11話 怪鳥と邂逅
午前中の授業をつつがなく熟し、出された課題を早急に片付けた午後、私は一人頭を抱えていた。
私がこれからすべきこと、最重要事項は誰も死なないことだ。その最たる原因は私が王太子に毒を盛ろうと努力したことである。今の私に王太子であるラウレルを毒を盛るつもりは毛頭ない。だが私が王太子に毒を盛ることとなったのは、一つに私の幼い恋心が要因だ。そして二つに私の芽生えた感情を歪ませ、魔女に仕立てたのが王弟派、ひいてはエンファダードだ。ただの叶わぬ、身の丈に合わない恋と終わらせず、王弟派は恋を執念に変え、慕情を独占欲に歪ませた。殺してでも他人の者にしたくなかったと、私にそう思わせた。
今、私は無論ラウレルに恋をしていない。
だが王弟はすでにフレッサに接触しており、実質王弟派についていることになる。
おそらく、フレッサ伯爵であるイエーロは当初王太子につこうとしていたはずだ。それこそ私が王太子と結婚出来ればフレッサ家の地位は絶対的に上昇する。だが私の振る舞いの結果、それを諦めた。むしろ王太子と面識があり、同年代であるということを、エンファダードへの売りになると考えたのだろう。だからわざわざ短い時間と言えど私を面会させたのだ。そうして私は、イエーロの望んだとおりに振舞った。
無邪気で、素直で、ただ輝く王太子に夢中になるような、頭の空っぽな女の子。
駒として、とても使いやすい。
将来的には悪手だ。だが私があまりにもイエーロの意思、エンファダードの意思に反した振る舞いをすればフレッサの面目は丸つぶれた。
すでにやや詰んでいるような気がしないでもないが、死ぬまであと10年はあるのだ。諦めるにはまだ早い。
イエーロが王弟派についたのは、フレッサ領の未来を悲観してのこと。現王の安定という名の停滞はいずれフレッサの毒になると感じていたからだ。直系の王太子につくのではなく、他国との関係も深く、私兵を持つ領と懇ろになろうとする王弟の方に未来を視たのだ。
半ば博打じみていることはイエーロもわかっているだろう。それでも王弟派を選択したのは現王の政に不満があるからだ。
フレッサには明るい未来が必要だ。
明るい未来には、富が、金が必要だ。
「うーん……やっぱ結局世の中お金……」
金は天下の回りものとはよく言ったもので、お金がなければ何もできないし、先行きは怪しい。何をするにも先立つものは必要で、貧すれば鈍する。
本当なら、未来を知っている私はあらゆる面でアドバンテージを持っているはずだった。例えばこれから台頭してくる家、これから流行る病気、一世を風靡する商品、新たに見つかる鉱山資源。これらを知っていればいっそ卑怯なまでにあらゆる利益をフレッサへ引き込むことができる。だが悲しいかな、すべての人生でただ諾々と王太子の毒殺をもくろみ続けていた私はそう言った世間の事情に精通していない。いや、おそらく記憶のどこかに当時の流行や台頭してきた家については情報があるはずだ。だがしかし、今具体的に何も出てこない。
もしこれらを先取りできればフレッサ領の未来は明るく、イエーロも無茶をすることなく、安寧を享受することができるだろう。
「思い出せ、思い出せ私……」
読んだ新聞、社交界の噂話、イエーロから漏れ聞く政治の話。だがどれも朦朧としている。フレッサの未来を左右するというのにまるで戻ってきてくれない記憶に絶望する。
ぼうっとしながら窓の外を眺めるが、穏やかな空には白い雲が流れていくばかりで私の記憶を呼び起こすものはなかった。
普段の午後はアルフレッドと森に入っていることが多いが、昨日の今日で気まずく、森へ誘うことはできなかった。そしてアルフレッドも見計らったように近所の薬師の元へ出かけている。
「……伯父様も昨日のことを考えてらっしゃるのかしら」
イエーロは、アルフレッドに森をただ守るのではなく、資源として利用できるようにと詰め寄った。あの時アルフレッドは返事をできなかったが、もしかしたら考えがあるのかもしれない。
森の浅い部分、特殊な生物があまり住んでいない部分でも十分変わった薬草が取れる。だがその研究が進み、薬草を別の土地でも育成することができるなら、あえてその森林部分を守り続ける益はない。そうして少しずつ、普通の土地として使える状態に近づけていくのだろうか。
だがどこまでなら森を切り売りしていいと、その正しさは誰が担保するのだろう。
先祖代々守り、王家からも重要視されていたはずのこの土地の、正しい保存方法はいったい誰が知っているのだろう。
ふと、白い雲を遮る影があった。
巨大な鳥だ。
鷲のようにも鷹のようにも見えるが、森の奥で見る古代種のようにも見える。
だがそれ以上に私の目を引くものがあった。
「子供……!?」
巣材にでもするのか、たくさんの木の枝を足に抱えている。その木の枝の間に、確かに子供がいる。はるか上空を行く鳥。もし風に煽られ枝の間から落ちてしまえば無事では済まないだろう。
だが私の視界の中で鳥は森の中に向けて高度を下げた。
「と、とにかく伯父様に伝えて、」
慌てて窓際から離れて報告に行こうとするが、アルフレッドは外出中。戻るのはいつになるかわからない。イエーロは特に外出の予定はなく、今日は一日執務室に在籍している予定だが、森で起きることをイエーロに報告したところで何にもならない。
今、森の中へ入ることのできる人間は私だけだ。
「ドロシー! ドロシーいる!?」
「お、お嬢様? いきなりどうされたのですか?」
「今から森に行くわ。準備を手伝って」
廊下に出て叫べばすぐにドロシーが来てくれた。だが私の言葉を聞いて血相を変える。
「え、え、今日はもうお部屋で読書をすると、」
「予定が変わったの。森へ行くわ。今すぐ。一刻も早く」
「いけませんっ今日はアルフレッドさまがご不在なのですから!」
部屋に戻ってぽいぽいと着ているワンピースや靴を脱ぎ捨てる。動きやすい服を漁る私の後ろでドロシーが叫び続ける。
「伯父様がいないからわたくしが行くの。行く必要があるの」
「行く必要ってそんな……お嬢様の身に万が一のことがあったら、」
「それ以上にまずいことが起こる可能性があるの。お父様は動かない。きっと動くならもみ消す方に動く」
遠目でしか見ていない子供の姿。貴族なのかそれとも平民の子なのか。うちの領地の子供か、はたまた全く別の土地の子供か。何もわからない。いずれにせよ、このフレッサの森は案内なしに入って子供が無事に出て来られる保証はできない。森の動物に襲われるか、それとも森の中で迷い果てるか、大怪我をするか。
もしその子供を探す者がいたとしよう。イエーロは間違いなく知らぬ存ぜぬを貫き通すだろう。それこそ遺体が出たところでもみ消すのは容易だ。
だが私は見てしまった。はっきりと目撃してしまった。
ドロシーのエプロンを強く引っ張る。
「おっととと! お嬢様!?」
「子供が死ぬかもしれない」
茶色の目が見開かれた。
「お父様はきっと動かない。伯父様はいない。わたくしが行くしかないの」
「……それは、不審者や危険人物が森に入った、というわけではありませんか?」
「違うわ。迷いこんだ子供がいる。誰だかはわからないけど」
ドロシーは私の目を見つめて逡巡したが、すぐにてきぱきとクローゼットから森へ行く用の洋服や帽子を取り出し始めた。
「よろしいですか、少しでも危険だと感じたらすぐに戻ること。件の子供を見つけたらすぐに戻ること。もし夕暮れまでに見つからなかったとしてもいったん戻ること」
「で、でも、」
「でもではありません。暗い中の森でお嬢様はその子供を見つけることができますか? 無事に森を抜けて戻ることは? そもそもアルフレッドさまがいても夜間に森に入ったことはありませんよね? それに、夜になればアルフレッドさまもお戻りになられます。森のことはアルフレッドさまの方がよくご存じでしょう」
ドロシーの言葉にハッとする。確かに日中なら私が探すことができる。だが夜間になれば私は私の面倒を見ることもできない。何より夜にはアルフレッドが戻ってくる。そうなれば私の出る幕ではないし、私がすべき最適解はアルフレッドに窓から見た大きな鳥と子供話の仔細を伝えることだ。
「お嬢様は、必要なことだから、自分がやるべきことだから森に行きたいとおっしゃるのだと思います」
素早く、けれど丁寧に私に服を着せていくドロシーは諭すように言う。
「しかしお嬢様にできることは限られています。素晴らしい志や同年代より優れた思考、知識を持っていても、すべて思うままにできるわけではありません。できることはできる人がやればいいんです」
「……ええ、ありがとう、ドロシー」
「お礼には及びません」
ドロシーは私に帽子をかぶせると、すぐに抱き上げて私を森の入り口まで運んで行った。
「お嬢様にできることは、日中森の浅部を捜索すること。アルフレッドさまに報告すること。アルフレッドさまにできることはこの森全体の捜索。アルフレッドさましかできないことです。旦那様にできることは貴族としてのフレッサ家の判断と対外的な対応。旦那様にしかできない旦那様のお仕事です」
いまだ異変に気付く者はおらず、森の入り口はいつも通り静かだった。
「そして私にできることは、お嬢様のお手伝いをすることです」
「ドロシー……」
「いってらっしゃいませ、ピナお嬢様。どうぞご無事にお戻りくださいませ」
最後に渡された水筒を抱えて、私はドロシーに見送られながら森の中へ走り出した。




