2話 始まりのお茶会
そんなこんなで殿下とのお茶会である。
直前まで生きる喜びと自由に号泣していたせいでいまだ目元は赤く腫れているが、いくら何でもこの直前になって殿下との約束をキャンセルなど、そんな無礼は働けない。ドロシーの用意した濡れタオルを目元に当て、少しでもましな顔になるよう祈る。
何より自分の軽率な行動で親にも迷惑がかかりかねない。20回の人生、文字通り死ぬほど迷惑かけてきたのだ。いくら記憶が継続されていないとはいえ、少しでもいい子として親孝行してあげたいと思っている。
本来であれば殿下とお茶会などというものは、したいからできるといったような簡単なものではない。それも何の意図もなく娘と二人で会わせるなど破格の待遇である。
けれど娘の無茶な願いを叶えるのが父、イエーロ・オルゴーリオ・フレッサ伯爵だ。フレッサ領はセミーリャ王国の中でも不思議な生態系をしている森を所有しており、そこで採取される植物はいまだ研究中のものが多い中様々な薬の原材料となっているのだ。つまりセミーリャ王国の中でもフレッサ領はとても重要な土地なのである。そんな場所を治める伯爵の頼みとあれば多少の融通が王家にすら通じてしまう。
一人娘の願いを叶えてやりたいという気持ちもあっただろうが、イエーロ自身、私を殿下に売り込みたかったのだろう。おそらくそれは王家も把握済みだ。表向きがどのような体であれ。
王国内でおそらくもっとも広大な庭園。植物を愛した王妃殿下のために、国内の粋を集めた庭師たちの手によって王宮内は常に美しい花々が咲き誇っている。美しい庭園には今まさに見ごろを迎えたバラが咲き誇っており、その傍にある噴水の隣に子供でも使いやすい大きさのテーブルと椅子が置かれていた。
こんなに晴れやかな気分でこの庭を見ることができたのは初めてだった。ループを意識していなかった最初は殿下に夢中で目にも入っていない。それ以降は王宮へ連れて来られるたび処刑場に連れてこられたような気分であったため、このよく手入れのされた美しい景色に目を向けることなど一度たりともなかった。
そして目の前で微笑むのは王位継承権第一位たる王太子、ラウレル殿下である。
「ようこそ、待っていたよ。僕はラウレル。君に会えてうれしいよ」
「初めまして、ラウレル殿下。ありがたきお言葉、恐縮です。改めまして、わたくしはイエーロ・オルゴーリオ・フレッサの娘、ピナ・フレッサと申します。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「そう硬くならなくていいよ、よろしくね、ピナ。同い年なんだ、気楽におしゃべりでもできたらうれしいよ」
社交辞令とはいえそれを感じさせないほどのスマートさで私の手を取る殿下が末恐ろしい。まだ6歳だというのに紳士然とした態度が板についている。恐る恐る顔を上げれば天使のようなほほえみをいただいた。これは惚れる。どんなご令嬢だって惚れる。社交界に出るころにはきっと同席するお嬢さん方の心をすべてかっさらっていくことだろう。顔がいい。麗しい。しかしながら私はもう惚れたりしない。いくら見目麗しくとも、物腰が素敵だったとしても、そんな彼に毒を盛り続けた事実は失われないのだ。
「父上から君の話は聞いてるよ。とても勉強熱心で優秀だと」
「もったいないお言葉ですわ。しかしまだまだわたくしには学ばなくてはならないことが多いのです。より多くの植物や薬について学び、この国の薬学の一助になれれば……、という一心です」
にこやかに、けれど忠誠心たっぷりに。
一周目二周目の私は殿下に気に入られようと女の子らしいアピールばかりしていたが今の私は違う。
今の私に必要なのは殿下に有用な者として覚えをめでたくしてもらうことだ。
万が一、万が一私の立場が危うくなった時、「でもあいつ使えるし生かしておこう」あるいは助けてもらえるように。
正直殿下は地雷の塊だ。いつどんな流れで私がこの子に何かをやらかしてしまうとも限らない。けれどだからこそ少しでも生存戦略をとっていくべきだ。これまで20回、今まであなたに毒を盛り続けてきた私ですが、今回の私はいつもの私とは違います。あなたに恋愛的な意味ですり寄ったりしないし好意を寄せたりはしない。私が今欲しいのはあなたという権力の傘です。
「ふふ、期待してるよ。フレッサ伯爵領は特殊な生態系をしているところも多い。研究材料も多いだろうけど、危険なことも多いだろう? どうか無理しない程度にね。勉強熱心なのはすばらしいけど、フレッサ伯爵だって君の心配をしてしまう」
「父は心配症で……わたくしは早く立派な薬師として働きたいのです。いつか殿下のことも支えられるような薬師になりたいですわ」
「それは楽しみだね」
そんな尊敬すべき父はわたくしが幽閉されると同時に別の場所に幽閉された。私のことは切り捨てようとしたようだったが、イエーロ自身もまた切り捨てられる側だったのだ。
優雅にティーカップを傾ける殿下にほうとため息をついてしまう。何をしても絵になる王太子だ。そして何より今を健やかに生きている。それだけで尊い姿に感じられた。
しかし見とれていたのが悪かったのか何なのか、手が滑って持っていたカップから紅茶がこぼれ自分の膝の上へ。メイドたちの気合の入ったドレスには無残な染みができてしまった。
「も、申し訳ありません、お見苦しい……!」
一気に血の気が引いた。
私がここで紅茶をこぼすのは21回目だ。
ここまで何とか自分の意志で言葉を選び話ができていたのに、ここにきて今まで同じことをなぞるように起きてしまった。自分の不注意のせいなのか、この世界の強制力のせいか判断できず呼吸の仕方を忘れる。
そうしてこの後殿下は「ピナ、大丈夫? 泣かないで」とハンカチを差し出すのだ。その優しい殿下の姿に私は惚れこむことになる。つまり私の転落人生の諸悪の根源ともいえるエピソードだ。
要するにここで王子にハンカチを出され受け取ったらおしまい。いつもの私の死亡ルートに入ってしまう。
であれば私にできる選択は一つ。
「申し訳ありません殿下っこのようにお見苦しいお姿を晒してしまい……! まだまだ淑女してのわたくしの勉強が足りていないようです。わたくしこれで失礼いたしますわ!」
「へ、ちょっと待って、」
「このお詫びは必ず致します! 次にお会いするときには、このような粗相は致しません。それでは本日はこれにて!」
逃走の一手である。
優雅なお辞儀を決めて挨拶をしたらあとはダッシュである。ドロシーの控えている庭の隅へ全力疾走。ほかの王太子付きの執事やメイドたちは唖然茫然。完全にやらかした。無礼の極み有能な部下ムーブ計画はご破算だ。けれどあの場でハンカチを受け取るよりずっといい。それ以上に悪いことなんてない。どうか愛らしい6歳の少女のやることだとしてみんな水に流してくれ。
「お、お嬢様大丈夫ですか!」
「わたくしは大丈夫です。けれど殿下の前でとんでもない失態を……いえ、それに逃げ出してしまうだなんて……」
「お嬢様、きっと殿下も気にされませんわ。緊張しすぎてしまったのですね」
「わたくしったら気が動転してしまって……もう殿下に合わせる顔がありません」
ドロシーになだめられながら遠回しにもうかかわりたくないと伝える。
殿下に気に入られて守ってもらおう計画から王族には近づかない計画に早急に切り替える。
いっそ到底殿下に毒を盛ることができないくらいに引き離してもらおう。自領に引きこもってしまうのも一つだ。そうなれば政略結婚という貴族令嬢として責務、親孝行はできなくなるが、私も父も殺されたり幽閉されるよりずっといいだろう。
よよ、と泣きまねをしながら、私は確かな達成感を感じていた。
確かに今回のお茶会の結果はベストではない。私がもっと注意していればより多くの情報を得られたかもしれない。王太子の役に立つことで命乞いの材料にする計画こそ頓挫してしまったが、最終的にはハンカチを受け取ることなく、お茶会から離脱することができたのだ。これこそ私が待ち望んでいた今までの20回の人生とは違う道。
自分のしたいことを、自分で判断し、行動に移す。
この感覚のなんと素晴らしく美しいことか。
「ああお労しい……! ご心配なさらずともこの程度の失敗かわいいものですよ。むしろ、むしろお嬢様のような完璧な女の子の失敗というのは逆にかわいらしいものなんです。ギャップできっと殿下もイチコロに違いありませんわ!」
「いえ、そういうのは大丈夫です」
「どうしてです!?」
スン、としながら、もう帰るとドロシーの手を引く。
私の記憶にある限りではいつも王太子からハンカチを受け取った直後、時間だからと帰されることになっていた。それに対して1周目の私はまだ一緒にいたいと散々駄々をこねていたが、今回は嬉々として帰る。
王太子に媚を売る生存ルートは潰えたが、決められた未来を変えることができるという結果を得た今、生存ルート選択が可能になった。きっといくらだってやりようがあるはずだ。
「ドロシー、わたくしお父様やドロシー、みんなが幸せになるように誠心誠意頑張りますわ」
「も、もったいないお言葉……! 私もお嬢様の幸せのために助力させていただきます!」
感極まった様子でそう宣言したドロシーを見ながら、つないだ手にぎゅっと力を籠める。
ドロシーは私の作った試作品の毒を飲んで死んでしまった。大した意味もない、誰でもよかった実験台に、私は彼女選んでしまった。そうして私は幼い時から傍にいたドロシーを殺したのだ。
次は決してそうなさせない。
何としてでも自分含め、周囲のみんなを長生きさせて見せよう。
だからどうか王子と聖女よ、私のしらないところで勝手に結婚して勝手に幸せになってくれ。
私たちも勝手に幸せになるから。