55話 希望と道筋
思わず絶句する。
けれどラウレルはいたって平然としており、そこになんの違和感もないように見えた。自分の感覚がおかしいのかと助けを求めるようにライラに視線を投げると呆れたように首を左右に振った。
「え、それは流石に……」
「なぜ。僕らはわかっている。彼が僕を殺そうとしていること。そのために君や他の貴族を利用しようとすることを」
ラウレルの言う通り、それは事実だ。
実際、そのために現状王弟は行動していて、フレッサにも働きかけている。
けれど問題はそこではない。
「あなただってわかってるでしょう。王弟殿下はまだ何もしていない。あなたを害することも、誰かを利用して、具体的に何をするかという指示も」
「……ええ、ライラ様のおっしゃる通り、王弟殿下はまだ何もしていません。…………わたくしと同じように」
そうするということが決まっていても、証拠がなければまだ断定できない。王弟はまだ何の罪も犯していない。まだ誰も殺していない、毒を盛っていない私と同じように。
真っ黒だとしても、今は推定無罪だ。
「……それに王弟殿下は具体的に命令したり、指示はしません。ただ、そう仕向けているだけで」
王弟は確かにフレッサに働きかけているが、あくまでも婉曲的だ。味方についてほしいというだけ、協力してほしいというだけ。具体的には決して言わない。ただ唆すだけ。
そして貴族は勝手に動く。王弟のためにと、役に立てるようにと、そうすれば甘い汁を吸えるだろうと考えて。
人を指先で、視線で動かせてしまう人。
自分の手は汚さずに、切り捨て、自分はきれいなまま逃げ切ろうとするだろう。
「ずるい奴だ、そしてうまい。俺はやっぱり暗殺はされそうになるが、奴のしっぽを掴めたことはない」
「……ラウレルが言わないから代わりに言うけど、陛下にラウレルが「王弟が怪しい」とか進言したせいで、窘められた挙句、王弟が被害者面するようになったわ」
尻尾も掴まずに軽率に動くから、と吐き捨てるライラにラウレルはバツの悪そうな顔をする。
けれどラウレルの気持ちもわかる。私は今のところラウレルと仲良くしろ、だなんてかわいい命令しか受けていないが、彼はすでに幾度となく命を狙われているのだ。それも諸悪の根源がすでに明らかであるが、尻尾をつかめないせいで根本的な解決に至らない。口惜しいことだろう。
「ちなみに俺も王弟殿下をさっさと何とかしたい派だ。どうせ何かやらかす上に、証拠がないだけ。裏で糸引いているのは見え透いている。リスクを負ってまで、何年も耐える必要はないはずだ」
「……リスクがないと言わないわ。でも今まで通りであれば少なくとも16歳まで生きられる。下手なことする方こそハイリスクよ」
「今回はもう今まで通りじゃない。気を抜いたら殺されるかもしれない。なによりもう次はないかもしれない」
グラナダとライラのやり取りで、ライラもまた自分に近い考えなのだろうとわかった。
ライラは既にラウレルや私との接触の前倒しやプロフェタの囲い込み、感染症の防止などかなり行動を変えているが、あくまでも武力行使の早期解決を望んではいないようだった。
「百歩譲って、王弟殿下の暗殺に成功しても、次の問題が現れるかもしれないでしょ」
「……次?」
「ピナが死んで、世界が巻き戻ることこそが予定調和なら、ピナが死ぬ原因は必ずしも王弟の策謀が絡むとも限らない」
「え?」
突然出てきた自分の死の話題に思わず声が漏れ出た。
ライラの言っていることがよくわからない。
私が死んだのは、私が王弟に嵌められて、聖女と王太子を殺害しようとしたからだ。だからそもそも、王弟の企みがなく、聖女と王太子に手出ししなければ私は死なないで、まだ見ぬ未来へ行けると思っていた。
「……待ってくれライラ。それって、ええと、俺たちがどんな行動を取ろうと、誰がどう動こうと「16歳になったピナが死ぬ」っていう未来に帰結する可能性があるってこと?」
ラウレルの言葉を自分の中でよく噛み砕く。
要するに、「16歳になった私が死ぬ」という未来にすべては集約していて、たとえ当初の死亡の原因であったグラナダが仲間になっても、グラナダ以外の騎士が殺すし、諸悪の根源である王弟が失脚したとしても、別の原因で私は誰かに殺されるということになる。
すべては不確定だが、「16歳になったピナ・フレッサが死ぬ」という未来だけは固定されていると。
想定外のライラの考え方に唖然とするが、ラウレルとグラナダも同じようであった。言いたいことは理解できたが、その考えは理解できないというような。
「確かに、確かにその考え方なら、最後、ピナが殺される瞬間さえ逃れられればループから逃れられると思うだろう。だがその考え方自体が、現実的じゃない」
そう、グラナダの言うように現実的ではない。
ただの伯爵令嬢がそこまで命を狙われることがあるだろうか。
今までは原因があった。死に至るまでにそれが妥当と思えるような道筋があった。
だがライラの考えでは、道筋は後出しのように描かれるようではないか。
「今、まさに、現実的じゃないことが起きてるのよ」
自分以外の3人から奇異の目で見られてもライラは揺らがなかった。自分の考えに確固たる自信が、確信があるようだった。
ふと考えてみると、ライラは最初からそうだった。
そもそもなぜ「ピナ・フレッサが死ぬとループする」と確信しているのか。
確かに今までのループからそう考えるのはおかしくない。
だが肝心のライラは私の死体を見てはいない、私が死んで世界が巻き戻るところに立ち会ったことはないのだ。
けれどライラは当初からずっとそう信じている。そして私たちにもきっと同じ説明をしていることだろう。私たちはそれを聞いて納得し、彼女の掲げるループを終わらせる未来を目指してきた。希望だからだ。それは理解している。希望に確かさは必要ない。
私たち3人と、ライラは明らかに見えているものが違う。ライラだけが、別の何かを知っている。
知らず知らずのうちに唾を飲み込んだ。
予期せず与えられた動揺に、指折り数える。
ライラのことを疑ってはいない。ただ不思議だと思っただけだ。
私が死ななければループが終わるということ。まだ信じていられている。
まだ大丈夫だと言い聞かせた。
知っていたはずだ。ライラは聖女で、神の力を借りて奇跡を起こす。この時点で圧倒的に私たちとは異なる世界の見え方をしているはずだ。それは当然でおかしなことではないし、その原理を説明されてもされなくても、私たちでは理解できない何かが待ち構えているだろうことも想像はつく。
それだけだ。
そう思った瞬間私は思考に蓋をした。
たぶん、これ以上考えを巡らせても良いことはない。そこはまだ考えなくて良い部分だ。
私たちは共通の問題に立ち向かう仲間で、ライラには不思議な力がある。
とりあえずそれだけでいい。
「わかりました。考え方はそれぞれ違うかもしれませんが、目指す先は同じですよね。「16歳のわたくしが死ぬ」という事実を回避すること。そのための方法の一つが諸悪の根源たる王弟殿下を何とかすること」
「でも王弟殿下を何とかしても、」
「現実的な話として、たとえ王弟殿下を放置して、なんとかわたくしが生き残ったとしましょう。ループが解決しても、ラウレル殿下の命が脅かされることに変わりはありません。フレッサ家が泥船の王弟派についている事実も変わりません。それはそれとして何とかしないいけませんよね?」
ライラは少しハッとしたようだった。私たちの人生は、そこで終わりではない。たとえループから抜け出しても順当に命の危機がくる可能性はあるのだ。
「だからわたくしは王弟殿下の暗殺にも反対です」
「これはこれで解決するから良いだろ」
「リスクがあまりにも高いと思います。実際、殿下も陛下からその件では支持されていないいのでしょう。ならば別の方法で王弟殿下に失脚していただいた方が良いと思います」
ラウレルはむすっとした顔をしたが、反論はしなかった。彼自身、暗殺などが未だ荒唐無稽であることには気づいているのだろう。失敗した場合ラウレルの立場があまりにも危険すぎた。
「それに、王弟殿下が貴族たちから一定の支持を受けているのは、陛下の治世に不満があるからでしょう。王弟殿下が亡くなられても、別の火種として出てしまうことでしょう」
極力淡々と、にこやかに聞こえるように意識を巡らせる。
今お互いに不満や不信感を抱くべきじゃない。全員が同じ方向を見なければ、できることもできなくなる。
お互いの考えを話すことで、それぞれが危惧していることや想定していること、自身には見えていなかったリスクが可視化された。けれどその程度では済まされないものの影も見え隠れしてしまった。
「……ピナ、君の言っていることはもっともだ。だがあまりに規模が大きい。俺たちで何とかできるような内容じゃなく、政府の事業や統治に関わることだ。到底、」
「できませんか? 今の政治の中枢を間近で見られる王位継承権第一位の王太子と、一大勢力であり国教の教会が崇める聖女がいて。既に王弟側について内部事情が見えつつある伯爵令嬢と、現在の平和な治世に不満を持つ貴族と伝手がある騎士団員がいるのに?」
はったりで良い。でも口にすれば希望があるように感じられた。
今はただの子供で権力なんて持っていなくても、これまで20周無力で何もできずに死んできた、巻き戻されてきたとしても。
「今までできなかったことが、できるようになった今なら、どんな可能性だってあると思いませんか」
ここまで運命に負け続けてきた。
けれど自由になった今、私たちはこの上なくいいカードが配られているのではないか。
未来を知っていて、権力者の子で、重要な立場で、情報収集の手段もいくつも持っている。
「運にかけるつもりもありません。そうであろうという想定にも甘えません。できることを、努力すれば良いんじゃありませんか。ここまでやってきたように」
少しずつ未来は変えられる。変えてきたはずだ。
「……わかった。俺たちができることを、全力で。不確定な未来には甘えない、ハイリスクで短絡的な道は選ばない。王弟の暗殺はなしだな」
グラナダのさっぱりとした声で、その場の空気が弛緩した気がした。
「グラナダ、君までそう、」
「ループがなければそれで終わりじゃない。君は伯父を暗殺したという弱みを抱えたまま王になるつもりか。こんなスキャンダル他にないうえ、隣国との火種にもなる」
「だがあいつが生きている限り、」
「人を動けなくする方法は殺害以外にもいくらでもある。君は不要なリスクを負うべきじゃない」
暗殺案へ未練など感じさせないようにグラナダは懇々と諭した。
王弟の暗殺に乗る気なのはてっきりグラナダだと思っていた。だがよく見てみればそれを強く願っていたのはいつも飄々としているラウレルの方だった。
ラウレルは一度も私に恨み言を言うことはなかった。だからさっぱりとした性格だと思っていたのだが、よく考えればすべての悪感情が王弟に向けられているのではないだろうか。ラウレルが命を狙われるのは私の件だけではない。私は偶然暗殺未遂まで辿り着いた。けれどそこまでいかないほどの加害や危機が、彼にはあったのだろう。
「…………」
「ライラ様……?」
未だ一言も言葉を発さないライラはツカツカと私へ歩み寄ると両手で私の顔を掴んだ。
「ラっ……⁉」
そして何も言わず私の頬を触りながら深く深くため息を吐いた。私は小さな口から細く長く零れていく吐息に、安堵した。肩の緊張を解いて、頬を触る手に自分のものを重ねる。
「これからも、力を貸してくれますか?」
「……もちろんよ、そのつもりよ」
彼女は私に力なく微笑みかけた。
きっと彼女は私たちより抱えるものが多い。私たちには見えないものを見て、私たちの知らないことを知っている。
そしてそれを飲み込んで、私たちと足並みを揃えようとしてくれるほどに、私たちの中に生まれた違和感を見て見ぬふりをできるほどに大人だった。




