22話 伯父と運命
朝いつも通り起きると、屋敷の中がひどく騒がしかった。誰も彼も慌ただしく動き回り、口々に噂する。心配も不安も好奇心も混じったそれだけで、概要を知るのは十分だった。
「お父様っ伯父さまが大怪我をされたって……!」
「ピナ……」
屋敷の医務室に飛び込むと、いつも冷静さを崩さないイエーロが憔悴した表情をしていた。ベッドのある場所にはカーテンで覆われているが、そこにアルフレッドがいることは分かった。消毒液と薬草の匂いに混ざって血の匂いが鼻についた。
「ああ、昨日森に入ったきり戻ってこなかったんだ。あいつのことだからなんでもない顔して戻って来るかと思ったのだが……」
目の下には濃い隈ができ、顔色は悪く、ひどく老け込んでいるように見えた。いくら仲が悪くとも、身内であり、唯一の兄なのだから当然だろう。
「明け方、庭師が森の入り口で倒れているアルフレッドを見つけた。すでに応急処置はしてある」
「もうお医者様には診てもらっているのですね……」
そんな緊急事態だというのにいつも通り寝てしまっていた自分が恨めしい。私自身、イエーロと同じように昨夜アルフレッドが帰宅しないことを気にも留めていなかった。アルフレッドが連絡なく屋敷に帰らないことはそう珍しいことでもなかったのだ。
「それで、伯父様のご容体は?」
「……ああ、大丈夫だ。そのうち目を覚ますだろう」
嫌な予感がした。それはイエーロが目を伏せながら口にしたからか、それともいっそ投げやりなまでに曖昧な表現をしたからか。
「大怪我だったと、メイドたちが噂をしていました。お父様、本当に伯父さまは大丈夫なんですか……?」
「……お前が心配するほどでは、」
「では私がお顔を拝見しても、」
脇を抜け、カーテンに手を掛けようとした私の手首をイエーロは強く掴んだ。カーテンには指先も届かず、まるで動かすことができない。イエーロを見上げれば、苦悶の表情を浮かべていた。
「お父様」
「やめなさい」
「お父様、伯父さまのお顔を拝見するのに何の問題があるのです」
「……顔に怪我をしている。見れたものではない」
「伯父様は伯父様です。ご無事を確認できればそれだけで、」
言い募るもイエーロは手を離さない。まるで私に確認されては困るかのように。
「お父様、アルフレッド伯父様は本当にご無事なのですか。本当に助かるのですか?」
「ピナ、部屋に戻りなさい」
「お父様っ」
「お前が見舞ったところで何か変わるわけじゃない。お前はただ待っていればいい。アルフレッドが目を覚ましたらお前にも知らせよう。部屋に戻りなさい」
イエーロは有無を言わせず私を医務室から締め出した。しばらく医務室の周りをうろうろしたが、その間イエーロが部屋を出ることもなく、しぶしぶ私室に戻った。
「ドロシー」
「お呼びですかお嬢様」
「ねえ、アルフレッド伯父様の状態について何か知らない?」
ドロシーのすました顔が一瞬崩れる。知らないわけではないのだろうが、もしかしたら私には知らせないようにイエーロが伝えているかもしれない。
「今、伯父様の様子を医務室に見に行ったわ。でもお父様が邪魔してお顔を見ることもできなかった。みんな伯父様が大怪我したって噂をしていたけど、実際のところどうなの?」
「え、ええと、旦那様はなんと……?」
「ドロシー、私はあなたに聞いているの。お父様がどうおっしゃっていたかは関係ないわ」
まるで八つ当たりのようになってしまって申し訳なく思うが今は余裕がなかった。ドロシーは助けを求めるようにあちこちに視線を泳がせる。
今までの人生で、私はアルフレッドと関わった記憶がほとんどない。ただ私が幼いうちに死んでいた、という程度の情報しかないのだ。いつ、どのように亡くなったのかを知らない。
だが今ならわかる。おそらくアルフレッドはこのまま死ぬのだろう。
森にも立ち入らず、アルフレッドとの関りもない6歳の私にとって、顔も知らない伯父の死など記憶になくてもおかしくない。
屋敷内の様子からして、顔は見れなかったがアルフレッドは存命だ。しかし、予断を許さない状況なのではないだろうか。
「……ドロシー、あなたを雇用しているのはお父様で、あなたの主人もお父様。お父様の指示を守るのもわかるわ。でもあなたは私についてきてくれると言った。私となら逃げてもいいって言ってくれた」
「お嬢様……」
「私についてきてくれて、私と逃げてくれるけど、伯父様のことは口にできないの?」
我ながら汚いとは思う。ドロシーが口にした純粋な気持ちを逆手にとって聞き出そうとするのは外道だし、それとこれとは話が別であることも重々理解している。それでも私は実情が知りたかった。
「私からお父様にはあなたから聞いたことは言わない。メイドたちの噂話で推測したってだけの話にするから、お願い」
「ううう……あの、では、これはあくまでも私の独り言です。それをお嬢様が偶然、お聞きしてしまった、という形で……」
ドロシーはくるりと私に背を向けて、誰もいない部屋の隅に向かって話し出した。
昨日の昼頃、森に入ったアルフレッドがその日帰らなかったこと。翌朝庭師が森の入り口で倒れているアルフレッドを発見し、医務室へ運んだこと。
「最近のアルフレッド様は森へ入られるときに銃を携えていらっしゃいました」
「……銃?」
独り言だと言うのに思わず聞き返してしまった。
アルフレッドは森へ入るとき、武器の類はほとんど持たない。持つのはせいぜい短剣やナイフのみ。薬草の採集や動物に襲われた際の対応、遭難した時に使うのだ。そして銃火器の類は明確なポリシーを持って森へは持ち込まないと決めていた。
「伯父様は森の延焼を危惧して火薬を使う物は一切持ち込まなかったわ。中遠距離の銃火器は木に燃え移る可能性があるし、距離を取って動物と戦うことはないからって……」
「アルフレッド様にあった傷は銃創だったそうです」
「……え?」
「体内に残っている銃弾もあったのですが、それはフレッサ家で保管しているものとは一致しませんでした」
背を向けるドロシーの表情を伺うことはできなかったが、こちらを気遣っているのは雰囲気から察することができた。
森の中で起きる異常。本来ここにいないはずの生き物の飛来。長期的な森の中の危険。
てっきり特定の動物が住み着いたことによる生態系の異常、縄張りを荒らされ気性の荒くなった動物たちのもたらす危険性だと思ってきた。
けれどアルフレッドに傷を負わせたのは動物ではなく人間だった。
おそらくアルフレッドは森の調査をする中で侵入者に気が付き、自らのポリシーに反して銃を持ち込んだのだろう。そして侵入者たちを排除できるまで私に森への立ち入りを禁じた。
フレッサの森に出入りできるのはアルフレッドだけで、森を守る役割もアルフレッドのみが担ってきた。ただでさえ一般人が入るには危険な森に、増援を呼び込むわけにはいかなかったのだろう。アルフレッドは一人で戦い続けたのだ。
舌が喉に張り付いてうまく動かすことができなくなる。
「伯父様は、生きていらっしゃるのよね……?」
「ええ、お嬢様。ですが、危ない状況です」
「……ねえ、伯父様はうちで看ていていいの? 危ない状況なら医院とかに入院させてもらった方が、」
「……旦那様は、屋敷で看ると決めておいでみたいです。理由までは、存じ上げませんが」
なんで、と口を出た言葉の答えはいくつも自分は持っていた。
家を継がなかった変わり者の兄が、何者かに襲われたという噂が広まるのを恐れた。それも膝元であるフレッサの森の中に侵入者を許してしまった挙句の怪我。入院などさせれば訝しがるような噂が街の中へ流れることは防げないだろう。
森を有効活用したいイエーロはそれに反対するアルフレッドが邪魔だった。さらに言えば王弟エンファダードの件でも反発しあっていた。
アルフレッドがいなくなればイエーロに反対する者はいなくなる。
涙が零れ落ちた。
なんで、という理由を持っていても、納得ができなかった。
邪魔だとしても、障害になるとしても、血のつながった家族を見殺しにしようと決断した父が信じられなかった。
けれど同時にわかってしまうイエーロはそれが正しいと思っている。正しいと思っているから決断してしまった。そして正しいと信じていても、情がないわけではない。だから苦悶の表情をしてしまうし、娘である私にそれを知られることを恐れた。
すべてはフレッサの繁栄のために。
兄も、兄の守ろうとしたものも、切り捨てる判断をした。
わかってしまった。
今までの20回の人生で、私のことを切り捨てた父のことを。
イエーロは自分の判断は正しいと信じて、苦悶の表情を浮かべながら私のことを切り捨てたのだろう。
医務室で見た、あの表情で。
「……ドロシー、あとで水で濡らしたタオルを持ってきてくれる? 少し、目が熱いの」
「ええ、お嬢様。すぐに」
「それから、今日のお父様の予定を教えてくれる?」
「……ええ、すぐに。すぐに確認してまいります」
私の震える声に気づいてか、ドロシーは私の方を振り向くことなく、部屋から出ていった。
力なくベッドに倒れ込む。
結果だけ言えば、イエーロは間違っていなかった。
実際、20回の人生において森を切り開いたことによる弊害を感じ取ったことはなかった。フレッサは利用できる土地が多くなったし、エンファダードと懇意にすることでフレッサ家の地位は強固なものとなった。
けれどその裏に死んでいった動物たちがいたかもしれない。その陰で住処を追われた動物たちがいたかもしれない。そうしてアルフレッドが憧れたドラゴンが再びフレッサの森に舞い降りることがなくなったかもしれない。
問題はなかった。けれど失われたものの尊さを私は知ってしまっていた。
イエーロは切り捨てる覚悟をした。苦悶の表情を浮かべ、懊悩しながら実の兄を切り捨てた。
だが私には、切り捨てる覚悟ができなかった。
アルフレッドと過ごした時間、教えてもらったこと、与えられたもの、そのすべてが私に抗えと叫ぶのだ。
「……このまま、終わりになんてさせない」
切り捨てても、私の知っている未来はやってくる。
王太子と聖女を殺そうとしない、人に毒を盛らない。これだけ守ればよほど死ぬことはないとわかっている。ならば少しでも未来を変えずに、その部分にのみ注意していることの方が楽だ。未来を知っているという優位性を、私は取ることができる。
それでも今の私の望む未来は、大切な人がみんな幸せに生きられること。
その大切な人の中に、今まで顔も知らなかったアルフレッドも、もう入ってしまっているのだ。
強欲になると決めた。傲慢になると決めた。
私は私の望むものすべてが欲しいのだ。
何一つ、諦めてやる気なんかない。
「みんなが幸せに生きられる未来を……」
 




