歌子ちゃんが幸せそうに笑ってくれた日
「なんでココアがしゃべってるの? え、待って、これって夢?」
「夢なのかな? ぼく、でも、しゃべってるよね?」
歌子ちゃんもぼくも、なにが起こったのか分からなくて、お互いにびっくりしながら早口で言葉を交わした。
「しゃべってるし、動いてるよ。夢だとしてもすごいよ。こんなことってあるんだね! 魔法みたい!」
魔法みたい。その言葉で、さっきのことを思い出した。
「――そういえば、さっきね。声が聞こえたんだ」
ぼさぼさになった髪を揺らして、歌子ちゃんは首を傾げる。
「声?」
「そう。知らない女の人の声。特別に願いをかなえてあげるけど、無茶したら魔法が解けちゃうからね、って。そんなことを言われたような気がしたんだけど……空耳だったのかなぁ」
「そんなことないよ」
歌子ちゃんが、じっとぼくを見て首を振った。縋りつくような声でぼくを抱きしめて、そんなことない、と繰り返す。
「きっと、奇跡が起こったんだよ。幸せな魔法があったんだよ。……ココアと話せて、嬉しい」
ぐず、と鼻をすする音が聞こえて、布を破かれたみたいに胸が痛くなった。
そっか。
なにか小さな幸せに縋りつきたいくらい、しんどかったんだ。
しゃべって話せるようになったとはいえ、なにもできないぼくを放したくないくらい、辛かったんだ。
一生懸命腕を伸ばして、歌子ちゃんの頭を撫でる。
「ぼくも、歌子ちゃんと話せてうれしいよ。これからは、どんな話でも聞くし、歌子ちゃんが泣きたくなったときには、ぎゅーってしたいな。ずっと、ぼくは歌子ちゃんのそばにいるよ」
「うん、うん……ありがとう、ココア」
歌子ちゃんの言葉に、胸の奥がほわぁってあったかくなる。ぼくにも、できることがあるのかもしれない。
「なにか、話したいこと、ある?」
「うん、あるよ。あのね……」
歌子ちゃんの口からは、辛いことや悲しいことがたくさんあふれてきた。
「なんか、話したらすっきりした。ありがとね、ココア」
「いえいえ。……でもさ、歌子ちゃん。明日から、またその辛い毎日に戻るつもりなの?」
ぼくが尋ねてみると、歌子ちゃんは凍りついたみたいに固まった。
「また、いろんなことを我慢して、嫌な気持ちになるの? しんどくない?」
「……しんどいよ」
俯いた歌子ちゃんは、ぽつりと呟く。
「でも、どうしようもないからなぁ」
「うーん……」
日に日に疲れ果てて、だんだんと壊れそうになっていく歌子ちゃんの姿は、もう見たくない。
歌子ちゃんには、笑っててほしい。だって、とっても優しくて、笑顔が似合う女の子なんだもん。
「ねぇ。もう我慢しなくてもいいんじゃない? そんなところからはさ、逃げちゃおうよ」
「えっ?」
「逃げちゃってさ、お父さんやお母さんに相談してみようよ。助けて、って言ってみようよ。そうしたら、またなにか変わるかもしれないじゃん」
困ったように、歌子ちゃんの目が泳ぐ。
「……私、大人になったからさ。自分の力で生きていかなきゃいけないんだよ」
「でも、辛いことがあったら帰っておいで、ってお母さんも言ってたよ? お父さんも無理はしないで、って言ってたじゃん」
ぼくの言葉に、歌子ちゃんはなにも言い返せないみたいだった。
「ぼくも、歌子ちゃんに無理はしてほしくない」
真っ直ぐに、大切な人のことを見つめて、気持ちを伝えてみる。
「……そっか、そうだよね……うん。久々に、実家に電話してみようかな。お父さんとお母さんに同じ話をして、相談してみる」
そう言った歌子ちゃんの表情は、どこか清々しかった。
あの夜からしばらく経った、ある日。
歌子ちゃんは、ぼくに笑顔で報告してくれた。
「――仕事、辞められたよ!」
お父さんとお母さんに相談したら、『そんなところなら辞めていい』『また就職し直したほうがいい』『その間はうちに戻ってきてもいいよ』と言ってくれたのだという。その言葉に後押しされて、『しごと』を辞めることができた、らしい。
「それでね、私、実家に帰ることになったんだ。だから、ココアも一緒に来てくれる?」
「もちろん!」
ぼくはぬいぐるみだから、家の外のことはあんまり詳しく知らない。歌子ちゃんが説明してくれたことも、実は分からないところがちょこちょこある。
けれど、歌子ちゃんが幸せそうに笑ってくれるなら、これでよかったんだなって思うんだ。




