表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/58

36話 薬師と未来

 ライラの言っている意味が理解できず、何度か頭の中で反芻するが、やはりよくわからなかった。



「もし、予防をしたなら、あの流行は起こらないのですよね」

「きっと、ね。絶対とは言わないわ。私たちが今までの私たちと違うように、あの流行り病も変わるかもしれない。でももし同じ病気であるならば、確実に効果はあるわ。予防をした人が全員感染しない、ということはないかもしれないけど、特効薬が抑え込むのもそう難しくないはずよ」



 サンクダリアの大流行により、多くの人が亡くなった。その中でも特に多かったのが5歳以下の子供だった。幼子、妊婦、高齢者、体力のない者から熱に侵されて死んでいった。活気は失われ、街は嘆きに満ち、葬儀屋は忙しなく働いていた。



「ならばどうして、予防に協力しないことがありましょうか」



 私はあの悲劇を知っている。私の作った試薬のせいで死んでいった人々を知っている。



「……可愛く賢いラズベリーパイ、あなただってお金が欲しいでしょう? フレッサ家が王弟殿下に肩入れしたのは資源の問題も一因ではあったわ。どんな高尚な夢だろうと、些細な願いだろうと、何はともあれ先立つものが必要でしょう」

「そのお考えには大いに賛同いたします。領民のためにも、臣下のためにもお金や資源は欠かせません。ですがそれは病に喘ぐ領民の命や無辜の国民の命を秤に乗せるものではありません。命と比べればお金など。なによりその時私たちが手にするお金は病める人々が命を削りながら支払ったものです。……起こるとわかっていたサンクダリアの流行を看過し、己が腹を肥やそうとする者が、果たしていったいどのような顔でそれを受け取れましょう」



 もはやその行いは詐欺師にも近しい所業だ。命を質に、なけなしの金を吸い上げるなど、いったいどの面下げてそんなことができるだろうか。



「あなたの作った特効薬サンクフォールと利益のおかげで、フレッサ家は王弟殿下に大層気に入られたわ。その未来もなくなるけれど」

「おかしなことおっしゃいますね。気に入られて、それで結局捨てられたではありませんか。何より泥船にこれ以上気に入っていただきたいとは思いませんわ。それに利益を失うわけではありません。まだここにそんなものはないのです。まだ孵らない卵からひよこの数を数えるようなものでしょう」



 どれもこれも、未確定の未来の話だ。未来得る金をどぶに捨てると言われても、今ここに件の金はないのだ。それは最初からなかったことになる。それだけの話だ。私はそこで得られるはずの利益を知っているが、イエーロは知らない。その利益によって発生する領民や国民の苦しみを私は知っているがイエーロは知らない。

 だが私が今ここに決めてしまえば、それは発生しえない未来となる。誰も知らない、新しい未来だ。



「わたくしはどう足掻いても塔から突き落とされて死ぬ魔女です。今までの人生より果たして悪くなり様がありましょうか」



 利益を得て、名誉を得て、権力者の歓心を得て、そうして私は塔から落ちた。かつて欲しいと希った愛も得られず、慈しんでくれた身内も失った。



「地獄の沙汰も、なんて言うけど、あの世にお金は持っていけないものね。少なくとも、フレッサ伯爵家の資産はあなたを救わなかった」

「ええ、そんなお金があったかどうかすら、わたくしは把握していませんでしたが」

「……あなた、やっぱりちょっと変わってるわ。私が思っていたようでもなければ、世間が思っていたようでもなさそう」



どこか物憂げな紫色の瞳がこちらを見透かそうとするように覗き込む。口元は緩やかに笑みを浮かべているが、その目はまるで笑っていない。けれど彼女が私のいったい何を見ようとしているのかわからず曖昧に微笑み返した。


 確かに思えば、今までの私の行動や思考はかなり偏っていた。

 ただただひたすら王太子のことが好きで、彼に好きになってもらいたかった。きっとそれが一番の行動原理だ。けれどそこに、王太子妃となる、王族に名を連ねるといった打算はまるでなかった。

 傲慢で高慢で気位が高かった。けれどあえて誰かを虐げたり、好んで誰かを踏みつけるようなことはなかった。

 金に糸目をつけない買い物はすれど、それが豪奢な衣類や宝飾品に浪費するようなことはなく、薬品や薬草など、自分の好奇心を満たすために使っていた。

 ピナ・フレッサという人間は、ただ一つの恋に固執して生きていたのだろう。



「ライラ様、サンクダリアの大流行の防止、わたくしは喜んで賛同いたします。特効薬の材料、作り方等、無論すべて覚えていますので、現時点での提供は可能です。ただしサンクダリアの発症患者が不在であるため、客観的にその効能を示すことはできません」

「それについては問題ないわ。その薬がサンクダリアに効果があることは私が知っていれば十分だもの。他に、あなたから見て課題になりそうなことはある?」

「一番の課題はサンクフォールの原材料であるルビアシアの植生だと思います。ルビアシアの植生は暖かい気候かつ標高の高い場所です。わたくしたちの管理しているこのフレッサの森には、該当する場所があり、ルビアシアの林があります。けれどセミーリャ王国内でそれらの条件が揃っている場所を探すのは難しいと思います」



 サンクダリアの特異性は、原材料を手に入れることができるのが限られているという点だった。原材料となるルビアシアは国内でも自生している場所が極端に少なかったため、特効薬の原材料がルビアシアと判明したとしても、それを手に入れるためにはフレッサ領から樹皮や粉末を輸入する必要があった。だからこそ短くはない期間、精製方法を販売したとしてもフレッサは一定の利益を上げられていたのだろう。



「それについては各教会支部で条件に合う場所を探すわ」

「教会でルビアシアをお育てになるおつもりですか?」

「ええ、別に変わったことじゃないわ。私が昔いた修道院だって薬草園はあったし、市民に簡単な薬を処方することも多かった。……薬やハーブは素敵ね。奇跡が起こせなくても処方するだけで奇跡と同じように扱われさえすることもあるわ」



 ライラはおもむろに立ち上がると窓の向こうに見えるフレッサの森を眺めた。



「ピナ、覚えておくと良いわ。何か大きなことをするときや広域的な影響が見込まれるとき、大事になるのは“何をしたか”ではなくて“何をしたように見えるか”よ」

「……では、今回わたくしたちがライラ様に協力した場合、フレッサは“何をしたようにみえる”のでしょうか。いえ、何をしたように見せますか?」

「そうね、“フレッサ伯爵家は敬虔な信徒であり、神の恩寵を賜った家”にでもしようかしら」



振り向いたライラはいかにも聖女らしく無邪気に微笑んだ。



「利用できるものは利用するの。私はあなたの知識と森を、あなたは教会の権威と正義を」



 ライラは何も知らない幼気な少女のように笑った。






 まるで嵐のようにフレッサ家を訪れたライラ率いるアガヴェー教一団は、ライラの一声であっさりと引いていった。

 邂逅から出鼻を挫かれたイエーロは、聖女が訪れたのなら懐柔しようとすぐに強硬な姿勢から態度を変えたがそれすらライラにかわされた。必要以上のもてなしを受けるでもなく、ただアルフレッドを救い、私といくつか話をしただけで、ライラたちは去っていった。



「聖女様、長旅でお疲れでしょう。よろしければぜひ今晩はこちらでおやすみください」

「ご厚意感謝いたしますわ、閣下。ですがわたくしたちにはそのような時間はありません。今こうしてお話している間にも、苦しみ喘ぐ者が、神に祈りを捧げる弱き者がいるのです。せっかくのご提案ですが、わたくしたちは神の僕。その御心だけ受け取らせていただきます」



 綺麗な笑顔はまさしく敬虔な神の僕そのもの。だが彼女の心の内を知っていればただただ相手に主導権を握らせたくないだけなのだとわかる。イエーロの傲慢さを鼻で笑ったライラは、懐柔したい、取り入りたい彼の思惑など見え透いていることだろう。決して相手の思い通りにはならず、マイペースを貫き続けるライラは、厳かな雰囲気から破顔し私に手を振った。



「じゃあね、ピナ。また来るわ」

「ええ、ライラ様。またお会いできるのを楽しみにしています」




 本当に、そつなくうまくやるものだと心の内で苦笑する。

 気に入らないイエーロの鼻はへし折りつつ、私に火の粉が飛ばないように私には友好的であるという印象は残しておく。そうすればイエーロは完全に聖女を切ることはないだろう。私と友好的である限り、まだ利用方法はあると考えるに違いなかった。





「ピナ……お前はいったい何をやっていたんだ……」

「6日間、森で祈りを捧げていました。伯父様をどうか助けてくださるようにと」



 執務室のデスクで項垂れるイエーロにしれっと返すと深く深くため息を吐かれた。



「……7日前、お前が夜中に姿を消した。使用人はお前の部屋で気絶。窓は開け放たれたまま。アルフレッドが瀕死というときに、お前はなぜそんなことを」

「伯父様が大変なときだから、です。侍医に聞いても手の施しようもない、と」

「だから神の御業に縋ったとでも? なら屋敷にいてもいいはずだろう。なぜ、森の中に」

「フレッサの森は神聖な場所です。俗世から隔絶され、代々フレッサが守って来た場所です。そこならきっと霊験あらたかだろう、と」

「アルフレッドが死にかけた森で、か?」



 地を這うような低い声。そこでようやく、イエーロが怒っているということに気が付いた。

 私が王都から屋敷に戻ってすぐ、同じ説明をイエーロにはしていた。その時はただただため息をついているばかりで、まるで形式的に、部屋から出ないようにと罰を申しつけられただけだった。じろりと赤紫の目が私を睨む。



「お前は、死んでもおかしくなかった。あんな危険な場所に、一人で、それも何日もい続けるなど正気じゃない」

「……ですが祈りは届きました。きっとそれはリスクを負ったからこそ、」

「なぜお前は誰かのためにそうやすやすと命を天秤にかけることができる。ただ自分が生きているということの尊さをなぜ理解しない」



 思ってもみなかった言葉にただ呆け、イエーロを見上げた。

 ただ生きていることの尊さ、それこそイエーロが口にするはずのないことではないのだろうか。

 価値がなければ切り捨てるのが、イエーロではなかったのか。



「……お父様?」

「なぜ、アルフレッドを失うかもしれない状況で、お前まで失わなければならない。その恐怖を、なぜお前は理解しない」

「…………申し訳ありませんでした。フレッサとしての自覚が、」

「違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。フレッサとしてではなく、ただお前として、生きているということが……」



 兄弟を持たない伯爵令嬢として自覚が足りない、という話かと思い謝罪したが、そうではないらしく遮られる。困惑の表情でイエーロを見上げていると顔を覆った手の隙間から涙が零れ落ちていることが気がついた。



「お、お父様っ!? ど、ど、どこかお怪我を!?」

「……そうか、お前は自分を心配して涙を流す父という想像すらつかないのか」

「…………」



 今度こそ絶句し、身体は動きを止める。本当にイエーロが何を言っているのかわからなかった。

 イエーロは、ただただ私を利用できる娘として扱った。王太子と歳が近かったから王太子妃候補とした、王弟との交渉材料の一部とした、伯爵令嬢として恥じることない教育をあたえ、多少の我儘には目を瞑り、私が捕まった時はすぐに切り捨てた。利用価値がなくなれば切り捨てるこの父が、自分を心配して涙を流すなど、ありえるはずがない。

 ならば私に罪悪感を抱かせるための泣き落としか、あるいは自分の娘という駒がいなくなることへの心配か。いや心配程度で涙を流すほどこの父は情動的ではないはずだ。

 ともすれば私の胸の内を占めるのは、いったいこの人は誰だろう、というあまりにも子供じみていて馬鹿馬鹿しい疑問だけだった。



「ピナ、お前は賢い、とても。どれだけ課題を与えてもあっさりと熟し、自分から学びに行く姿勢もあり、自分で睡眠薬すら作れるようになった」

「…………」

「だがお前は、人の心がわからない」

「……誰でも、人の心はわからないのではありませんか?」

「わからない。だが想像し、慮ることはできる。お前はその想像ができない」



 想像くらいはついている、という気持ちが顔に出ていたのか、イエーロは低く笑った。



「お前は自分の存在を低く見積もりすぎている。だから想像を誤るんだ。お前は基本的に賢く、合理的だ。損得勘定を理解し、判断は常に天秤にかけ理屈をつける。だが自分の存在を軽く見積もっているが故に、間違える」

「……わたくしは、間違っていましたか」

「間違っていた。お前が命を懸けてアルフレッドが助かったとしよう。奴が素直に喜ぶと思うか? 違う。可愛がっている姪が自分のせいで死の危険に晒されたと知れば後悔する」

「…………でも、死んでしまうより悪いことなんて、」

「死んでしまうことより悪いことなんてない。それは概ね事実だろう。ならばお前が死んでしまうことほど悪いこともまたないんだよ」

「……わたくしは生きています」

「結果論だ」



 この話の行き着く先がわからずただ疑問符を浮かべる。だがそれすらも見越したようにイエーロはまたため息をついた。



「きっとお前に、自分自身の大切さを教えられなかった私が悪いのだろう。……ピナ、ただ生きていてくれるだけでいいんだ。自分の身を削ってまで自分の価値を証明しようとしなくていいんだ」

「……違う、違うんです。それじゃダメなんです」

「駄目じゃない。それでもいい。ただ生きているだけで、お前は大切にされるべき存在なんだ」



 ざわざわと、薄気味悪く冷たいものが腹の底から這いあがってくる気がした。

 自分は大切にされるべき存在か、と言われればそれは間違えようもなく、そうであるはずがない。

 私はあまりにも愚かで、罪を犯しすぎているのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 更新、ありがとうございます! 内容改めて理解するために、ちょっと最初から読み直してきます!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ