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40話 信徒と思惑

「という訳で、お呼び立ていたしました次第です」

「やっぱり君、根本的な部分が変わってないよね」



 ラウレルからの言葉に思わず息を飲む。しかしそんな私を見た彼はすぐに慌てて言葉を訂正した。



「いや、違うんだ。褒めたつもりだった! 行動力があって、能力があるということを言いたかったんだ」

「わたくしといたしましては過去20周分のわたくしのことなど、すべて忘れていただきたいくらいなのです……」

「気持ちはわかるよ。いっそ可哀そうとまで思うほどにね。でも過去の君は決して今の君からは切り離せない」



 そう優雅に微笑むとラウレルはグラスを傾けた。傍の机に置かれたピッチャーの中にはオレンジとレモンのスライス、そしてハーブが揺蕩っていた。




 ライラからハーブウォーターの作り方を教えてもらって数か月、屋敷の者たちであれやこれやと飲み比べられ、いくつものフレーバーが作られた。薬効のあるものについてはすっかり定着し、お抱えの医師であるシカトリスも最初こそ難色を示したが、すぐにその使い方について把握して今では適宜使用している。

 薬や薬草を取り扱っている薬師や町医者にも作り方、使用方法を教え、領民たちにも浸透しつつある。町医者からは反対されるかとも思ったが、むしろ諸手をあげて迎えられた。一般市民が個々人で作ることができる薬を持っていると、医者の仕事が減る。だが改めて彼らから医師不足について教えられた。そして不毛な民間療法や宗教への依存についても。

 むやみやたらに薬を調合して服用されるくらいなら、簡単に作ることができ、危険性が低いものがあるに越したことはないと。素人の恐ろしい調合、起こるかわからない奇跡への祈り、そうしている間にも体調が悪化することもある。



「偶然や奇跡が、人を救うこともあるでしょう。それは否定しません。ですが確実に人を救うのは人の知識なのです」



 街に診療所を構える老医師はそう言った。



「知識が人を救います。私共が駆使するのは個々の技術ではなく、先人たちの経験と知識。その知識を駆使する者が足りないのなら、個々である程度知識を持つことが、啓蒙が必要です」



 老医師は私のしていることは啓蒙であると言った。しかしあくまでも商売の一部、地域特性を生かした文化の興隆と考えていた私にはあまりに尻の座りが悪かった。


 領内の教会にもハーブウォーターの推進については伝えた。彼らは元々作り方も処方の仕方もよく知っている。そのためまるで手柄を横取りするようにも見えるこの方針に良いい顔はしないだろうと予想していた。しかしこちらもあっさりと認められ、教会としても積極的に信徒に勧めるという承諾さえ得た。

 予想外の態度の柔らかさは、話をしに行ったのが私とアルフレッドだったからだと、偶然を装い教会側として同席していたプロフェタから教えられた。


 プロフェタはその身分を私に明かした後も、度々屋敷に来ては私と役に立つ話からとりとめもない話をとつとつとしていく。相変わらず窓から入るせいでドロシーから小言を言われているが、本人に直す気はないらしい。

 窓から入り込む夜の風からは微かに雨の匂いがした。



「本来なら気分の良いものではありません。ハーブウォーターは教会で作るもの、神の使徒が信徒に渡すものという意味合いもあります。それをたとえ啓蒙の意を乗せていても、貴族が我が物顔で喧伝しようとするのは、見る者が見れば冒涜的とも思われるでしょう」

「やっぱりそうなりますよね……」

「ですがその話をしに来たのがお嬢様とアルフレッド様では印象が全く異なります。お嬢様は祈りを神に、聖女に聞き入れられた子であり、アルフレッド様は神の御慈悲と聖女の祈りにより死の淵から舞い戻られました」



 プロフェタの説明に思わず唸ってしまう。

 狙っていたわけではない効果が見られるというのはやはりどこか居心地が悪い。



「確かにその二人組で来たら、敬虔な信徒が貴族の権力を使って宣教しようとしているようにすら見えますね……」

「少なくとも教会側はそのような見方をしていました」



 まるでだまし討ちをしてしまったように思える。

 私は、神を信じてはいる。超常的な力を持ち、世界を繰り返すような神はいるだろう。だがそれに対して決して全く好意的ではない。アルフレッドの件は感謝しているが理不尽極まりないそのあり方を、どちらかと言えば嫌悪している。アルフレッドもまた同様だ。正しく神の奇跡により命を救われたのだが、彼自身の信仰心は薄い。救われてもなおどこか懐疑的ですらある。

 だがしかし、対外的には私たち二人ともそう見えてしまうのだ。



「でも何も間違ってはいないでしょう。教会だけではなく、フレッサ家が後押しすることで治るはずの病気で命を落とす者や慢性的な症状に悩ませる者が救われるのです。お嬢様たちには善行を積む自覚はないかもしれません。しかし無自覚なそれこそ善性の発露でしょう」



 キラキラとした目で私を見下ろすプロフェタから視線をずらす。

 将来“厄災”を起こす未来を視ている彼は、私がそのようなことを起こす者にならないことを願っており、そのために接触を試みた。そんな私がこのように善き行いをするのを心底喜んでいるのだ。

 教会にルビアシアと特効薬の作り方を教えたのは善性と数えてもらっても良いが、ライラから聞いたハーブウォーターの作り方の領民への浸透及び貴族たちへの推進は完全に商業的展開を狙っているのだ。


 ハーブウォーターが浸透する。薬草が売れる。薬草の栽培が盛んになる。雇用の増加。他領との交易の促進。

 そんな下心ばかりの皮算用を善の発露などと言われてしまうと、あまりに見当違いで恥ずかしくなる。



「それよりも意外だったのはフレッサ伯があなた方を好きにさせていることです。伯は元々アガヴェー教をそこまで重視しない、極力触れない関係性を続けてきました。そんな伯がお二人の一連の行動について何もおっしゃらないとは」

「お父様は親教会派ではありませんし、信仰にも懐疑的です。ですが合理的ではあります。わたくしたちの行動により、フレッサ領にどれほどの利益をもたらすか、今後どのような展開が見込めるか、お父様が納得できる説明ができれば認められます」



 認められる、というより拒否できないというのが正しいだろう。合理的な説明を覆すほどイエーロは直情的ではない。凡そ隙のない説明さえできれば大抵のことは許可をもぎ取ることができるだろう。

 出そうになるため息はぐ、と飲み込んだ。


 私とイエーロとの間には相変わらず得体の知れない無理解が横たわっている。

 客観的にその人柄や思考回路を分析することはできる。だが娘として、かの父親をどう捉えたらよいのか、未だわからないでいる。

 だがそれをプロフェタに話したところでどうにもならない。



「ただそろそろストレートにお父様の意に沿うことをした方が良いとも思っています」

「……フレッサ伯爵の御意ですか」



 よく磨かれた黒曜石のような目が猫のように細められる。プロフェタは善性を愛し、他者を許す寛容さがある。だがその一方で不信心者には非常に不寛容でもあった。



「お父様は王弟殿下と懇意にされています。……以前、王弟殿下とは王太子殿下と仲良くするように仰せつかっていました」

「……それはどのような意図で」

「どのような意図でしょう。わたくしは子どもなのでわかりません。故に、わたくしはわたくしの都合よく意図をくみ取りつつ、表向きには王弟殿下のご意思に沿っているようにしようかと」



 わたくしは子どもなので、と繰り返すとプロフェタは呆れたように笑った。



「いやはや、どこを見ても狸ばかりで気が滅入りそうです」

「まったくです。もっと物事が単純なら良いのですが。そういう訳でハーブウォーターの宣伝のため王子殿下にも一枚噛んでいただきます。なかなか貴族の中では流行らないでしょうが、殿下が飲んで、気に入ったという箔が付けば十分貴族たちの間でも注目されると思うんです」

「……それはそうでしょうね、きっと。彼らは質素なものを好みません。ですが華やかな見た目を装い、殿下のネームバリューも加われば多くの者が求めることでしょう」

「貴族階級が娯楽的に教会のハーブウォーターを飲むことが、お気に召しませんか?」



 プロフェタはきれいな笑みを浮かべるだけで、否定も肯定もしなかった。だが否定的なのはその語り口調から読み取ることは容易かった。



「不満があるのはわかります。質素や清廉が美徳とされるアガヴェー教の信仰の一端であるハーブウォーターが嗜好品のように消費されるのは、思うところもあるでしょう」

「……ええ、少なからず」

「それでも、どのような身分の者であれ、病の前には平等です」

「病の前には平等ですが、治療や薬は不平等です」



 すかさず口にしたプロフェタに曖昧な笑みを浮かべる。

 彼の言うとおりだ。

 猛威を振るうサンクダリアの前に、貴族も庶民も貧民も、平等に無力であった。

 だが体力のない者から命を落としていく。

 十分な水、栄養価の高い食事、清潔な住環境、そして薬。それらがもたらす効果もまた平等だ。だがそれにアクセスするルートは、不平等だ。

 貴族なら、富裕層なら手に入れることができるだろう。だが貧民は、その一つだって手に入りはしない。その命尽きるまで、サンクダリアに侵され続ける。


 病は平等だ。だが医療は不平等だ。



「政治や教育の担い手は、貴族や富裕層です。彼らがハーブウォーターを魅力的に思えば、それは食文化の一部として根付きます。そして有識者がその効能を知れば、施策にも反映されます。元々は教会のもの。貴族や富裕層が独占することはありません。……富める者は貧する者を知りません。同じものを共有することで初めて、富める者は貧する者の見る景色のほんの一部を、知るのです」



 教会の持つ宗教的なそれは、権力者の手により娯楽となり、文化となる。元来高価なものでないそれは、抵抗感なく広まる。そして貧富の差なく、老いも若きも関係なく、それを享受できるようになる。



「それぞれの役割。我々は今まで通り、敬虔で清貧なる者たちに教えを説く。そしてあなた方は本来清貧を好まない富める者に教え広める、といったところですか」

「ええ、そんなところです。前者と後者で違うのは、前者はそれ自体が目的、後者は手段です。富裕層への啓蒙はいつか、貧する者を救うことでしょう」



 それが最も効率が良く、効果的であると確信していた。

 実際にあらゆることがそうだった。どれだけ市井の人々が何かを望んだとしても、権力者がそれを理解しなければ何も変わらない。

 プロフェタは覗き込むように私の目をまじまじと見て、それからどこか困ったように笑った。



「……お嬢様はどこか、聖女様と似ています」

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