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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
六 児玉峠
68/72

 七

「熾くん!」


 お久しぶりです! といって駆け寄ってくる琉霞に、熾はどきりとした。


 周囲の人々の視線が、さっと自分に向くのを感じて、緊張する。

 しかし琉霞は気にせず熾の傍に寄ると、隣にいる人物を見とめて、端正な顔を露骨に歪めた。


「なんだ、居たんですか」

「なんだとはなんだ」


 こちらも同様に仏頂面で返した久太は、不機嫌そうに腕を組んだ。


「相変わらず暇そうでなによりですね、やぶ医者」

「おうおう、そのままそっくりお返しするぜ、ぼんくら四男」


 憎まれ口をたたき合う二人にはらはらした熾だったが、次第にそのやりとりがただじゃれ合っているだけのように見えて来た。

 熾には理解できなかったが、これもひとつの友人の形らしい。

 熾は殿茶とのちゃの一件以来、琉霞に会ったのはこれが初めてであったが、久太の方はたびたび顔を合わせているようだった。


 そういえば、琉霞には会ったが、あれ以来、梔乃には会っていない。

 綺麗な人だったし、いい人だったが、熾はちょっとだけ梔乃が怖かった。


 基本的にいつも真顔で、何を考えているか分からないのが、不思議で、怖い感じがするのだ。

 もし一対一で会話をする機会なんかがあったら、きっとどもって滅茶苦茶なことを云ってしまうだろう。


………いや、そんな機会は来ないか。


 そんな取り留めのないことを考えながら歩いていると、足元でガサゴソッと何かが蠢いた。


「うわっ」


 上ずった声を上げて飛びのくも、よく見たらいたちが通り過ぎただけだった。

 なんだ、鼬か。

 ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間、今度ははっきりと、獣の鳴き声が聞こえた。


「オオ―ン」


 遠吠えだ。力強い、狼の遠吠え。

 ひやりと、冷たい汗が背筋をつたった。

 近い。さきほど聞いた時よりもずっと近くにいる。

 熾は身を屈めた。


 狼は夜目が効く。隠れる場所のないこの峠道で、見つかったらまず逃げ切れない。


(いやいやそんな)


 最悪の事態を想定してから、熾は首を振った。

 実際、狼と鉢合わせても、そのまま襲われる事例というのは案外少ないと聞く。

 よほど気が立っていない限りは大丈夫だろう。

 大丈夫、大丈夫―――。

 その瞬間、こつんと上から小さな石ころが降って来た。

 ぴしりと、体が固まる。


 嫌な予感がして、熾は恐る恐る顔を上げた。

 熾から見て右上――断崖に突き出た岩に、なにかが、居る。

 怪しく光る青白い目が、二つ、四つ、六つ。

 更にその上方にも、八つ、十、十二――このあたりでもう数えるのをやめた。


 低い岩場に大きな影が三匹。上の岩場には小さめな影が、少なくとも四匹は居る。

 狼だ。


いずれも炯々《けいけい》とした目で、熾を見下ろしている。

低い岩場の方に居る一回り大きな狼の口から、おあつらえむきに涎が流れ出ているのが見えた。

なんというか………とってもお腹が空いてそうな感じである。


(冗談じゃない)


 狼に出会った時の対処法なんて、寺子屋てらこやに居た時は習わなかった!


 焦燥と恐怖、同時によくわからない苛立ちが込み上げる。

 じりじりとにじり寄ってくる狼たちを前に、熾は一歩も動けなかった。


 熾だって、出来る事なら脱兎のごとく逃げ出したい。

 しかし、なぜだかこのまま目を離したらまずいような気がしてならない。

 背をむけた瞬間に、飛びかかられる気がする。

(どうする、どうする)

 逡巡している間にも、一匹、また一匹と、岩場から飛び降りて近づいてくる。

「っうわ」

 思わず足を引いた拍子に、小石につまづいて転んだ。

 腰に鈍痛。

 痛みに目を細めた刹那、一匹の狼が自分に向かって飛び出してきたのが見えた。

 ――食われる!

 その瞬間、地面から突然白いなにかが噴き出した。

 ――それは、不知火しらぬいのように見えた。

 赤くも青くもない、真っ白な炎が、まるで熾と狼の間を隔てるように壁をつくる。

 熾に躍りかかろうと飛び出した狼たちは、「キャウン!」と子犬のような悲鳴をあげて仰け反り、飛びずさった。

「なんだ、これ………」

 なにが起こっているのか分からず目を白黒させた熾は、自身を取り囲むように壁を作った白炎を見やる。

 これだけ勢いよく燃えているのに、熱さが全く感じられない。

 それでも狼たちは火を怖がって、これ以上近づいてこないようだった。

 だがこの火の壁から出たら、またあいつらは襲ってくるだろう。

 そう思って周囲を見渡すと、炎の壁の間に一か所だけ、ぽっかり空いた空間を見つけた。

 人が一人通れるだけ空いた空間の向こうには、まるで柵のように左右を炎で仕切った一本の道が出来上がっている。

「火の道だ」

 ここを通れと云われているような気がした。

 どの道、他に通れる場所はない。

 もはや村への方角はさっぱり分からなくなってしまったが、熾は何かに誘われるようにして、不知火の道を駆けた。




「はぁ、はぁ」


 えらい目にあった……。

 炎の間を無我夢中で駆け抜け、なんとか安全そうな場所まで逃げきれた。


 幸い、狼たちが追ってきている気配はない。

 良く分からないが、助かったようだ。

 あの時、突然白い火が上がって来なかったら、熾は今頃バラバラになって狼たちの胃の中に収まっていたに違いない。

 

 しかし助かったはいいが、どこをどう駆けて来たかが分からない。先ほど道を示してくれていた炎はもう消えてしまっているし、道が分かったとしても、狼の居た方に戻るわけにもいかない。


「でも、ほんとここどこだ……?」


 いつの間にか森の中に突っ込んでしまったらしい。

 日も沈みきってしまい、空にはまんまるのお月様が輝いている。

 月光だけを頼りに、この暗い森の中を進んでいかなければならない。

 一難去って、また一難。


 とっくに歩き疲れているのに、なんだか目的地がうんと遠のいたような気がして、億劫な気分になった。



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