21話 日常と異常
「それではお嬢様、今夜はこの辺りで」
「ええ、ありがとうプロフェタさん。たくさんお話が聞けて楽しかったわ」
にっこりとお手本のような笑顔で微笑むと、プロフェタは闇の中へと消えていった。
プロフェタが屋敷を訪れてから既に2か月。彼は週に1度私の部屋を訪れては最近の世間の情勢や巷の噂を話して聞かせた。おおむね私の期待通りの働きをしてくれている現状に安堵する。今までの人生と同じように、彼はただ私の望むまま、役に立とうとしてくれている。今は簡単な話を聞かせてほしいと言っているだけだが、今後私の要求がエスカレートしようとも、彼はそれに応え続ける。彼が本性を現すまでにはまだ時間があるだろう。それまでは便利に使い倒したい。
彼曰く、最近の街の話題と言えばもっぱら“聖女”だと。
ライラ・ブラウン・サウセ。今代の聖女であり、ブラウン男爵家の養女だという。
もともとは地方の修道院で暮らしていたが、ある農村で疫病が流行った際、その看病に修道女たちが駆り出された。幼いころから修道院で暮らしていたライラもその農村を訪れ、昼に夜に関わらず身を粉にして農民たちの世話をした。しかし疫病は収まる兆しもなく、修道女たちでさえ罹患するようになる。絶望的な状況で、ある朝ライラは死の淵に晒される子供の看取りに立ち合おうとしていた。ライラは自らの無力さを嘆きながら、女神アガヴェーに祈りをささげた。
すると突如として村はまばゆい光に包まれた。
そして光が止むと同時に、村人たちはその身体から病が去ったことを知った。
ライラの祈りを女神アガヴェーが聞き届け、村からすべての病を拭い去ったのだ。
これこそライラが初めて起こした“奇跡”であり、彼女が聖女であると認められた実績だった。
その後ライラは地方の領主であったブラウン男爵家に引き取られ、教会から正式に今代の聖女として認められた。
ライラは聖女として西に東に駆け回り、奇跡を起こしては人々を救っているのだという。
プロフェタはまるで吟遊詩人のようにライラの偉業を語ってみせた。おそらくそれが世間で口にされる聖女の物語なのだろう。
何がどこまで事実なのかはわからない。
聖女は“奇跡”を起こす神の代行者であると同時に、教会のプロパガンダだ。彼女が奇跡を起こせば起こすほど、教会への信仰は厚いものとなる。
彼女が奇跡を起こせることは、疑いようのない事実だ。私は数年かけて開発した毒物を彼女の奇跡によって無効化されている。人知も世の理も超えた何かを、彼女は確かに持っている。
けれど教会の看板となっている以上、事実に尾ひれがつくことは当然のことだ。
「聖女様……一度お会いしてみたいわ。彼女はあちこちに奔走されているみたいだけど、どこにいらっしゃるの?」
「聖女様は基本王都においでだと聞いています。王都の大聖堂にいらっしゃって、各地からの人々の嘆きを受け取り、そこに駆け付けられていると」
事実は何もわからない。きっと知る機会も今まであっただろうが、今までの人生で私が確かめたことは一度もなかった。
けれどふと思う。私と同い年である聖女は今6歳程度だろう。まだまだ幼く、大人に庇護されるべき彼女は、すでに人々に縋られ、聖女としての職務を全うしているというのは、あまりに残酷ではないだろうか。聖女だから、神に選ばれたのだから、などというのは神や大人の都合でしかない。選ばれたことが名誉なことだとしても、その重責はいかなるものだろう。年端もいかない少女が背負うにはあまりにも重すぎて、早すぎる。
精神年齢がとうに成人している身からすると、その運命はあまりに理不尽だった。挙句嫉妬されて毒殺されそうになるのだから、聖女という職務の苦労は計り知れない。
聞く限り、私の知っている未来とは変わらないようだった。彼女は16になるまで死ぬことなく、聖女としてその位につき続け、人々の信仰を集め続ける。
「どうすべきかしら、今まで通り静観するか、媚びを売りに行くべきか……」
聞いた話をノートにまとめながら肘をつく。
おそらく、学園に入学し接触するまで静観しても特に問題はないだろう。それまで私と聖女の間になんに面識もなく、トラブルもない。聖女との関りもあくまでも王太子であるラウレルを介した痴情の縺れでしかない。私がラウレルに惚れていない今、聖女に関わる原因は皆無だ。何もなければ同学年に聖女がいる、程度でしかない。
だが一方でもし、聖女を自分の味方につけることができたなら、どれほどの恩恵が得られるかという打算的な思いが首をもたげる。現状、私は誰も害する気はない。私の希望は私の周りの人々が無事であることだ。要するに誰も死なない、傷つかない。だが私の希望に反して我が家、フレッサ家は王位継承争いの泥船に乗りかかっている。このままでは王弟、エンファダート支援のために暗殺者役に回されかねない。
エンファダートからはラウレルと仲良くするように粉を掛けられているが、どう考えてもうちの甥と仲良くしてくれとかそういう穏便な意図ではない。そういった政界の暗部に巻き込まれたとき、聖女と懇意にしているという事実が救いになる可能性がある。私が死んだ当時の聖女と言えば教会の代表と言っても過言ではなかった。そんな彼女がフレッサ家の助命を申し出てくれたらもしかしたら生き残れる糸口となるかもしれない。
打算に塗れているが、命綱は1本でも多いほうが良い。ただでさえエンファダートのせいで死亡、没落エンドがくっきり見えているのだから。
まだ幼い聖女とかかわりを持つことができれば、うまいこと取り入ることができるのではないか。
「まあおいそれと会えるわけじゃないんだけどね」
一介の伯爵令嬢ごときが聖女と会う機会なんて持てるはずもない。それこそ、かつての悪徳を発揮させるならどこかの村に毒物でも巻いて人為的に病を発生させ、そこに聖女を呼び寄せる、なんてこともできるが、今までの経験からそういったことをすれば看破されたうえで断罪されるのが目に見えているため行動には移さない。
いずれにせよ、静観を続けるしか策がないのが現状だった。
それよりも目下の問題は、いまだアルフレッドが森へ入ることを禁止していることだった。
「伯父様、まだ森へは入れないのですか? もう3か月は経ちますよ?」
「うーん。まだちょっと時間がかかりそうでな。もう少し待ってくれるか?」
「もう少しっていつです?」
「あと1か月……いやあと3か月、くらいかな」
「……それってどんどん延びていくってことじゃないですか?」
「いやぁ、はっはっは! ……悪いが、まだまだ危ないってことだ。もう少し我慢してくれるか」
アルフレッドは危険だと言うが、何がどのように危険なのかを私に説明しようとはしない。未だ私の情報は「森に何かが起きている」というだけで、具体的に何が起こっているのかを知ることができないでいた。
ただ様子から伺い知れることもある。
一つはアルフレッドの怪我だ。
以前から森に入り怪我をして帰ってくることはあったが、最近は輪をかけて酷くなっているように感じる。本人は隠しているようだが、医務室の包帯や薬品の減りが早いし、肌の露出が極端に少ない服装を好むようになった。詳細は分からないが、それは森が危険なせいなのだろう。
二つ目はアルフレッドとイエーロの関係の悪化だ。
もともと、アルフレッドとイエーロの関係は悪い。特にイエーロが王弟であるエンファダードと関わりだしてからは対立が激しくなっている。以前私が盗み聞きした通り、アルフレッドは私を利用されそうになっていることも危惧している。二人はあまりに考え方が違う。イエーロはフレッサ家の存続を第1に考えるリアリストだ。必要とあらば手段を選ばず、先祖代々守ってきた森でさえ切り開くだろう。一方のアルフレッドは伝統や良識を重んじる。フレッサ家を大事には思っているが、家自体の存続ではなく、今あるものを守ろうとする。大事なものを取り落とすことも削ることもない道を模索する。
どちらも間違っていない。だがそのせいで二人とも折れることを知らない。
私はアルフレッドの考えに近い。誰も何も失わず、幸福になれる道があるのなら、それを探したい。けれど手段を選んでいられない家長としてのイエーロの責任感もわかる。
もっとも、ただの娘である私はその方針に何も口出しはできない。
私にできることと言えば黙々と薬を作って医務室の傷薬を補充したり、いつか来る疫病のための薬を開発することだけだった。
今すぐ、私に解決できる問題ではない。
情報収集、薬の開発。それが今の私にできる限界だった。
そんな毎日の中、状況は一変した。
アルフレッドが瀕死の状態で見つかったのだ。




