41話 少女と信頼
「わたくしが、ライラ様に?」
あまりにも予想しなかった言葉に何も言えなくなってしまった。だがプロフェタが冗談の類に聖女を持ち出すはずがない。その意図を考えようにも、ライラとの共通点は何度も人生をやり直しているという1点しかない気がした。だがライラはプロフェタにそんな詳細まで伝えているはずがない。
「……手段を選ばないところが」
「ふ、あっははは、んん、そんなことをおっしゃいますか」
そしてようやく出てきた言葉に思わず吹き出してしまった。プロフェタは不服そうな顔をしたが、ハの字型の眉は先ほどから変わっていない。
「手段なんて、選んでいられないでしょう」
「でも」
「あなただってわたくしを騙していたではありませんか。神は謀ることを推奨しましたか?」
今度こそプロフェタは不満げに口を引き結んだ。きっと、善良であろうとする敬虔な若者には意地悪だっただろう。
「正攻法と根回しは使い分けるべき、プロフェタさんもよくご存じでしょう」
「……せめて幼気な幼少期には、そんなことを気にしてほしくないと思う、私の我儘です」
「あなたは、正しく善良なのでしょう。ですが何かを選び、行動するからには、それだけではいられません。神輿に担がれているだけならいざ知らず」
誰も彼も同じだと言いつつ、一番の違いについては口にしなかった。
私とライラは、時間制限を知っています。だからこそ、本当の意味で、手段を選ばない。もっともよい未来のために、最短かつ最良の方法を私たちは求めている。
他者から見れば可愛げがないようにも、生き急いでいるようにも見えるだろう。
「子供らしい振る舞いを捨てることで、救える命があるのであれば、喜んで捨てましょう」
そんなものでは、なにも救えないことを、私たちは知っている。
「それに、わたくしが善なる行いを重ねることはプロフェタさんにとっても良いことでしょう?」
いつか厄災を起こす未来を予言するプロフェタは、未来を変えるために私に接触した。ならば今の私は望ましいはずだ。未来に対して、すべての人々に対して善なることを啓蒙する私の姿は。
口を開きかけたプロフェタは、突如として飛び込んできたノック音に身体をこわばらせた。すっかりも日も暮れ、あとは寝るだけという状態の私に尋ねてくる人間など限られている。そしてノックをした主は私の了承の声と共に扉を開け、持っていた何かを勢いよくプロフェタに投げつけた。
「うっわ!?」
「お嬢様夜分遅くに失礼いたします。何やら不届き者の声が聞こえましたが、ご無事ですか?」
「わたくしは無事ですが……」
プロフェタに投げつけられたのは金属製のお盆だった。プロフェタが避けたため銀色のそれはぐわんぐわんと音を立てて床に落ちる。
目標にあたっていないとわかると、ドロシーは隠すことなく舌打ちをした。
「ドロシー……そこまで邪険にせずとも……」
「招かれてもおらず、玄関から入ることもできない者は一般的に不審者と呼びますお嬢様」
その言葉だけ聞けば確かに何一つ間違っていない不審者の定義だ。だが招いてはおらずとも私は迎合しているし、玄関から入れないのは身分のせいでもある。教会の内情を知るためにも。プロフェタの訪問は重要だ。そのうえ経緯もことごとく知っているドロシーには協力してもらいたいところだが、彼女は今も警戒を怠らない。と言うより以前よりも耳が良くなっている気さえする。
「これはドロシー嬢ご機嫌麗しゅう」
「麗しく見えるならあなたの目は節穴でしょう。あなたがここにいる限り、私の機嫌が麗しくなることはありません」
取り付く島も様子にプロフェタは肩を竦めるが、その様子さえドロシーの神経を逆なでする。
私とプロフェタが聖女に会うため王都へ行ったことについて、ドロシーは反対していた。私が帰り、聖女の奇跡によってアルフレッドが回復したあとも、私の行動について彼女は肯定はしなかった。
ドロシーに預けられたプロフェタのスキットルは持ち主に返還された。約束を破り、プロフェタを悪役に仕立て上げ、イエーロに訴え出ることもできたが、ドロシーはそうはせず、約束を守った。私の無茶に付き合わされたのはプロフェタの方であることも理解してもなお、彼女は強硬な姿勢を崩さない。
「怖い護衛が来てしまいましたので、今夜はこの辺で失礼します。また今度、お嬢様」
「ええ、ありがとう。またお話を聞かせてくださいね」
無駄にきれいな笑顔を浮かべて、プロフェタは窓から飛び降り、姿を消した。
ドロシーもドロシーだが、プロフェタもプロフェタだ。感情的に怒らない分別はあるが、煽るのをやめられるほど大人でもない。
開け放たれた窓を閉めるドロシーを眺めながら、口から出かけたため息を飲み込む。少なくとも、私はため息などつける立場にはない。
「……ドロシー、彼はとても役に立ってくれるの。もう、ほんの少し、うまくやれない?」
「たたき出さず、報告もしない程度にはうまくやっているつもりです」
「もう一声」
「あのですね、お嬢様が彼に対して無警戒だから私がこんなに心配してるんですよ。いいですか、このお屋敷で彼のことを把握しているのはお嬢様と私だけです。もし何かあっても誰もなんともしてくれないんですよ。お嬢様があの人のことを全面的に信用するなら、私はその分警戒します! お嬢様を守れるのは私だけなんです!」
珍しい強い口調に目を丸くする。床に落ちたままだったお盆を拾うドロシーはまるで気にした風もない。
ふと、今までのことを思い出した。
ドロシーは私の作った薬の実験台になって死んだ。20回も殺された。
彼女はいつも粛々としていて、忠実だった。死んでいくときでさえ。
自分が死ぬことで、私に思いとどまらせることができると思ったのかもしれない。今となっては、彼女が何を考えていたかわからない。
だが今の彼女は、私に対して語気を荒げて忠告し、諫めようとする。
何もかもが変わりつつある。
「お嬢様、聞いてますか?」
「ねえドロシー」
「……どうかなさいましたか」
「怒ってくれてありがとう」
虚を突かれたような顔をした彼女の手を取り、労わるように撫でる。まだ若い少女の手だ。大人ではない、さりとて子供ではいられない。私のために死んで、私のために怒ってくれる。
するとドロシーはどこか呆れたような、諦めたような顔でため息を吐いた。
「お嬢様が仰ったのでしょう。ご自身が間違えたら、諫めてほしいと」
「……ドロシーは今の私が間違っていると思うの」
「間違っては、います。少なくとも、あの教会の男を窓から迎え入れることは。きっとどこの誰が見ても、間違っている、不適切だと申し上げるでしょう」
それはそう、という言葉を飲み込んだのは、まるで彼女を煽っているように聞こえてしまうだろうことが想像できたからだ。
それも見透かしたように重ねてため息を吐かれる。
「……だから私は怒ります。お嬢様は他の誰にもその事実を伝えないでしょう。なら私はそれは間違っていると言わなければなりません。……もっとも、指摘したところであなた様が信念を持っていればまるで止まってはいただけない、ということはよくわかりました」
「……ゴメンネ?」
「私に謝らなくて結構です。行動を改善していただきたい、と思うのですが……彼の存在はお嬢様にとって必要なものなのでしょう」
ドロシーはようやく銀のお盆を拾いあげた。反射の歪さから、へこんでしまったことが見て取れた。
「わかっています。私だけではお嬢様を支えることができません」
「ドロシー……」
「私はただの使用人です。身の回りのお世話しかできません。彼のように教会の情報を齎すことも、世間の潮流について語ることもできません。聖女様のように助けたいと思った人を救えるような奇跡も起こせません。アルフレッド様のように、お嬢様の好奇心に応じ森を歩くことはできません。……王弟殿下に不安を覚えるお嬢様を、庇うこともできません」
俯いた顔に、ハラリと髪が一房落ちた。
「違う、あなたは」
「でも私はお嬢様から信頼されています」
「……うん?」
「お嬢様が諫めてほしいと頼むのは私だけでしょう。今の男の存在を明かしたのも私だけ。聖女様に会いに飛び出していったときも、私には本当のことを伝えてくれました」
「ええ、そうね?」
「私はこのお屋敷の中で一番お嬢様に信頼されています!」
ばっと顔をあげてはきはきと話し始めるドロシーに、罪悪感が押し流される。何を言い出すのか読めない不安と、その表情に暗いものがないことに安堵を覚えながら腰かけたソファの上で縮こまる。
「……そうやって、私は私を納得させています。お役に立てないなりに、せめてあなたが正直でいられる場所で、あなたの些事を熟す者として傍にいたいんです。それこそ、いつかあなたが何もかも捨てて逃げてしまいたいと思ったとき、その手を引けるように」
「……ありがとうドロシー」
「だから、私が怒れば一応聞いてください。最低限の正しさは担保します。怒られるからと、隠さないでください。私はお嬢様が間違っていれば指摘しますが、決して嫌いにはなりません。逃げたいと思ったら仰ってください。一緒に逃げる方法は考えます」
「……私が間違ったことをしても、私を見捨てないでいてくれる?」
「そう自覚していただけると嬉しいです。お嬢様が嫌いだから怒るのではありません。大切だから口を出すのです」
強張っていた表情がふと緩んだ。
「どうぞ、正直に。お嬢様が私の前で正直であることが、私にとっての報酬になるのです」
一完璧な礼をして部屋から出て行ったドロシーを無言で見送った。
ソファから降りてベッドへと向かう。ごろりと身を投げ出せばざわついた心が少しだけ落ち着いた。
確かに、私が多くを伝えている屋敷の者はドロシーだけだ。けれど私は決して正直ではない。少なくとも、彼女を殺し続けたことを、伝えてはいない。きっと伝えるべきでもないだろう。知らなくていいことだ。
だが正直であれ、と慈愛の微笑を向けられた私には明確な罪悪感があった。
もし本当のことを伝えたら、彼女はどう思うだろう。
私のことを恐れるだろうか。
それとも私の未来を案じともに逃げようとするだろうか。
私が、話すことはないだろう。
だがその理由が、どうせ信じてはくれないだろうという諦めなのか、まだ逃げ出す覚悟ができていないからなのか、それとも彼女に嫌われたくないという幼子のような悲哀からなのか、私にはわからなかった。




