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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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16話 森と異変

 先ほどまで非日常が迫っていた森は、すでに常の静けさを取り戻していた。



「ピナ、おいで」

「はいっ」



 イエーロは感情の読めない声で呼びよせた。

 本当は私が場をとりなそうと思っていたのだが、見事にその役割をグラナダにとってかわられてしまった。そのおかげで私はただの蛮勇で考えなしな伯爵令嬢になってしまった。

 怒られるだろう、と何とか言い訳を考える。しかしこれと言って自分の正当性を主張できるようなものは浮かばない。少なくとも自分は間違ったことをしてはいないのだから。

 かちこちに凍ったような身体で屋敷へと向かうイエーロを追う。



「ピナ、私に叱られると思っているね?」

「え、ええと、それは、」

「叱られる心当たりもあるし、ある程度の道理もあるとわかるね」



 不思議に思ってイエーロを見上げる。私を見下ろすイエーロの顔は陰になっていて、その表情を伺うことはできなかった。ただ、イエーロは怒っていなかった。ただ静かに私に諭した。



「……ご心配おかけして、申し訳ありませんでした」

「ああ、……それをわかっていればいい。選択肢は他にもあったはずだ。鳥の姿を見なかったことにすることもできた。アルフレッドを呼びもどすこと、アルフレッドが戻るのを待つこと……それに私に報告することもできた」



 最後の選択肢は、随分と声が小さかった。

 イエーロもわかっているのだろう。たとえ私が報告したところで、握りつぶしていただろうこと、決して森へ捜索に行くことはなかっただろうことを。


 イエーロは保守的な貴族らしく、誠実に不誠実で、冷徹だ。

 これはいよいよ森への出入り禁止を申し渡されるかもしれない。

 慣れてきているとはいえ、子供が一人で入っていいような場所ではない。危険な場所へ、危険を承知で挑む子供を止めるのにも限界がある。今まではアルフレッドがいたためそう強くは言われなかったが、今回私が一人で入ってしまったのも事実だ。


 戻って来られない可能性だって十分あった。



「お前の選択は、決して最善ではなかった」

「はい……」

「もっと大人を頼ってくれ。……森へ入らない私が言っても頼りないかもしれないが、少なくとも、ともに考えることができた。ともに考えることができたなら、リスクの分散もできただろう」

「…………申し訳ございません」

「お前にだけ背負わせることはなかったはずだ」



 開けられた玄関の扉から暖かい光があふれる。外が暗かったせいで今の今まで気が付かなかったが、靴から上着まで私の服は泥まみれだった。当然だ。湿度の高い湖の側で尻もちをつき、野生の鳥に跨り、森の中を走り回ってきたのだから。心得たようにすぐドロシーがすぐに駆け寄ってくる。その目は潤んでいてもの言いたげだったが、イエーロに一切報告しなかった手前、何も知らないふりをするしかなかった。



「よくやったピナ」



 ドロシーにすら聞こえないだろう、小さな声でそう言うとイエーロは私の頭を一撫でして、つかつかと私室へと向かっていった。

 なんの反応も返せず、私は呆然としながら遠ざかっていく背中を見ていた。





「お嬢様、ご無事で本当に安心いたしました……! お嬢様の身に何かあったのではと胸がつぶれる思いでした。やっぱり止めるべきだったんじゃないかって……」

「うん、行かせてくれてありがとう、ドロシー」

「件の鳥に攫われた少年もご無事で?」

「うん。騎士団が迎えに来てたからそのまま引き取ってもらった」

「本当に、本当にご立派になられて…………!」



 ドロシーに洗われながら、どこか落ち着かない気持ちの原因を探す。


 ひとまず問題は解決して、最善ではないにしろベターな形に落ち着いた。誰も死なず、誰も損することもない。

 故意ではないとは言え、領地から人攫いを出してしまったフレッサ家は、フレッサたる私が勝手ながら行動し、結果的に無傷での救出が叶った。

 私を殺し続けた男、グラナダ・ボタニカ。怖くて怖くて仕方がなかった彼と、まともに話ができた。人の道を外れてまで、彼の排除をせず、一子供として手を貸すことができた。


 この落ち着かなさにふと心当たりを覚えた。

 これは、高揚感だ。嬉しいからこそ落ち着かない。

 まだまだ私は変わっていける。


 今回の私は、殺そうとし続けた王太子に危害を加えることなく、私を殺し続けたグラナダと話ができて、周囲の誰も死なせない未来を迎えられるかもしれない。それこそ、ずっと目の敵にし続けた聖女とすら良好な関係を築くことができるかもしれなかった。



「ドロシー? わたくし、成長できてるかしら?」

「……っもちろんでございます! お嬢様は本当に、周囲が付いていけないほどの速さで成長しています! いっそこちらが寂しくなってしまうほど」

「本当? ならよかった」

「ええ、本当に……ピナ様はきっと、これからもこんな風に目まぐるしく変わられるのでしょう」

「……まだまだ変わっていけるかしら?」

「ええ、まだまだ。きっとすぐに私にできることなど何もなくなってしまうほどに。もう私にはお嬢様を止められませんから」



 話しながら、けれど私を洗う手は止めないドロシーを見上げた。

 慈愛に満ちた目を向けるドロシーにくすぐったくなる。

 ドロシーは、もう私を止められない。

 どれだけ常識を、良識を説いたとしても、私はもう私が正しいと思った方へと突き進むだろう。自分で選択できないことで味わう後悔を、私はもう二度と味わいたくはなかった。



「ねえドロシー。わたくしはもう止められないかもしれないわ。でもね、止めることを諦めないでほしいの」

「……諦めない? でもそれではお嬢様の邪魔になってしまいます」

「それでいいの。わたくしが止まるかはわからないわ。でもね、あなたの言葉を聞きたいの。あなたの想いを聞きたいの」



 私は悪夢を忘れたわけじゃない。

 いつか急に、以前のように自分の自由意思が失われるかもしれない。それこそ、明日の朝起きたころには王太子を殺すために邁進するピナ・フレッサになっているかもしれない。



「わたくしはあなたの言葉を聞いたうえで、選択したい。それでね、もしわたくしがあなたの言葉にまともに耳を傾けなかったり、道理から外れたことをしようとしたなら」

「お嬢様はそんなことしませんよ」

「殺してでも止めてくれる?」



 ドロシーはぴたりと動きを止めた。



「ドロシー?」



 素直な返事をもらえるとは思っていない。いったいどこの誰が主君の娘を、殺してくれと言われたから殺すと肯定できるだろう。ただ何の返事もないというのが意外だった。何かを問いただしたり、堂々と否定したり、説教をしたりすると思ったのだ。けれど彼女は何も言わず、逡巡するようにただ私を見ていた。



「私にはそんなことはできません。お嬢様を殺すなど」



たっぷりと間を開け、ドロシーは静かにそうつぶやいた。



「私はただ、お嬢様の幸福を願っています。明るい未来を、平和な未来を」

「でもわたくしは、あなたの言葉すら聞けなくなったわたくしでありたくはないわ」



 ドロシーは怒ることも、叱ることもなく、微かに笑った。



「それでも、私がお嬢様を殺すことは決してありません。私はただ、あなたが生きていることを望み、変わらずお傍にいることを望んでいるだけです」

「……わたくしが、そんな風に生きるのを望んでなくても?」

「ええ、もしそうなら一緒に逃げてしまいましょう」

「……逃げる?」



 ドロシーは止めていた手を再開して、泡だらけの私の身体にお湯をかけた。



「ええ、もしお嬢様がそうなってしまったらなら、それはきっとお嬢様の意思ではなく、政治的なものや社会的なものが、そうせざるを得ないように、迫っているときだと思うんです。そうしたら、逃げてしまいましょう。責任も柵もない場所へ二人で」



 まるでそうすることが当然だと言うように、ドロシーは穏やかで、私は口を噤んだ。きっとドロシーは、本当にそうするのだろう。私に命令されるがまま死んでいった20回のように、ドロシーは私を最優先する。



「ドロシー、あなたに兄弟はいる?」



 ほとんど無意識に口から出た言葉だった。



「どうしたんです、急に。……弟がいましたよ。私たちは二人姉弟でした」



 それは初めて聞く情報だった。今の今まで、一度たりとも聞いたことがなかった。それほどまでに、私は彼女に興味がなかった。自分のことしか考えていなくて、予定調和のように死んでいくドロシーの個人的な情報など知ろうともしてこなかった。



「……あなた一人で逃げようとはしないの、普通。わたくしがどうしようもない人間になってしまったなら、見放すでしょう?」

「うーんどうでしょう。それでも私は、ずっとお嬢様のことを見てきました。まだ上手に歩けない頃から、うまくお話できない頃からずっと。無垢なころも、自我が芽生えて我儘になるころも、今みたいに聡明になられたころまで。そうやってお嬢様が生きて、成長して、変わっていくところを見てきました」



 思わずぎょっとして身を硬くする。

 つい先日まではわがまま放題の幼女だったが、今では精神年齢も数十歳という単位では足りないのだ。その辺の高齢者よりはるかに老齢な私は“変わった”と言われてしかるべきなのだ。我儘ばかりの小娘であったと、はるか遠くの記憶で自覚している。それでも、ドロシーは決して見捨てなかった。



「だから、もしお嬢様が今のお嬢様が絶望するほどに、考え方が、人格が変わってしまっても、私にとって、ピナ様はピナ様なんです。どんな風に変わられても、変わられていくお嬢様もすべてひっくるめて、お傍にいると決めたんです」



 私はもうどうしてとは聞かなかった。

 なぜそう決めたのか、何がきっかけでそこまで私の傍に仕えると決めたのか、それはわからない。けれどそれが彼女にとって不変の硬い意志だということはよくわかった。


 ドロシーは私を見捨てない。ドロシーは私を止めない。ドロシーは私に従い続ける。

 つまり私の錯乱はドロシーの命に直結していると言っても過言ではない。



「さあそろそろ上がりましょう、逆上せてしまいますよ」



おそらく、私が幸せになるためには、ただ逃げ続けて生き延びるだけじゃ足りないのだと思う。最低限未来を変える、自分の死亡フラグだけを折る、そんな程度じゃきっと足りない。それだけではきっと、取り落とす。

 綱渡りではなく、もっと安全に、もっと安泰に。有能になろう。有用になろう。



「ねえドロシー、ドロシーの弟ってどんな子?」

「えー? 小生意気な子ですよ。お姉ちゃんへの敬意が足りないような。……こんな話するのは初めてですね。興味が湧きましたか?」

「ええ。とても」



 だから今のままではいけない。もっともっとたくさん得なければいけない。



「ドロシーいろんなお話を聞かせて。たくさんのことが知りたいの。お屋敷の外のこと、このフレッサ領の外のこと。もっとずっと遠くのこと」



 慎ましく生きていてはいけない。もっとずっと欲しがらなければ。



「もっとたくさん知りたいの」


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