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3話 フレッサ領の森と伯父

 フレッサ領はセミーリャ王国西部に位置する伯爵領だ。領地の半分が山や森、独自の生態系を築き、薬草学等の研究に向いた土地であると同時に、管理が困難なうえ国境に位置するため国防も担っている。セミーリャ王国の要の一つと言っても過言ではないだろう。


 そんなフレッサ領を治めいるのが私の父、イエーロ・オルゴーリオ・フレッサだ。

 華やぐような赤い髪に似合わず冷静沈着、冷徹紳士。時に非情な判断をも下す辺境伯の父は社交界では“深山の剃刀“などと呼ばれている。

 そんな人でも私にとっては愛すべき家族であり、大切な父だ。



「ピナ、どこへ行くんだ?」

「お父様! アル伯父様と森へ行こうと思っています」

「……勉強熱心なのは良いが、あまり危険な場所へは、」

「ええもちろん。伯父様から決して離れませんわ」



 少し疲れたような表情で執務室から出てきたイエーロに淑女の礼を取る。生真面目な父は私がいかにも貴族の子女らしい振る舞いをすることを好む。たとえ私が今からパンタロンを履いて森へと飛び出そうとしていても、少しだけ満足げに目元を和らげた。



「でもわたくし、もっとたくさんのことを勉強してこの領地のことを、ここにしかない草花のことを知りたいんです。そうしてお父様のお役に立てる立派な薬師になります」

「……そうか、じゃあここにいる間しっかり学ぶと良い。だが焦る必要はない。誰もお前のことを急かしたりはしない。とにかく怪我だけはしないこと。それと兄上の仕事の邪魔にはならないようにな」



 念押しして頭を撫でるイエーロは、きっとどこにでもいるような貴族だ。厳格で、冷淡。

 そしてそんなイエーロは、ラウレルに毒を盛った私のせいで幽閉されることとなる。



 先日21回目の人生を迎え、何とかラウレル王太子に対して有能な人材アピールをするも盛大に失敗した私ことピナ・オルゴーリオ・フレッサは王都から離れた伯爵領へと戻ってきていた。

 私は本来王都に住んでいるわけではない。先日までイエーロの仕事の都合で王都で過ごしていたのだ。だからこそ王太子とのお茶会の席を設けることができた。イエーロが私を思いセッティングしてくれたのだがあえなく大失敗。これまでの20回の私は帰って来るなりラウレル殿下のすばらしさをイエーロに語っていたのだが、今回の私は塩を振られた葉野菜のようにしょぼくれて見せた。

 イエーロにはお茶会での私の狼藉を詳らかに説明し、自らの情けなさを訴えた。

 主張を要約すると「無礼の極みだったので王太子にあわせる顔がない。もう二度と会いたくない」と言ったようなものだ。

 王太子相手に会いたくないなどとんでもない無礼だが、そこは可愛らしい6歳の幼子なので許されたい。


 間もなくイエーロは王や王太子に謝罪の手紙を送り、王太子がまるで気にしていないということを確認してくれた。しかしそんなことはどうでもいい。私が死んだのは自業自得とはいえ根源は王太子であるラウレルの出会いである。ならばラウレルと関わらなければ私が無意味な罪を犯すことなく、イエーロも幽閉さないのではないだろうか。

 そして好都合なことに、ちょうどイエーロの仕事が片付いて領地へと戻れるようになったのだ。

 既に王太子との良い関係を築く作戦は早々に頓挫。そうなれば王太子など私にとってはただの地雷に等しい。仲良し作戦が上手くいかないならもうこのまま無関係ルートを貫きたい。

 自由に身動きの出来る生活は数十年ぶりで、自領で過ごすのは初めてのことだった。



「ピナ、いらっしゃい。ちゃんとイエーロには森へ行ってくるって伝えたかい?」

「ええ、屋敷を出る直前にお伝えいたしましたわ。お父様は心配性で困ってしまいます」

「そりゃあピナは可愛いからな。怪我でもしてきたら、なんて思ったら気じゃ気がないのかもしれないなあ。」



 帽子の上から豪快に頭を撫でるのは伯父のアルフレッド。彼はイエーロの兄、本来なら家督を相続するはずだったフレッサ家の長男だ。しかしアルフレッドは領地経営や政治参入よりも自領での薬草研究や山林の管理をすることを望んだため、次男であるイエーロがフレッサ伯爵と相成ったのである。

 自由奔放で研究熱心な兄と、政治や経済までそつなく熟し、世渡りもうまい弟。見た目は割と似ているのにその性格は正反対だ。

 正直、兄弟仲がそんなにいいわけではない。というより弟であるイエーロは兄、アルフレッドのことをあまり好いていないのだ。生真面目で責任感の強いイエーロは、自由奔放で自分の好きなことを追い求める兄をいつも冷めた目で見ている。

 それでも私がこうしてアルフレッドの監督のもと森に出入りできているのは最低限、兄に対する信頼があるから、それと私が望んだからだ。


 王太子相手に大失敗してしまった私は大層傷心中で、それを癒すために毎日森へと通っていると思われている。もっとも実際のところは保身一択。

 どうかこのままフレッサ領に引き込もっていられるようにと日々願ってやまないのだ。



「さあ行こうか。今日は昨日よりも少し森の奥へ行こう。土や植生の変化も見られる。西の奥へ進むにつれて植物はフレッサ領特有なものになっていって、」



 楽しそうに話す伯父は今28歳だ。貴族の令息にあるまじく、いまだ未婚。セミーリャ王国きっての変人と言われているのをメイドたちの噂話から小耳にはさんだ。


 朗らかに私の手を引くアルフレッドは父とは違うベクトルの仕事人間だ。領内から出ることは基本的になく、社交界には一切顔を出さない。研究に明け暮れる傍ら、私兵である騎士団の指導をしていることもある。

 才能に溢れコミュニケーションに問題あるわけでもないアルフレッドが、どうして家督を継がずこのフレッサ領に引きこもっているのか、誰も知らない。彼の弟である父でさえ、腑に落ちていないが故に、兄弟間に蟠りを感じていた。



「毒素を持つ植物も多いけど、毒は同時に薬にもなる。毒のことがわかると、その副産物として薬効として使えるものも多いんだ」



 そして彼の姪である私は、アルフレッドのことをどうしてか、全く覚えていなかったのである。

 私が知っているのは私が子供のころに伯父が死んだということだけだった。

 私がこのフレッサ領にいた期間は決して長くはない。幼少期に過ごした後は、学園の長期休みに戻る程度。私の生活圏は基本的に王都だった。


 なにより以前の私は森へ近づくことがそもそもなかった。

 薬や毒の勉強はしていたが、邸内にすでに成分が抽出されたサンプルはあったし、資料も十分手に入った。あえて伯爵令嬢が危険を省みず森へと行く理由がなかったのだ。


 だから麗らかな日差しの中、穏やかな伯父とともに森を歩くという経験は21回目の人生にして初めてのことだった。



「伯父様、いつもありがとうございます」

「え、急にどうしたんだい?」

「いいえ、ただ一緒に森を歩けるのが幸せだなあって思って」



 それはまごうことない本心だった。

 自由に動く身体。何かを強要されることのない幼い身の上。塔からの墜落死を逃れるためにあがく中、こんな風に穏やかな日を過ごせることが幸せだった。

 そして私の目指す未来の姿がこのアルフレッドだと思うと感謝と尊敬が止まらない。



「わたくしも伯父様のようにここで植物や薬の研究をしていたいです」

「はっはっは、それは嬉しいな。僕もイエーロも君がお嫁に行ってしまうと思うと寂しいからね。でもこんな田舎での生活はつまらないんじゃないか?」

「まさか! ここには素敵なもので溢れていますわ。何よりこんな風に穏やかに過ごせる日常ほど、幸福なことはありません」



 だからどうかこの日常よ続いてくれ。

 少し照れたようにはにかむ彼は年齢よりも幼く見える。


 けれどこの人は死んでしまうのだ。それもきっとそう遠くないうちに。


 私の手を握る大きな手を握り返した。肉刺のある、分厚い皮膚だ。

 私にはこの伯父の死因がわからなかった。基本的に領地に引きこもっているのだ。身の危険がほとんどないと言ってもいい。可能性としては、森での事故。何らかの野生動物に襲われ命を落とす。もしくは騎士団の関係で動いているときに、他国との争いとなりその最中命を落とす。そして一番考えたくはないが、この領内にいる者、身内によって殺害される。


 可能性として挙げられるのはこの3つくらいだろう。

 森の専門家である彼がうっかり毒物を口にすることはないだろうし、近々病死するように感じさせるような点もない。


 今までの人生で他国と大きな争いはなかったが、国境を侵すレベルであれば私が知らないだけであったかもしれない。その中でたまたまアルフレッドが前線にいた、ということは決してありえないことではない。

 また身内に殺害された可能性もありえなくはない。決して恨みを買うような人柄ではないが、彼は秘密主義だ。森のことはよくしゃべるのに、自分のことは話さない。そういうところで不信感を買いやすい。ただどちらと言えば実直なこの人が頑なにどうしてフレッサ領に引きこもっているのか言わないのはそれなりの理由があるような気がした。


 いずれにせよ、私はこの人に死んでほしくないし、誰かにこの人を殺させたくない。

 アルフレッドは、私の希望なのだ。

 私の望む、領地での隠遁生活者でありながら、専門知識を持つことでその地位を確固たるものとしている。

 そしてもし、彼が死ぬという未来を私が変えられたなら、私もまた、自分の死を避けられるんじゃないかと言う希望を持てる。まるで実験台のようで不謹慎なのは重々承知している。それでも伯父が死ぬという未来を変えられたなら、私もまた墜落死という不可避の運命から逃れられるのではないかと夢想せずにはいられない。

 私が16歳になった時、大切なイエーロが伯爵として辣腕を振るい、アルフレッドが楽しく自分の研究ができ、メイドのドロシーが生きて傍にいてくれる。

 そんな未来を、掴み取れる気がするのだ。

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