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ぼくの持ち主が変わった日

 今日も、ぼくがいる子ども部屋は普段と何も変わらない。

 部屋の奥半分を使っている大学四年生の歌子ちゃんは、椅子に座って机の上に広げた紙を見ながら膝の上でパソコンをカタカタと鳴らしているし、部屋の手前半分を使っている中学二年生の響子ちゃんは、スマホをいじって遊んでいる。壁には三月のカレンダーが吊り下げられているけれど、窓は開いていないから揺れたりはためいたりすることはない。

 二人の顔は、年が違う双子みたいにそっくりだ。狐のように細く吊り上がった目も、奥二重の瞼も。すっと高い鼻や、笑うとえくぼのできる口も。違うのは、髪の毛と性格くらい。歌子ちゃんの髪の毛はこげ茶で長くて、お姉ちゃんらしく優しくて全然怒らない子だ。いつも言葉は柔らかくて、ふわふわ、綿みたいな感じがする。響子ちゃんは真っ黒な髪の毛を狼みたいに短くかっこよく切っている。うるふかっと、っていうらしい。髪の毛だけじゃなくて、性格も少し狼みたい。つんとしていて、誰も寄せ付けようとしない感じがするし、言葉もはっとするほどに鋭くて冷たく感じることがある。

 それでも、二人は仲が良かったんだ。昔は、普段は誰も寄せ付けない響子ちゃんも、お姉ちゃんと一緒にいるときはとろけそうなくらいに幸せそうな笑顔を浮かべていた。その表情を、響子ちゃんの手の中から見上げていると、ぼくもとっても幸せになれた。

 だから、あの笑顔を見るのが、ぼくは大好きだったのに。

 響子ちゃんの戸棚に飾られたままのぼく――白くてふわふわ、エメラルドみたいな目を持った、幸せを呼ぶかぎしっぽの猫のぬいぐるみには二人とも見向きもしない。

『寂しいなぁ。一緒に遊んでよ』

 そう言ったとしても、二人の耳にぼくの声は届かない。駆け寄りたくても、駆け寄れない。

 だってぼくは、ぬいぐるみだもの。自分で動いたり、喋ったりすることはできない。

 ため息をつきたいような、そんな気分になった、そのときだった。

「ほんと、あんたたちの部屋って足の踏み場がないんだから。どうしてこんな場所で生活できるの? ……ほら、二人とも部屋を片付けなさい。歌子にはこんな散らかった状態で上京されても困るし、響子は受験生でしょう? こんな汚い机じゃ勉強できないよ。ほら、二人とも早く動いて」

 突然、部屋に二人のお母さんがやってきて、大げさなくらい甲高い声でそう言った。

 たしかに、この部屋はずいぶんと散らかっている。床にはたくさんの紙や本、鞄が散らばっていて、どこを歩いていいのか分からなそう。歌子ちゃんの勉強机の上は本やノート、ペンや色鉛筆で埋め尽くされてパソコンが置けないくらいだし、響子ちゃんに至っては机の上になにが置かれているのか分からないくらいたくさんのものが積み上げられていて、いまにも崩れ落ちそうだ。

「はぁい。ほら、きょうちゃん、片付けるよ」

「……ったくもう、面倒くさいなぁ」

 歌子ちゃんが先に動き出して、床に散らばっているものを捨てたり、自分のものを腕に抱えたり、響子ちゃんのものを部屋の手前に置いたりする。響子ちゃんも渋々、といった様子で床のものを片付け始めた。

 部屋の中は、物を片付けるガサガサという音しか聞こえない。

 沈黙を破ったのは、やっぱり、お姉ちゃんの歌子ちゃんだった。

「きょうちゃん、最近はどう? 勉強は進んでる?」

「……」

 笑顔で響子ちゃんに尋ねてみるけれど、響子ちゃんは眉間にしわを寄せて不機嫌そう。

「友達とは仲良くやってる?」

「うるっさいなあ、もう! ちょっとは黙っててよ」

 ……ここ最近、ずっとそうだ。

 響子ちゃんは、歌子ちゃんに対してすごく冷たくなった。

 理由は、よく分からない。だけど、響子ちゃんになにを言われても、歌子ちゃんは全然めげずに話しかけ続けている。たぶん、にこにこ笑顔だけど、心の中で響子ちゃんのことを心配しているんだろうな。

 ぼくには、歌子ちゃんの気持ちが少しだけ、分かるような気がする。

 歌子ちゃんはぼくのお母さん――ぼくを作った、張本人だもの。

 七年前、まだ高校生だった歌子ちゃんが、小学校二年生だった響子ちゃんのために作ったぬいぐるみ。それが、ぼくだった。昔は、響子ちゃんはぼくを手にしてすごくうれしそうな顔をしていたのに。遊ぶにも寝るにも一緒だったのに。

 いつの間にか、こうして戸棚に飾られて、忘れられてしまった。

 そんなことを考えていたら、ふいに、響子ちゃんの手がこっちに伸びてきた。

『遊んでくれるの?』

 わくわくしながら響子ちゃんのことを見上げたけれど、その期待は、一瞬で絶望に変わってしまう。

 なぜって、前は一緒によく遊んでくれていた手が、ぼくのことを、ごみ袋に入れようとしたからだ。

『えっ……嘘でしょ?』

 声は、やっぱり届かない。

『お願い、響子ちゃん、捨てないで』

「――それ、捨てるの?」

 歌子ちゃんの声に、響子ちゃんが顔を上げた。

 ぼくも精いっぱい歌子ちゃんの方を見ようとするけれど、なにしろ動けないから、歌子ちゃんの表情が見えない。

 お姉ちゃんを見ていた響子ちゃんはしかめっ面を浮かべて、ぷい、とそっぽを向く。ああ、そんなことをされたら響子ちゃんの顔ももう見えないじゃないか。

「……うん。いらないよ。もう四月から中三だよ? こんなぬいぐるみ、いつまでも大事にすると思った?」

 響子ちゃんの言葉に、雷が直撃した、みたいなショックを受けた。ずたずたに布を切り裂かれて、燃やされてしまうんじゃないかっていうくらい、苦しかった。

「そっか、そうだよね……」

 でも、そう言う歌子ちゃんの声は、ぼくよりももっと苦しそうで。

 そりゃ、そっか。歌子ちゃんは大好きな妹のためにぼくを作ったのに、妹本人に、目の前で捨てられそうになっているんだから。

 ――歌子ちゃんのそばに行ってあげたい。ぎゅっと抱きしめて、慰めてあげたい。

 そんな願いが通じたのか、歌子ちゃんはこんなことを言い出した。

「……そのぬいぐるみ、私がもらってもいい?」


 こうしてぼくは、響子ちゃんのぬいぐるみから、歌子ちゃんのぬいぐるみになった。

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