竜を見たのは後にも先にも、そのたった数分間だけだよ」

「……一度だけ?」

「ああ、ただの一度だ。その後、どれだけここに来ようとも、どれだけこの森の研究をしようとも、一度だって竜を目にすることはできなかった」



 寂しそうに竜の巣を見るアルフレッドにつられて、空っぽの穴を見る。

 地面から上がってくる熱気、遮るもののない高い空、穴を守るように組まれた木。明確な役割がここにあるように見えても、ここに主がいないことはよくわかった。



「ここはもう使い捨てられたのか、それとも竜の産卵周期がはるかに長いものなのか、俺にはまだわからない」

「……使い捨てられているわけでは、ないと思います」

「……どうして?」

「だってこの巣はまだ温かくて、いつでも卵を迎えられるようなってます。だからきっと、この巣もまだ、竜が来るのを待ってるんです」



 温められた地表、風に削られながらも崩れることのない木と岩の穴。

 私は竜も、不思議な生き物のことを全く知らない。

 けれどこの巣を見れば、打ち捨てられているわけではないと思えた。



「きっと、また来てくれますよ」

「……そうだと良いな」



 アルフレッドは少しだけ楽しそうに笑った。






「おかえりなさいませお嬢様! 今日は暑かったのに随分と遅くまで……、」

「ただいまドロシー。今日はいつもより森の奥の方まで行ってたので、お屋敷に戻ってくるのにも時間がかかって……」

「もうアルフレッド様は……もうちょっとお嬢様の健康のことも気にしてほしいですね。ああっ髪の中に小枝や葉っぱが……!」



 あれよあれよと風呂場に連れていかれるのも慣れたもので、お風呂も着替えもすでに用意されている。私も無駄な抵抗もせず大人しく連れていかれた。

 泡だらけにされながら現れていると、ドロシーが突然静かになった。

 いつもならアルフレッドへの苦言をひたすら垂れ流しているというのに。



「ドロシー? どうかしましたか?」

「……お嬢様、お嬢様はみんなのために優秀な薬師になりたいとおっしゃっていましたよね」

「……ええ、そうね」



 一瞬なんの話かと思ってしまった自分のうかつさを呪いたい。優秀な薬師になりたい、というのは後付けで、正直何よりもとにかく皇太子とのかかわりをなくしたいというだけなのだ。突然その話を振られて反応できないのはまずい。



「……差し出がましいとは承知ですが、そんなに急いで大人になろうとしなくても、私は良いと思うのです。」

「どうしてそう思うの、ドロシー?」

「お嬢様はまだ6歳の子供です。どれだけ優秀だろうと、どんな課題を熟せたとしても、まだまだ子供なんです。それなのに未来のことを考えて、勉強して、森に学びに出て……同い年の女の子のように遊ぶこともなく、まるで……」

「まるで?」

「生き急いでいるようにしか、見えないのです……」



 生き急ぐ、生まれてこの方そんな風に言われたことは一度もなかった。当然だ。生きる方法の自由など何もなかったのだから。決められたルートを通って、ひたすら生まれては死んでいくだけの人生。恨み恨まれ、殺し殺された。



「ふ、ふふふふ、おかしなことを言うのね、ドロシー」

「す、過ぎた口でした! 申し訳ございません!」

「やだ、怒ってるわけじゃないのよ。どうせここにはあなたのことを怒る人もいないもの」



 きっとほかに執事やメイド長がいれば激しく叱責されたことだろう。父の前で口にしたならもしかしたらクビになるかもしれない。けれどここに、心配したことを怒る者はいない。



「わたくしは、今がとっても楽しいの」

「楽しい、ですか?」

「ええ、知らないことしかない世界で、知っていることが少しずつ増えていくの。知らなかった植物の名前を知って、知らなかった動物の鳴き声を知る。知らなかった建物を知って、歴史を知って、人を理解する。どれもこれもワクワクするわ!」



 ただ死ぬまでの道のりをなぞっていた日々は、ひたすらに虚ろは日々だった。

 言われるがまま勉強して、教養を身に着けて、人と会って、何もできないわけではない。ただ人生のイベントはすべて決まっていて、私の最期もまた決まっていた。

 どれだけ知識を身に着けても、どれだけ私が足掻いても、いつも最期は塔の上だ。

 どうもがいても、私は魔女と呼ばれる。



「知ってることが増えるのも、できることが増えるのも、わたくしはそのどれもが嬉しいの」



 今は違う。私は運命を変えられる。皇太子の前から逃げ出したように、私はあの塔から逃げられる。身勝手に人を傷つけ殺す、愚かな未来を変えられる。その確信がある。



「知って、学んで、わたくしは選択肢を増やしたいの。したいことがあった時、知識や経験が足りないなんてことにならないように。今がどれだけ多忙でも、未来の自分のために時間を投資しているだけなの」



 ここで身に着けたすべてが、私を救う手段になる。

 私や周囲が幸せになれる布石になる。



「ドロシーには生き急いでいるように見えるかもしれないわ。でもわたくしは、今がとっても充実してるの。嫌なことなんて一つもないわ。わたくしやドロシー、お父様に伯父様、みんなが笑って幸せになれる未来のためになると思うと、なんだって惜しくはないの」



 ひとかけらの嘘偽りのない本心だった。

 今多忙で自由な子供らしい時間がなくとも、個々には家族が、私を思ってくれる使用人がいる。帰る家があって、こうして温かい風呂で身体を清潔に保ってもらえる。

 未来、私が失うものが、今ここにすべてある。



「う、うう……!」

「ど、ドロシー!?」



 ドロシーが滂沱した。泡がすべて流されるのではないかという勢いで泣くドロシーにあたふたとする。感涙に咽ぶことが多々ある感情豊かなドロシーがこんな風に静かに泣くのは初めてだ。しかも落涙とか涙ぐむなんてかわいらしいものじゃない。



「お、お嬢様があまりにもご立派で、かわいらしくて……もうわたくしの余計な心配など不要だと思うと成長が喜ばしい一方なんだか寂しくなってしまって……!」



 歯を食いしばりながら泣くドロシーに苦笑いしてしまう。

 本当に、彼女は善良で忠実な使用人だ。14歳でうちに働きに来て、今年で17になる。私が死んだのは16の時だった。ほとんど変わらない歳だというのに、私は彼女のような思いやりや気遣いを持てるようにはならなかった。立派な子だった。責任感にあふれ、私のことを愛してくれた。だから、私は彼女のことを殺してしまった。何の罪もなかったのに、ここで働いていたばかりに30まで生きることすらなかった。



「ダメです」

「だ、だめとは……?」

「わたくしにはまだまだドロシーが必要です。ドロシーと一緒にいたいです。あなたに笑ってほしくて、あなたに幸せになってほしいから」

「お、お嬢様」

「ドロシーの思いやりが余計だなんて思ったことはありません。わたくしはそれがとてもうれしい。それが欲しくても手に入れる方法がないのに、ドロシーは惜しみなくわたくしに心を砕いてくれます。それが不要だなんて思えるはずもありません」



 身勝手な私が不幸にしてしまった人。私が殺してしまった人は、こんなにも美しくて優しかった。1周目の私はまるで気が付けなかった。

 今思う。

 これから私は、生き残りをかけ、無茶をすることもあるだろう、貴族令嬢にあるまじきことをすることも多々あるかもしれない。それはきっと人から糾弾されるし、家長たる父からも見放されるかもしれない。私の行動原理は、死に続けた私しか知らない。他の誰にも理解できない。

 でもきっとドロシーは、苦言を呈したとしても私が選んだ道ならば、きっと信じて着いてきてくれる。私が道を踏み外した時も、従順についてきたように。

 次こそは道を間違えない。道理に反しない、静かで優しい幸福を勝ち取るのだ。

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