32話 破壊と同盟
「わたくしが、塔から落ちて、死んだあと……世界は、巻き戻るのですね」
震える声で、まるで冗談のような事実を口にした。
「ええ、あなたが落ちたときじゃない。あなたの遺体を誰かが発見して騒ぎが広がるとともに、世界は巻き戻る。私たちの身体は小さくなり、直近で建てられた建物はなくなる。青年は少年になり、死んだ者は生き返る。まるでそこが物語の終わりで、本を閉じて表紙をまた開くように」
確かに、知覚したことはない。私の最期の記憶はいつも高い青空だった。空の青が遠のいて、そしていつかそれが終わる。そうするといつも、私は気が付けば6歳のころの自分に戻っている。
地面にたたきつけられた肉片が戻り、時間を経て少女の姿を形どる。なんと悍ましいことか。ほとんど反射的に自分の手のひらを見る。傷一つなく、ヒビが入っているわけでもつぎはぎがあるわけでもない。私が数十回死んだという証拠はどこにもない。けれど私のこの身体は幾度も破損と再生を繰り返していたのだ、私自身がよく知っている。
「それからはきっとあなたも知ってのとおり。私たちは一切1周目の人生と違う動きができず、自分の意に反した行動を、ただなぞるように繰り返す。悩もうと、絶望しようと、違う人生は辿れない」
「……でも、」
「そう。今回は最初から自由が許されていた。6歳に戻った私たちは、初めて自分の思ったままに行動できるようになった」
花が咲くように屈託なくライラが笑う。
「ここに来て! 初めて! 自由が許されたわ! 何をしても無為、無駄、無意味だったのが変わり始めた! ……これでようやく私は先に進めるの」
明るく溌溂とした言葉と、ほの暗く陰鬱な激情が綯交ぜになった声だった。
彼女の言葉がチカチカと、私の目の前で爆ぜては踊った。
私はずっと、苦しかった。
何をすることもできず、何も救えず、ただただ人を傷つけては死んでいくだけの人生、逃げることすらできず繰り返される悲喜劇。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかと恨み、自問し、いつしか諦めていた。
けれどそれは自分だけではなかった。
ライラも、ラウレルも同じだった。彼らは死にはしなかった。だが彼らは生きたまま歩んできた道程のすべてを奪われ巻き戻された。何もなせず、何もできず、歩ませては巻き戻す。
過程と経緯こそ違えど、私たちは同じだ。
「僕たちは確かに自由になった。だがまだ安心できるわけじゃない」
「必ずしも巻き戻らない、とは言えないという点ですか?」
「ああ。そもそもなぜ、今回だけ僕らは自由に動けるのかという点。きっかけも何もなかった。僕らにはいつも通りの20周目だったはずだ。それから本当にこの21周目は今までのシナリオから外れた道を歩めるのか」
「……たとえわたくしたちが自由に動いたところで、結末は同じになるかもしれない、ということですね」
それは自分自身考えたことではあった。だからこそ、小さな一つ一つ、今までとは違うことができると確認してきた。これまでの自分とは違う、これまでの世界とは違うと指折り数えて前を向いた。
「そうよ。この世界には2種類の人間がいる。覚えている人間と覚えていない人間。だから私は探したの。今までの人生を覚えている人間を。これまでの苦痛を共有できる友人を。この世界を一緒に壊してくれる仲間を」
「ライラはこれまでの人生よりずっと早く聖女になった。奇跡の行使を前倒しにして、ブラウン男爵に取り入り養子入り。後見と地位を確保したうえで聖女だと教会に認定させる。身寄りのない孤児が立場を得てあっという間に王宮にいる僕のところまで姿を現した。流石にライラと再会した時には今までの記憶があるだろうって確信できたよ」
苦笑いをするラウレルだが、ライラの経歴は苦笑いで済ませられるレベルではない。未来のことをある程度予想できたとしても、なんの後ろ盾もなく必要なものを手に入れるために奔走し、怒涛の勢いで今の地位まで辿り着くなど、並大抵の執念でできるものではない。少なくとも、まだ時間はある、と思っていた自分が恥ずかしくなる。
「私はね、一人でも多くの仲間が欲しかった。一緒にこのくだらないシナリオを壊してくれる仲間を。でも誰が今までのことを覚えてるかわからない。だから2種類、集めるの」
「2種類?」
「ええ。今までずっと死んだ目をしながら生きてきた人たち。それから“聖女”のことを心酔してくれる人たち」
機嫌よく菫色の目が細められ、どきりとした。
「ラウレルもラズベリーパイも、いつも死んだ目をしてた。愛を囁いても罵倒しても、元気なのは口ばかり、いつも目が死んでいたわ。だからきっとこの人たちは自分と同じ、このシナリオの人形だって思ってた。とりあえずラウレルは確信があったし、何をするにも“王家と懇意”っていうレッテルは便利だったから最優先で会いに行ったの」
死んだ目は、きっとしていただろう。あの繰り返しの中、いきいきとした目をしていられるわけがない。
そしてラウレルに対して何の敬意も遠慮もないどころか便利などというあんまりな言い様。不敬罪にもほどがあるが、ラウレルはまるで気にした風もない。もしかしたらこの21周目において、彼女のその態度は通常運転なのかもしれない。
「私が今までと違うことをして目立てば目立つほど、記憶のある人は私に接触しようとしてくれる。それに私の聖女としての名声がひろまれば広まるほど、私の行動や言説を信じる人が増えて、無条件で協力してくれる人間が現れる。いまだ芽の出ない人材も、これから先のことを知っていれば自由に引き抜けるわ。私が好き勝手すればするほど、世界は私の好きなようにできる」
非常に合理的だ。自分が他者からどんな風に見られるかを熟知し、どうすれば自分の都合のいいように他者が動くかを推測し、まるで盤上を眺めるように操作する。
その姿はもはや聖女ではない。
「神がこの世界を幾度となく巻き戻しているのなら、私は神を許さない。だから私は彼から信者を引っぺがして“聖女の信者”に作り替える。信者を奪って、シナリオを破壊して、物語のその先を迎えた時、私はきっと、神を殺すの」
私たちに見えない何かを見据え、ライラはそう呟いた。
鬼気迫るその姿は、到底神の遣いや現世へ降りた神の代行者ではない。神に成り代わらんとする反逆者のそれだった。
「あなたは、神の御心を人に届ける聖女なのに……?」
「かわいいわねラズベリーパイ。聖女は信心深く慈悲深い少女だと思っているの? 神がいるとは思っているわ。でも聖女が神殺しを心に誓っていても、内心でその存在を唾棄していても、奇跡は変わらず使えるのよ。笑えるわ。神っていうのは聖女を愛しすぎた馬鹿か、決められたプログラムにしか従わないシステムに違いないわ」
ライラの見ている世界と、私が見ている世界は異なる。
彼女の中では神というものが明確に存在するものとして息づいている。はっきりと、目の前に立ちふさがる敵のように。
彼女にとって反逆とは、波のように訪れる運命に逆らうのではなく、管理者たる神を殺すことなのかもしれない。
「僕はこの過激な聖女ほどのことは考えていないよ。ただ平和な未来が続けばいいと思ってる。話を戻そうか。僕らはこの世界が巻き戻る条件を「ピナ・フレッサの死亡確定」だと仮定した」
「……わたくしが死んで、それを周囲が知覚したとき、ということですね。そしてそれが条件だと仮定するのなら、わたくしの死亡が確定しない限り世界は巻き戻らないのではないか、と」
「根拠はない。理屈もない。ただ今までの経験と状況からそう仮定した。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしかしたら君の死亡の確定ではなく、単純に時間が来れば巻き戻ってしまうのかもしれない」
もしそうであるなら、私たちにできることはない。足掻こうが抗おうが、時が来れば戻されてしまう。
「でもそう考えたら希望がないじゃないか」
「希望……」
「夢も希望も何もない。ならせめて、君さえ生きていれば世界は巻き戻らないって考える方が、ずっと建設的だろう?」
そう笑うラウレルに、なんと言葉をかけるのが正しいのだろうと逡巡し、とうとうなんの言葉も出てこなかった。
私たちの関係は、殺伐としたものだ。殺そうとした側と、殺されそうになった側。たとえ2周目以降は自分の意思でなかったとしても、1周目の殺意は本物だった。
それでもラウレルは、私が生きる未来を希望だと言い、笑うのだ。




