57話 フレッサと岐路
ここに来て、ようやく同じテーブルに着くことができた気がした。
「さて、では人払いもとうに済んでいますので率直にお伺いさせていただきますが、エンファダード殿下からどのような指示、命令を受けていますか?」
「本当に無遠慮な……」
「もはや下手な誤魔化しなどは不要だと思いましたので」
「……何も」
イエーロは観念したようにため息交じりでそう呟いた。
「あの方は何も指示をしたりはしていない。ただ、」
「ただ?」
「……ただ我々が、彼の方が望むように振舞うだけだ」
「いつものやり口ですね、分かります」
特段驚きも意外性もない。エンファダードのやり方はいつもそうだ。指示や依頼は表立ってしない。ただ望みを匂わせることで周囲の人間を動かす。いつだって自分の手どころか口も汚さない。
「何も指示は出さない癖に圧力だけはしっかりかけていかれるのは本当に狡いですよね」
「ふ、はははは、学園に行って随分と逞しくなったようだな」
大口を開けて笑うイエーロを見て思わず口を噤んだ。けれど彼がそれに気づいた様子はない。呆れ混じりながらも、楽しそうに笑っていた。こんな風に笑うイエーロを見た記憶は、どれほど漁っても出てこない。
顰め面をしていて、近寄りがたい父は、ここにいない。
「ではピナ、数多ある領地の中で殿下がこのフレッサ領に来た理由はわかるか?」
「……特段活躍の場のない私兵を持っていること、領地収入を限りある鉱山資源に頼っていること、だと思っています」
「おおむね正解だ。それに加えて大きな宗教施設がなく、信仰心が薄いこと。主にこの3つの条件が揃っている領地に殿下は赴いている」
「現体制に、少なからず不満を抱いている。あるいは将来に不安がある領地」
「その通りだ」
なるほど確かに取り込みやすい条件ではある。領地経営など皆少なからず不安を抱いている。領民を飢えさせてはならない。だが収入が大きく増えるような産業も持っていない、商業が盛んなルートにもない、となるとある日突然収入が途絶える可能性がある。そして現状、政府はそれに対する明確な補填や支援策を持っていない。
もともと、この国は隣国と度々戦争をしていた。戦争は失うものが莫大だ。
だが勝てば得られる物も大きい。それを忘れられないでいる者は、決して少なくない。戦争が起きれば、経済が回る。
「……意見として伺いたいのですが、エンファダード殿下についた場合どのようなメリットがありますか?」
「…………領地の増加。新たなる領地の獲得が望める。新しい土地を開拓するならそれも一つの仕事になる。農地が増えるのも良い、他都市との交易の場にするのも良い」
「その土地はどこから取ってくると? わたくしたちの領地から一番近いのはコンヘラル王国ですが、そこはエンファダード殿下の母君の祖国。その国を切り売りするとは思えません。……切り売りされるのはこの国の方では?」
「そうだな、国は切り売りされ、エンファダード殿下に協力した者だけが、領地を獲得できる」
それは夢物語でしかないことを私は知っていた。
そんな都合よくことが進むはずがない。
自分たちだけ都合よく甘い蜜を吸えるなど、できるはずがない。もし本当に売国奴に売られるとして、自分の領地だけ特別扱いされることなどありえない。
本当、そう思っているのか。
そう口にするまでもなく、イエーロは目を伏せた。
もうわかっているのだ。そんな都合の良い理想があり得ないことも、しかし他に選択肢も取れないことも。
「わかっているとも。ああ、お前からすれば馬鹿馬鹿しいと思うことだろう」
「馬鹿馬鹿しいとは、思いません。どうかお父様もそのように思われないでください」
「お前は、どう思う」
無意識のうちに、軽く唇を噛んだ。
胸の内から湧き上がるのは明確な喜びだ。ようやくここまで、意見を聞かれる立場まで来たのだと。
ただ、喜びと共に力なく笑いも口の端から零れた。
「……所詮は現実を知らない小娘の戯言。ほどほどにお聞きください」
所詮は小娘の戯言で、世の中もまるで知らないのだ。
幾度となく人生を繰り返せど、いつだって私はただの学生で、恋心、あるいは執着でできたループを繰り返したただの子どものだ。何十年何百年過ごしても、私は常に何もできない子供だった。
そんな私の浅知恵など、きっと笑い飛ばされてしまうだろう。
けれどどうか、私は戦うと決めたのだから、どうか私を同じ舞台においてほしい。
「いくつか、まとめさせていただきます。フレッサにとっての問題点。先ほどお父様が上げていただいたことのいくつかになりますが、問題はフレッサの産業として「限りある資源」が主たる産業であること、「私兵」を抱えていることかと思います。……フレッサにとって、展望がなく、負荷がかかるもの。もちろん、フレッサの伝統であり、それまでのフレッサを支えてくださった方々かと思います。それでも、今後平和な世で継続することが困難かと思います。少なくとも現在の状況では」
幾度となく考えてきたことは、思ったよりもずっと容易く口から紡がれた。
イエーロは特に反発することもなく目を瞑ったまま、ただティーカップを傾けていた。けれどそれは決して拒絶ではなかった。静かに、私の言葉を聞こうとしているように思えた。
「……その、邪道だとは重々存じています」
「というと? その一つ目の提案すら邪道なのか」
「ええ、まあ、わたくしなどでは正道すらよくわかりませんので。正しさも、セオリーもよくわかりません」
「いい、気にするな、話してみろ」
ぐ、と息を飲んだ。どうせうまく行かない。いや、うまく行かなくてもいい。
「……一つは、うちの産業に関して。フレッサは鉱山をメインとした産業に支えられていると思います。ですが鉱山資源とはあくまで限りあるもの。同時にその上限すら見えません。それが常、領地を治める者としてはプレッシャーになっているかと思います。そこで、一つの提案として、薬草学の発展があります」
「……その本意は?」
「単純な話として、労働力の一部を鉱山産業から農産業への転換です。ベクトルは異なるかと思います。けれど人手が必要であることは同じです。また薬草の栽培には一定のノウハウが必要。これまでの細々としていたとしてもフレッサ領としての実績も鑑みれば、ブランド化、占有化も可能です」
「……それから?」
「それから、薬草に関しては教会の各支部でも同じように薬草園を運営しているとともに、教徒に対し治療、薬の提供も行っています。販売ルートはある程度見込めると思います」
イエーロはしばらく考えるように片手で顎を撫でた。何を考えているのかまではわからない。ただ自分の提案に対する反対意見が彼の脳内に出ているであろうことは、想像に難くなかった。
「お前の考えは分かった。一つは、ということは他にもあるのか」
「……ありますが、その、こちらは難しいかと思います。もう一つの提案は観光地化、です」
「観光地……?うちの領内でか」
「ええ、その、邪道という他ないんですが」
赤紫の目が見開かれ、その顔に思わず目を逸らす。
こちらの案は、実現可能性は0ではないが、少なくとも間違いなく反発があることが確定している。
けれど案は案だ。
「観光地、というと意味合いが変わってくるかもしれませんが、利用したいのは“聖地巡礼”です」
「聖地巡礼……? いやだがうちに聖地などないだろう」
「聖地はありません。が、今から作ることはできます」
「作る、とは……いや待て理解した。既存の教えや聖書、伝承の内容にうちの領地を組み入れる、ということだろう。呆れた……さすがにそんなことをすれば教会から恨みを買うだろう」
「少なくとも聖女様は了承してくださっています」
「一番反対するはずの立場ではないのか……!?」
頭を抱えるイエーロ言葉を重ねる。
「一応、神話に繋げられそうなエピソード、伝承はあるのでそのあたりをうまい具合に使いつつ、伝承の真偽については王太子が、聖地としての妥当性なら聖女が証明してくれるとの言質は得ています」
幸か不幸か、偶然か、フレッサの森に伝わる竜にまつわる伝承と、リュウゼツランからなるテキーラを聖なる酒とするアガヴェー教は繋がる部分が多い。そして王家の紋章は竜の横顔でもある。
「フレッサ領における竜の伝説は、基本的に外部に出していません。あくまでもフレッサ家の中で伝わる物語。伝説や森の特異な生態系は、守るべきものとして黙されてきました。ですがもし、それこそいつかのように伯父さまが急に……亡くなられてしまったら。ほかの誰も森の管理はできなくなります。そうなれば、生態系が崩れたり、あるいは森を切り拓くようなことにもなります」
「……聖地巡礼の一部とし、観光資源化。併せてうちの領内で作った薬草の類を売ればブランド化も併せて一定の成功が見込める」
「巡礼の際には森の奥深くへ連れていく必要はありません。森の入り口や浅いところだけで良い。聖地化すれば荒らされる危険性はほかの観光地より低いはずです」
「さらに言えば森の警備や聖地巡礼に来る教徒の護衛に私兵を使えば私兵の維持も不可能ではない、か」
楽観的ではある。けれど理屈だけ見れば荒唐無稽ではない。どの程度の効果があり、どのようなデメリットがあるか予想できずとも、波及効果が見込めることからフレッサ領の抱える問題に同時的に対処することができる。何より現行の国の体制が崩れない限り、継続することができるだろう。
「面白い。今までに考えたこともない方法だ。いや本来そんなことを考えることすら不敬なのだろうが……。王太子や聖女と友誼を結んだお前だからこそできたことだ」
少しだけ、けれど確かに、イエーロは楽しげに笑った。
実現は厳しい。あらゆる障壁もある。けれどそれでも、イエーロにほかにも道はあるはずだと、提示できたことに大きな意味を感じていた。後戻りできないという重圧、どうすることもできない追いつめられるような閉塞感。それがどうか、なくなってほしいと。




