42話 少年と思惑
流行り病、サンクダリアの特効薬の原材料であるルビアシアを教会へ提供、同時にルビアシアを使用したハーブウォーターの開発から5年。
今までのループと同様、国内全土でサンクダリアは流行した。何度も繰り返す悪寒と発熱、頭痛に全身の痛み。発症から10日程度で苦しみながら死に至る。セミーリャ王国民の5%が死亡した。
この21回目は違った。確かにこの流行り病は流行した。その感染力は強く、1人発症する者がいるとその地域で爆発的に広まる。だがサンクダリアの特効薬はすぐに見つかった。既に診療所等では使用され、教会でも処方されていた“サンクフォール”という解熱剤だ。
原材料が貴重であるためあまり処方されることはないが、この解熱剤がサンクダリアに劇的な効果を示した。処方後は間もなく熱が下がり、症状も緩やかに改善し、死亡率は急速に下がっていった。特にルビアシアを使用したハーブウォーターを頻繁に飲んでいた原産地であるフレッサ領では発症者自体が異常に少なかったことから、予防効果もあることが証明された。
かくしてセミーリャ王国に訪れる大きな厄災ともいえるサンクダリアの大流行は起こったものの、死者数は少なく、治療、予防のできる病として適切に対処されていった。
聖女であるライラの目論見は見事成功した。彼女の進言と交渉によりルビアシアはフレッサ領以外でも栽培されるようになり、余裕はないものの必要な場所へ必要な分だけの供給を可能にした。教会というネットワークを活用し、医師にかかれる上流階級だけではなく、貧しい者にも薬を処方することができた。
一方薬剤の利益を総取するはずだったフレッサにも、利益がないわけではなかった。
もともと一般的な解熱剤としてサンクフォールを開発した。主たる開発者へ調合方法を知っている私だが、当然未成年である私の名前だけでは困難であるため共同開発者としてアルフレッドの名を入れ、対外折衝はすべてアルフレッドに任せていた。その結果この重大な流行り病を防いだ功績として准男爵という爵位と報奨金を賜った。一代限りの領地も持たない爵位であるが、もらえるものはもらっておくという実に自由な感覚でアルフレッドは特に気にした風もなくそれを受け取った。唯一、実際に開発したのは自分ではないということに不服があったようだが、開発者が私だったとしたら女性かつ子供である以上そういった名誉が受けられないことは明白だった。フレッサ家としてもそちらの方が望ましい。
私はただ、いつも通り森に入っては植物を採り、薬を作る。ドロシーと話をして、プロフェタから教会や世情について聞く。変わらない日々を過ごしていた。
ループに大きくかかわる事件は、数年間特にない。
伯父であるアルフレッドの死。
サンクダリアの大流行と薬剤の開発。
次に私が関係する事件は学園に入学してから、来年のことである。
12歳で学園に入学。ラウレルに想いを寄せていたピナ・フレッサはラウレルにアプローチしつつ、他の貴族を牽制。そして知らないうちに王弟であるエンファダードに利用されていく。
そして16歳でラウレル、ライラ両名に毒を盛り、投獄。塔の上から突き落とされて死亡。
11歳である今の私にとって、しばらくは休憩期間なのだ。
大きなトラブルは16歳。それまで確かにエンファダードからの接触を含む政争の絡みがあるが、それでも主たる対応は家長であるイエーロだ。ラウレルとはループしているという秘密の共有はしているが寄せる思いは罪悪感だけ。
学園に入ってからはただ大人しくしているだけで良い。おそらく、アルフレッドの時同様強制的に起こるトラブルに巻き込まれることもあるだろうが、一番警戒すべきは16歳。まだ先の話だ。今の私にできることはない。
今の私はただひたすら知識を増やし、いつかの役に立つよう技術を磨くだけだ。何かにつけてお金が要る、という点についても着々と薬剤や薬草の研究を重ね、金に換えるルートも確立しつつある。サンクダリアがフレッサ領内で流行しなかったということで、フレッサ領の名は知れ渡り、結果的にフレッサ領内で作られる薬や薬草はある種のブランド化しつつある。特効薬の独占による利益は失われたが、十二分に商機にはなった。矢面にはアルフレッドに立ってもらいつつ、私の知識を有効活用する。それがもっとも効率が良いとして、アルフレッドの協力のもと、事業の拡大を進めている。
ひとまずは未来を変えることに焦燥するのではなく、できることを堅実に。そう考えていた。
「ピナ、来月は薬事事業の説明で王都へ行く。お前も付いて来なさい」
ある日の夕食後、席を立つ前にイエーロがそう言った。
イエーロは定期的に王都へ上っている。それは貴族院の会議であったり、有力貴族との会合やパーティーであることが多い。パーティーでは一人娘である私を連れて行くことも少なくはないが、少なくとも事業説明で私が呼ばれることはなかったはずだ。
「……わたくしがですか? 詳細の説明であればアルフレッドの伯父様の方が適任では」
「説明自体は事業概要と予算収益くらいだ。私がする。お前は別件だ」
「別件、というと。……教会関係ですか?」
プロフェタからこれといって聞いてはいないが、私が呼ばれるならそれだろう、と口にするがイエーロは首を振った。
「王太子殿下がお前に会いたいと」
「……殿下が?」
「薬の研究は確かにアルフレッドが主導だろうがお前も共同研究者になっている。それで興味を持たれたそうだ」
自分の都合で王太子を利用することはあるが、逆はないだろうと勝手に思っていたため思わずオウム返ししてしまった。薬の関係で、というのは自然だが、ラウレルは私が様々な知識を持っていることは百も承知だろう。ならばそれはもはやただの口実に過ぎない。だがそうであれば王太子が呼ぶよりも聖女が呼ぶ方が都合が良いだろう。聖女であるライラと私はアルフレッドの一件以来友人ということになっている。基本的にライラは王都にいるため、前回二人と会った時のようにまとめて話してしまえば良い。
そしてなにより、とイエーロの顔色をうかがう。その表情はどこか戸惑い、後ろ暗そうなものだった。
フレッサは王弟派閥だ。今回呼び出している王太子とは相反する派閥にある。
確かにエンファダードは私に「王太子と仲良くするよう」伝えてはいる。そのため接触すること自体に問題はない。だがそれはエンファダードが私を利用したいがためであることをイエーロもわかっている。だからこそ、ただの子供である王太子が、同じくただの子供である私を呼び出し、話をし、仲良くすることが後ろめたいと感じているのだ。政争の詳細を知らない幼気な子供たちを、利用しても良いのか、と。
実際のところは政争どころか未来まで知っているのだが、イエーロは知る由もない。
ライラの口から出たことにした方がいいことに、ラウレルが気づいていないはずがない。ならば今回はライラが同席しない状態での話か、あるいはエンファダードに対する何らかのアクションの一つか。いずれにせよ、彼には何らかの思惑があることだろう。
あちらにもこちらにも、意図が張り巡らされている。ただどうであれ、ただの伯爵子女に過ぎない私は従うしか道はないのだ。
「承知いたしました。わたくしで良ければ喜んでお話させていただきます」
馬車で数日かけて到着する王都は相も変わらず栄えている。人の往来は激しく、商人の呼び声が飛び交う。馬車の旅は以前の馬での強行軍と比べると雲泥の差だ。もっとも関係が芳しいとは言えない父がいるため、いかんとも言い難いのだが。
王宮の前に降ろされるとすぐに遣いであるという者たちに案内された。父は夕方に迎えに来るとだけ言い残し、仕事へと向かっていった。表現しがたい蟠りを抱えているのは私だけではなかった。
生きている年齢だけ言えば、私の方がずっと上であるのに。
私は何度、生きて死んでを繰り返しても、いつまでも子供のままであるようだった。
「いらっしゃい、ピナ。遠くから呼びつけて悪いね」
「いいえ、殿下がお呼びとあらばいつでも」
案内されたのはいつかにも訪れたことのある王妃の温室であった。
記憶の中と変わらず、美しいと眺めて、すぐに私の首の向きは固定された。
ラウレルの後方。人払いをする彼の指示からは除外されたかのような直立不動の少年。
誰だかわからないはずもなかった。
「ピナ、今日は探してもライラはいないよ。今日は呼んでなくてね。いや、王都にはいるから君が会いたければ呼ぶよ。どうせ数日滞在するだろう。明日には会えるさ」
「そう、ではなく、殿下」
「うん? 今日呼んだのはピナ、君に紹介したい人がいるんだ。君も良く知っているだろう? ……こちらへおいで」
ラウレルが、王太子が私に来いと指示をした。ならば私は従わなければならない。けれど私の足は動かなかった。震えるばかりで、手も、足も、とても動かない。全身から血の気が引く。指は拘縮し、足は根が生えたように動かない。今すぐにでも走って逃げたい気持ちと、指示に従い前進しなければという気持ちが複雑に混ざり合って、結果的に私の足を凍り付かせているようだった。
「……すまない、ほんのサプライズのつもりだった。君は実に落ち着き払っているし、諦観しているから問題ないかと思ってね」
心底申し訳なさそうにい、ラウレルは形の良い眉尻を下げた。
私は「とんでもない」やら「そんなことは」などと言うフォローの言葉を口にしたような気もしたが、口からは出ていなかったような気もした。
ただまるで動くことのできない私の身体は、眼球に至るまでも支配されていた。私の双眸は目の前から動かすことができない。
ラウレルの後方、数歩後ろに待機するまで身体が成熟しない青年。
黒髪に深く青い目をした少年。
何度死んでも忘れようがない。
けれどその名を口にすることすらできない明確な恐怖。
「僕の護衛としてグラナダ・ボタニカを護衛として招請したんだ」
数年前、克服したかのように思えた恐怖は、今もなお根強く私の中にあることを思い知った。




