51話 彼女の過ち
初夏となり、気温がぐっと上がったある日、私たちはいつものように学内にあるサロンに集まっていた。無論、ホストは王太子であるラウレル。いくつかあるサロンルームは予約さえあれば誰でも使えるのだが、王太子が気に入って頻繁に使う部屋については別だ。王太子が指示したわけでも、誰かが取り決めを作ったわけではない。ただ「王太子のお気に入り」という箔のついてしまったサロンルームはもはや彼専用のように扱われ誰も利用しようとしないのだ。結果的に、このサロンルームは常に私たちが占拠してしまっている事態になっている。
期末試験も終わり、今は試験の結果を待つばかり。そしてそれが返却されればすぐに夏季休暇が待っている。
「ピナ、夏季休暇は家へ帰るつもりか?」
「んん……」
ライラが持ってきた貰い物だというクッキーを口にしながら至極当然ともいえるラウレルの質問に目を泳がせた。
この学園における夏季休暇は決して長くはない。2週間程度であるため、実家に帰るだけで数日かかってしまう者が多いことから夏季休暇は学園で過ごしても帰省してもどちらでも良いことになっている。
「帰りたい、とは思っていますが、移動時間のことも考えると今回は学園に残ろうかと思っています」
帰省する最大のメリットは以前のように薬の調合ができることだが、いかんせん時間があまりにも短い。アルフレッドとはある程度手紙でやり取りはできていることもあり、無理をして帰ろうとまでは思わなかった。
「俺も同じく。実家が遠すぎるし、特に帰る理由もない」
「まあグラナダさんなら、本当に移動時間だけで2週間終わりかねませんからね……」
ラウレルたちのごり押しにより、最近ようやくラウレルの背後に立つのではなく同じソファに座るようなったグラナダも短く賛同した。グラナダの生家はフレッサ領よりはるか東で、馬車なら往復で2週間かかってしまうだろう。
「俺たちはともかくあなた方はそうもいかないだろう。常に忙しい、というかあちらにこちらに引っ張りだこだ」
王太子であるラウレルにはすでに公務が課せられており、日ごろから忙しそうにしている。そのうえ学園は王都にあり、王宮も目と鼻の先。ともあらば仕事漬けにされないはずがない。
ライラにしても同じことだ。授業がある日でさえ教会から呼び出されることのあるライラは週末明けでさえぐったりとしている。週末はここぞとばかりに仕事を入れられるのだと。これが夏季休暇で2週間もあれば馬車馬のごとく働かされることは想像に難くない。
「ライラ様、既に顔色が悪くありませんか……?」
「そうね……「あなたにしかできないお勤め」とか称して10代前半の子供を働かせてテキーラを飲ませるって、うちの国教本当イカれてるわ」
「聖女がそれを言ったらおしまいだろ」
いつも以上に元気のないライラのカップに紅茶を注ぐと勢いよく飲み干した。アルコールも宗教も嗜む程度の私からすると、彼女の苦労は理解しきれない。
「アルコール度数の高いテキーラへの信仰が高いのは理解できるわ。ギリギリ。それの齎す酩酊や養命酒としての役割や消毒酒としての効能。理解できる。でも儀式だとか祈りだとかで子どもに飲ませるのは馬鹿じゃないの? 私ぴっちぴちの子どもよ?」
なんとも不思議な言葉選びで管を撒くその様子はとても聖女には見えない。苦笑しながら空になったカップにまた紅茶を注ぐ。
「それで、あなたはどうするつもりで? 2週間王宮で働きづめ?」
「まあそのつもりだ。どうせなら過ごしでも学園で過ごして公務が免除になったりしないかと期待していたんだが」
「堂々とサボりを公言しないでください」
「どうもこの夏季休暇の間に叔父上様が王宮へ戻ってこられるらしい」
どこかのんびりと弛緩していた空気が一変して張りつめた。
「……それは、」
「仔細は分からない。ただそれだけは聞いている。……そう心配するな。お前も知ってのとおり、叔父上は直接僕に手を出してくることはない。実際そうだった」
もの言いたげに眉を寄せるグラナダを宥めるようにラウレルは軽く笑うが、どのような言い方をしたところで笑い事ではない。
事実、この繰り返してきた20回の人生、すべてにおいてラウレルはその命を脅かされたが、そのすべてが王弟であるエンファダードによるものではない。
ある時は街の暴漢に、ある時は隣国の暗殺者に、またある時は王宮のメイドに。九死に一生を得るが、毎回下手人は全く関係の人間であり、直接の支持者すら別の第三者を用意している。――メイドに指示し毒を盛らせた、私のように。
「まあ、直接どうのこうのっていうのは確かにないでしょうね。あの狸親父、絶対自分が矢面に立たないように立ち回るでしょうし。でもだから安全という訳じゃない。この夏の間に何か仕掛けられる可能性はあるし、今後のための種まきをしている可能性もある」
「叔父上は王宮にいてもいなくてもあちこちに種を蒔いているさ。いつ芽吹くともしれない、ね。そのためにも情報共有をしておきたい」
そう仕切り直すようにラウレルは鞄から紙を取り出した。
「僕らはそれぞれ、同じ人生を繰り返してきた。でも僕らそれぞれで視点が違う。見てきたものも、経験してきたこともその実、違うだろう。当然同じことを知っているように話しているが、なんだかんだ持っている情報が違う。それを少し整理したい」
「それをそれぞれ時系列順に書き出していく、ということで良いか?」
「そういうこと」
早速ラウレルが書き始める。内容は主に彼自身にあった事件だ。
巻き戻されている6歳以前の出来事は省略し、それ以降も事件が書きだされているが、その筆に少しの迷いもない。当然だ。今まで自分が繰り返させられてきたことをなぞるだけの簡単なことだ。私たちは、いやというほど同じ人生を歩まされてきた。
しかし自分の知らない場所でラウレルがどれほど危険にさらされていたのかを初めて知り、ゾッとした。王位継承権第一位の王太子であれば当然なのかもしれないが、どの年齢のときも命の危険にさらされる事件が頻発している。
誘拐、馬車の襲撃、暗殺者の王宮への侵入、使用による機密情報の窃取、毒殺未遂。切りがないと言ってしまえばそれまでだが。そのすべてを把握しておく必要がある。
今までと違い、私たちは誰も自由だ。
だがその一方で、今までは大きな問題にならなかったことが、命取りになる可能性がある。今までは大丈夫だった。それは決して安心材料にはなりえない。
「……多いだろうと思っていたが、ここまでか」
「あら、グラナダは護衛についてたから一通り全部知ってるかと」
「直接的な襲撃や暗殺なら俺も関わっていることが多いが、王宮内で起きた未遂程度の事件なら内々に処理されて俺には知らされないこともある。特に機密情報に係る部分では大きな事件にならない限り、王家としても表沙汰にしたくはないだろう」
グラナダは淡々としつつも三白眼でラウレルをじろりと見る。
「……少なくとも事後報告位あってもいいと思うがな」
「グラナダは心配性だからなあ。あまり心労を掛けたくなかったんだよ」
「面倒くさかっただけだろ」
ぶちぶちと文句を言いながらグラナダは少しだけ追記してライラにペンを渡した。おそらくグラナダは本当に書くことがないのだろう。あくまでもラウレルに帯同している彼にとっての事件はおよそ彼と同じものだ。
違うところと言えば、微かに迷いながら一番下、ループの直前に当たる部分に追記したことだろう。彼の追記によって、私はそれを書く必要がなくなった。
「……あの、殿下も大変ですが、ライラ様も大概では」
「聖女もね、いろいろあるのよ。多分直接的にループだとか王弟殿下とは関係ない教会のいざこざとか、信者の揉め事から飛び火したあれそれとかもあるんだけど……全く関係なかった、とも言い切れないから一応書いておくわ。でも基本的にみんなには関係ないと思ってくれて構わない」
誘拐、脅迫、殺人未遂はもちろんのこと、軟禁、監禁、強要とこれでもかと続く。ラウレルは地位ゆえであったが、ライラには地位に付随した能力がある。その分、殺害、というより利用したいと考える者が多いのだろう。
ラウレルもライラも、きっとこの21回目の人生でも同じように多くの事件にまきこまれてきて、それをきっとうまく乗り切ってきた。
私は、それをうまくできるのだろうか。
ライラから渡されたペンを受け取り、書き出そうとして息を飲んだ。
私がここへ書き出すことのほとんどが、“被害”ではなく“加害”であることに気が付いた。
私と彼らの決定的な違い。
「どうしたの?」
ライラの言葉ではっとした。
私は今、弱音を吐こうとした。書き出せない、苦しい、罪悪感がある。けれどよりにもよって、それを自分が加害してきた人たちに話すのか。
それは許されない甘えだ。
彼らが私を甘やかしてくれたとしても、それだけは甘えてはならない。
少なくとも、私は私の罪を認めよう。そうして今回は決してそうならないように宣言しなければならない。
自分の罪を書き出して、エンファダードが私をどのように誘導したか、どのようなことをフレッサに要求したか、詳らかにしよう。
加害者側だけが知っている情報をすべて。
彼らの役に立てるように。
彼らと一緒に並べるように。
「……大丈夫よ、ラズベリーパイ。そんな深刻な顔をしないで。大丈夫。私たちがいる。あなた一人で戦う訳じゃないの」
「ライラ様……」
書き出したきり、一言も発することができなかった。
無意識のうちに握りしめていた両の手を、ライラは解きほぐすように包み込んだ。かすかに汗ばんですらいた私の掌を躊躇なく撫でる。
「ラウレルの問題は私たちの問題。私の問題も私たちの問題。あなたの問題も私たちの問題。フラナダは……まあ問題ないわね」
「ついでに言っておいて適当に流すなよ」
「あなたは一人じゃないの。忘れないでラズベリーパイ」
冗談を言いながら、それでも紫の目は真摯に私を見つめていた。
「……ありがとう、ございます。ええ、今度こそ“ラズベリーパイ”にならないように努力します」
そう彼女へ言った瞬間、その顔から表情が抜け落ちた。




