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21周目の魔女は今度こそ生き延びたい  作者: 秋澤 えで


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13話 怪鳥と邂逅

 身体が震えていた。腰は抜け、冷や汗を流しているのに、口元から笑みがこぼれた。

 そうだ。

 このまま見殺しにしてしまえばいい。

 そうすれば、私がグラナダによって殺される未来は潰える。

 これはこの上ないチャンスなのだ。今まで一切変えることができず、ただただひたすらに殺され続けた私に与えられた、千載一遇のチャンスだ。

 グラナダさえ死ねば、塔から落とされる未来はなくなる。


 何もかも偶然だ。

 グラナダが巨大な鳥によってこの森へ連れてこられたことも、私が貴族令嬢であることを半ば投げ出し森へ入り浸っていることも偶然だ。だがその偶然はもはや運命にも思えた。現実逃避のように森の守り人になろうとした私の決定に、意味があったのだ。


 グラナダが死ねば、私は殺されない。


 このまま何も見なかったことにして屋敷へ帰ろう。

 グラナダがこの森へ運ばれるのを見たのは幸い私だけ。

 誰も知らないのだ。誰も知らなければ、それはもう何も起こっていないのと同義だ。

 

 ドロシーには子供が迷い込んだと言ってしまったが、私が見つからなかった、見間違いだったと言えばあっさりと口を噤むだろう。彼女は絶対的に、私の味方でありつづける。


 イエーロとて同様だ。どういう状況でグラナダが怪鳥に攫われたのかわからないが、もしそこに保護者がいて、怪鳥を追いかけてこのフレッサ領に来たとしても、イエーロは知らぬ存ぜぬを貫き通すだろう。部外者を森に入れることを決して許さず、同時に森にかかわることを嫌う。さらに怪鳥が子供を攫ったなどという御伽噺染みた話など、イエーロは一笑に付すに違いない。

 アルフレッドにさえ言わなければ、すべては闇に葬られる。

 一人、子供が行方不明になるだけ。

 それだけで、私の未来は救われる。


 ただ逃げかえればいい。

 ただ喋らなければいい。

 自分で手を下すこともなく、私は救われるのだ。


 唾を飲み込む。

 茂みの隙間から、緊張した面持ちのグラナダを捉えた。

 いずれ彼は隠れ続けることに我慢できなくなる。そうなればきっと怪鳥は彼を食べてしまうだろう。もし隠れ続けることができたとしても、この森を幼子が一人で抜け出すことは不可能だ。

 グラナダ・ボタニカはここで死ぬ。

 あの恐ろしい青い目を、もう見ずに済む。


 なのにどうして、こんなにも涙が出るのだろう。

 視界は歪み、色彩は滲む。

 足は震え、手は悴む。

 なのにどうして、私はここを立ち去れないのだろう。


 私はもう、自分が何を恐れているのかわからなかった。





 怒り狂う、怪鳥のけたたましい鳴き声。

 逃げ出すストルーティオーの群れ。

 地面の削られる轟音と雨のように降り注ぐ湖の水。


 私はストルーティオーの背に乗って駆けだした。わき目も降らず、ただ森の入り口を目指して。


「お前はっいったい何なんだ……?」


 耳元を覆う風の音に沈み込み、背中から聞こえる少年の質問を黙殺した。



 私は殺せなかった。

 見殺しにできなかった。

 たとえそれが生き残るための確実な一手だと知っていてなお、何も知らない少年を見殺しにすることができなかった。

 たとえ未来、私に死を与えることが確定していたとしても、今は無知な少年を見捨てる理由にならなかった。


 私はたくさんの人を殺した。

 一度目は、自分の意思で。愚かで浅慮な私は、王太子が自分の手に入らないなら、いっそ誰の手も届かない場所へ行ってしまえばいいと思った。たとえそれが周囲の悪意から唆されたものであっても、私は確固たる殺意をもって王太子に毒を盛り、その過程で数多の人を罪の坩堝に巻き込んだ。

 あとのすべては、自分の意思ではなかった。けれども私は罪を重ね続けた。人を殺し続けた。同じ人間を、何度でも殺して見せた。

 グラナダ・ボタニカが私を殺し続けたように、私もまた、数えることすらできないほどの人間を巻き込んだ。

 グラナダ・ボタニカは、私のことを魔女と罵った。

 けれどその言葉のどこに間違いがあるだろう。

 毒と悪意をまき散らす、女。なんの齟齬もない事実をもって、私は魔女と呼ばれてしかるべきだった。


 だが今、私は自由だ。自由になった。誰に縛られることもなく、身体は自分の意思をもって動かすことができ、口は自分の意思をもって言葉を紡ぐ。強制された事象をなぞるだけではないのだ。

 私は自分で選択できる。

 ゆえに、私は再び悪を選択することができなかった。

私は魔女じゃない。私はただ生きたいだけのピナ・フレッサだ。


 私はもう目を逸らさなかった。


 覚悟が決まれば、やるべきことは明白だった。

 グラナダ・ボタニカを助け、怪鳥から逃げ切り、日没までに森を抜ける。

 迷う暇も、策を弄する暇もない。

 手段よりも時間の方が優先だ。


 怪鳥の姿を再度確認する。

 鋭い爪に、鉤型に曲がった嘴。おそらく肉食、あるいは雑食で間違いない。足は太いが短く、地面を走るのには向いていない。一方翼は大きく羽根の一枚一枚は頑強。おそらく強風の中や高い上空を飛ぶのに優れている。通常の猛禽類、フクロウや鷹であれば高いところから急降下し、小鳥や地表の哺乳類を襲う。

 ちらりと周囲のストルーティオーたちを見る。彼らは興味深そうに怪鳥を眺めるが、逃げ出す素振りを見せない。ストルーティオーは森の中では大きな種だ。少なくとも一般流通する文献を見ても、ストルーティオーとサイズを争う鳥類はあまりいない。だが怪鳥と比べればその差は一目瞭然だ。ストルーティオーは雑食だが、鼠のような哺乳類は食べない。基本的には木の実を好み、時に虫を食べる程度だ。

 だから私は賭けに出た。


 震える足を叱咤して、こみあげる吐き気は飲み込んだ。

 ここでは誰も助けてくれない。

 ここにいるのは小さな人間と森の脅威だけなのだ。


 水浴びをする怪鳥が茂みに背を向けた時、あえて近くの枝を揺らした。

 風の音でも、鳥が草を踏む音でもない人為的な音。

 怪鳥はその程度の音を気にしない。それは水浴びに夢中になっているからか、それとも強者ゆえの余裕か。

 しかし岩陰で怯える少年は違う。周囲の音に耳を研ぎ澄ませ、精神を集中させている。

 グラナダ・ボタニカはすぐにこちらを向いた。


「っ……!?」


 返事はしない。ただ茂みから片手を突き出す。

 ここに人間がいると、自分を助けようとする者がいると。

 グラナダは戸惑ったように私の腕と怪鳥の背を見比べた。

 今なら茂みに走ってこられる。

 だが最悪の事態を考えるだろう。

 もし今、こちらを振り向いたら。もし自分の足音に気が付いて追ってきたら。


 グラナダはきっと、怪鳥に攫われてからずっとそのことを考え続けてきただろう。具体的な恐怖は、決断を鈍らせる。


 だから敢えてせかす。

 突き出した片手で、一方的なハンドサインを送る。

 3本指を立てて、茂みから振った。

 3。

 グラナダが目を見開く。

 2。

 一瞬怪鳥に視線を送り、それからこちらを見据える。

 1。

 グラナダは隠れていた岩陰から立ち上がった。

 0。

 意を決したグラナダがこちらへ走り出すのと、ぬかるんだ地面を踏む音に怪鳥が気づいたのは同時だった。



「ギイィィィィイギィイイイイイ!!」

「うわあああああっ……!?」



 怪鳥の雷鳴のような鳴き声が空気を揺らす。周囲から動物たちが逃げ出す音が聞こえた。

 だがグラナダは止まらなかった。茂みに走り込んでくるグラナダの手を掴み、逃げ遅れたストルーティオーを捕まえて何とかその背に二人して乗る。私が指示を出す間もなく、ストルーティオーは仲間たちと勢いよく走り出した。もちろん、怪鳥とは逆方向、森の入口の方へ一目散に逃げていく。

 背後からはけたたましい怪鳥の鳴き声と水音、地面をける音が聞こえてきたが、それは徐々に、けれど確実に遠ざかっていった。


 ストルーティオーの豊かな羽毛に埋もれながらその背にしがみつく。そしてそんな私の背に、グラナダはしがみついていた。

 細い腕は縋るように私の身体に回されていて、いまだ落ち着かない吐息が首をくすぐった。

 ストルーティオーはスピードを落とすことなく、ぐんぐんと走り抜ける。川のように流れていく緑の景色にも慣れたもので、頭は今までになく澄んでいた。



「な、なんであの鳥は追ってこない……?」



 風の合間に、小さな疑問が聞こえてきた。独り言なのか、私への質問かはわからない。



「あの鳥は追ってこられません」

「なんで……あんなに強そうなのに……」

「あの鳥はあまりに大きすぎるんです。だからこの森の中を追うことができません」



 あの怪鳥が追ってこられない。それは私の想像通りであり、少ない知識を総動員させた賭けだった。

 今まで見たことがない種類の大きな鳥。

 巣材をもった怪鳥は木々の開けた水場に降り立った。

 肉食と思しき怪鳥から逃げようとしないストルーティオー。

 太くたくましい森の木々。


 これらのことから怪鳥は本来この森一帯に生息していないと考えた。水場を探して降り立ったのかもしれないが、それ以上に、あれほど大きな翼があると、大きく開けた場所にしか着地できない。同時に大きな翼を持ち、長距離を飛ぶだろう怪鳥の骨格の強度はおそらく通常の鳥と同様、つまり軽い造りになっている。森の大きな木々をその翼で薙ぎ倒すことはできない。そして足は屈強だが地面を素早く走るには向かない形。翼をたたんで森の中を走ることはできない。

 逃げ出さず、興味深そうに眺めていたストルーティオーたちはそれを本能で察知していたのだろう。

 そして私の想像通り、怪鳥は怒り狂いながらも私たちを追ってくることはできず、威嚇に慄いたストルーティオーは一目散に逃げ出した。



「もう大丈夫です。このまま森を抜けましょう」

「お前は……君はいったい誰なんだ……」



 あれほど恐ろしかったグラナダ・ボタニカが、今はまるで怖くなかった。

 私の未来に死を与える存在。姿を見るだけで足が震え、その目を見るだけで吐き気がした。塔から落下する光景が、私を見送るグラナダの視線が蘇る。


 だが怖くなかった。

 今のグラナダは何も知らない。

 不運にも怪鳥に攫われ、不運にもフレッサ領に迷い込んだだけの少年なのだ。

 今はただ、私の背にしがみつくことしかできない子供なのだ。


 それでもきっと、私は彼を怖がるだろう。その姿を見れば自分の死を思い出し、その名を聞けば硬直する。でも今だけは、姿も見えず、ただ私の背にしがみついている今だけはまるで怖くなかった。

 見殺しにしなかったことを、後悔はしていない。

 それ以上に、人を殺し続けてきた私が、他人を助ける行動ができたことが嬉しかった。

 私は変われる。

 私は自由だ。

 私は私の善意をもって、正しい道を歩いて行ける。


 たとえその道が困難であろうと、何度臆病風に吹かれようとも。



「……私は、自由だ」



 私はちゃんと前を向いて生きていける。

 暖かい羽毛に埋もれながら、日の傾きかけた森の中をぐんぐんと走り続けた。


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