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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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19話 街と裏切者

 明るく活気のある通りの中、ふと身なりの汚い者が道の端にしゃがみ込んでいるのが見えた。



「ドロシー、彼らは」

「お嬢様、乞食です。あまり見てはいけませんよ。彼らは一度でも情を見せた者に群がります」



 元の布の色などわからない外套に身を包み、前には空の籠、脇には松葉杖を置いていた。何かに祈るように俯き加減に何か口を動かしていた。



「……乞食は宗教上良い貧者であり、救うべき対象であるはずでしょ?」

「ええ、お嬢様のおっしゃる通りです。ですが今は避けておくべきです。乞食たちはときに徒党を組みます。複数人に群がられては対応しきれません。そして今のお嬢様は貴族ではなく平民の子供です。救われるべき立場であり、救うべき立場にありません」



 きっぱりと言い切ったドロシーに目を丸くする。彼女にしては珍しく厳しい物言いだ。

 乞食の考え方は人によってさまざまだ。教会の教えでは乞食は救うべきものであり、乞食に施しを与えることで、施したものも救われるとしている。貴族としての立場で言えば貧者や弱者の救済は持てる者の義務であるとすると同時に慈善のパフォーマンスでもある。だが街の警備にあたるものたちにとって彼らは警戒対象だ。昼夜問わず街の中に現れては居座る姿は浮浪者と見分けがつかない。実際詐欺まがいの行為で金品をせびる乞食もどきもいるという。それぞれの立場の考え方であり、ドロシーには街に暮らす一般人としての考え方がある。



「……厳しい言い方かもしれませんが、すべての者に慈悲の心を向けるべきとは思いません。いえ、向けるのは良くとも、自分の出来る範囲を自覚するのは必要です」

「できる範囲って?」

「金銭を恵むなら、それ相応のお金が必要です。人を支えるなら相応の筋力が必要です。弱者が弱者を救おうとすれば、共倒れになる確率は高くなります。あくまでも支えられる範囲を自覚したうえで手を差し伸べなくてはいけません。持てる者は傷ついていい、持てる者は身を削るべき、なんて言説は堕落者の寝言です」



 それ以上何かを言うのはやめておいた。私は彼らのことをあまり知らない。少なくとも私にとって乞食は他の街の人間と同様に背景でしかなかった。景色の一部で、脇役で、にぎやかし。いてもいなくても変わらない。私は彼らに目もくれないし、彼らは私に声を掛けない。



「少し、中心部から離れすぎてしまいましたね。これより先へ行ってもあまりお店はありません。少し戻りましょうか。ここまでどこか気になるお店は、」

「ぐううっ……!」



 踵を返した私たちの目の前に、いきなり男が転がってきた。思わず何事かとたたらを踏む私に対し、ドロシーはさっと私を庇うように抱きしめていた。


 身なりの汚い襤褸を纏った男。道端にいた乞食の一人かもしれない。

 そして男が通りに転がり出た原因はすぐ側にいる古物商の店主のようだった。突き飛ばすだけでは怒りが収まらないようで、肩を怒らせながら通りへ出てくる。



「てめえ何してくれてんだ!」

「だ、だから私は何も……」

「しら切ろうたぁいい度胸してるなあ! お前が棚にぶつかったせいで皿が落ちちまっただろうが! ひびも入ってもう売り物になんねえだろうが! どうしてくれるん!?」

「私はぶつかってなんか……」



 ふらつく細身の男に掴みかかる店主。大の大人が本気で怒り、他人に危害を加えようとする姿に思わず硬直した。

 先日騎士たちがイエーロに食って掛かって来た時とは違う。あの時は騎士たちの方が力が強く、イエーロの方が権力が強かった。少なくとも対話ができる程度には対等だったのだ。だが今のこの二人は違う。乞食のような痩せた男は、蹂躙される側にしかなりえない。争いではなく、一方的な暴力なのだ。

 周囲を見ても誰も何も気にしていない。いや、巻き込まれたくがないために誰も彼も見えていないふりをしているのだ。


 そしてそれはドロシーも同じだ。



「お嬢様、早く行きましょう……」



 小声で私に耳打ちし、遠回りして街の中心部へ戻ろうとした。

 けれど私は道を塞ぐこの二人の男から目が離せなかった。


 20回分の私の人生のほとんどは、蹂躙する側の人間だった。

 他を使いつぶし、自分の目的と欲望のままに振舞い、気に入らないとあれば排除した。

 そうした。そうできてしまった。


 理不尽で傍若無人な心根と、それを為せてしまうほどの社会的権力を持ってしまっていた。

 きっとそれは、周囲からすれば悍ましい災害のようなものだっただろう。誰にもどうすることもできず、ただ過ぎ去るのを待つことしかできない。

 それから私は転落した。持っていた力は剥奪され、周囲にいた人間はことごとく離れていった。手元に残ったのは自分が積み重ねてきた罪と罰だけ。私という悪は正義に蹂躙された。

 逃げることもできず、ただ過ぎ去るのを待ち、そして死んだ。



「ねえ、それはいくらかしら?」



 目の前の暴力に震えそうになる声を押さえつけながら、私は今にも乞食に殴りかかろうとする店主を見上げた。



「お嬢様っ」

「なあに? 私あの方が持ってるお皿がとてもほしいの」



 高慢に、無邪気に、持てる者の鈍感さをもって笑う。

 そう思っていなくても私ならできる。20回の人生で、自分の意思とは関係なくそう過ごしてきたのだから、慣れたものだ。

 小憎らしく、傲慢な貴族の子らしい振る舞い。



「……お嬢ちゃん、今俺はこいつと話をしてんだ」

「あら、奇遇ね。私も今あなたとお話してるの。あなたのそのお話はお客さんと話すことより重要なのかしら?」



 怒りに染まる顔のまま、値踏みするように私のことをつま先まで眺めまわす。

 私はあくまでも堂々と笑顔で男を見上げ続けた。値踏みされることなど、こちらは生まれてから死ぬまでされ続けるのだ。こんなこと程度で怯んだりはしない。



「……悪いがこの皿は見ての通り罅が入っちまってなあ、もう売り物にはならねえんだ」

「いいえ? 私が欲しいのはそのお皿です。罅が入って味が出てきたと思うの」



 底の深い皿は、店主の言う通り細い罅が入っていた。もっとも、古物商で扱っている商品だ。その罅が入ったのがいつなのかわからない。この店主の言う通り、乞食の男がぶつかったせいで入ったものなのか、それとも何から何も店主の言いがかりなのか。だが今の私にとってそのどちらであろうと変わりはない。



「あなたにとっては罅が入ったことで無価値になったかもしれないけど、罅が入ったから私は買いたいの。何か問題あるかしら」

「……ちっ、欲しいって言うなら売ってやるよ」



 ようやく店主は乞食から手を離して私に向き直った。

 再度金額を問えば、先ほどまで無価値になったと騒いでいたというのに新品の皿が買えるような金額を吹っ掛けられて鼻で笑ってしまった。誰に対してもこんな態度なのか、女子供と舐められているのか、それとも意趣返しのつもりなのか。


 ただいずれにせよ、私にとっては問題のない金額だった。



「ありがとう、いい買い物ができたわ」

「そうかよ、さっさと行きな」



 持っていた財布をバッグにしまおうとしたとき、中に入っていたハンカチが偶然店主の足元へ落ちてしまった。



「あ?」

「あらごめんなさい。拾ってくださる?」



 明らかに気分を害した様子の店主はハンカチを拾い上げ私を怒鳴ろうとして、一瞬身体を硬直させた。怒鳴りつけようと半開きになった口は何も言うことなく噤まれた。



「どうかしたかしら?」

「……いいや」

「そう。ありがとう。また機会があればよろしくね」



 二度とはないだろうが、ただの社交辞令だ。

 だが店主にどう聞こえたかはわからない。

 まっすぐ通りを歩いて、古物店が見えなくなった辺りでドロシーは悲鳴に似た怒声を上げた。



「な、なにをしてるんですかお嬢様っ! あんなトラブルの渦中に自分から巻き込まれに行くなんて……! 暴力沙汰になったら私程度じゃ庇い切れませんっ」

「ごめんなさい、ドロシー。緊張させちゃったかしら?」

「緊張じゃなくて心配ですっ! 放っておけばいんですよあんなの……どうせ日常茶飯事でしょうし」

「日常茶飯事なら看過してもいいの?」



 私の表情に、ドロシーはあからさまに「しまった」という顔をした。

 すべての者に慈悲の心を向けるべきじゃないと語ったがドロシー。だがそれはできる範囲や責任の問題からだ。出来る範囲のことがあっても放置してもいいという話ではない。まして理不尽を看過するという不正義を認めることではない。



「ねえドロシー。確かに私は自分からトラブルに巻き込まれに行ったわ。私の我儘な判断にドロシーを巻き込んだのは申し訳ないと思うわ。このお皿だって本来の価値以上の金額で売りつけられてしまったし」

「……それでも今回に限っては、お嬢様の出来る範囲ではありました。手持ちのお金と、大人との対等な対話。お嬢様はお嬢様の責任で行われたのですから」



 ドロシーは口でこそ認めたような話しているが、その顔はどう見ても納得がいっていない。ちぐはぐな様子に思わず笑ってしまった。



「笑いごとではありませんよ!」

「うふふ、でもドロシーすごい顔。あのね、別に私はあの乞食の男の人を助けようとしたわけじゃないわ。私の目の前で理不尽な暴力に耐える人を見たくなかったの。それを見て見ぬふりしたくなかったし、私は関係ないみたいな顔で遠回りはしたくなかった。私はお金でこの罅の入ったお皿と目下の心の平穏、それから塞がれてた道を通る権利を買ったのよ。別に善意でも何でもないわ」

「お嬢様はまたそのような……」



 建前ばかりだと言うようにドロシーはため息を吐くが、なんの衒いもなくそれが本心なのだ。暴力は怖い。怒鳴る大人の男も怖い。それを目の前から消すための手段だったのだ。乞食がどうだとかは、本当にどうでも良い。ただ踏みつけられる弱者がひとまず難を逃れたなら、それはそれでよかったと思える。



「さあ気を取り直しましょう。行きに見たお菓子屋さんに行きたいわ。お父様や叔父様にもお土産を買っていきたいの」



 今回は初めての街への外出だった。成果としては十分だ。



「次はもう少しゆっくりしましょ。ドロシーとカフェにも行ってみたいわ」

「ええ! 次はもっとのんびり、優雅な街歩きをしましょう!」



 やりたいことも知りたいこともまだまだある。

 時間だってまだあるのだ。すぐに何もかも何とかなるとは思っていない。

 徐々に、徐々に使える手段を増やしていけばいい。

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