27話 聖女と邂逅
夜明け前、森も静まり返り動物の鳴き声も無く、穏やかな風の音しかしない。
薄暗い部屋で私は上着を着て、森で履きなれたブーツを履く。顔をみられないよう、コートのフードは目深にかぶる。
誰にもバレないように、誰にも知られないように。
「ドロシー、これを」
「お嬢様、これは?」
「私が作った強めの眠り薬。飲んでしまえば1日は眠り続けるくらい強い薬。私たちがここを出たらあなたはこれを飲んで。……効果は大丈夫。伯父様にもお墨付きはもらってるし、眠る以外の副作用もないわ」
ドロシーに水薬の入った小瓶を渡し、テーブルの上にはせっせと書いたイエーロへあてた手紙を置く。
「私はアルフレッド伯父様のことが心配で心配で夜も眠れない。伯父様の回復を願って森で数時間祈りを捧げることを思い立ちました。それをドロシーに話しますが、止められてしまいます。諦めたふりをしながらドロシーに眠り薬を飲ませ、10日以内には戻ってくるといった旨の置手紙を残して森へ出奔」
「……そういうお話に?」
「ええ。あなたが眠ったのは夜の9時くらい。直後に私が森へ入っていれば朝にはそれなりの深度にいることになるわ。お父様は、きっと捜索の手を出さない。いいえ、出せない」
「……旦那様は、」
「出せないわ。森の中に何がいるが、お父様は全くわからない。わからなくても、恐れはする。そこに住む動物たちに、怪鳥に、銃を持ち隠れる人間に。捜索隊を出せば私兵にどれだけの損害が出るか。資源がどれだけ浪費されるか。何より森に入って10時間後に捜索に入ったところで私が生きているかすら怪しい。損得勘定考えれば捜索をしないわ」
何より最悪、フレッサの子はまた作れる。
兄の負傷、娘の失踪。イエーロはこれ以上のリスクを恐れるはずだ。
「いけません」
「ドロシー?」
「いけません、お嬢様。旦那様はお嬢様を探します。必ず」
真剣な顔つきのドロシーを見上げる。
いまだかつて、彼女がここまで険しい顔をしたことがあっただろうか。私のせいで死んでいった時ですら、彼女はいつも微笑んでいた。
「大丈夫よドロシー、お父様は強い人だもの。生死不明の私を探すより効率的なことを見つけるわ」
「ピナお嬢様。そのようになさるなら、私は今から旦那様のお部屋を訪ねて、お聞きしたことすべてをお話しします」
身支度を整え、いつでも発てるようにしていたプロフェタが息を飲む。
「お嬢様、旦那様は必ずお嬢様を探します。たとえでどこだろうと、必ず。生死が不明でも、行った先が恐ろしい森だったとしても、旦那様はきっと探されます」
「……探さないわ。私のことは見捨てた方が効率的だもの」
「家族だから。家族だから探すんです。お嬢様はたったお一人の娘だから。探すことを諦めることなんてしません。できません」
確信を持ったような強い口調に、続ける言葉が見つからなかった。
“家族”とは、きっとドロシー自身の話のことだろう。郷里に残してきた家族。優しい母、年の離れた弟。裕福ではないけれど、幸福な家庭。
けれど私も虚しいまでに確信があった。一貫して、イエーロは私のことを見捨て続けた。20回の人生、一度たりともフレッサ伯爵から嘆願書が届けられることはなく、命乞いは幽閉された自分自身のためだけだったと聞かされた。
それをいまさら恨まない。ただフレッサを守ることに全人生を捧げているのだと、それだけ思う。
「ドロシー……、」
「旦那様は探されます。お嬢様の痕跡が見つかるまで、恐ろしい森の中を探されるでしょう。その間にどれだけの騎士が命を落とすでしょう。森に居もしないお嬢様の痕跡を探して」
ぐ、と言葉に詰まる。私は見捨てられる自信があったけれど万が一、万が一私のことを探したとしたら、私兵たちを慣れてもいない森の中を案内人もなしに探させたとしたら、どれほどの被害が出るだろう。
伯父を助けるために、生きることのできたはずの人を、私は殺すのだろう。
「……お嬢様、置手紙はない方が良いでしょう。窓を開けて、部屋の鍵を開けて、ただ姿を消した。それだけで十分です」
「え?」
「どこに行ったのか手がかりがなければ、森を疑いつつも捜索を強行することは考えにくいでしょう。それよりもきっと、誘拐を疑います。で、部屋の鍵が開いていればお嬢様が自分の意思で出て行った可能も捨てられません。……ただ時間を稼ぐならそれでもいいと思います」
「ドロシー……!」
ドロシーは、私がプロフェタのことを信じるから行くと言っても、決して納得はしなかった。一晩ただただ静かに考えそのうえで別の案を考えてくれた。思わず涙がこみ上げる。
今目の前にいるドロシーは、ただ諾々と私の命令に従う使用人じゃない。
「ですが私が黙ってこの薬を飲むのには2つ、条件があります。一つはプロフェタ・バロ」
「わ、私ですか」
「得体の知れないあなたに大切なお嬢様を任せることは業腹です。あなたはこのままお嬢様を連れ去って捨てることも、身代金を要求することもできます」
「……一応、そちらのお嬢様の無茶に善意で付き合ってあげようとしているのですが?」
「完全な善意などないでしょう。私にはわかりませんが、あなた自身、受け取れるものがあるのでは? ……要するに、あなただけノーリスクなのは、許しません」
いつもにこにこふわふわしているドロシー、だが今のドロシーはまるで抜いた剣のように鋭かった。
「何か一つ、あなたの私物を置いていきなさい」
「私物?」
「ええ、私物は私がお預かりします。ですが10日以内にお嬢様が戻られなかった場合、私はその私物を部屋に残されていたものとして旦那様にお渡しします」
「……なるほど。もし期間内に戻れなかったらその私物をもとに指名手配、見つかり次第斬り捨てられるような扱いになるわけですね」
「ええ、地の果てまで追いかけ、必ずあなたを見つけます」
「…………なるほど。真心には、誠意をもってお返ししましょう」
よくわからない言葉とともに、プロフェタは懐から小さなスキットルを取り出した。
表面にはアガヴェー教のシンボルであるリュウゼツランが彫られ、裏面には「Profeta Valor」と刻まれていた。
「どこの誰だか、これだけでわかります。これを持って教会へ行けば、必ず」
「……お預かりします」
「ええ、お預けします」
ドロシーの手に渡ったスキットルをプロフェタはどこか寂しそうに見ていた。
「……良いの? 大事なものでしょう?」
「ええ、ですが私もまた、彼女の大事なものを預かりますので。それと、預けただけです。10日もしないうちに私の手元へ戻ってくるのですから、さして痛くもありません」
プロフェタは想いを振り切るようにマントを羽織り、手袋をはめる。
「さて、夜が明けきる前に発ちましょう。万が一、あなたを連れているところを目撃されては戻ってくることすら難しくなります」
「……ええ、行きましょう」
ドロシーの纏めてくれた荷物を背負う。さして重くもないのに、重たさを感じてしまうのは、きっと今まで経験したことのない未来へ、自ら向かうことの恐怖からだ。
今から私は毒殺未遂を繰り返し続けた聖女の元を、自ら訪れる。
幼かった自身が魔女に成り果てたきっかけである王太子のいる王都へ。
21周目の人生。ただ逃げ続けるだけのつもりだった。自分の手の届く範囲だけを守り、いつか訪れる死から逃れる、その一点だけを願っていた。
けれどそれだけでは足りなくなった。
目立たず騒がず慎ましく生きようという指針は、家族との未来という輝かしい夢の前に崩れ去った。
聖女や王太子へ近づくことは、死への一歩かもしれない。
それでも私は、もう逃げたくない。
私を殺し続けた騎士を生かした時から、とっくに腹は決まっていたかもしれない。
「ドロシー。行ってくるね」
「……ええ、お嬢様。いってらっしゃいませ。どうぞ神のご加護があるように」
そう微笑むと、ドロシーは持っていた小瓶を煽った。数秒もしないうちに床に崩れる。
「……っ」
渡した薬は即効性の睡眠薬だ。反応として、おかしくはない。
わかっていたのに、駆け寄らずにはいられなかった。そっと顔に掌をかざす。深呼吸に似た寝息が、皮膚をくすぐった。
「お嬢様?」
「……いえ、しっかり眠っているようです。私たちも行きましょう」
私は20回、小瓶を煽り、のたうち絶命するドロシーを見てきた。その彼女は今、穏やかな寝息を立てている。
「一刻も早く、聖女様のところへ」




