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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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37話 薬師と奇跡

 そして私は逃げ出した。

 まだ話している途中のイエーロを置き去りにして、自室へと走った。廊下を歩く使用人が驚き声をかけるがそれすら振り払い、自室のベッドへと逃げ込んだ。

 やはり私の胸の内を占めるのは、イエーロの姿をしたあれはいったい誰なのか、ということだった。


 イエーロは、私を切り捨てた。役に立たず、暴走をして、失敗した私を捨てた。

 そんな父が、私にただ生きているだけでいいなどと諭してきたのだ。

 あり得るはずがない。


 まるで悪い夢のようだった。今日は朝から怒涛の1日だったが、そのいつよりも混乱していた。約束通りライラが来て、奇跡を使ってアルフレッドを助けて去っていった。それは夢にまで見た未来だった。死ぬはずのアルフレッドが救われる。今までの人生ではなかった未来。これほど喜ばしい日はないというほど、素晴らしい日であるはずだった。


 だが今の私の心は酷く冷たくかき乱されていた。

 自分自身に価値がないことは知っているのだ。それ以上に、自分が生きていることなど罪でしかないことを重々知ってしまっているのだ。

 さんざん人を殺して、人を害してきた自分に、生きる価値など、尊さなど欠片もありはしないのだ。

 なのにイエーロは価値があるという。イエーロは確かに自分がこれまでの人生でしてきたことを知らない。だが私のことを切り捨てたイエーロがこんなことを口にするはずがない。イエーロはいつだって価値あるもの以外には無関心だった。ただ娘である私には無関心で、伯爵令嬢として好ましい振る舞い、政治的に利用しやすい振る舞い、そして薬を作ることができるというなけなしの特技があったからこそ、私は歓心を買えていた。それがなければ、イエーロが私を顧みることなど決してない。

 ならば先ほどの言葉もまた、最近すっかり暴走気味な私を懐柔するためのものに違いない。そう思えば腑に落ちる気がするのに、そう思い込めない自分が嫌になる。


 少なくとも、元のピナ・フレッサは、父のことを愛していた。唯一の肉親であり、自分の我儘も許してくれて、自分の希望を叶えてくれようとする。自分のことを無条件で愛してくれる、尊敬すべき偉大な父だと。そう信じて疑わなかった。

 だがイエーロはピナのことを切り捨てた。よくよく思い返してみれば、すべては偶然だったのだ。偶然、ピナの望むことが父の思惑の通りだった。偶然、ピナは父にとって都合の良い娘だった。だから、父の望む娘でなくなった時点で、切り捨てられるのは当然なのだ。


自分でもよくわかっていた。

もう私は傷つきたくないのだ。父が無条件に自分のことを愛してくれているなど、そんな家族神話に縋りつけば、いつか切り捨てられたとき、私は再び傷つくのだろう。

誰もいない。姿も声も届かない高い塔の上。扉越しに、私を嘲る声がする。その声は、私は実父に捨てられたのだと嗤う。あの絶望を、私はまるで忘れていない。たとえ人生を幾度と重ねようとも、あの痛みを私は忘れることができず、ただ父は必ず、いつか私を捨てるのだと、覚悟していた。



「お嬢様、ピナお嬢様。いかがされましたか? 具合がよろしくありませんか?」



 毛布の向こう側から、いつの間に部屋の中に入ったかわからなかったドロシーの声が聞こえる。優しくて、自分のことを心配してくれる声。ことごとく私に従順であり、真摯であるからこそ最期には私に苦言を呈した、信頼できる私の侍女。けれど私は口を噤んだ。さも既に眠っているかのように。数分もすると、ベッドの傍から彼女の気配が離れていくのを感じた。


 彼女に相談してもいい。そうすればきっとドロシーは優しく真摯に私に説いてくれることだろう。代えがたい家族愛について。彼女は郷里に家族を残している。彼らのために奉公に出ているのだ。そんな彼女からはきっと美しく清貧な無償の愛について語られることだろう。ただ、今の私が聞きたい答えはそれではなかった。


 きっとライラならば、唾棄するように冷笑してくれるだろう。

 そうやって、ありもしない希望や理想に縋りかける弱い自分のことを嗤って欲しかった。

 その方が私は、強くあれるだろうから。





 ライラが去った翌日、アルフレッドが目を覚ました。



「ピナ、シカトリスから聞いたよ! 聖女様がいらっしゃって回復の見込みのない俺を助けていったと!」



 つい昨日までその命が風前の灯火であったとは信じられないほど、アルフレッドはいつも通りだった。いったい誰が昨日まで死に体な男だったと言われ信じるだろうか。



「伯父様っ……!」



 頭ではわかっている。ライラは奇跡を起こした。その人智を超える力はアルフレッドの怪我を全快させた。それを疑ってはいない。まざまざとその様子をもっとも近い場所で見ていたのだから。けれどそんな彼が今目の前に立っていて、元気そうに笑っているのを見ると、それでもなお、私は彼が目を覚ますまで不安で仕方がなかったのだと自覚した。



「心配かけたね、ピナ。すまなかった。少し油断してしまったようだ」

「……いえ、ただご無事で……、もうだめかと……」

「いやはや奇跡というものはすさまじいね。これは神も捨てたものではない」



 豪快に笑うその姿は壮健そのものであるが、神に敬虔な祈りを捧げるそれでもなかったのが少しだけ不思議だった。



「ピナ、お前が聖女を呼んでくれたのだと、シカトリスから聞いた。俺が瀕死の中、お前は一人で森に入り、俺が助かるよう神に祈りを捧げたのだと。そしてその祈りを聖女が聞き届け、俺を救いに遠路遥々このフレッサ領まで来た、と」

「……わたくしにできることは、何もありませんでした。わたくしが作る薬程度ではどうすることもできず、他にお医者様の伝手のなく……わたくしにできることはただ祈ることだけでした」

「立派なことさ! 自分の出来ないことを自覚することも、他のものに頼ることも」



 そう笑うと私のことを抱き上げた。その身体にまるでなんの後遺症もないことは明らかだった。



「だけど一人で森に入ったことは感心しない。しかも俺が死にかけたあとに何が起こるかわからない森にお前が一人入ったことで屋敷内はきっと大変な騒ぎだっただろう。それも侍女に睡眠薬を盛ってまで」

「けれどそのおかげで聖女様は」

「来てくれただろうが結果論だ。もっとも、重々イエーロから叱られているだろうし、そのおかげで助かった身の俺から説教するのは滑稽だからこれ以上は言わん」

「……よろしいのですか」

「俺の立場でこれ以上言葉を重ねたところで何も響かんだろう! それよりも話したいことや聞きたいことがあるんだ」



 そう言うとアルフレッドはいそいそと一枚の地図を取り出した。それは見覚えのあるフレッサ領の地図だったが、よくよく見れば白抜きにされているはずの森の部分にはおびただしいメモが書かれていた。



「これは、伯父様が書き加えた地図ですか……?」

「ああ、他所に出すことはない、文字通り門外不出の機密事項だ。すべて俺が実際に森に入り、調べ、書き上げたものだ。……おっとそんな顔をするな。いつか見せてやろうとは思っていたが、こいつを先に見せるよりも、お前には実際に森を歩いて知ってほしかったんだ」



 こんな便利なものがあるならもっと早く見せてほしかった、という感情が顔に出ていたのか、アルフレッドは乱暴に私の頭を撫でる。



「さて、俺がお前に知らせておきたいことは、何が森の中で起きたか、ということだ」



 その言葉にすっと背筋が伸びる。

 アルフレッドは助かった。死ぬはずの未来を変えられたのは僥倖であったが、そもそもなぜ、このようなことが起きたのか。



「伯父様は、銃で撃たれて傷を負ったと、」

「そこまでは聞いていたか! なら話が早い。森の中は危険だ。危険であることに変わりはない。だが俺を襲ったのは動物たちじゃあない。それは何よりお前に知っていて欲しかった。恐れることは賢いことだ。だがむやみやたらに恐れていては何もできない。彼らの生態を知り、適切な距離感を覚えればよほどの限り危険はない」

「ええ、伯父様が今更そんなミスをされるとは思ってませんわ」



アルフレッドは護衛も連れもなしに一人で森へ入っている。おそらくそれは本当に若い時からなのだろう。アルフレッドは誰よりもこの森のことを知っている。今更そんな間違いを犯すはずがない。



「今回俺が負傷したのは、森の中に侵入者がいたからだ。以前から森がどこかおかしかった。動物たちには縄張りや生息するのに適した環境がある。だがそれが崩れ始めていた。お前を森へ入らせなかったのはそれも理由の一つだった」



 ごくりと唾を飲み込む。

 森の外にまで出ていく巨大な怪鳥がその代表格だろう。だが私が気づかない部分できっとアルフレッドだけが感じ取るものもあったのだろう。



「ピナも知っているだろうが、フレッサの森は守られている。南側はフレッサの治める領地があり、私が森の出入りを管理している。そして北側には険しい山脈があり、人間が立ち入ることのできる環境じゃない。ある意味自然の要塞のようになっている。山脈を超えた先はコンヘラル王国があるが、山脈を越えるのは簡単なものじゃない。万が一越えられたとしても生きては帰れないだろう」

「山脈を越えれば、すぐに生態不明な動物たちがいますもんね」



 山脈は火山帯となっており、そこで暮らすことのできる動物たちは身体的に優れている丈夫なもの、あるいは環境に左右されにくい昆虫程度だ。そんな中に人間が無暗に立ち入ればあっと言う間に餌となる。

 そうなるはずだった。



「だが今回、生きたまま森に侵入した奴等がいた。森に異変が生じ始めてすぐ、山脈付近で人工物を見るようになったんだ。捨て置かれた背嚢、千切れた衣服の断片、薬莢や焚火の跡。森に住む動物たちではあるはずのない痕跡だ。おまけに周囲に人骨は見当たらなかった。まあ丸呑みされてる可能性もあったが、銃火器を持っている上に、焚火をするだけのサバイバル能力もある。ならしばらくこのあたりをうろついて居たり、動物を傷つけられていることも考えらえられた」



 ざわざわと嫌な感じがした。守るべき場所が踏み荒らされている不快感、得体の知れないものがじりじりと迫っている不安感。山脈から森の中へ入れば動物の数は増し、余計生存が厳しくなるが、もし侵入者がアルフレッドレベルで動植物に精通しており、サバイバルに関する知識も十分あれば、この森の中に潜伏し続けることは決して不可能ではなかった。ただ今までそういったケースが皆無だっただけで。



「そしてあの日、俺はようやく侵入者を見つけた。山脈付近の森の中。人数は4人。4人ともそれなりに弱ってはいたが、銃を持っていた上に身軽だった。辛うじて捕まえられる動物たちを獲って生き延びていたらしい。奴らの荷物の中には動物たちから剥ぎ取った皮や角があった」

「密猟者、ということですか?」

「主たる目的はわからん。だが状況から考えて侵入者たちは国民じゃあなく山脈の向こう、コンヘラル王国の者だろう。セミーリャ王国に不法入国することが目的だったのか、この森の攻略が目的だったのか、あるいは単純に密猟だったのか」

「結局それはわからなかった、と」

「まあな。死体は喋らん」



 なんでもないようにそう言ったアルフレッドになんと返事をするべきかわからず口を噤んだ。それは当然の帰結ではあるのだ。武装した4人に対し1人、森の奥深くで応援は呼べない。捕縛できたとしても森の外へ運ぶことはよほど不可能だろう。何より、殺さないようになどと気を配る余裕など、あるはずもない。

 私の様子を知ってか知らずか、アルフレッドは話を続ける。



「4人とも殺せたが、こっちも負傷。本当はもっと調べておきたかったが、悠長にしてはいられなかった。血を流し続ければ肉食の動物が寄ってくる。そうでなくとも満身創痍。何とか森の外へ出られれば何とかなると思ってとにかく森の中を抜けるように急いだ」

「そうして、森の入り口へ」

「息も絶え絶え、というより本当に半分死んでるようなものだっただろうなあ」



 からからと大口を開けて笑うが、本当に半死半生の状態で横たわる彼の姿を見ている側とすれば全くもって笑い事ではない。抗議の意味を込めてすっかり傷のふさがってる患部を引っぱたいた。



「あいたっ」

「気のせいです。聖女様がすっかりきれいに治してくださったのですから」

「聖女様の奇跡、なあ。全くもって神の力とは信じがたい」

「伯父様、」

「この世には俺の知らないことはまだまだごまんとあるのだろうな」



 アルフレッドは快活に笑った。一方の私はその前の信じがたいという言葉にひやりとした。 

 フレッサ家は信仰に厚いとは言い難い。

私は神が自身を救ってくれるなど思っていない。当主であるイエーロはアガヴェー教のことを人心掌握に優れた手段としかみていない。アルフレッドは森の持つ神秘に対して信仰に似た感情を持っているが、アガヴェーには向けられていない。

だがこれから私、私たちのしようとしていることに、アルフレッドの協力は不可欠であり、大前提として信じがたい力を信じてもらう必要があった。



「アルフレッド伯父様、知らないことを知ることはお好きですか?」

「もちろんだ。知識が増えることは、人生を豊かにする。知れば知るほど、俺は正しくこの世界を捉えることができるだろう」

「では誰も知らない世界について、知りたいとは思いませんか」

「……なに?」



 怪訝そうな顔をするアルフレッドに向き合い、勿体つけて口にする。



「未来死ぬ、多くの人々の命を未然に救う奇跡のお手伝いを、お願いしたいのです」

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