54話 希望と道筋
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ありがとう、ドロシー」
数日かけて戻ってきたフレッサ領は、春から夏に装いを変えていたが、それでもよく見慣れた故郷であった。馬車から降りればすぐにドロシーが駆け寄って来て、控えていた使用人が荷物を運んでいく。
「変わりない?」
「ええ、こちらは。お嬢様はいかがですか、なれない寮生活ではご不便も多いでしょう」
「そんなことないわ。快適に過ごせているし、友人たちも良くしてくれる」
「……なんだかしっかりとした淑女になられましたね。つい数か月前まで裏手の森で泥だらけになられていたというのに」
「今は外出着だからよ」
「お嬢様?」
おやめください、というドロシーの言葉を聞き流しつつ玄関へと向かう。すると玄関は内側から開けられ、伯父、アルフレッドが飛び出してきた。
「おかえりピナ! 休みも短いだろうによく帰って来てくれた!」
「ただいま戻りました、伯父様。お変わりありませんか」
「こちらは相変わらずだ。ただまあ事業の方はいろいろ進めている。お前からの意見も参考にしているからあとでまた説明しよう。とりあえず少し部屋で休め、話はそれからだ」
そう背中を押すアルフレッドの手は大きく温かく安心する。少しだけ肩の力が抜けた気がした。
アルフレッドもドロシーも敢えて言わなかったことを、自分から口にする。
「お父様にも挨拶してくるわ。お父様は今お部屋?」
「……ええ、旦那様はお部屋にいらっしゃいます」
「ありがとう。夏季休暇中、お父様はお屋敷にいる予定かしら?」
「多少の外出はあるが、数日も屋敷を留守にすることはない。……ピナ?」
何か言いたげにアルフレッドは私の名前を呼んだが、呼ぶにとどまった。
イエーロが在宅なのが嫌なのか、とでも聞きたそうな顔だ。しかし口にしない以上、私も敢えては答えない。
どこか心配そうな伯父には微笑みだけを返した。
帰ってきておいて、父を避けるようなことはしない。父と喧嘩するつもりもない。
ただ私は、父との対話を諦めたくないのだ。
本当はこの夏季休暇、家へ帰ってくるつもりはなかった。しかし都合が変わったのだ。
「ああ、二人ともおかえり。ごめんね追い出しちゃって」
「いや、ライラは落ち着いたか」
戻ってくると相変わらず朗らかなラウレルとどこか憔悴した様子のライラが項垂れていた。
「あのライラ様、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫、それから本当にごめんなさい」
「わたくしは大丈夫ですので、そちらのことはお気になさらず。わたくしのことはどう呼んでいただいても構いませんし」
ライラの隣に座りその顔を覗き込むと潤んだ紫色の瞳が見えた。
確かにライラは度々私のことをラズベリーパイと呼んでいたが、ファーストネームで呼ぶことも多かった。むしろラズベリーパイと呼ぶときの方が少なかっただろう。
私はどちらの呼び名でも特に思うことはないのだけど、ライラが気にするようであればファーストネームで呼ぶよう統一してもらえばいいだけの話だ。
「ええと、ライラ様は悪いと思っていて、わたくしに謝罪をして、わたくしはそれを受け入れて怒っても傷ついてもいないなら、このお話はおしまいにしましょう! ライラ様苦しんでいるとわたくしも苦しいです」
「……それだけで良いの?」
「本当にそれだけでいいんです。わたくしはそもそも傷ついてすらいないのですから」
「……聖女じゃん……」
「せ、聖女はライラ様ですが……⁉」
両手で顔を覆うライラにぎょっとして、助けを求めるようにラウレルを見上げるとなぜかラウレルがどこか満足げでさらに困惑する。グラナダに視線を向けても、こちらを見ていることはわかるが、何を考えているかは読み取れない。
「まあこれでライラとピナは仲直りしたな。それに最近ピナもグラナダのことを怖がらなくなってきた。これでようやくお互い蟠りなく協力関係を結べたわけだ」
「そ、それで言うとわたくしは殿下に対してそういう謝罪だとかそういう類ものをした覚えがないのですが……」
思い返せば記憶があることを含めラウレルに話したのは伯父の命の嘆願のため王都を訪れた時だ。その時はライラへの奇跡の依頼や、世界のループの話、協力関係の話に終始してしまい、改めて謝罪をするタイミングがなかった。
よくよく考えると、幾度となく殺そうしていた相手に再会したというのに、一度も謝ってもいない気がする。王族相手に謝って済むこととも思えないが、今世では何もまだ起きていないため法で裁かれることすらできない。
「ん、俺は別に怒ってないし死んでもない。しかもピナは俺の側近であるグラナダによって殺されてしまっている。だから正直俺には蟠りはない。でももしピナが気にしていたりするならここで済ませてしまおう。ほらピナ、謝罪」
「も、申し訳ございませんでした……? いえ、ええと、毒を盛って、殿下を殺そうとしてしまい申し訳ございませんでした……!」
「いいよ。じゃあこれで終わりだな! 話の続きをしよう」
「ええ……いや、軽い……」
再びテーブルに着くよう促すラウレルに動揺する。だが彼は本当に気にした様子もない。
「いい、ピナ気にするな。殿下は本当に何も気にしてない。彼が話した内容はすべて本心だ。彼がそれで良いというならそれで良い」
なんとも納得しがたいが、そう耳打ちしたグラナダが椅子を引くため、釈然としないながらも席に着いた。
「現状の僕らの方針としては、最終目標はループを阻止すること。そしてその鍵になっているのがピナ・フレッサの生存だと考える。ここまではそれぞれ説明したと思う」
私は自覚していないが、どうもそうらしい、ということは知っていた。
私の死亡が確認されると、世界は突如巻き戻る。
そのため、私が死ななければ次の段階に進むのではないかと仮説を立てているのだ。
「ピナが死ぬ直接的な原因はグラナダだが、そもそもピナが破滅に至った原因は叔父、エンファダード。王弟が僕を殺そうとしていたことに起因する。叔父上がいなければピナが唆されることはなかったし、僕らに毒が盛られることはなかった」
「……それで言うならもうその心配はないんじゃないのか。ピナはもう王弟に唆されることはないだろう?」
グラナダの言葉に、暗く重いものが身体の中に流し込まれるような気がした。黙っていれば事情を把握しているラウレルが話すだろうと思いながらも、それでもこのことは私から話すべきだと口を開いた。
「私が、唆されることはありません。ただ王弟殿下は私を、フレッサを手駒だとお考えでしょう。であれば私の意思とは関係なく私や父になんらかの指示を出すことでしょう。そしてそれと共に圧力も」
問題は私自身の感情や身勝手さではない。
「恥ずかしながら私は、家族や大切な人を人質にとられた時、絶対に屈しない、という自信がありません」
それは明確な恥だった。
きっとここにいる3人は、屈しないだけの覚悟があるだろう。
わかっている。私が殺されるような道を歩まなければ、ようやくこのあまりにも長いループに終止符を打てるかもしれない。その希望のために、皆知恵と力を出し合っている。
だが羞恥を抱きながらあえてそれを口にしたのは、私の弱さを、不安を知ってほしかったからだ。
「それは、純然たる私の心の弱さです。皆さんはきっと高潔な精神をお持ちでしょう。ですが私は1周目には唆され、今でさえ王弟殿下からの圧力に怯えながら、何も対処できていない状態です」
恥ではあった。けれど彼らはそれを決して責めたり、呆れたりすることはないという信頼があったからこそ、開示できた。
「そうだね。でもピナ君は、ここまで君なりにいろんな行動を変えてきて、奔走してきた。さて、君が思い描いているルートと結末を教えてほしい」
ラウレルが静かにそう問うた。
思い描いている道筋が各々違う。先ほどのグラナダの言葉が思い起こされた。
「私が思い描いているのは、極力今までとは変えず、多くの人の命が関わる事件や、……自分が死ぬタイミングだけ避けたいと思っています」
「それこそ、多くの国民が死ぬはずだった感染症の対策とかか」
「ええ。そうすればこれから歩む道で何が起こるかわかる分、対策がしやすい。大きく動きすぎて事件が変化してしまうと対策が難しくなって、最終的に自分が殺される場面を回避するのが困難になると考えています」
「……なるほど、ピナは極力道筋を変えず、大惨事を回避する、と言った感じか」
なるほどなるほど、と呟くラウレルとどこか硬い表情のグラナダとライラ。私の意見は誰とも違うということは分かった。
当初は引き篭もるなどすべての筋書きを放棄、逃避するつもりだったが、伯父の危篤により方向転換せざるを得なかった。結果的に聖女と王子と早めの接触、学園生活の過ごし方も大いに今までとは違う。だが最大の問題とも言える、フレッサ家が王弟派についてしまっているという点を変えることができなかった。となると唆された以前の私と同じように、王弟は私を暗殺実行犯や指示役として使おうとすることだろう。私はきっと、それにうまく躱すことができない。
「殿下はどのようにお考えですか」
「僕かい。僕はね極力短期決戦。ループが起こる16歳まで待つつもりはない」
「そんな方法があるんですか……!?」
思わず息を飲んだ。
私は完全に、16歳を生き延びることを考えていた。あの日、あの瞬間殺されなければ、私はその先の未来まで生きることができるだろうと。
だからこそ、私は16歳までは待つ方向で考えていたのだ。
「そもそも、ピナが死んだ原因は王位争いだ。王位継承権を持つ者が複数いるから問題になる」
「……それって」
「叔父上を殺せばすべて解決だ。王位継承権争いはなくなるし、叔父上の実家であることをいいことに無理難題を吹っ掛けてこようとする輩の相手もなくなる」




