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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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50話 塔とラズベリーパイ

「放しなさい! わたくしを誰だと思ってるの!?」



 きんきんと金属をこすり合わせるような怒声。手首には枷が嵌められ、ドレスは汚れ、振り乱された髪は既に櫛も通らないだろう。

 女以外誰も、口を開かない。騎士たちは粛々と自身の任務をこなす。半ば引き摺るように、女を塔の上へ上へと運んでいく。

 靴は階段のどこかで脱げ落ち、擦られたつま先から血が滲んだ。



「わたくしは伯爵令嬢よ! お父様が知ったらただじゃおかないわ! お前も、お前も、お前も! わたくしの足元にも及ばない、卑しい無能が!」



 金切り声はどこまでも響く。扉は閉められ、鈍い音を立てて閂がかけられた。

 喉が枯れるまで、その声は繰り返される。

 あまりに鮮明に、脳裏によみがえる。


 あれは私だ。

 何度も繰り返した私だ。


 この塔へと連れて来られ、まるで不要なものを仕舞っておくかのように、放り込まれた。伯爵令嬢ではなく、罪人として、まるでモノのように扱われた。

 きっと、私は怒りと屈辱に震えていた。けれどそれも随分と前のことだ。

 私は、金切り声をあげながら、絶望していた。

 耳を塞ぎたくなるような罵声を口から溢れさせながら、私はどうしてと、心の中で叫んでいた。


 誰も聞かない、聞こえない。



「お嬢様?」



 プロフェタの声に意識が無理やり引き戻された。

 気が付けば、私の掌はびっしょりと汗をかいていて、吹き抜けた風がひやりとそれを冷やした。

 喉が渇き、舌が顎に張りつく。

 けれどプロフェタの声が、木々を揺らす仄かに温かい風が、どこからから聞こえてくる小鳥の鳴き声が、私を徐々に冷静にさせた。


 私はまだ12歳。まだ何の罪も犯していない。

 私はもう、罪を犯さない。



「お嬢様、ご気分が優れないようでしたらもう戻りましょう。歩くのも難しければ馬車も、」

「……いいえ、結構です。少し、思うところがあっただけで」



 無意識のうちに俯いていた顔をあげた。目の前に聳え立つ尖塔。

 私はここへ連れて来られ、閉じ込められ、そうして突き落とされた。



「少し見て回っても良いかしら」

「いえ、ですが、」

「少しだけ。すぐに帰ります。……この塔はなんのための建物ですか?」



 忠告に従おうとしない私にプロフェタはやや不満げだったが、塔への歩み寄りながら口を開いた。



「この塔はかつて留置所として使われていました」

「留置所……」

「ええ、逮捕から公開処刑までの間、ここに幽閉されていたそうです」

「……幽閉されるのは処刑される、死刑となる者だけ?」

「ここに幽閉されるのは死刑囚、中でも王家に反逆した者だけです。最後に使われたのはもう何十年も前、当時の国王を毒殺しようとした妃がここへ幽閉され、数か月後処刑されました」



 塔の周りをぐるりと歩く。

 塔を囲う柵は赤く錆つき、入り口には錠がかけられていた。柵の中も荒れ放題で草が生え、小さな黄色い花をいくつも咲かせていた。塔の入り口と思しき扉には蔦が生え、大げさなくらいの大きさの錠がかかっている。誰がどう見ても、放置されている建物だ。天高く伸びる塔は、まるで蔦を振り払っているようで、街から見た時にはそのような様子は察することができない。



「まあ公開処刑などという制度は随分と前に廃止になりました。かつては娯楽という一面もありましたが、陛下はそんな野蛮な娯楽などお認めにはなりません」



 淀みない説明のあと、プロフェタはハッとしたように明るい声色でそう付け足した。

 子供に聞かせる話ではないと思ったのかもしれないが、私には不要な気遣いだった。ずっと放置され、打ち捨てられていたこの尖塔。私を幽閉するために、蔦を払い、再びその扉を開けたのか、と細く息を吐いた。何度も閉じ込められているが、いわれを聞くのは初めてのことだった。私は思った以上に落ち着いていた。それは最初の衝撃を乗り越えたからだろう。

 私はここへ閉じ込められない。私は罪を犯さない。

 今の私には心強い仲間がいる。

 ふと、好き放題草の生える地面に赤い点がいくつかあることに気が付いた。柵があるせいで近づくことができず、目を細める。



「プロフェタさん、あれは何でしょう?」

「見てみましょうか」



 プロフェタはなんでもないようにそう告げ柵をひょいと乗り越えた。あまりの躊躇のなさにあっけにとられる。しかしよくよく考えてみれば彼は今までも伯爵家の屋敷に勝手に上がり込んでいたし、今も学園内に紛れ込んでいる。彼にとって立ち入り禁止など意味をなさないのだろう。

 赤い点のあるあたりにしゃがみこむと、また躊躇いなどないように茎を握りさも当然かの様に引きちぎった。逡巡もない判断の速さに勝手に慄く。一方で私がよく見られるように、こちらへ持ってきてくれようとしているという心遣いはよくわかっていた。

 柵を越えた時同様、プロフェタは難なくこちらへと戻って来た。



「どうぞ、イチゴのような実がなっていました」

「ありがとうございます」



 受け取ると細い茎に小さな葉が無数についていて、先ほど赤い点に見えたものはプロフェタのいう通りイチゴのような赤い実だった。



「これ、よくいろんなところで生えていますよね。スカスカしていておいしくないやつです」

「ええ。……食べたことあるの?」

「まあ。空腹ならとりあえずなんでも口に入れてみる時期がありまして。ただまあおいしくないだけで」

「確かに毒性はありませんが、何でもかんでも口に入れるのはおやめください。本当に」



 昔の話ですよ、とプロフェタは笑い飛ばすが、笑い事ではない。野生の植物は実も茎も葉も根も、人間にとって毒となる成分を多く含む。



「これはドゥケスネアと呼ばれるイチゴの仲間です。もっとも仰る通りイチゴと違っておいしくありません。乾燥させたりお酒に漬けたりすると薬になります」



 私はわざわざ口にする理由がないため、存在は知っていたが食べたことはない。

 地面を這うように茎を広げるドゥケスネア。可愛らしい、けれど食べるのに向かない果実はまるで宝石のようによく晴れた日を反射させていた。



「おいしくはありませんが、ラズベリーとは少し似ていますね。イチゴよりもそっちのが近い」

「ラズベリー、」



 はっとして顔をあげた。はるか上、尖塔のてっぺんに窓がある。その真下に、ドゥケスネアが花咲かせ、実をつける。



「かわいい、かわいい、ラズベリーパイ」



 幼子を愛でるような甘い声が耳の奥で聞こえた。


 ラズベリーパイとは私のことだ。


 塔から地面へ真っ逆さま。

 そうして潰れた私は、まるで床に落とされたラズベリーパイ。


 なんて酷い愛称だろう。今まで何かわからぬまま返事をしていたが、これからはわかってしまう。


 床に落ちてぐちゃぐちゃにつぶれたラズベリーパイ。それが私。



「ねえ、ライラ様ってラズベリーパイはお好きかしら?」

「そう、ですね。甘いものは全般お好きではいらっしゃいますが、今までラズベリーパイは食べてらっしゃるところは見ていないですね」



 思わず喉の奥で笑ってしまった。

 私は再び、地面に叩きつけられることを恐れている。何度も何度も死ぬことを。

 けれど何度も何度も潰れた人だったものを見る人だってトラウマに思うことだろう。人間でできたラズベリーパイを見たら、世界が巻き戻ってしまうなんて、悪夢以外の何者でもない。

 彼女も私を床に落ちたラズベリーパイにしたくないのだ。



「このドゥケスネアでパイでも作りますか?」

「いいえ。おいしくないし、たとえジャムに加工したとしても、きっとライラ様はお好きではないと思います」



 おそらく、床に落ちた時の見た目はラズベリーパイもドゥケスネアパイも変わらないことだろう。



「ねえプロフェタさん。さっき渡した手紙、返してくださる? 内容を書き変えたいの」

「それは構いませんが、唐突ですね」



 まだ皺も付いていない綺麗な封筒を再び自分の鞄へとしまう。



「この手紙、伯父様に次に作る薬について相談する内容だったの。私が作った薬でよく売れたのはルビアシアを使った解熱剤、サンクフォール。それからルビアシアを含めたハーブ類を使ったハーブウォーター。その次に何を作って販売するか。わたくしは学園にいる以上、領地にいた時と同じようには研究をすることができません。なので次にどんなアイデアがあるかと、相談したかったんです」

「……それ、フレッサ家にとってかなり重要なことですよね。私に話して大丈夫ですか?」



 少し気まずそうな顔をして目を泳がせるプロフェタを見上げた。そして意外に思う。

 あちこち入って盗み聞いては情報を収集するような彼が今更こんなことに気を遣うということに。そして何より、「裏切者」を彼のことを認識していたはずの私が、大事なことを話してしまうほどに信用していたことに。


 はじめて殺された時の私はプロフェタのことを恨んでいた。彼が密告しなければ、私の罪が知られることはなかっただろう、と。あれほど従順であったのになぜ裏切ったのかと。今となっては最初から教会側の人間だったから、という答えを持っているが、当時の私は理解しえなかった。

 ただ一人の裏切者。

 だが最初から彼は私の部下でも仲間でもないただのスパイだった。

 彼は私の味方ではない。



「だって善行を働こうとする私を、あなたは邪魔したりはしないでしょう?」



 彼は善性の味方だ。

 故に、彼は今の私を裏切ったりはしない。それは疑いようも確信で、事実であった。

 プロフェタは深々とわざとらしくため息を吐くと笑った。



「光栄ですね、お嬢様。ええ、私はあなたの善行を咎めることはありません。それが善行である限り」

「今回も善行なので大丈夫です! 薬を作って売って広めることは、社会全体に寄与するような善行です!」



 笑う彼の耳は既に真っ赤だ。



「では、気も済まれたなら学園へ戻りましょう。手紙も書き直さないといけないのでしょう」



 私たちは塔に背を向け、再び活気あふれる街の中へと戻っていった。

 人々の笑い声、靴が石畳を叩く音。塔周辺にあった静けさはもうどこにもない。

 確信があったわけではない。ただなんとなく、私はまたあの場所へ行くような気がした。再び罪を犯し、捕えられあの場所へ連れて来られるのか、はたまた何らかの心境で再び自分がラズベリーパイとなった地面を眺めに来るのか。どれなのかはわからない。

 けれど今回が最後になる気はしなかった。


 暑くなり始め、人は涼を求めている。

 若葉が萌え、緑が繁茂するときっと虫も増えるだろう。

 私はアルフレッドに手紙を書いた。

 赤いドゥケスネアの実を使った虫刺され薬。ウォッカに漬け込まれる姿は宝石のように美しく、薬が完成すれば甘やかな琥珀色に変わる。

 そんな薬を庶民向けに売ってみないかと。


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